第12話


美味いもん、とは蕎麦の事だった。

ネットで紫陽花寺を見つけた時に、たまたまこの蕎麦屋の存在を知ったらしい。特に食べたい物がないならここに行きたいと言うので快諾すれば、不死川先生は嬉しそうに車を走らせ始めた。
ここ最近暑かったので、喉越しもよくサッパリとしたお蕎麦は私にもちょうど良い。それに外食でお蕎麦屋に行くのはいつ振りだろうか。女友達とではまず行かないお店のチョイスに、少しの高揚感を感じた。

昭和初期に創業したと看板を掲げているとおり、お店は古く大きい。天井には太く立派な梁があり、建物を支える柱はツヤツヤとした艶が出ている。窓際に並ぶように設置されたテーブル席を素通りして案内されたのは、お座敷だった。20畳は優にあるであろうお座敷には、テーブルが8つ程ある。そのうちの6つが既に埋まっているので、人気がある店なのだなとわかる。
趣のある蕎麦屋に、もしかしていいお値段ではと心配になったが、渡されたメニューを見るといずれも良心的な値段だ。
2人で顔を寄せ合ってメニューを眺め、私は天ざる蕎麦を。不死川先生はざる蕎麦とミニ天丼のセットを頼んだ。

「蕎麦屋の天丼って美味いよな」
「そうなんですか?蕎麦屋ではお蕎麦しか頼んだことがなくて」
「勿体ねぇなァ。分けてやるから少し食ってみろよ」

畳に敷かれた座布団の上で、出された蕎麦茶に手を出しながらリラックスした様子でそう言う。テーブルの上には蕎麦茶と小皿に入った蕎麦かりんとうがある。蕎麦かりんとうなんて初めてだと、ドキドキしながら口に入れればサクサクとした食感に控えめな甘さが口内に広がる。これならいくらでも食べられそうだ。先程店内を見回した時に、レジ横に袋詰された物が置いてあったので、気に入ったのなら買っていってくれとの事だろう。
不死川先生も蕎麦かりんとうに手を伸ばし、「兄妹に買っていってやるかァ」と気に入った様子だ。

「そういやァ、次は何頼んだんだ?」

その言葉に一瞬首を傾げるものの、お取り寄せの事だと気付く。

「水羊羹頼んでます。暑くなってきたのでサッパリした物がいいかなって」

準備室にある冷蔵庫で冷やせるので、食べる時にはヒンヤリとしているだろう。今までは遠慮して飲み物くらいしか置かなかったけれど、これからはこっそりアイスも置く予定だと伝える。その言葉に不死川先生は「へェ」と楽しげな笑みを浮かべる。

「じゃあアイス食いたくなったら名前のとこに行けばいいのか」
「まぁ…そうですね」

以前から名前呼びしてましたけど?というように流暢に出される私の名にドキリとする。私は「不死川さん」と呼ぶのですら四苦八苦しているというのに。

「職員室にも冷蔵庫ありますよね。そっちには誰か置いたりしないんですか?」
「置かねぇな。生徒に見つかったら面倒な事になる」
「あはは、確かに。先生達ズルいって言われそうですね」

そこから話はとんとんと進み、再びお取り寄せの話に戻った。どうやらどうしてお取り寄せをするようになったのか気になっていたらしい。
元々は旅行が好きだった。見知らぬ土地に行き、その地に根付く空気や文化を肌で感じるのがとても楽しい。もっと好きなのはご当地の食べ物だ。
以前、旅行先で食べた物が忘れられず、もう1度食べたいと舌が恋しくなっていたある日、それが通販をおこなっていると知った。あの味が自宅でも食べられるのかと喜んで申込んだ。お取り寄せサイトなるものも発見し、あとは転がり落ちるように懐かしの味から食べたい物までポチポチとするようになったのだ。

「旅行、好きなのか」
「はい。最近は全然行けてないんですけどね」
「なら…」

不死川先生が何かを言いかけたが、それを遮るように注文した品々がテーブルに載せられていく。店員さんが去った後、続きを聞こうと不死川先生の顔を見るも「伸びちまうから食おう」と箸を渡された。
確かに、こんなにも美味しそうな食事を前にして長々とお喋りに興じるのは良くない。いただきますと手を合わせて薬味を蕎麦つゆに落としていった。

「美味しいですね!」

大葉、舞茸、ナス、蓮根、海老とよくある天ぷらのラインナップだが、衣がサクサクしていて美味しい。お弁当やお惣菜に入っているべチャリとし天ぷらとは全くの別物である。一人暮らしでは油の処理などの面倒臭さが勝って揚げ物なんてしない。久しぶりの揚げたてを満喫していると、不死川先生が笑いながら私の天ぷらのお皿の端に何かを置いた。不死川先生が頼んだミニ天丼の中の海老天だ。私の先程食べた物より小振りな海老天で、タレがしっかりとかかっている。

「丸々一本じゃないですか!貴重過ぎますよ」
「ははっ、そんな事初めて言われたわァ。まぁいいから食えよ。タレがうまいぞ。他のがいいならそっちをやるよ」

慌てる私の言葉に、不死川先生は少し吹き出して笑い始めた。私の記憶が確かなら、海老は2本あったはずだ。そのうちの1本を、さもそれが当たり前だと言うように分けてくれる。その様子に、もしかして下の兄妹達にもこうしているのだろうかと思った。この様子ならば、雪見だいふくを食べている不死川先生に「1つ頂戴」と言えば仕方ねぇなと言いながらもくれそうだ。実践はしないけれども、そんな予感はする。
そう思うと何故か胸がギュッと締め付けられるような感覚に陥り、気付いたら自然と私も行動していた。

「あの…不死川せ…さん」
「うん?」
「良かったらこの舞茸食べてください。海老のお礼です」
「舞茸、嫌いなのか?」

嫌いではない。むしろ好きな部類に入る。いや、日常的に舞茸を好き好んで食べているのかと言われたら、そこまでではないのだが、舞茸の天ぷらは格別に美味しいと思っている。そのためこうして最後まで箸をつけずに残してある。そう、私は好きなものは最後まで取っておく派だ。
返事に窮する私を見て、不死川先生は色々と察したようで「別に気にしなくていいんだぞ」とこちらを気遣うような表情をする。

「私、舞茸の天ぷらが好きなんです。好きな物とか美味しい物を人分け合って食べるのが好きなので…あ、勿論海老のお礼っていうのもありますけど…」

言っていて自分でもよくわからなくなってきた。こういう時、自分にもっと語彙やら気の利く言葉のレパートリーがあれば、不死川先生にすんなり受け取ってもらえる言葉を紡げたのだろう。ああ、と軽い自己嫌悪に陥っていると、私の天ぷら皿から舞茸がヒョイと消えた。
不死川先生のお皿に移動した舞茸を見てホッとしたのも束の間、箸を器用に動かして半分に切り分けたではないか。そうして半分の大きさになった舞茸が、再び私の天ぷら皿に戻る。

「美味いものを分け合って食べるのが好きなんだろ」

その顔は穏やかで、どこか嬉しそうでもあった。半分になった舞茸に、ちゃんとお礼になっているのだろうかと思ったが、ここでそれを言うのはおそらく無粋というやつだ。舞茸の天ぷらを口に運び「美味しいですね」と笑い合う。甘ダレが掛かった海老天は今まで食べた事がないくらい美味しかった。

「ありがとうございました

店員さん達の声を背に受けながら外に出れば、再び暑さが私達を襲う。車へと向かう不死川先生の手には、蕎麦かりんとんが入ったビニール袋があり、歩く度にカサカサと音が鳴る。夜には実家に顔を出すらしく、その時の手土産にするそうだ。
再び車を走り出した車は、私の家へと向かった。

ーーもう少し一緒にいたかったな。

寂しい気持ちが顔を覗かせるが、この後実家に顔を出すと言っていたので引き止めるのは良くない。不死川家は兄弟が多いため、自立している不死川先生が下の兄弟達の世話をする事が何かと多いそうだ。多忙な所をこうしてデート出来ただけでも良しと思わねば。そう思うが、不死川先生と別れ、1人自宅に入れば出掛ける直前に脱ぎ散らかした服が真っ先に目に付き、強い寂寥感に襲われた。

投げ出された服を端に避け、ぼすりとベッドに腰掛けてそのまま倒れ込む。自然と出る息に、まだ慣れない相手とのお出掛けに体は思っていたより疲労を感じていたのだと知る。だが嫌な疲労ではない。
そのまま瞳を閉じれば、平然とした顔で手を差し出す不死川先生の顔、私の名を呼んだ時の楽しそうな顔、舞茸の天ぷらを分け合った時の嬉しそうな顔。今日だけではなく、学校でみせる顔など様々な不死川先生の顔が去来し、最後に出てきたのは告白する直前に見せた真剣な顔だ。

おそらく、私はもう不死川先生を好きになっている。
例えこの気持ちがチョロさからくるものであたっとしても、会いたいと思う気持ちが湧き上がってくるならば、それはもう本物ではないだろうか。離れ難いと思う気持も、もう少しでいいから独り占めしたいと思う気持も、今は不死川先生に対してだけしか感じない。
今頃は家族と団欒の時間を過ごしているのだろう。彼の兄弟達に少しの羨ましさを感じた頃、スマホが鳴った。
不死川先生からメッセージで、来週の土曜日もどこかに出掛けようというお誘いであった。その文面を何度も何度も見返せば、徐々に心に温かいものが流れ込んだ。

早く彼に好きだと言わなければ。



20211024


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