第9話


煉獄とのやり取りを済ませれば、お礼にとおはぎを差し出された。受け取るか迷ったが、一度は食べてみたいと思っていた藤ノ屋の商品ということで誘惑に負けた。食してみればとても美味しく素直に「うめぇな...」と口をついて出てしまう。
そのまま話の流れでご飯を一緒に食べようと誘われた。なんでだ?この2人が付き合っているなら、俺は邪魔者じゃねぇか。断ろうとするが
「名字先生は1人で食べているのが寂しいらしい。彼女のためにも協力してくれないだろうか」
煉獄の熱い眼差しと言葉を前にして、結局折れたのは俺だ。

迎えた当日、気が重いまま煉獄に連れられて図書準備室に着いたが、結論から言えば悪くなかった。進路相談をされて悩んでいた生徒に対する、いいアドバイスができそうな資料が手に入った事が収穫だった。
そして、普段は俺を見てオドオドするくせに、本の事になると途端にそれが払拭される名字先生の姿が印象に残った。生き生きとしており、本当にこの仕事が好きで誇りをもっているのだろう。一部の生徒から舐められているのは否めないが、仕事に対して真摯な姿勢は好感が持てる。
図書室をチラリと見れば、なるほど確かに雰囲気が変わったように思う。図書室なんて俺の着任後1、2度程しか訪れていなかったが、室内の雰囲気はこんなに明るかっただろうか。それまで彼女に対して抱いていたイメージが、がらりと変わった日だった。


その後も、煉獄の彼女ということで荷物を運んだりと困っていそうな事があれば気に掛けるようにはした。その度に好きな事になると目が輝き、心底嬉しそうに笑う姿に目が釘付けになった。

回を重ねるにしたがって自分に対する態度が和らぎ、以前よりも笑い話すようになってくれたのが、何故だか無性に嬉しかった。
もし、好きな対象にしか向かないその表情が、笑顔が、常に自分に向かえばどうなるんだろうか。最初はそんな小さな疑問だったと思う。
ある時、以前ほど苦手じゃない証拠といわんばかりに、自分のことをストレートに褒められたが、そういう事に慣れていないのもあって、あれはなかなかにキた。半ば告白のような事を無自覚に言ってるコイツを末恐ろしいとさえ思えたし、嬉しいと思う自分もいた。

あの顔が、表情がもっと見てみたい。俺だけに向けさせたい。そこまで思うようになってからハッと正気に戻る。
何を考えているんだ、俺は。相手は煉獄の彼女だぞ。昔からの大事な友人と修羅場なんて絶対にしたくねぇ。今なら一時の気の迷いだと引き返せる。今日で3人の昼飯は最後にしよう。そう思っていた。


「名字先生とは付き合ってないぞ」

なんでそうなってるんだ?といわんばかりの2人に、自分が誤解していたとわかった。結局、自分と胡蝶然り、噂は噂でしかなかったのだ。

「そうか...付き合ってねぇんか」
思わず緩んでしまう口を、片手で覆い隠す。それなら俺がどうしようが問題ねぇってわけだな。だが、合コンに行くというのは頂けない。そこでお持ち帰りされたりなんてしないか心配になってきた。問題がなくなった途端に横からかっ浚われるのだけは我慢ならねぇ。
思い立てば行動は早い方だと自覚している。図書室へと足を運び半ば強引に連絡先を交換し、理由をつけて夜電話を掛けてみれば既に自宅に帰っているということに安堵した。最初は要件もすぐに済み、これ以上の通話はムリかと思っていたが、たまたま見ていた映画の話から思いがけず盛り上がった。
俺自身楽しかったし、名字先生からも楽しかったという言葉を貰えて嬉しくなった。ここから少しずつ距離を詰めていけばいいか、なんて余裕を持ったのが間違いだった。

名字先生と飯を食いに行くのを約束していた日。昼休みに3人で昼飯を食べていれば、合コンで知り合った男性と既にご飯に行ったと知った。
は?展開早くねぇかと焦ったが、その男は地雷を踏んだとわかり安堵した。バカな男だ。
だが少しずつだなんて呑気にしていたら、今度こそ横取りされそうである。幸い以前とは違い怖がられてはいないと自負している。好きだと押されたら好きになってしまうのなら、それを利用させてもらおう。生憎こちらは使えるものは何でも使う主義なのだ。



仕事が押して約束の時間より多少遅れてしまったものの、ご飯はやはり楽しかった。美味そうに釜飯を頬張る姿を見て可愛いなとも思えたし、その姿が妹に重なり自然と庇護欲を掻き立てられた。座っている時は気付かなかったが、途中で名字先生が御手洗いに立った時、昼間とは服装が違う事に気がつき、少しは脈があるのか?なんて調子の良い考えを巡らせ、頬が緩みそうになるのを誤魔化すためビールを煽った。



店から名字先生の自宅までは近い。
キメツ学園では教員住宅はないものの、いくつかのアパートの一室を借り上げて教員に安く提供してくれており、学園を中心に点在している。若い教員が遠くのアパートになる事が慣例だが、俺はタイミング的な問題で、名字先生は女性だからという配慮により学園近くの部屋に住んでいる。そのため、自ずと今日の店からも俺のアパートからも近いのである。

家までは直ぐだから送らなくても大丈夫ですと渋る名字先生を説き伏せて自宅まで送る事にした。惚れた女を夜道に1人歩かせる馬鹿がどこにいるんだ。
途中、モテそうだと言われたが俺にとってはモテるかどうかはさして重要ではない。惚れた女にモテなきゃ意味がないと思っている。そんな事を思っていれば、すぐに名字先生のアパートに着いてしまった。

お礼を言われ、ああ、もう別れなきゃなんだなと分かってはいるが離れがたい。これでまた金曜日の昼飯時くらいしか会えない。勿論何が何でもキッカケを作り合間を縫って図書室に行くつもりではあるが。
じっと絡み合う視線。好いた女性の瞳が俺だけを真っ直ぐに見ていてくれることが嬉しかった。これから先もそうやって俺だけを見ていればいいんだ。強欲とも言える想いが膨らみ、気付けば口から出ていた。

「どうでもいい奴にはここまでしねぇよ」
「好きだって押されまくったら好きになってくれんだろ」

畳み掛けるようにそう告げる。目をまん丸くしていたかと思えば、火がついたようにボッと赤くなる様を見て、ようやくちゃんと意識したか。ざまぁみろとおかしくて笑ってしまった。

「で、俺のこと好きになってくれんのかァ?名字先生?」
「す、好きになっていると思います...多分...」

多分ってなんだ。真っ先にそう思ったが、今はこれでよしとしよう。他の野郎と連絡を取ったりしないよう釘をさせば、ようやくそこで少し安心した。まだ完全に自分を好きなわけではないだろうが、今度こそはこれからじっくり俺を好きになるように仕向ければいい。
満足感と多幸感を噛み締めながら帰宅したのだった。



20210612


PREVTOPNEXT
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -