ガイダンスしよ!



ヒヨヒヨとヒヨドリが鳴く閑静な住宅街を1人歩く。土曜日の早朝ということもあり、人の姿はほぼ見掛けない。擦れ違うのは犬の散歩中である年配者やジョギングをしている男性くらいだ。
本日は文化祭2日目でガイダンスの準備があるため、いつもよりも早い時間に出勤してきたのだが、早朝のこの時間は思っていたより肌寒い。着慣れていないジャケットの前をぎゅっと締めるようにすれば、学園に向かう歩みも自然と足早になる。


ガイダンス会場である特別室は、昨日の内に机などの設営は済んでいる。後は予め学園のパンフレットやら受験案内などを一纏めにした封筒を、一つ一つ机の上に置いていったり、順路に沿って会場案内の貼り紙を貼っていくくらいだ。それらを村田先生とやる予定だったのだが。
「村田先生遅いな…」
念のためと思い早めに来て準備を始めたせいか、朝礼前に1人で全てを終わらせる事が出来てしまった。できれば再度全体の流れの確認をしておきたかったのだけど、村田先生も受け持ちのクラスがあるのでそちらで忙しいのかもしれない。
そう思いながら職員室に戻ったが村田先生の姿はない。仕方ないとパソコンに届いたメール返信をしていると電話が鳴った。
「はい。キメツ学園高等部名字です。ああ村田先生、お疲れさまです。......え!?」
想定外の言葉に思わず大きな声が出てしまい、職員室中の先生達の視線を集めてしまった。恥ずかしい気持ちもあるが、今はそれどころではない。

「...ええ、はい。...はい。わかりました。いえ。仕方ないですよ、お大事にしてください」
「名字先生、何があった?」

受話器を置くタイミングで悲鳴嶼先生がこちらに来て心配そうに聞いてくれた。

「それが、村田先生が高熱のため本日お休みしたいという電話でして」
「そうか…村田先生は名字先生とガイダンス担当だったかと思うが」
「そうです。村田先生は私と一緒に進行や受験生との懇談などもやってもらう予定だったんですが...」

それが出来ないとなると、どうすればいい?自信はないが冒頭の挨拶は私がやるとしても、他はどうしよう。村田先生が懇談をしている時は私もやる事があるのだけれど。頭の中でどうにかやれないだろうかとグルグル思考を巡らせた。


「よもや!大事な日に風邪とは間が悪いな!」
「そういえばアイツ、昨日ド派手にびしょ濡れだったけど何かやらかしたのか?」
「俺は知っているぞ。剣道部の奴等が某人気アニメに感化されたようで、蛇口にホースを繋いで『水の呼吸』とかふざけていた所を村田が通りかかりずぶ濡れになっていた」
「アイツらァ...文化祭中に何やってんだ!小学生じゃねぇんだぞ!!」

村田先生...災難だったんだな。思わずしみじみとしてしまった。いや、今は一旦置いておこう。再度どうやって乗り切ろうかと考え始めた時、会話を打ち切ったらしい不死川先生がこっちにやってきた。

「悲鳴嶼先生、俺で良ければいけます」
「不死川か。クラスの方は大丈夫なのか?」
「うちのクラスは喫茶店なので、ずっとついててやんなきゃいけないって事もないですし」
「いいじゃねぇか。お前今日は特別な仕事とか無かったよな」
「そうか…それでは不死川頼む。名字先生もそれでいいな?」

あれよあれよと村田先生の代わりが不死川先生に決まった。いいなと聞かれたが、急にガイダンスの担当を振られるなんて誰だって嫌だろうに、不死川先生は自ら名乗りをあげてくれた。この非常事態に顔を合わせるのが気まずいとか言っていられないどころか感謝しかない。私は不死川先生の方を向き頭をがばりと下げた。

「不死川先生、宜しくお願いします!」
「おう」
「お前のクラスでトラブった時は俺達で対処しといてやるから気にすんな」
「助かるわ」
「うむ。では朝礼を始めよう」

短い朝礼を終えれば、すぐに不死川先生がこちらに来た。クラスの方に顔を出してからそっちに行くから、先にガイダンス会場に行っててくれと言われたので頷く。
そういえば資料とかは何も持っていないはずだと思い、不死川先生用に進行表などをコピーしてから会場へと向かった。


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「これが今日の進行表です。このマーカーを引いた所を不死川先生に担当して頂きたくて」
「ああ、これは助かる。ありがとなァ」
「ガイダンスの流れはわかりますか?ざっと説明しますけど」
「いや。去年ちらっと覗いてたから大体はわかる」
「え、そうなんですか?」
「あ、いやまぁ......それよりも冒頭の挨拶なんだが」

すっと差し出された進行表に意識を戻して打合せは続く。やがて文化祭2日目を告げる生徒会長の声と音楽を経て、徐々に学園が喧騒に包まれていく。そうしてからぽつりぽつりと緊張した面持ちでガイダンス受講生が会場に入ってきた。


いきなりの事ではあったが、不死川先生は40人近くの受講生と数名の保護者を前にしても物怖じすることなく冒頭の挨拶を述べてから学園の沿革やら部活動、課外活動などの説明を端的に行い流石だなと思った。教師として毎日教壇に立っていて場慣れしているせいだろうか。私では絶対にこうもいかなかったはずだ。

「では、本日は実りある1日になることを願っています」
「不死川先生ありがとうございました。では、これから2グループに分かれたいと思います。Aグループの方はこの後移動をして模擬授業を受けて頂きます。教室を移動しますので用意が出来た人から廊下に出てください。私が先導していきます」

不死川先生に、先導が終わり次第戻ってくるので後はお願いしますと頭を下げて廊下へ出た。

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うーん、流石というべきだろうか。

AグループとBグループの入れ換えを終えて会場に戻れば、在校生や教師達がいるテーブルに受講生達が集まり、会場内が賑やかになっていた。だが、その集まりには若干の偏りがあるように見受けられる。
男子に圧倒的に人気なのは胡蝶先生の妹さんである、胡蝶しのぶちゃんのテーブルだ。対して女子に人気なテーブルは、鱗滝錆兎君のテーブルである。どちらも在校生からも人気があるのだから頷ける。
そして、不死川先生のテーブルも女子達に人気になるだろうと想像していたが、保護者であるお母様方の熱い視線も向けられている。
1回目の懇談の時もこのような感じであった。恐らく午後の部のガイダンスも同じ様なことになるだろう。不死川先生はやはりモテるのだなと若干のモヤモヤを感じつつ、壁に掲げられた学園案内のポスターやパネルを見ている受講生達に声を掛けていった。


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午後の部の受講生達が全員帰るのを見送り、部屋に不死川先生と2人だけになった瞬間、肩の力が一気に抜けた。

「終わりましたね〜お疲れ様でした!」
「終わったなァ。喋り過ぎて少し喉が痛ェ」
「あはは、不死川先生のテーブルは相談者が絶えることなかったですもんね。もう少ししたら後夜祭も始まるでしょうし、生徒さん達の所に行ってください。」

薄暗くなりつつある窓の外を見ながらそう言えば、不死川先生は眉間に皺を寄せて少し考えるようにしてから口を開いた。

「...後片付けはァ?」
「それは私がやっておくので気にしないでください」
「これを1人でかァ?どんだけ時間掛かると思ってんだ。少ししたら戻ってくるから、1人で出来なさそうなやつは無理してやるな」
「でも、そこまで不死川先生に頼るのは申し訳なくて...」
「いいから。頼むから名字先生はもっと俺を頼ってくれ」

真剣な眼差しで懇願するかのように言われてしまえば、これ以上断る気も起きなかった。

「えっと...じゃあ、すみませんがお願いしてもいいでしょうか?」
「ああ。なるべく早く戻るようにするから、パネルとか軽い物から片付けていってくれ」
「はい。ありがとうございます」

頭を下げれば不死川先生はようやくそこでふわりと笑い、じゃあ行ってくると足早に出て行った。やっぱり優しいなぁ。胸にほわほわとした暖かさが宿るのを感じながら、パネルを外しにかかった。


不死川先生は30分程で戻ってきてくれ、後夜祭の後打ち上げをするからお金ください!と生徒達に集られたと苦笑いしていた。

「ふふ、渡してあげたんですか?」
「後夜祭終わった後なんて7時過ぎになんだろォ。それから飲み食いなんかしたら帰りが何時になると思ってんだ、後日にやるなら出してやるって言ってやったわ」

ハプニングがあったせいだろうか。不死川先生に対する態度もいつの間にかここ最近のようなものではなく、普通に接する事が出来ている。笑い合い会話をしながらも着々と片付けは進み、後は細々とした物を職員室に運ぶだけとなった。

「名字先生は、この後やる事あんのかァ?」
「いえ、特にこれといった事はないですね。今日はこっちに専念できるようにと悲鳴嶼先生が取り計らってくれたので」
「なるほどなァ...じゃあちょっと付き合ってくれよ」



荷物をそのままに、会場を施錠して歩き出す不死川先生の後を着いていく。どこに行くんですかと尋ねるも、着いてからのお楽しみだと言われてしまう。そうして黙って大きな背中の後を追い、階段を登り続ければ何となく行き先がわかった。
いつの間にマスターキーを持ってきていたのだろうか。普段は施錠されている屋上へと繋がる扉の鍵を開けて、こっちだ。段差あるから足元に気をつけろ。と扉を押さえてくれたまま気遣ってくれる。

「立ち入り禁止ですけど、いいんでしょうか?」
「立ち入り禁止なのは生徒だけだからいいだろ」

悪戯っぽい笑みを浮かべてそう言ってのけるものだから、何だか私もおかしくなってしまい、えいと屋上に一歩踏み出す。
不死川先生のスマホのライトを頼りに辿り着いた屋上の一角。風雨に晒されて少し錆が目立つ白い柵に手に掛けて見下ろせば、グラウンドが一望できた。校舎の3階の屋上ということもあり、視界を遮る物が近くに何もないため付近の町並みも臨むことができる。
「キャンプファイヤーに間に合ったみてぇだな」
よく見ると野球部が使用している煌々としたライトに照らされて、弓道部員達が木材から少し離れた場所に立っていた。これから弓道部が射る火矢によりキャンプファイヤーが始まり、その後花火へと移るのだ。
夜に賑やかになる為、事前に周辺住民の方々へ生徒達と一軒一軒説明して回った日々が思い起こされる。

「ここからだと花火がよく見えるんだ」
「よく知ってましたね」
「まぁな。実は去年宇髄とちょっと見てた」
「ええ、そうだったんですか。いいですねぇ」
「まぁ、教師の特権ってやつかァ?」

2人で笑いあっていると、放たれた火矢により引火した井桁組がメラメラと燃えていく。爆ぜる音はこちらまで届かないものの、焚き火などがあるとついついボーッと見つめてしまうのは何故だろうか。そういえば、不死川先生はキャンプもすると言っていたっけ。そう思い出して話を振ってみた。
「ああ、分かるなァ。夜に焚き火見ながらボーッとすんのもいいし、カップラーメン食べたり酒飲んだりするのが旨いんだよ。標高が高いキャンプ場だと、うまくいきゃあ天の川を見ることもできるんだよ」
普段とは違い楽しそうに笑う姿に胸がきゅうと締め付けられるような感覚に陥った。この笑顔を見ることが出来るのが自分だけならいいのに。そんな強欲な事を思ってしまう。

「行きたい場所、決まったか?」
「え?」
「今度は名字先生から誘ってくれんだろォ?」
「あ...その、実は行きたい所が多過ぎてなかなか絞れないんです」

不意に現実に引き戻されて慌ててそう答えれば、不死川先生はふはっと声を出して笑った。

「なら全部行くかァ」
「え!全部ですか!?何ヶ月も掛かっちゃいますよ?」
「おう。いいじゃねぇか」

あまりにも楽しそうに笑いながらそう言ってくるものだから、冗談だったのかと思い気が抜けた。ホッとしたような、でもやっぱり寂しいようなと感情が揺れ動く。
「もう!本気かと思っちゃいましたよ...あ!」
気付けば花火の時間になっていたようで、生徒達が手持ち花火を手に色鮮やかな光を出していた。例年通りならばそろそろだろうかと思っていると、打ち上げ花火が上がり始めた。ごく小規模なものではあるが、それでも近いせいか見応えがあるのだ。

「すごいですね!本当によく見える!」
「...そうだなァ」
「これなら近くの花火大会も見えそうですね」
「ああ、よく見えたわ」
「まさか、それも...?」
「宇髄がな、すぐそこで花火大会やってんのに、なんで仕事してなきゃいけねぇんだって言い出して、その時残ってたメンバーでちょっとな」
「ええー、なんですかそれ。ここなら特等席じゃないですか」
「まぁなぁ......来年は一緒に見ようぜ」

その言葉にドキリとする。それは同僚としてだろうか。真意を確かめたい気持ちに駆られた。

「あの」
「なぁ」

計らずも同時に口を開いたものだから、2人の声が重なってしまった。どうぞどうぞと譲り合っていると、ジャケットに入れていたスマホが震えた。
「はい、名字です。冨岡先生、ええ。まだ学校にいます。...はい...わかりました。すぐに行きます」
不死川先生に断り慌てて出れば冨岡先生からで、備品を戻す場所が分からないようだ。後ろを振り返り職員室に戻るのを伝えようとしたら、何故か柵に突っ伏している不死川先生がいた。

「不死川先生?大丈夫ですか?」
「......大丈夫じゃねぇけど大丈夫だ......冨岡に呼ばれたんだろ?ガイダンス会場に残しといた荷物は戻しておくから行ってこい」
「あ、はい......宜しくお願いします?」

大丈夫だけど大丈夫ではないとはどういう事だろうと引っかかったものの、屋上を後にした。初秋の夜風で体は少し冷えたが心は温かい。2人でちょっとした内緒の時を共有できた事に喜びを感じつつ階段を降りていると数名の生徒達の声がすぐ近くから聞こえてきた。
立ち入り禁止である屋上からの階段を降りているのを見られるのは宜しくないのではと咄嗟に判断し、慌てて死角となる階段の陰に身を隠した。

「さねせんいた?」
「キャンプファイヤーの所にはいなかったってー」
「えー、せっかく一緒に写真撮ろうと思ったのに〜」
「ねぇ。それってさ、やっぱり胡蝶先生の所なんじゃないかなぁ?」
「胡蝶先生と付き合ってるって噂?でも事務の名字先生とも怪しいって聞いたけど」

自分の名前が出た事にびくりと体が震えた。そんな噂が出ていたのか。球技大会の一件で流れ始めたのだろうと推察していると、尚も会話は続く。

「それはないよ。だってさぁ、この前隣のクラスの子が聞いちゃったんだって」
「何を?」
「さねせんが胡蝶先生に『何度か諦めようとしたけど、やっぱり諦められない。好きだ』って告白してたんだって!」

さねせんって意外と熱烈じゃん!キャーと騒ぐ女子生徒達の声が徐々に遠ざかっていく。これ以上聞きたくないと、体が防衛反応を起こしているかのようだ。
冨岡先生が待っているから早く行かねばならない。そう分かっているのだが、足はその場に貼り付けられたかのように動かすことが出来なかった。



20210620


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