結んだ迷子が解けない
その日、不死川実弥は決意した。
一人暮らしをしようと。


社会人になりようやく毎月一定額を稼げるようになったので、これで母の苦労も多少は緩和されるだろうとはじめは喜んだ。だが朝早くに出勤して夜遅くに帰宅。その後日付が変わるまで仕事関係の事をする生活のため、寝ている家族に気を使う日々に不死川は少し参っていた。
不死川家は今時珍しく7人兄弟という大所帯だ。そのため個人の部屋なんてものはない。自分が家を出れば多少は部屋の余裕も出るのだが、その分実家に入れる生活費が少なくなると悩んでいた。

そんな彼に一人暮らしを決意させたのは、休みの日にパソコンに向かい授業の資料を作っていた時の事だ。ヤのつく職業ですか?と勘違いさせる風体をしているが、不死川は数学教師なのだ。
やっとここまできた。もう少しで完成するぞと深く息を吐いた時、元気な弟達が部屋を走り回っていたためパソコンのコードに足を引っ掛けてパソコンが落下した。慌てて再起動を試みるが、悲しいことにデータは飛んでいた。
意気消沈する兄に「兄ちゃん、ごめんなさい…」と涙目で謝る弟達にキレる程狭量な男ではない。最も、それが発動するのは家族限定なのだが。
弟達が寝静まった夜、1人ダイニングテーブルに向かいながら「するか、一人暮らし」と決意したのだった。


そうと決めれば行動は早い男だ。
実家と職場からそう離れておらず、尚且家賃が安い所を重視して昼休みにネットで探す。なかなか予算内に収まる物件がねぇなと思い始めた時、遂に見付けたのだ。格安な物件を。早速問い合わせて内見に行けば、よくあるワンルームで部屋は築年数の割にキレイであった。場所も希望通り。悪くないどころか理想的なのだが、何故こんなにも安いのか?事故物件かと同行した不動産屋に聞けば返事は否だ。その答えに訝しがる表情をすれば、歯切れ悪く「実は…出るんです…」と続けた。

なんでもそれまで数年間住んでいた男が、突然更新前にこの部屋を出た。何かがいると怖がっていたのだが、数年間住んでおきながら今更何をと不動産屋は取り合わなかった。しかし次の入居者は1週間で出て行った。その後借り手がつかず今に至るらしい。

確かに部屋に入った時から、外の暑さに反してどこか涼しいなと男は思っていた。普通の人間であればこの時点で「違う物件にします」と言うだろう。だがこの男、不死川は違う。
幽霊が出るお陰で部屋が涼しくなるならエアコンいらずじゃねぇか。家賃も安くなるし一石二鳥だな。などと豪胆な考えの持ち主だ。
本当にいいんですね?と再三念押しする不動産屋にさっさと書類を進めてくれと返し、不死川の住む家が決まった。



住み始めて2週間、何も起こらない。
肩透かしをくらいつつも、何も起きないならそれはそれで結構な事だと男は思い、日々の業務に忙殺されていた。

そんなある日。
日々の疲れが寝ても寝ても取れず、徐々に蓄積された疲労が遂に限界を迎え、男は家に入るなり玄関でバタリと倒れた。意識はあるのだが、もう動きたくはない。しばらくここで寝てしまおうかとひんやりとした床を頬に受けて思う。その時、何かが聞こえた。隣の部屋の音かと気にも留めなかったのだが、徐々に近付くその音、いや、声に体が固まる。

「あのー、大丈夫ですか?救急車呼びますか?って私、電話が出来ないんだった…どうしよう」

泥棒にしては間の抜けた発言にガバリと体を起こせば、目の前にいたのは自分と同い年くらいの若い女性だった。

「おまっ!…テメェ、何者だ!どうやってこの部屋に入った!?」
「え!あなた、私の事が見えるんですか?」
「ああ?見えるに決まってんだろォ!つーか、話を逸らすな!待ってろ、今警察に突き出してやっからなァ」

スラックスのポケットに入れていたスマホを取り出し、110番に掛けようと指を動かす。

「ちょ…ま、待ってください!私泥棒じゃありませんから!」
「うっせェ!黙ってお縄につけェ!」
「うーわー、今時お縄につけなんて言う人がいるんだ…」

からかうようなその言い草にカチンときた不死川は、その女性に掴みかかろうとした。短気ではあるが、女子供には優しい男なので普段はそんな事をしない。だが泥棒となれば話は違い、遠慮なく手が出せる。
のだが、女性の腕を掴もうとした不死川な手が空を切る。

「あぁ?」

何度やっても女性の体を掴めない。ならば体当たりだと右肩を前にして女性目掛けて衝撃を加えようとした。だが、わわ!と驚く女性の体をするりと抜けて、不死川の体は床にぶつかった。ここまでくれは流石の男も信じずにはいられない。

「テメェ…幽霊なんか?」
「えーっと、はい。そうみたいなんです」

なんで自信なさげなんだと眉根を寄せる不死川に、幽霊(仮)の彼女は説明をする。なんでも気付いたら何故かこの部屋におり、どうしてこんな事になっているのか、自分はもしかして死んだのかとパニックになった彼女は当時住んでいた男にコンタクトを取ろうとした。声を掛けても気付いて貰えず、ならばと物を落として存在をアピールしていたら男は出ていってしまった。次の入居者も同様らしい。

「ん?じゃあなんで俺の時はすぐに存在をアピールしなかったんだ?」
「え、それ聞いちゃいます?……怒りません?」
「怒らねぇから言ってみろ」
「ヤのつく職業の方なのかなぁなんて思いまして、怖くて…」
「幽霊が怖がってんなよォ…」
「だって!怖いものは仕方ないじゃないですか!というか、怒らないんですね」
「別にィ、人様に怖がられるなんて今更だしな」
「……でも最初だけですよ?あなたが弟さんやお母様に電話をしている時の顔がとても優しそうで、悪い人じゃないんだなってすぐに思いました」

仕事も大変そうで、それなのに自分が騒ぎ立てたら申し訳ないなぁなんて思いまして。何もせず部屋の隅っこでずっとあなたを見ていたんですと幽霊らしからぬしおらしさで言えば、不死川は毒気を抜かれたような心地だ。

「そんなところ見てんなよ」

気恥ずかしさのため、そっぽを向き頬を掻く。そこではたと気付いた。気付いてしまった。

「……テメェ、もしかしてこの部屋での出来事は全部見てんのかァ?」
「え?そうですね。ワンルームだからどうしたって見えちゃいますし。地縛霊ってやつなのか、この部屋から動けないんですよねぇ」

などとのほほんと言ってのけるものだから、恥ずかしさで顔が真っ赤になる。今でこそ忙しさでそんな気は起きないが、入居当初はこれで気兼ねなく出来るなとシていたのだ。お一人様で。
知らなかったとはいえ、それを見られていたのかと思えば不死川の顔は羞恥に染まり体がブルブルと震える。確認したいが確認したくない。だが1つ確実に言える事は、一人暮らしだが出来ないという事だ。

「テメェ……とっとと成仏しろやァ!!」
「え!急になんでです!?そりゃ私だってしたいんですけど!」

怒り狂った不死川に幽霊の女性が追いかけ回される、という不思議な光景がその晩繰り広げられたのだった。


----------

翌日から、奇妙な同居生活が始まった。
朝ご飯を食べながらニュースを見て思った事を呟けば、それに女性が返事をする。仕事に行く前と帰宅すれば「いってらっしゃい」「おかえりなさい」なんてにこやかな笑顔で挨拶される。簡単だが料理を作れば「すごーい!美味しそう!あ、私食べられないんだった…」と落胆する。夏特有のホラー番組が始まれば「怖い怖い!今見ました!?絶対に幽霊っていますよ!」とはしゃぐ女性を見て、目の前に本物の幽霊がいるんだがと男は奇妙な感覚になる。
人間には触れないがそれ以外は触れるらしく、郵便受けに手紙届いてましたよーと運んできたり、雨が降りそうだったので洗濯物取り込んどきましたよとなかなか役に立つ。傍に来ればひんやりとした冷気が彼女の体から放たれてエアコンいらずだ。
一方、女性の方もこれまで自分の存在を認知されなかったが、不死川という唯一自分と会話が出来る存在を喜び、会話に飢えていた彼女は仕切りに男に話しかけるようになった。男の方も、そんな彼女に徐々にだが絆されていっている事に気が付く。
自分が家族以外の女性と暮らすなんて想像出来なかったが、こんなに穏やかな暮らしが出来るなら悪くないと思う。



不死川が近々行われるテストの答案作成に勤しんでいると、背後に彼女の気配がした。

「うわー、ぜんっぜん意味がわからない。最近の高校生って頭がいいんですねぇ」

感嘆する彼女にどれがわからねぇんだと聞けば、全部ですと自信満々に答える彼女の潔さに、プッと笑いが出る。これが生徒なら「俺の授業で何を聞いてたんだァ!!」と切れるのだが。
彼女は自分自身に関する事がすっぽりと記憶から抜け落ちている。当然自分自身の名前も。だが、生活の知識はあるらしい。
数学は私の生活に必要なかったんですよ、きっと。とのほほんと言うものだから、聞き捨てならない。数学は日々の生活に欠かせないものだと力説し、わかるまで教えてやるよと迫れば「ご勘弁を!」とまたも逃げ回る。
その繰り返しの果てに負けた彼女に根気強く教えていけば、突然わかった!と顔がパッと輝いた。不死川はその瞬間を見るのが好きなのだ。ここが分からないと聞きに来た生徒に教え、その表情を引き出せた時とても嬉しくなる。同時にもっとわかりやすく授業でやるにはどうすればいいのかと考える、真面目な男なのだ。

「数学ってパズルみたいなものだよ。と言われたことがあるような気がするんですけど、本当にそうですねぇ」
「まぁな。そのためには数式をしっかり覚えておかなきゃなんねぇ。そしてその数式を適切な場面で使えるかが肝だ」
「うーん、私、きっと不死川さんのような人が先生だったら楽しく数学やってたかもしれないなぁ」

でも今となってはもう遅いですけどね。へらりと笑うその顔には悲しさが滲んでいる。そんな事を言うなよと、男も少し悲しくなった。

「遅いなんて事はねぇだろ。死んでからも学べるなんて、ボーナスステージみたいなもんじゃねぇか」
「あはは、その発想はなかったなぁ。もっと私に色々な事を教えてくれますか?不死川先生」
「ああ」

力強く答え、悲しさを誤魔化すように2人で笑う。だが始まりが突然なら終わりも突然だった。

翌日、不死川が帰宅すればいつものお迎えがない。代わりに夏特有の忘れかけていたむわりとした熱気が体に纏わりつく。最初はからかっているのかと思ったが、ユニットバスやベランダを見ても姿を現さない彼女に焦りが出る。何度も何度も呼びかけるも応えがない。

「成仏、したのか…?」

本来ならば喜んでやるべき事なのだろう。だが不思議と、不死川は喜べなかった。せめてお別れの挨拶くらいしていけよと呟くも、やはり返事はない。
彼女のいない部屋はこんなにも暑かったのかと、床に滴り落ちた汗を見つめていた。


----------


暑さが和らぎ、身に受ける風に寒さが感じるようになった頃、母親が倒れたと連絡を受けた。不死川が慌てて病院に行けば、夏バテから来る過労で、病気ではないと言われる。ただ、運が悪くその時に腕を骨折してしまったらしく、体調等も鑑みて数日入院する事になったようだ。

「お袋が倒れたって聞いたからビックリしたぜ…なぁ、俺実家に戻った方がいいかァ?」

やはり母親1人で6人の子をみるのは無理があったか。俺が戻れば家事なども折半でき、母親の負担も軽くなるのではと考えたのだ。

「ううん。そんな事はないんよ。逆に実弥がいる方がみんなアンタを頼って動かないんよ。実弥兄ちゃんがやってくれるってね」

男が実家を出た後、率先して家の事をやるようになった弟達の話を聞き、ホッと胸を撫で下ろす。その後、弟達の家での様子を聞き、アイツら成長したんだなと嬉しくも少し淋しい気持ちになった頃、カラコロと何かが転がる音がした。

「あ、同室の人が戻ってきたのね。実弥からも挨拶してくれる?」
「ああ」

個室料金を取られるのを嫌った母は、4人部屋の部屋に入った。4人部屋だが、この部屋に通された時、1人だけしか使用してないと告げられたそうだ。
ベッドを囲うカーテンをそっと開け、隣のベッドを見れば男の目が丸くなる。

「お前…」
「不死川…さん?」

隣のベッドに腰掛け、点滴スタンドから伸びるチューブを避けながら布団に入ろうとしていたのは、僅かな間だが同居していた幽霊の彼女だった。
どういうことだ?アイツは成仏したはずじゃねぇのか?俄には受け入れ難い眼前の人物に動揺していると、幽霊だった女性は嬉しそうに言う。

「もしかしてこの方って不死川さんのお母さんですか?こんな偶然あるんですねぇ」

何度も見たのほほんとした顔で言う彼女に、不死川も徐々に冷静になり説明を求めた。
数ヶ月前、不死川が住み始めたあのアパートの前で交通事故に遭い生死を彷徨った彼女は、気付けばあの部屋にいた。それから男と出会いずっとこんな日々が続くのなら悪くないなぁなんて思い始めた頃、男の帰宅を待っていると急に意識が消え、気付いたら病院の天井を眺めていたそうだ。最近までは別の部屋にいたのだが、経過は良好という事で一般病室に移ってきたのだという。

「成仏したわけじゃなかったのかよ…」
「まだ生きてます!もう元気バリバリですよ。来月には退院できるだろうって」
「そォかい……」

その時の顔は、我が息子ながら優しく、嬉しそうな顔をしていると不死川の母は思った。

母が退院した後も、不死川は足繁く病院に通うことになるのだが、それはまた別のお話。


2021816


prev next
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -