第16話


実弥さんの部屋はシンプルだった。

生活に欠かせない物はそろっているが、特に目を引く物はない。気になる本棚には数学関係の本と事務用品のファイルが並ぶ。そのファイルの背にも「給与明細」などの文字が書かれており、彼の几帳面さが伺える。

「汗かいたろ、先に風呂使っていいぜ」
「あ、ありがとうございます」

もう!?と心臓が飛び出る程の緊張を押し隠しつつ、手早く纏めた一式を手にお風呂へと向かった。

化粧品等はしっかり持参してきたが、シャンプー類は失念していた。実弥さんのをお借りしようと浴室の扉を開けば、男性用シャンプーの横に可愛らしいパッケージのシャンプーセットが置かれているのに気付く。前の彼女の物だろうか。それは私が普段使用する物より値が張るものだった。明確に残る元カノの痕跡に胸がジクリと痛む。それを使う気にもならず、少しヒヤリとする男性用シャンプーを借りて済ませてしまった。

お風呂から出れば実弥さんはキッチンにおり、先程買ってきた野菜を切り、ジップロックに移している所だった。

「おう、もう上がったか」
「あ、はい。ドライヤー使わせて貰いました」
「構わねぇよ。シャンプーとかもアレで大丈夫だったか?妹達が使ってるので悪いな」

その言葉に心の隅を蝕んでいた薄暗い気持ちが瞬く間に吹き飛んだ。なんでも下の兄弟達がちょくちょく泊まりに来るらしい。弟達は兄ちゃんのを使うからいいと言うのだが、妹達は絶対に嫌だと言い張る。そのため近くのドラッグストアまで買いに行く事になったそうだ。
「髪質がどうのこうのとか言ってアレを買わされたんだが、俺のの5倍以上の値段だったからレジで驚いたわ」
当時の事を思い出したのか、苦笑いを浮かべながら実弥さんはそう話す。そうか。そうだったのか。「私が使ってる物の倍の値段はしますよ」と返せば、アイツらはすげー贅沢なやつ使ってんなぁと遂に笑いだしだった。


切り終えた野菜を冷凍室に仕舞ってから、実弥さんもお風呂場に消えた。直前に「見られて困るようなモンはないし、好きにしてていいぜ」と言われたが、そんな家探しみたいな真似は出来ない。正直、とても気になるけれど。微かに聞こえるシャワーの音に心臓をドキドキさせつつ、周囲を見回すので精一杯だった。

その時、テレビボードに置かれたある物に気付いた。入手困難な家庭用ゲーム機の隣に、写真が飾られている。木製のフレームに収められたものは、実弥さんの家族写真なのだろう。大きな池をバックに撮影されたであろうそれは、彼の兄弟達によってその殆どが姿を隠していたが、代わりに多くの笑顔を写している。職場にいる時とは違い、柔らかく笑う実弥さんの姿についつい魅入ってしまった。

「それは去年の家族旅行の写真だなァ」

突然、背後から聞こえた声に持っていた写真立てを落としそうになった。痛いくらいに激しく動く心臓を宥め賺しながら後ろを向けば、スウェット姿で首にタオルをかけた実弥さんが立っていた。

「勝手に見ちゃってすみません!」
「いや、いい。好きにしていいって言ったろ」

小さく笑いながら私の隣に腰を落とし、写真に写った人物を1人1人指差しながら名前を上げていく。

「で、コイツが名前も知ってると思うが玄弥で、その隣がお袋だ」
「お母様、キレイですね…!」

とても7人の母とは思えぬ程だ。驚嘆する私に、お袋が聞いたら喜ぶわと小さく笑う。
「まぁ、その写真から見ても分かる通り、うちは父親がいないから、俺が父親代わりになる事が多い。何かあったら名前よりもこっちを優先しなきゃならねぇ時があると思う。そういうのが嫌だったら気にせず言ってくれ」
その言葉に、胸が痛いほど締め付けられた。彼は今、どういう気持ちで言ったのだろうか。おそらく、私の勝手な推察によるものだが、恋人よりも家族優先の実弥さんに愛想を尽かした彼女もいたのだろう。気にせず言えの意味することは「別れ」なのも分かった。始まったばかりの関係なのに、終わりを見据えるなんて悲しすぎる。私は今までの彼女とは違いますと高らかに宣言出来ればいいのだが、必ずしもそうなる自信はない。それでもーー

「そういう家族想いな所も、好きになったので」

この想いだって本物だ。彼は自分が愛想を尽かされるのを想定しているが、反対に私が見限られる場合だってあるだろう。先々の事はわからないが、それでも一緒にいられる今を大事にしたい。

「…ありがとなァ」
優しく笑い、頭をそっと撫でる。
「あー、湿っぽい話になっちまって悪かったな」
「いえ!あ、そう言えばこのゲーム機持ってるなんて凄いですね!よくご兄弟でやってるんですか?」

なんとか明るい話に持っていこうと、先程目についたゲーム機を話題に出した。
電気屋の抽選で購入権が当たったそれは、元は実家に置いてあったものらしい。しかしゲームを巡って兄弟喧嘩や宿題を後回しにすることが増え、実弥さんが一時的にこちらに引き上げたようだ。今では泊まりに来た兄弟が、宿題を全て終わらせてから楽しくプレイしているらしい。
所有している有名なファミリー向けのゲームタイトルを聞いていれば、懐かしのタイトルに顔を綻んだ。

「懐かしい!小さい頃よく家族でやってましたよ」
「なら、やってみるか?」

てっきりお風呂も入ったし、これで事に及ぶと思ったのだが今日はシないのだろうか。でも久しぶりにやってみたいと興味はある。
「最短のやつでやればそこまで時間掛かんねぇし、それからでも大丈夫だろ。夜は長ェしな」
ニヤリと笑う顔にドキリとした。あ、やっぱりヤるんですね。まぁこれでシないならば、私の今週の緊張を返して欲しいと思わなくもないが。時刻はまだ8時。確かに夜はまだまだ長い。ヤる事をした後はそのまま眠るだけなので、ならば今やるのが道理だろうと、話に乗ることにした。

「麦茶でいいか?飲み物持ってくる。ソフトはテレビ台の中にあるから出しといてくれ」
「はい」

キッチンに向かう実弥さんを見送り、私もテレビボードに向き合う。観音開きの扉のうち、どちらにソフトが入っているかわからないが、取り敢えずと左側の扉を開けた。

その瞬間、物音を立ててテレビボードから床下へと雪崩が起きた。最初はこんなにゲームソフトを持っているのかと驚いたが、雪崩を起こした正体を見て体が固まった。
所謂大人向けのDVDなのだが、私がイメージするものとは一線を画していた。あられもない姿で縛られているものや、何故か金粉塗れの女性など、見知らぬジャンルに動揺する。

ーーさ、実弥さんってこういうのが好きなの?!どうしよう…こういうのは何年経っても良さがわかる気がしない…

実弥さんがどういう情事を好むかはわからないが、望むなら付き合ってあげたい気はある。しかし如何せんハイレベルだ。実弥さんはこっちでも随分大人なのだなと思っていると、扇情的なポーズを取る制服姿の女性が目に入った。これは…いやでも…。
「どうし……んなっ!!!」
両手で麦茶のグラスを手に、不思議そうにこちらを見ていた顔が瞬時に怒りの形相へと変わる。驚く程の速さで床に広がるDVDを回収し、そのまま力任せにゴミ箱へと突っ込んだ。嵐のよう行動の後に訪れたのは静寂。

「……言っとくが、違ぇからなァ…」
「あ、そう、なんですか…?」
「違ェ!!!!」

あまりの剣幕に体がビクリと動く。久し振りにこんなにも怒りをあらわにする実弥さんを見たと、恐怖心が体を包む。
「悪い……本当に違うんだ。昨晩宇髄達が来たから、その時に悪ふざけで置いてったんだと思う。……ああ、クソがァ!」
極力怒りを抑えて説明してくれた後、やはり抑え込めない怒りがあるのか盛大に舌打ちをしてから「少し電話してくる」と洗面台の扉の奥へと消えた。

「宇髄ィィィィ!!!テメェ何してくれてんだァァァ!!!」

扉越しでもよく聞こえる怒声に、再度心臓が跳ね上がりそうになった。この怒声は、おそらく両隣にしっかり聞かれているだろうが、この剣幕の主に苦情を申し立てられる人などおそらく誰もいないだろう。



20211231


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