忘れじの面影
※何でも許せる方向けです。
※実弥さんは出てきますが夢とは言い難いものです。
※何でも許せる方向けです(2度目)



その人に出会ったのは、私が5つの時。
夏休みに両親に連れられて、遠方の祖母の家に行った時の事だ。

山の麓に位置するため、緩い傾斜には田んぼ広がっている。その一角に何軒かの家がポツリポツリとあり、そのうちの一軒が祖母の家だ。
祖母の家は昔ながらの日本家屋であり、とても広く、そして古かった。歩けばギシギシと床が鳴り、お手洗いは地の底に続いているのではないかと幼心の恐怖を掻き立てるボットン便所。仏壇が置かれた薄暗い和室からは線香の匂いが廊下にまで漏れ、その部屋の前を通る時だけは足早になった。

そんな祖母宅ではあるが悪い事ばかりでもない。
田舎な事もあり敷地が広い。広い庭に面した縁側でスイカを食べ、従兄妹達と誰が遠くまで種を飛ばせるか競い合えた。家が広いため走り回っても怒られない。敷地は広く至るところに木々や花々が植えられており自然豊か。家の裏手は小川が流れる雑木林になっており、遊ぶにはもってこいの場所であった。

いつもは日程を合わせて親族が集まるのだが、その夏は風邪やら仕事やらで集まりが悪かった。歳が近い従兄妹達も来ない。
大人達の会話にも入れず、私は1人で暇を持て余していた。庭に出て宛もなくブラつき、面白いものがないか探す。
ふと雑木林の方で白い何かがちらついた。好奇心を掻き立てられた私は、引き寄せられるようにそちらへ近づく。

祖母達のように白髪ではあるが禿げてはいない頭部。年配の人が好んで着るような緑色の着物を着た男性がそこにいた。その男性は木の根元にある手頃な石の上に座り、何処か遠くを見ている。
チラついて見えたのはこの男性の髪の毛なのだろう。その人は私の存在に気付き、ゆっくりとこちらを振り向く。そこで初めてわかったのだが、顔には横に大きな傷が走っている。

「よォ、どうした。今年は1人なのかァ」

見た事がない人だが、不思議と怖いとは思わなかった。「今年は」との言葉に、私達を見知っている親戚のオジサンなのかなと思ったのだ。そして何より私を見る目が優しいように感じたからだ。

「うん。みんないそがしいんだって」
「そりゃあ寂しいな」
「さみしいよ。だからオジさんあそんでよ」

その人は小さく笑い、すくっと立ち上がった。
そうして、カブトムシが取れる場所、この草は食べられること、この花の蜜はうまいぞと教えてくれた。隠れんぼはどんなにうまく隠れたと思っても最終的には見つかってしまう。それが悔しくて何回も何回も挑み夢中になっていた。そうこうしているうちに、夕飯を告げる母の声が聞こえてきた。

「ごはんだって!オジさんもいこうよ」
「俺は行けねェんだ」
「なんで?」
「…色々とあるんだ。おら、かあちゃんが心配するから早く行けェ」

家の中に入るまでの短い距離ではあるが、何度も何度も後ろを振り向く。その度にその人は早く行けと笑いながら手振りをしてみせる。
会った時と同じような優しい顔をして。


その晩、蚊帳の中に敷かれた布団に母親と一緒に入った私は、別れ際に交わした約束を思い浮かべた。

"俺のことは、他の人間には言うなよ"

何故なのか当然聞いたが、そのうちわかるとだけ言われた。約束を守るなら明日も遊んでやるとの言葉に、こくりと頷くしかなかった。
一体あの人は誰なのか。どうして内緒なのか。部屋の片隅に置かれた線香の匂いが鼻を掠める中、そんな事を考えていた。
しかし遊び疲れたせいか、いつもより早く睡魔が襲う。うとうととし始めた時、頭を優しく撫でる感覚があった。母親だろうか。暖かくて優しい手に誘われ、そのまま夢の世界に旅立った。


翌日、昨日と同じようにその男性と隠れんぼをしたり、落枝やらを集めて秘密基地を作った。秘密基地といっても、木々を寄り分けて人が座れる場所を作っただけの簡素なものなのだが。それでも当時の私には立派なものに映った。
いつもは従兄妹達と作るのだが、今回は大人がいる。いつもより手際がよく作られたそれに満足し、ここでオヤツを食べようと提案した。
母親にせがんで用意してもらった水筒とオヤツを鞄から取り出す。タッパーに入ったスイカを差し出すが、お腹いっぱいだからと私に食べるように言う。
一緒に種飛ばしをしたかったのにとむくれながらも、スイカを口に含んでは種を飛ばしていく。遠くまで飛んだ時は自慢気になって今のを見ていたかと男性に問う。
そんな私を、その人は楽しそうに、だが少し寂しそうな顔で見ていたのが印象に残った。


2泊3日のお泊りはあっという間だった。いよいよ今日帰るという時、両親に最後に散歩をすると告げて会いにいった。

「来年もまた会える?」
「お前が内緒にしてたらなァ」
「内緒にする。約束ね」
「約束なァ」

交わした約束を胸に、父の運転する車に乗り込んだ。大きく開けた窓からは、蝉の合唱が聞こえてくる。見送る祖母の姿が小さくなり、次には蝉の合唱の声、そして緑に溢れる雑木林が小さくなっていった。


翌年、あの人に会えるかとワクワクしながら祖父母宅に行った。だが昨年とは違い従兄妹達や親戚が沢山来ているため、1人になる時間がない。そのせいだろうか、あの人は姿を現さなかった。1年越しの再会を楽しみにしていた私は、なんとか1人の時間を捻出できないかと考えた。
その結果頑張って早起きをし、ぐっすりと眠る母親を起こさぬよう布団から抜け出して家を出た。幼かった私は1人で雑木林にさえ行けば、あの人に会えると当然のように思っていたのだ。
そしてそれは実現した。

「だいぶ早起きしたなァ」
「うん!オジさんに会いたくて」

そうしてこの1年にあった事を喋りだす。オジさんはその度に「そうかァ」「楽しかったな」と相槌をうち、私の話をしっかりと聞いてくれた。それが嬉しくて、1人でずっと喋っていた。私が居ないことに気付いた母親が、血相を変えて探しに来るまで。


毎年夏にだけ会えるその人に、私はいつしか恋心を抱いていた。年上に憧れる一種の熱病のようなものであったかもしれないが、私は確かにその人が好きだった。 
最初はオジさんの事を知ろうと、沢山質問もした。だが知れたのは「実弥」という名前とおはぎが好きな事だけ。他の質問はそのうちわかる。いつか教えるとのらりくらりと躱されてばかりいた。しつこく質問して会えなくなる事を恐れた私は、あまり強気には出れなかった。
それでも人目を忍んでの逢瀬が、この上ない喜びだった。そしてそれは高校に上がっても尚続いていた。
年齢を重ねるにつれ、従兄妹達は1人、また1人と祖母宅から足遠くなったが、私は変わらずに通い続けた。


※※※


ある日祖母が亡くなったとの報せを受けた。夏が終わり、身に受ける風に涼しさを感じるようになった頃の事だ。

つい先月にも来たばかりの祖母宅には、大勢の人間が集まった。お通夜を行うからと、女性達は家の内外の掃除を始め、男性陣はお葬式についての段取りを話し合っていた。
落ち葉を拾い集める名目で外に出た私は、そのまま雑木林に歩みを進める。やはり彼はいた。

「亡くなったのか」
「うん」

90歳近かったから大往生だろうと親戚が話していたのを聞いた。庭の田畑を弄っていたせいか、矍鑠としており受け答えもハッキリとしていた。その事も伝えると、実弥さんはそうかと呟く。

「お前も長生きしろよ」

頭をそっと撫でる感覚には、覚えがあった。


お葬式を終えて戻れば、男性陣はこの家をどうするのか。山などの土地を誰が継ぐのかとの話し合いに移った。
女性陣はお通夜前に見付けたアルバムを広げて談笑している。
今とは違いカラーではない写真には白いフチがある。ページを捲る度に写真の祖母が若返り、そのうち祖父が登場した。私が生まれる前に亡くなった祖父は婿養子であったらしい。そうして捲られていくアルバムの、あるページに目が釘付けになる。
写真館で撮影されたであろうその1枚には3人が写っている。椅子に座りお包みに巻かれた赤ちゃんを抱いている女性。そしてその隣に立つ男性。それ見て息が止まりそうになった。

ーー実弥さんだ

根拠もない直感だが、揺るぎようのない事実に思えた。
薄々は気付いていた。出会ってから10年以上経つにも関わらず、変わらぬ実弥さんの容姿。老いることも食事を取ることもない。雑木林に行けば必ず出会える。いずれも生身の人間では到底無理な事だ。

それでも怖いと思ったことはなかった。これまで過ごして来た時間があったからだ。

「お祖母ちゃんのお祖母ちゃん?」
「高祖母って言うんだっけ」
「ねぇ。この人さ、似てない?」

その一言で女性陣の視線が私に集まる。
そう、実弥さんの隣に座る女性は、どことなく私に似ていた。
実弥さんが私を見る目には、優しさの中に別の想いが込められているように感じていたが、そういう事だったのかと腑に落ちた。

アルバムを手に持ち、雑木林へと足早に向かう。だが、いくら探し回っても呼びかけても、実弥さんは姿を現さなかった。
初めて会った時に実弥さんが腰を掛けていた木の根元の石に座り込み、姿を現すのを待った。アルバムを開き、もう1度写真をしげしげと眺めていると風がそよそよと吹き、私の頭を優しく撫でる。
この感覚には覚えがあった。


いつまでそうしていたかはわからない。そろそろ戻らねばと立ち上がり、祖母宅へと戻る。玄関で出くわした母親から、たった今到着した親戚にお茶を出すように頼まれた。
丸盆に一人分の湯呑を乗せ、仏壇のある和室へと進む。祖母の遺骨は四十九日までここに安置される。
昔はここを通るたびに足早になっていたな。ギシギシと鳴る床に懐かしさを感じて襖を開けば、遺骨に手を合わせている喪服姿の実弥さんがいた。

「実弥…さん?」

幽霊だとばかり思っていたのだが、実は生身の人間だったのか?外見に変化がないのは美魔女ならぬ美魔男だったからなのかと、パニックになった。丸盆を落としそうになるほど驚愕していると、実弥さんは立ち上がりこちらを向く。

「いえ。自分は実弘ですが」

冷静にそう告げる彼は実弥さんではないと言う。なるほど。確かに目の前の彼は実弥さんと瓜二つだが、顔に傷がない。
実弘さんは大学生で、警察官の公務員試験を受けていたため、両親より遅れて今到着したらしい。両親の仕事が不規則であったため、親戚でありながら今日まで1度も顔を合わさずにいたようだ。

運んだお茶に口を付ける実弘さんをマジマジと見つめていると、流石に視線に気付いたようだ。

「何か」
「あ、すみません。知り合いにソックリだなぁと思いまして」
「はぁ…そんなに似てるんですか」
「似てます。本人かと見間違うくらいに」

彼になら話してもいいだろうか。
約束を守り続けていたにも関わらず、実弥さんは姿を消した。そして同じくして現れた実弘さん。これは偶然ではないような気がする。

「すごく面白い話があるんです。いつか聞いてくれますか?」

窓の外からは、リーンリーンと鈴虫の声が聞こえてくる。季節はもう秋だ。



20210726


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