第13話


「夏休み中に合宿棟を使用する部活は、早めに申請をするように。それから…」

配られたプリントを見つめながら、悲鳴嶼先生のお話に耳を傾ける。あと1ヶ月程で学園は夏休みに入るため、朝礼では諸々の注意点が箇条書きされたプリントが配られた。合宿棟の早期申請、夏季休暇中の繁華街の見回り当番について、システムのアップデートにつきパソコン使用不可能等の羅列の中に「有給の積極的な取得を」の文字を見つけて心が躍る。
生徒が補導された時など、有事に備えて長期休み中といえど学園が無人になることは無かった。しかし昨今の事情を鑑みて、今年からお盆期間中は強制的に全員休むように決めたそうだ。お盆期間中にかかってくる電話は警備会社へと転送され、それを日替わりで当番となった先生の元へと連絡がいくように契約したらしい。お盆期間に加えて溜まりに溜まった有給を取得するとなると、うまくやれば結構な休みになるぞとほくそ笑む。
図書室や近隣の図書館から貸出冊数ギリギリまで借りて、クーラーの効いた部屋で読書に耽るのもいいなと楽しい未来を脳内で描く。そして。

ーーもしも出来るならば不死川先生と1日でもデートに行けたらいいな。

プリントから不死川先生へと、そっと視線だけを向ける。職員室後部からだと、不死川先生の背中しかみえないが、悲鳴嶼先生の話を熱心に聞いている様子が伺える。見えているのは背中だけなのに、いつもより格好良く見えてしまうのは好きだと自覚したからだろうか。頭を掻く仕草をしても胸がドキドキとしてしまう。

「それではこれで朝礼を終わりにする」

悲鳴嶼先生のその言葉が聞こえてハッとする。まずいまずい。後半はほとんど話を聞いていなかった。
こんな浮ついた気持ちで仕事場にいるなんて、不死川先生が知ったら眉根を寄せて嫌悪感を露わにしそうだ。気持ちを切り替えねばと今日取り組む予定の仕事を脳内で巡らせつつ職員室を出ようとしたら、不死川先生に呼び止められてドキリとする。

「名字先生、これはもう職員室内で回覧したやつなので目を通してくれ。次は保健室の先生に渡せばいいから」
「は、はい。わかりました」

不死川先生が書類について簡単な説明をしつつ、バインダーを次々と渡してくれるが私の視線は常にバインダーに向いている。今不死川先生の顔を見たら、絶対に顔が真っ赤になってしまう。失礼と思いつつも会話の最中は、ひたすら視線を下にし、気まずさや緊張感が綯い交ぜになったまま、そそくさと逃げるように職員室を後にした。

週末会った時に、私も好きですと伝えよう。そう決めたのに、いざ本人が近くにいるとそれだけでドキドキしてしまう。一応付き合っているのだから、返事は肯定だとわかっているのに、それでもこの緊張感はなんだ。元彼が初めての彼氏であったし、付き合うきっかけも向こうから言ってくれたので自分から告白はしたことはない。
男でも女でも、告白をした事がある人に尊敬の念しかない。皆、こんな想いをしてきたのだろうか。今なら相手に告白しようとしている小説の登場人物がいたら、とんでもなく感情移入して読めること間違いなしだ。
そんな胸のドキドキも、図書室でいつもの作業をしていくうちに自然と落ち着いてきた。今朝返却された本を、アルコールスプレーを塗布した不織布で一冊一冊丁寧に拭く。こうして汚れを取り、中に汚破損がないか私物が挟み込まれていないか確認をする。ページ破れや傷んでいる本があればそれを修復するのも司書の大事な仕事の1つだ。全ての本の確認を終え、最近貸出された本コーナーへと並べた頃にはすっかり心はいつものように凪いでいた。

今は6月なので、図書室内は折り紙や画用紙で作成した紫陽花やカエルが戸口や壁に装飾されている。7月に向けてこの飾りも変えなければ。ある程度は私が作って、残りや装飾作業は図書委員会の子達にもやってもらおうかな。
長期休みに向けて新刊を大量に注文したが、それもそろそろ届く頃だろう。ということは、ただでさえキツめな書棚がよりキツキツになる。今のうちに科学分野など情報が古そうなものを中心に抜き出して除籍リストを作らねば。なかなかにやる事がいっぱいあるぞ、計画的に進めていかねばと考えていると、ガラガラと音を立てて台車が近付いてくるのに気付く。
その音は図書室の扉前で止まり、次いでコンコンと扉を叩く音がした。ガラリと開いた引き戸から現れたのは、半袖のワイシャツにノーネクタイというクールビズの格好をした若い男性。にこやかで人の良い笑顔を浮かべるこの男性は、図書室に出入りしている書店の営業さんだ。
手にしている台車の上には、ダンボールが4箱ほど乗っており例の大量注文の納品だとすぐにわかった。

「こんにちは。狭霧山書店です。納品にきました」
「いつもお世話様です。重かったですよね」
「いえいえ。今回は大量に注文して頂いて嬉しい限りですよ」

いつもの場所でいいですかの声に、図書室と準備室の扉を開けて誘導する。そうしていつも不死川先生達とご飯を食べている長机の上に次々とダンボールを並べ始める。ダンボール箱が4つも並ぶとなかなか壮観だ。この箱の中に新刊本が詰まっているのかと思うと、ワクワクしてしまう。

「まだ出版社から納品されていない本もありますが、ある程度揃ったので持ってきちゃいました」
「構いませんよ。色々と作業があるので早く持ってきて貰えた方が助かりますし」
「ですよね!そうだと思って持ってきました」

はははと爽やかな笑顔からは白い歯が覗く。暑い中台車で運んできたせいか、短く刈られた頭部にはじんわりと汗が滲んでいるが、その姿でさえ爽やかだ。冷蔵庫から取り出した麦茶を出せば「助かります」と人懐っこい笑みを浮かべる。年が近く書店勤めで本好きなこの営業さんとは、納品の折によく雑談をしたりとすっかり打ち解けた仲だ。
長椅子に備えつけられているパイプ椅子に腰掛け、麦茶をグビグビと一気飲みした後に1つのダンボールに手をかけた。すべて注文品かと思っていたが、どうやらこの1つは見計らいとして持ってきた物らしい。
毎回ではないが、こうして新刊や書店さんおすすめの本をピックアップして持ってきてくれるのだ。気に入ればそのまま購入するし、うちの図書室に不要と判断したものは返却する。実際に中身を手に取って確かめることができるため、見計らいは重宝している。中には面白いので個人的に購入する場合もあるくらいだ。先生達もこの書店さんから個人的な本を購入している時があるので、私のこれも許容範囲だろう。
営業さんによる特におすすめの本の解説を聞き終えた後、良ければどうぞと鞄から取り出した物に目が輝く。

「興味あります?」
「ありますよ!これ、行きたかったやつです」

それはここより少し離れた美術館で開催されている企画展の招待チケットだった。

「この企画展の物販コーナーの書籍は、うちの書店が関わっているので何枚か貰えたんですよ。で、チケットが余っていたので名字先生お好きかなと思いまして」
「好きですよー!特にこの画家さんは大好きで画集も持ってるくらいですし」
「なら良かった。じゃあ、何時に待ち合わせしましょうか」

その質問に「へ?」と我ながら素っ頓狂な声が出た。そんな私の反応に、楽しそうな顔をしながら続ける。 
「実はチケットは2枚貰ったんです。良ければご一緒しませんか?前から貴女と出掛けたいなと思っていたんです。2人で」

『2人で』
その言葉が脳内で残響し、なかなか消え去らない。
2人でって、そういう事だよね?
不死川先生に引き続き、一体いつからだろうか。人生にはモテ期が3回来ると言われているが、もしかして今がその時なのかと思った。

「この前、お付き合いしている人はいないって言ってましたよね?」
「あ…その、実はつい最近彼氏ができまして…」
「そうなんですか?あちゃー、もう少し早くアタックするべきだったか。それとも、まだ間に合いますかね?」

こちらの反応を伺うように、顎を引きじっと上目遣いで微笑むのでドキリとする。
乗り換えろという事だろうか。
確かに書店勤務なだけあって、この人もなかなかの本好きで趣味も似通っている。営業という職種柄か話題も富んでおり話していてとても楽しい人だ。
この人と付き合ったら、楽しいんだろうなと思う。思うけどーー

「すみません、間に合わないです」
「そうでしたかぁ。残念です。そんなにいい彼氏さんなんですか?」

これまで見てきた不死川先生の姿が浮かぶ。

「そう、ですね。とても優しくて、私には勿体ないくらいの人だと思います。仕事に対してとても真面目に取り組んでいて尊敬しています。生徒や家族を想うあまり、少し不器用な対応をしているように見受けられますが、そんなところが愛おしいなと、そう思っています」

そこまで言い終えてハッとする。また悪い癖が出てしまった。別にこんな事まで言う必要はなかったのではないか。
コイツ何惚気けてんだとドン引きされた事だろう。気まずくて目線が膝上の手元から動かせずにいると、フッと小さく笑う声が聞こえた。

「いやー、こんなに堂々と惚気られたら僕の入る隙はないですね。残念ですけど諦めます。もう1枚のチケットも差し上げますので、彼氏さんと行ってください。では、納品は以上ですので」
「あ、はい…」

もう1枚のチケットを長机の上に置いた彼は、そのまま台車を押して準備室の外へと出るため扉を開いた。すると。
「あ、すみません」
明らかに扉の外に向けられた声に、誰かそこにいるのだろうかと近寄れば、廊下に不死川先生がいたためぎょっとした。一体いつからそこにいたのか。まさかとは思うが、今までの話を聞かれたのだろうかと、疚しい事はないはずなのに焦る。
遠ざかる台車と営業さんの靴音に反して、準備室の扉を閉めた不死川先生の靴音が近付き、私の目の前で止まる。

「回覧、一件渡し忘れてた物があったから持ってきた」
「わ、わざわざありがとうございます」

差し出されたバインダーを受け取れば、準備室は静寂に包まれた。
「あ、あの…いいいい、いつからいたんですか?」
沈黙に耐えきれず、自分から口を開くが動揺しすぎているせいか、うまく呂律が回らない。
「……何かの企画展、興味ありますかって聞かれてたところから」
うわー!!!そっからかぁ!思わず頭を抱えたくなったが、ちゃんと断ったのだから疚しい事は何一つない。ないのだが、非常に気まずく受け取ったバインダーから視線を動かせずにいた。
「正直、不安だった。半ば強引に付き合い始めたようなもんだし。好きって言われたら好きになるって言われてたから、付き合ってる時に他の奴に好きって言われたらどうなるのか、怖かった」
その言葉にバッと顔をあげれば、いつもとは違いどこか自信のなさそうな顔をした先生がいた。言われてみれば最もな事だ。私が男性側だったとしても、好きと言われたら簡単に靡いちゃう彼女なんて不安しかないだろう。私が告白しようと浮かれている間、不死川先生はさぞ不安だった事だろう。そこに思い至らなかった自分が恥ずかしく、情けない。

「あの!確かに私はチョロい女ですが、好きになったら一途なので!今はもう、不死川せ……実弥さんしか見えていません。その…私も実弥さんのことが好きです。週末会った時に言おうと…」

思っていたのですがと続けようとしたが、続かなかった。不死川先生に腕を掴まれ、準備室の隅に連れて行かれたからだ。突然の行動に驚きのあまり何も言えずにいると顎をクイッと掴まれ、気付いた時にはキスをされていた。不死川先生の手が私の腕から背中に回ったかと思えば、そのままグッと互いの体が密着する。それを合図のように、触れていただけの口吻がより深いものへと変わる。私の唇を抉じ開けて歯列を舐め上げる。角度を変えながら、一頻り私の口内をいいようして満足したのか、ようやく不死川先生の唇が離れた。

「なぁ。もう1度言ってくれよ」
「はぁっ…え?」

突然の荒いキスにより上がった息を整えようとした時、もう1度とリクエストがくる。何をもう1度言うのだろうかと、呆けた表情を浮かべる私に、不死川先生は楽しそうな顔をして口を開く。

「俺のどこが好きなのか、俺の前でもう1度言ってくれよ。不器用な優しさがどうとか言ってたよなァ」
「あっ!」

先程営業さんの前で盛大に惚気た事を、本人の前で言えというのか。ムリですムリです!恥ずかしすぎます!と顔を横にブルブルと振るうが、不死川先生は「あれは本人に言うべき事だろォ。おら、言ってくれよ。じゃねぇともっとキスするぞ」と楽しそうに顔を近付けてくる。

「も、もう無理です…勘弁してくださいぃ……」

羞恥により真っ赤に染まった顔を下に向ければ、頭にポンと不死川先生の手が乗り、そのまま優しく撫でてくれる。

「わりぃわりぃ、からかいすきだな」
「本当ですよ!しかも、職場で急にキ、キスするなんて…」

今のキス、誰かに見られたりしなかったろうか。慌ててキョロキョロと辺りを見回すが、どうやら今いる場所は外からは死角なようだ。誰にも見られていなかったようでホッとする。

「急にィ?じゃあこれからキスするって予告すりゃいいのかァ?そんな事言ったら余計に緊張するだろ」
「それは、そうですけど……でも心の準備もありますし…」
「心の準備、ねェ…」

むくれてそう抗議すれば、不死川先生は何か考える素振りをする。そうして、またニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべるものだから、嫌な予感しかしない。

「じゃあよォ、週末デートの時にそのまま家に泊まってけよ。言っとくが下心ありで誘ってるからな。この意味、わかるよなァ?」
「なっ!そ、そんな事、今言いますか!?」
「心の準備が必要なんだろ?良かったなァ、じっくり準備しといてくれやァ、心も体も」

クツクツと目を細め、楽しそうに笑うが私は全く笑えない。顔の火照りが収まらない私の頭を、不死川先生はポンポンと撫でてから去っていった。
残された私は、そのままその場にしゃがみ込み「うー」と変な声を出して、今度こそ頭を抱えた。週末までの間、私はどんな気持ちでいればいいというのか。こんなこと、本にも載っていないだろう。



20211109


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