第11話


「む、それは不死川のマグカップか?」
「ああ、この前から置かせてもらってんだ。容量が多いからガブガブ飲めていいだろ」
「確かに!まだ梅雨だというのに最近は暑くてやたらと喉が渇く!」

定例となった金曜日のランチ会。
先日届けてくれた新しいマグカップに麦茶を注ぎ、不死川先生の目の前に置けば煉獄先生はすぐに気付いた。当たり障りのない理由を述べてはいるものの、本当の理由を知っているのは私と不死川先生だけだ。少し拗ねたようなあの顔を思い出し、ニヤけそうになるのを誤魔化すように口を開く。

「麦茶はたっぷりあるので、煉獄先生もじゃんじゃんお代わりしてくださいね」

ここ最近の暑さのため、2人に提供するのは温かいお茶から冷たい麦茶へと変えた。出勤後、給湯室でヤカンの中に水と麦茶パックを入れて沸かす。粗熱が取れたら大容量の麦茶ポットに移し替え、準備室にある小さな冷蔵庫で冷やしている。
こうして作った麦茶は、日中自分で飲んだり納品に来た書店さんや業者さんにお出ししているのだ。放課後来る図書委員会の子達にも、飲みたかったら準備室で飲んでねとコッソリ伝えている。
前任者の先生とは1度だけ引き継ぎで会ったことがある。「冷凍室にコッソリアイスを入れて食べてたのよねぇ」と悪戯っぽい顔をしていたことがあったけな。着任後すぐにする勇気はなかったが、そろそろ私も真似してみてもいいかもしれない。まぁ、まずはお取り寄せで要冷蔵の品を入れるところから始めてみようか。


そんな小さな野望を胸に秘めたランチ会は、そろそろ期末テストの作成をしなければとの2人の会話を聞いて終えた。

「では我々は職員室に戻るか!」
「ああ、俺は名字先生に本について聞きたい事があるから残るわ。煉獄は先に行っててくれ」
「わかった!」

不死川先生と並び煉獄先生を見送る。また何か生徒さんの進路についてだろうか。それとも数学系の本だろうか。最近職業関連の本を追加購入したし、予算もまだまだ残っているためリクエスト購入も可能だ。何でも来いと不死川先生に向き構える。

「紫陽花寺の事だけどよォ」
「え?あ、はい」

想定していた質問とは違うため反応が遅れた。デートの話をするために残ってくれたのかとわかり、胸がドクリとする。
「色々と調べたがここはどうか」の言葉と共に渡されたスマホを見れば、お寺のホームページが開かれている。
ここより車で少し走らせた場所にある古寺。そこが紫陽花寺としてそこそこ名の知れた場所であるらしい。
手水舎の水盆に紫陽花が敷き詰められている写真を見て、感嘆の声が出る。

「素敵です!いいですね、ここ!」
「ん。ならここにするかァ」

何でも地元ではそこそこ名の知れた場所というのがミソらしい。あまりにも知れ渡っていると、家族連れで生徒が来るかもしれないと危惧しての事だと説明された。
何も考えず時期だから行きたいなぁと思い口にしたのだが、色々と考えてくれていたようだ。改めてお礼を言えば、不死川先生は楽しみだなと微笑む。
待ち合わせ時間等を決めようとした時、不死川先生が真顔に戻る。どうしたのかと疑問に思っていると、楽しそうに笑う甲高い声と複数の足音が聞こえた。不死川先生はくるりとこちらに背を向けてつかつかと準備室の扉へと歩き出し、そのまま扉を開き廊下に出てからこちらを振り向く。

「では名字先生、その本が用意できたら連絡してください」
「は、はい」
「あれー、さねセンも図書室に用があったの?」
「本読むなんて意外ー」
「本ぐらい誰だって読むだろォ。つーか、ちゃんと先生と呼べ」
「えー、私達は本読まないよ」
「ああ?じゃあ何しにここに来てんだ」
「涼みに来てる」

ねー!と笑い合う女子生徒達に「ったく、ちゃんと静かにしてろよォ」と言い聞かせ、不死川先生は準備室の扉を閉めた。
秘密の職場恋愛ならではのスリリングさを垣間見た気がして胸がドキドキする。図書室に入ってきた先程の生徒達に、先生顔赤いねと指摘されて冷や汗が出た。
エアコンの効きが悪いのかな?設定温度ちょっと下げるねと取り繕った笑みで返すのが精一杯だった。

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前日のうちにコーディネートを決めたはずなのに、やっぱりもう少し違う服がいいかもしれない。土壇場でそう思い直し、ああでもないこうでもないと狭い部屋を右往左往して服を選んでは何度も着替える。
スマホが震え、不死川先生がアパート前に到着した事を知らせてくれる。結局昨晩に決めた服に着替え直し、脱ぎ散らかした服をそのままに家を出た。

不死川先生はシャツの上に薄手の羽織物を着ていた。半袖のそれから見える腕は、いつもの腕捲くりから垣間見える腕とは違う色気がある。初めて見る私服姿にドキドキしつつ車に乗り込めば、車内満ちている不死川先生の匂いが鼻に漂う。
車内はその人の家に次ぐプライベートな空間だよねと気付けば、胸の鼓動が更に加速する。この緊張感が取れることはあるのだろうか。晴れて良かったですねと益体のない話を切り出しながら、そう思う。

それでも1時間と少しの時間は、緊張を解すには十分であった。向こうで昼ご飯に何を食べるかの話題は、いつの間にか宇髄先生達と寄ったお店の話に変わった。宇髄先生、煉獄先生、伊黒先生、冨岡先生といつものメンバーで遊びに出掛けた際、営業しているのかすら怪しい外観の店を見つけた。宇髄先生が面白ろ半分で昼飯はここで食べようぜと提案したためそこでご飯を食べたそうだ。元々学生時代の仲間というせいもあり、その頃のノリがまだ抜けなくて困ると口にする不死川先生の顔は、どこか楽しそうだ。



駐車場に到着して1番最初に目に入ったのは、駐車場と本堂を繋ぐ階段だ。コンクリート製の整備された階段ではなく、手すりもない年季の入った石を積み重ねたような階段のため足場が少し悪い。
ここしか道はないのだろうかと、辺りを見回そうとすると不死川先生がこちらを振り向く。
「ほら」
ずいと差し出される手と不死川先生の顔を見比べる。これは、もしかしなくても手を繋ぐぞという事なのか。そりゃあ仮にも付き合っているのだから手を繋ぐだろうけど、まさかここで言われるとは思わなかった。緊張のあまり戸惑いを見せる私に痺れを切らしたのか「行くぞ。危ねぇからしっかり捕まっとけ」と私の手を取り階段へと進む。手汗とか大丈夫だろうかと気にすれば、余計にじわりと全身が汗ばむ気がする。早くてっぺんまで到着してくれと願う私とは裏腹に、転ばぬようにと不死川先生はゆっくりと階段を登る。
息が切れ始めた頃、本堂のある場所に到着した。そこまで長い階段ではないのに、この疲労感。体力の衰えを感じずにはいられない。

司書の仕事は一見楽そうに見えるが、実のところなかなかの体力仕事だ。新刊本や相互貸借などで本がみっしりと詰まったダンボールを持って移動することが多々ある。その他にも新刊本を次々と入荷すれば当然限りある書棚はキツくなる。新しい本を入れるため、本を抜き差しして調整したり、ごっそりと分野の本を他の棚に移動させる事もあるので細々と動き回っている。
公共図書館の時はもっとハードだった。
お客様が自由に手にとって見ることができる場所を開架というのだが、所蔵している本が全て開架にあるわけではない。書庫と呼ばれる職員だけしか入れない書棚の部屋があり、古くなった本や利用頻度が低い本、貴重書などはそちらに収められる。だが全く利用がないわけではない。お客様の求めに応じてそれらを書庫から取ってこなければならない。しかも迅速に。勤めていた図書館は書庫が複数階にも及んだため、大量の本を抱えて階段を上下に走り回る日々だった。
だがそれがなくなった今は些か運動不足なのかもしれない。体力をつけるためにも何か運動をしようかしらと、隣で涼し気な顔をしている不死川先生を見ながら思う。


私の呼吸が落ち着くのを待ってから、手水舎へと移動する。
チョロチョロと流れる水の音や、水盆に紫陽花が浮かぶ様がとてもキレイであり、全体が爽やかな印象を持つ。
誰もいない今なら写真を撮ってもいいだろうか。

「不死川先生、写真撮ってもいいですか?」
「…それェ」
「え?」
「先生ってのはやめねぇか」

今はプライベートなのだから先生も何もないだろう。名前で呼べよと不満気に言う。確かにそれはそうなのだが、まだ心の準備が出来ていない。だが譲るつもりのなさそうな態度に渋々と頷けば「ほら、練習がてら言ってみろ」と催促される。

「不死川…さん」
「下の名前じゃないのかい」
「うっ…それはまだちょっとハードルが高いので、これで勘弁してください…」
「まぁいいけどよォ。ほら、待っててやるから好きなだけ写真撮れよ、名前」

ニヤリと楽しそうな表情に、これは私の反応を見て楽しんでいるな。存外に意地の悪い人だと思う。
写真を数枚撮った後、まずは参拝するために山門をくぐった。本堂から見渡す場所にも紫陽花が植えられているが、脇に逸れた小道が1番の見所らしく、石畳に沿うように両側に彩り豊かな紫陽花が並んでいる。

「わぁ、すごい!見てください不死川先生、これだけあると圧巻ですね」
「確かにこれはすげぇな。つーか、また先生呼びになってんぞォ。次先生ってつけたら罰金でも取るか」

その金で2人で美味いもんでも食いに行くかァと楽しそうに笑うので、普通に美味しい物を食べに行きたいのですがと弱々しく答える。

「なら、ここを見終わったら美味いもんでも食いに行くか」


20210804


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