雪が溶けたら(現パロ)
「最大級の寒波が到来し、大雪となる見込みです」

自宅で夕飯を食べていると、テレビから天気予報が流れた。その内容に思わず眉を顰める。
またか。
また寒波が来るのか。また雪が降るのか。
思えば今シーズンは異常だ。十二月になったばかりだというのに、立て続けに雪が積もった。
都会は雪に弱い。その度に乱れるダイヤ。申し訳無さそうな声で遅刻しますと会社にかける電話。転ばぬように及び腰になりながら歩く雪道。それらの煩わしさ全ての原因が雪なのだ。

十二月に入った途端、覚醒したかのように働き出した雪雲は、年を越した一月でもまだバリバリと働いている。お決まりの成人式やセンター試験でも大雪を降らせ、それでも足りないのか夜に雪を降らせるのだという。
雪雲くん、君はいつか過労で倒れるぞ。そろそろ休め。
なんて笑えない冗談が浮かび、溜息をついた。



「うわぁ、積もってる…」
外れて欲しい天気予報は悲しいかな的中した。起床してすぐにカーテンを開き、窓の結露を手で拭えば一面の銀世界が広がる。底冷えするような冷気が窓から漂い、体がぶるりと震えた。
今日は打ち合わせがあるため、どうしても決まった時刻までには会社に着きたい。その為には早めに家を出て、少しでも早い電車に乗らねば。
今日だって念の為にと早く起きたのだ。化粧を済ませ、カイロを貼りつけてから重ね着をし、マフラーに手袋、内側がボア加工のブーツを履き防寒対策を済ませる。
よし、これでバッチリだ。その思いは、玄関のドアを開けた瞬間に流れ込んできた外気で砕けた。寒い。外に出たくない。働きたくないでござる。

嫌々な思いを身に抱えながらも、鍵を掛けて歩き出す。私が住んでいるアパートはニ階建てであり、その二階に住んでいる。有り難いことに階段は雪掻きがされているが、所々凍っているのがわかる。手摺には雪が積もっているため、転げ落ちないよう壁に手をついて一段ずつ降りていく。
時折吹く風が、手摺に積もった雪を撫でつけ、上部のサラサラとした雪が風と共に私のコートや顔面に打ち付ける。

その時、近くからザッザッと音がするのに気付いた。階段の中程で立ち止まり、辺りを見回すとアパートの敷地内を雪掻きしている人がいる。
スノーウェアに帽子をしているので、顔まではわからない。動いてる人の動作は機敏で、背が高いのがここからでもわかる。体格からして大家さんではないのは確かだ。大家さんは小柄な老婆なのだから。
ならばアパートの住人だろうか。その人は敷地内の共有部である、ブロック塀からこちらの建物にかけて、通路を作るように黙々と雪掻きしている。

(うわぁ、どうしよう。手伝った方がいいのかな?でもなぁ、仕事があるんだよね)

ここを出るには、どうしてもその人の横を通らねばならない。一人真面目に共有部の雪掻きしている横を、どうやって通り過ぎようか。
雪掻きありがとうございます?お前もやれよと返されるだろうか。悩んだ末、無難におはようございますの一言を掛ける事に決めた。
雪掻きの邪魔にならぬよう進み、敷地内の隅へと雪を押しのけるその人の横を通り過ぎようとした。

「おは………きゃっ!」

その人の方に気を取られていたせいで、足元が疎かになっていた。ツルツルに凍っている事に気が付かなかったのだ。ツルリと足を滑らせた私は、そのままその場に尻餅をつく。咄嗟の事ながらも受け身を取ろうとした手と臀部がじんじんと痛む。

「いったぁい…」

腰を少し浮かせ、強かに打った箇所を擦る。こんなにもストレートに尻餅を着いたのは、いつ振りだろうか。

「あー…、大丈夫っすか?」

ギュッギュッと足元の雪を踏み固めながら、雪掻きをしていた男性はこちらに近付く。そして起き上がれるようにと手を差し出してくれた。手を取ろうか迷いながらも、視線を上へと移動させ、その人物の顔を見る。
(げっ)
間近で見たその顔には見覚えがある。帽子で髪は隠れているが、この鋭そうな瞳に顔に走る傷。間違いない。
うわぁ、この人かぁと内心苦々しい気持ちになった。

その人は同じアパートの住人であり、隣の隣の部屋に住む男性だ。大学生のようで、時おり友人らしき人といるのを見掛ける。
正直に言おう。私はあまりこの人に対していい印象を持ってはいない。だから「げっ」なのだ。

まだ雪が降る前の事だ。その日も仕事で、ヘトヘトになった体を引き摺りながらこのアパートへと戻ってきた。太腿を上げるのもしんどく、ノロノロと階段を登りきれば、ある部屋の前で押し問答が繰り広げられているのに気付く。

「なぁ、いいだろ?お前んちに泊めてくれよ」
「テメェは止めろっつってんのに勝手に家探しするからダメだ」

つっけんどんに言い放ち、断固として部屋に入れてなるものかと腕を組んで入口を塞いでいるのは白髪の男性。このアパートで何度か見かけたことがある。対して、そんな事しねぇからよとヘラヘラとした笑みを浮かべる男性は初めて見る。彼の友人だろうか。同じく白髪の男性で、かなり背が高い。玄関扉を優に越す程の背丈だ。あそこまで背が高いと、日常生活は苦労するだろうなと、他人事ながら思う。

「なぁ頼む不死川!今度の講義で代返しといてやるからよ」
「俺はテメェと違って、サボったりしねぇからそんなのは必要ねェ」
「一晩!一晩だけでいいから!」
「だからしねぇよ。さっさと彼女に謝って…」

苛立ったように顔を動かした白髪の男性と目があった。しまった。と思うと同時に、彼は大きく舌打ちをした。

(今舌打ちした!そりゃ偶然とはいえ、立ち聞きみたいな事をしてしまっているのは私だけどさ)

憤慨する私を余所に、その男性は溜め息をついて組んだ腕を解いた。

「…一晩だけだからなァ」
「おー!派手に感謝するぜ!」

先程までとは一転し、満面の笑みを浮かべた男性は、やはり腰を少し屈めて玄関を潜った。ガチャンと鍵が掛かる音がして、ようやく私も自分の部屋へと動き出したのだった。


そんな経緯があり、根に持つタイプの私は舌打ちされた事が未だに胸に燻っていた。回想をしていた事もあり、未だに差し出された手を取らない私を不審に思ったのだろうか。滑るから掴まってくださいと言い出す。
手を取るか迷ったが、もし手を取らなければそれはそれでまた舌打ちをされそうだ。この至近距離でされたら、流石に前回より傷付く。

「ありがとうございます」

防水加工された手袋を掴み、ぐっと体を起こす。途中でまた滑りそうになり、バランスを崩しかけるが、その人が支えてくれたお陰で再度尻餅をつくことはなかった。足元が不安定なこの場所で、女性とはいえ体勢を崩した人一人を支えてしっかりと立っていられるなんて、余程体幹が良いのだろ。
臀部についた雪を振り払い、お礼を言うとさして気にしないような返事が来た。

「そこ、前回降った時の雪がまた溶けてないんですよ。踏み固められてるから滑りやすくなってるんで、気をつけてください」
「ああ、そうなんですね。気をつけます。ありがとうございます」
「いえ」

そう言ってこちらに背を向け、再び降り積もった雪の下部にスコップを差し込み、隅の方へと雪を投げ捨て始めた。
さて、私も仕事に行くかと再び足を一歩踏み出した。その時だ。

「わっ、ぐっ…!」

たった今、気を付けるようにと言われたばかりなのに、恥ずかしい事にまたその場で転んだ。今度は体の右側が下になる形で転んだため、右側の腰が痛い。オマケに鞄の中身も少しぶち撒けてしまった。雪上には私のスマホや手帳、ボールペンが落ちている。

「いったぁ…もう、最悪っ…!」

辛うじて受け身を取れていた先程とは違い、今度はモロに体を打った。痛みのあまり動けないでいると、プッと噴き出す小さな声が耳に入る。

「ねぇ、笑うところじゃないよね?」
「いや、すんません。笑っちゃいけねぇですよね。怪我はないっすか?」

私の抗議を受けた男性は、瞬時に緩んだ頬を引き締めた。そうして散乱した私物を回収してくれ、再度手を差出してくれる。あなたも転んでしまえばいい。そう思ってわざと体重をかけつつ起き上がるも、ビクともしない。なんか悔しい。
手渡された私物を鞄の中に入れ、さっさとこの場から離れようとする。

「あ」
「なんですか?」
「あー、その歩き方だとまた転びますよ。雪道を歩く時は、ペンギンみたいに歩幅を小さくしてゆっくり歩いた方が安全です。余計なお世話かもですが」
「そうですか。それはどうも、ご親切に」

心の籠もっていないお礼を口にして、敷地の外へと出る。男性との間を隔てるブロック塀に沿って歩き出すと、聞き覚えのある声が耳に入った。

「実弥ちゃんおはよう。いつも悪いねぇ」
「これくらいどうってことねぇよ。それよりばあちゃん、寒いから中に入ってろって」

何処かで聞いた事のある声だなと考え、やがて大家であるお婆ちゃんの声だと気付く。

「雪き終わったら家においで。従姉妹が送ってくれた蜜柑が沢山あるから、持っていきな」
「んな気にしなくてもいいのに」
「実弥ちゃんにはいつも世話になってるからね。この前も電球替えてもらったしさ」
「それくらい大した事じゃねぇから。ばあちゃん足が悪いんだから、無理に脚立に昇ろうなんてすんなよ。俺がやるからさ」

ありがとうねぇ、うふふ。と明るい笑い声に混じり、会話は進む。これ以上聞いていたら、時間に間に合わないかもしれないと気付き、慌てて歩き出す。否、歩きだそうとした。
勢いよく踏み出そうとした歩幅の距離を縮め、ペンギン歩きのように、少しずつ踏み出していく。

(アイツの言う通りにするのは、なんか癪だけど、もう転びたくないし)

そんな言い訳を己に言い聞かせ、頭の片隅では思ってたよりはいい奴じゃん。と認識をほんの少し改めた。



「なんて事があったわねぇ」
「あー、あったあった。懐かしいわァ。あん時の名前さん、あんまりにも豪快に転ぶからつい笑っちまってよォ」
「あの時はムカッとしたわ」
「ははは、悪かったって。それよりよォ、今朝も雪が凄かったろ。転んだりしてねぇか?」

あの時のいけ好かない隣人不死川、もとい実弥と、この一年の間に紆余曲折を経て付き合っている。
当時の自分に教えたら「エイプリルフールには早すぎるわ」と取り合わないだろう。
自分が年下の男(それもまだ大学生!)と付き合うなんて思いもしなかった。本当に、人生どうなるかわかったものではない。

しかし、実弥は年の割には落ち着いており、包容力がある男性だった。仕事で腹立たしい事があり、感情のままに愚痴るも「それはキッツいよなァ、名前さんはよく頑張ってると思うぜ?」と百点満点な対応をされる。
時折、どちらが年上なのかわからない対応もされる位だ。
今はお互いの部屋を行き来し、一緒にご飯を食べたり泊まったりと、恋人らしい日々を過ごしている。
今日もバイトがない彼が、夕飯作るから食いに来いよと誘ってくれたのだ。そのお陰で、帰宅してすぐに温かいご飯が食べられたのだから、感謝感謝だ。

「それがさ、今朝は久しぶりに転んじゃったのよね。新雪の上を歩いてたんだけど、雪の下がツルツルに凍ってたみたいで、すってーんと」
「あー、そういう時もあるなァ。どこ打った?」
「お尻の所…って、実弥くん。この手はなぁに?」

隣に腰掛けている彼が、私のお尻の辺りを二、三度撫でたかと思うと、服の中にするりと手を滑らせてきた。直ぐにその腕を掴んで止めるも、彼は悪びれもなく笑う。

「いやァ、名前さんの肌に傷付いてないか確認しようかと思って」
「打っただけです。今はなんともありません」
「いやいや、わかんねェよ。もしかしたら青痣とかできてるかもしれねぇし」

怪しい手付きが色気を纏い、再度こそ服の中に侵入してくる。打ち付けた箇所を確認すると言っていた癖に、その手は私の背中をつうっと撫でる。

「なぁ、確認させてくれよ。じっくりとよォ」

情欲が宿った瞳で、実弥くんがニヤリと笑う。
こんなにスケベな男だってのも、一年前は想像しなかったな。




20210317


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