愛を一匙
ーー風が強ぇな。

洗濯物を外に干そうと、薄いレースのカーテンを開けた不死川実弥はそう思う。
アパートの1階のベランダの数メートル先には、目線の高さ程の木々が植えられているのだが、風によりわさわさと揺れ動く様を見て、外干しするのを躊躇った。だがせっかくの梅雨の晴れ間だ。部屋干しして洗濯物が臭くなるのも、部屋の不快指数を上げるのもイヤだと思い大きめな洗濯バサミを取りに洗面台へと戻った。これでハンガーを留めれば飛ばされる事はないだろう。実家にいた時から度々やっていた事だ。
そうして次々と洗濯物を干していけば、突風が吹き付けた。それにより洗濯バサミを取り付ける前の洗濯物は物干し竿からからんと音を立てて離れ、ベランダの外へと飛ばされていった。小さい舌打ちを聞いたのは自分と風だけだろう。残りの洗濯物を干し終え、サンダルを履いて玄関を出てから裏のベランダへと回った。不幸中の幸いか、土ではなく芝生の上に落ちたため汚れはないようだ。とっとと部屋に戻って残り少ない日曜日を堪能しようと思った時、再度風が吹き付けた。先程の突風よりかは弱い風だが、それでも自分の髪の毛を大きく揺さぶっていったその風は、隣の部屋の住人の洗濯物をも揺すっていった。風に飛ばされぬような工夫が何もされていないため、他の洗濯物もゆらゆらと揺れ動いている。そうして自分の足元に落ちたそれに視線を落として悩んだ。

3ヶ月前に隣に越してきたのは女性だ。おそらく自分と歳の近い女は、今どき一人暮らしにしては珍しく挨拶に来てタオルを渡していった。たまにすれ違えば挨拶もする。印象は悪くない。だからこそ迷うのだ。
これで印象が悪い奴ならざまぁみろと知らんふりをして部屋に引き上げた。だがそれをするには罪悪感を感じる相手だ。しかし相手は女性。Tシャツといえど、隣の部屋の男に洗濯物を拾われたと知るのは嫌だろうに。結局、玄関側はそこまで強風が来ることもないので、ドアノブにでも掛けておいてやればいいか。それがいい。これで解決だと気が楽になったその足で隣の部屋の住人の洗濯物を拾い玄関へと戻った。
さぁドアノブに掛けようとした時、それがガチャリと回るものだから驚きのあまり心臓が止まりそうになった。
どこかに出掛けるつもりだったのだろう。彼女の肩にはバッグが掛けられており、俺の顔を見るなり驚いた顔をした。
「あれ?お隣さん、ですよね?………え、それ、私の……」

まずい。
まずいまずいまずい。
この状況は非常にまずいのではないか。誤解されて変態だの泥棒などと不名誉な事を言われたくない。その一心で、風で飛ばされてベランダの外に落ちていたと早口で捲し立てれば、意外にも女性はアッサリと信じて礼を言うので拍子抜けした。こんなに簡単に俺を信じて大丈夫なのか。いや、今は信じて貰わなければ困るのだが。
そうして洗濯物を受け取った彼女は、そうだと何か思いついた顔をしてちょっと待っていてくださいと言い残して部屋の奥へと消えた。

「お隣さんって料理とかします?実家から野菜を沢山貰ったんですけどこのままだと腐らせちゃいそうで。良かったら貰ってくれませんか」

ズルズルと部屋の奥から引っ張ってきたダンボール箱の中には、きゅうり、絹さや、トマト、枝豆、モロヘイヤなどがぎっしりと詰まっていた。

「すげぇなこれ」
「父が家庭菜園にハマっていて。最近では庭だけじゃ足りなくて他所に畑を借りてまで作るようになったので、大量にあるんです」

少しの呆れ顔を見せる彼女になるほどと納得する。これではおそらく彼女の母親も苦労しているのだろう。貰ってくれると私も野菜達も嬉しいので遠慮しないでくださいとの言葉に、じゃあ有り難くと言えば彼女はビニール袋に次々と詰めていき、最終的にダンボール箱の半分近くが俺の手に渡った。本当にこんなにいいのかと恐縮するが、助かりましたと笑顔になる彼女を見てまぁいいかと思いその場で別れた。


翌朝出勤する為に玄関を出れば彼女と鉢合わせた。流れで彼女と駅に向かいながら、再度野菜の礼を言う。

「いいえ、むしろ押し付けちゃったみたいですみませんでした。本当に大丈夫でしたか?」
「ああ、昨日はお蔭さんで豪華な夕飯になったわ」

絹さやの卵とじやらラタトゥイユ、モロヘイヤのスープを作ったと話せば、彼女は目を輝かせ、すごいすごいとしきりに言うものだから、どれも簡単なやつだぞと謙遜するが料理が苦手な私には作れない!いいなー、食べたい美味しそうとお世辞ではなく本心かのように言うので満更でもない気持ちになってきた。そのせいだろう。
「作ったやつがまだ残ってるんだが、それで良ければ食うか?」
なんて何時もは絶対に言わないであろう事を言えば、彼女はいいんですか?嬉しい、やったー!と喜ぶものだから、つられて俺も少し笑っちまった。連絡先を交換しようとする彼女に、親御さんは料理よりも女性の一人暮らしにおける危機管理をよく説いた方がいいんじゃないかと心配になった。
そうして帰宅後、自分の夕飯分を残してタッパーに詰めたそれらを持って隣の部屋のチャイムを鳴らせば、笑顔の彼女が扉から出てきた。

こうして、彼女が実家から野菜をもらう度に俺の元を訪れてはそれらを使用した料理を俺が作り、彼女に還元する。というなんとも奇妙な関係が始まった。部屋に招き入れようとする危機感のない彼女に、身内や彼氏以外は気軽に上げるなと懇懇と説いて納得させたので、会うのはいつも玄関先なのだがそれでもいつしかこの時間が楽しいと思う自分がいた。
父がもうすぐゴーヤやオクラが取れるって言ってました。との言葉に、それならゴーヤチャンプル作るかと言えば楽しみですと笑顔になる彼女。楽しみなのは俺もだとは言わず、その日に作った料理を渡せば先週渡して空になったタッパーが帰ってきた。


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[今実家です。ゴーヤを沢山貰ったので、夕方届けに行きます]

週末、天気が良いから今日は洗濯物が直ぐに乾くなと洗濯機から服を取り出していた時、スマホが鳴った。彼女からだ。
メッセージと共に送られたビニール袋一杯のゴーヤの写真を見て思わず苦笑いが浮かぶ。流石にこれを全部ゴーヤチャンプルなんてのは飽きるな。他に作れそうなレシピを探しておくかとスマホをポケットにしまい、洗濯物を干しにベランダへ出れば信じ難い光景を目にして固まった。
彼女が住む隣の部屋のベランダには、本来の住人ではない若い男が1人、ベランダの柵に両腕を載せて煙草を吸っていた。外に出たきり固まる俺に気付いたのか、その男はどうもと言ってまた煙草を口に咥えた。
「どうも…」
なんとかそれだけ口に出してから、収まることのない動悸を誤魔化すように手早く物干し竿にハンガーを掛けていく。3分にも満たない時間であったろうに、体感時間はそれよりも長く感じられた。ようやく全てを干し終えて部屋に引っ込もうとすると、男は今思い出したというように話しかけて来た。

「いつも料理作ってくれるお隣さんって、お兄さんですよね。すげーうまいです。ありがとうございます」
「……いえ」

素っ気なさ過ぎただろうか。だが構うものか。いつしか彼女の為にと作っていた料理が、彼女だけでなくあの男の口にも入っていたのかと思うと腹立たしい気持ちになった。これが食べたいですとリクエストする彼女の期待に応えるべく作っていた料理は、実はあの男が食べたい料理だったのではないだろうか。
「クソッタレが…」
男がいるなら俺になんて構うなよ。俺はテメェらカップルのお抱えの料理人じゃねぇんだぞ。苛立たしい気持ちのまま、ポケットからスマホを取り出して彼女にメッセージを送信した。

[もう飯を作るのは辞める。野菜も持ってくんな]

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出勤時間をずらしメッセージも未読スルーして、洗濯物も早朝に干すようになり、極力彼女と会わない生活に変えた。それでも帰宅時などに会う時はあったが、話しかけようとする彼女に対して「疲れてるんで」と顔も見ずに告げればそれ以上は何も言ってこなかった。
そうして2週間程この様な生活が続いた時、再びベランダであの男と出会った。
その日は溜まりに溜まった有給消化のため平日休みだった。平日の昼間なら彼女と会うこともないだろうと油断していたのがいけなかった。ベランダに出れば、またあの男が煙草を片手にいたのだ。

「どーも、お久しぶりですね。お兄さん」
「どーもォ」

それだけ返して早々に男に背を向けて洗濯物を干していく。せっかくの休みに胸糞悪い奴の面を見ちまった。苦々しく思っている俺に、男は再度話し掛けてきた。
「誤解してるかもなんで、一応言っておきますが、俺、彼氏とかじゃないですからね」
なら何なんだよ。夫か?結婚してたのか?と思っている俺に投げたけられた間柄は想像してなかったものだ。

「俺、弟ですから」
「…は?弟?」

驚き振り返る俺に、あーやっぱり誤解してましたかぁと頬をぽりぽりと掻きながらスマホを差し出してきた。
「これ、家族写真です」
差し出されたスマホには、両親と眼前の男、そして彼女が犬を抱き抱えて笑顔で映っていた。スワイプしていくと、彼女の誕生日祝いなのだろう。ケーキを前に満面の笑みを浮かべる彼女と母親、そしてやはり眼前の男がやる気無さそうに映っていた。

「姉貴のこのアパートの方が大学に近くて、つい寄っちゃうんですよね。彼氏いないからまぁいっかと思ってたんですが、貴方が彼氏になるなら来るのは控えます」
「…」
「姉貴、いつも実家で嬉しそうに貴方の事を話してますよ。すごい料理上手な人が隣にいるって。それだけじゃなくてとっても優しい人だって。このアパートに決めて良かったとも言ってました」
「……」
「脳天気だから就職のためとはいえ一人暮らしに反対だった両親も、貴方の事を聞いて少し安心したみたいです」
「…アイツは危機感なさ過ぎだぞ」
「ですよね。それもあって、俺がちょくちょくここに来るよう両親に言われてるんです」
「そうかい…」

先程までのささくれ立った気持ちが嘘のように穏やかになっている。脇に抱えた洗濯物の残りを少しずつ、ゆっくりと物干し竿に掛けていく。
「でも最近、貴方に会えてないって元気がないんです。もし貴方にその気があるのなら、姉貴は今日、7時に帰ってくるので会ってあげてください」
俺からは以上ですと再度煙草を口に咥えた弟に礼を言えば、彼は初めて俺の前で笑った。その笑顔はどことなく彼女と似ていて、ああ、本当に姉弟なんだなと思わせる笑みだった。


買い物に行こう。
彼女が好きな物を作ろう。
そうして帰宅した彼女に料理を渡して気持ちを伝え、家に上げてもらいたい。
笑った彼女が見たい。

その思いでいっぱいだった。



20210624
20210820加筆修正


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