フィットネスジム キメツへようこそ 前(現パロ)
5月末だというのに、真夏のような暑さに辟易しながらやっとの思いで帰宅した。買い物で少し外出しただけなのに、汗だくになり肌を刺すような痛みがあった。そのうち夏服を出そうと先延ばしにしていた過去の自分を恨みつつ、夏服を探し出す。
シャワーを浴びて下着の上にキャミソールを着ただけの状態でクローゼットを漁るのは、実家にいる母が見たら眉を潜めそうであるが一人暮らしの今はそんな事は関係ない。
あったあったと、昨年頻繁に着ていた半袖のTシャツをキャミソールの上から着ようとした。だが、思うように袖に腕を通すことが出来ない。こんなにもキツかったかしらと疑問に思うも、半ば力任せに両腕を通してから姿見で確認すれば唖然とした。

「太ってる...」

大昔に流行ったピチTを彷彿とさせる自分の姿に、先程まで感じていた暑さは消え、一気に寒くなった。ゾッとしたからだ。
これはダイエットをしなければと決意を固めた瞬間である。



「名前さぁ、少し太った?」
昼休み中、一緒にお弁当を食べている同僚に投げつけられた言葉に、つい先日の自分の姿を思い出しグッと息が詰まる。
6月に入り会社で着用を義務づけられている事務の制服も夏仕様に変わった。久方振りに袖を通すそれに、再度自分の体型が変わったのだと痛感させられたばかりだ。

「やっぱり分かる?」
「わかる。顔も何となく丸くなったし」
「いやー!もっと早く言ってよ。私なんてつい最近気付いたのよ」

頬に手を当てムンクの叫びよろしく震える私を見て、同僚はおかしそうに笑う。

「ああ、だから白米の代わりにキャベツ入ってるんだ」
「糖質制限が手っ取り早いかなぁと思ってさ」
「でも変に制限すると髪の毛とか肌とかボロボロになるらしいよ」
「えー、そんなぁ」

あからさまに落ち込む私を見て、同僚はランチバックからいそいそと取り出した物を私に寄越してきた。それは1枚の紙だ。
「だかさら、私とそこで健康的に痩せようよ」
私も痩せたいのよね。体験して良かったらそのまま一緒に入会しようよとの同僚の言葉をBGMに、受け取った紙を読んでいく。

体験入会受付中と大きいフォントで書かれたそれは、先月会社の近くにオープンしたジムの会員募集のチラシであった。オープン記念として、今なら格安で1ヶ月間の体験入会ができるようだ。プール、シャワー、サウナ完備。各種プログラムとマシーンを豊富に取り揃えてお待ちしています。と書かれた下に、2人以上で体験入会ご希望の方は更に割引致しますと書かれている。
「会社帰りに寄れるし良いでしょ?しかもここ、インストラクターがイケメン揃いで人気なんだって」
イケメンの前で必死な顔を晒すのは抵抗があるなと思わなくもないが、これは良いかもしれない。この弛みに弛みきった我が儘ボディを矯正する絶好の機会ではないか。短期間でどこまで痩せられるかはわからないが、プールや海に行って水着を着ても恥ずかしくない体になりたい。そしてここでシャワーを浴びて帰れば光熱費の節約にもなる。
「うん、いいね。行こう」
私の返答に満足した同僚は、じゃあ電話するねと席を外す。フットワークが軽い。暫くして電話を終えた友人は、明日18時にジャージなどの動きやすい服、上靴、タオル、シャワーを利用するなら必要な物を持参するように言われたと教えてくれる。
早速終業後に2人でジャージなどの買い出しに出掛けようと約束してお昼を終えたのだった。
もしかしたら1ヶ月で辞めるかもしれないという事は、すっかり頭から抜け落ちていたのである。


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翌日の定時後、私達は会社から10分程の場所にある真新しい建物の前に立った。
モダンな外観に『フィットネスジム キメツ』と大きく掲げられた看板が目立つ。2階を見上げれば、上半分がガラス張りになっている為ランニングマシンを使用している人の姿が見える。
ジムなんて初めてだとドキドキしながら自動扉を潜れば、目の前には広く綺麗な受付。そのすぐ右隣には入口のドアがある一面がガラス張りになっている部屋があった。

受付に進み名前を伝えれば、笑顔の可愛い女性が歓迎してくれた。
「フィットネスジムキメツへようこそ。体験入会の方ね、お待ちしていたわ。今案内をしてくれるインストラクターを呼ぶから、こちらに座って申込書を書いて待っていてね」
そう言って女性が受付の奥に消えてしまってから「インストラクター来るって。遂にイケメンとご対面だ」「イケメンしかいないわけじゃないでしょ」と記入欄を埋めながらコソコソと会話をする。そうしてやってきた人物はイケメンではなかった。
何故なら相手が女性だからだ。アイドル顔負けの可愛さの上にスタイルが良い。別の意味でドキドキしてしまう。

「こんばんは。甘露寺さんから聞いていますよ。体験入会をご希望されている方達ですね」
「ええ、そうよ。皆さん、この方はインストラクターの胡蝶しのぶさんよ。これから施設の案内をしてくれるから、わからないことがあったらじゃんじゃん聞いてね」

いってらっしゃーいと笑顔で見送ってくれる受付のお姉さんを残して、しのぶさんと呼ばれた女性の後についていく。先ずは着替えをしましょうと更衣室に通され、シャワーやサウナ等の簡単な利用方法を教わった後、外で待っていますね。と退室していった。

「すごい可愛い人だった」
「いい匂いがした」

イケメンの事など頭から抜け落ちた私達はほわほわとした気持ちで話し合う。受付の女性も可愛かった。男性インストラクターはイケメンだというし、ここは顔採用でもしているのかと疑うほどである。

その後ジャージに着替えた私達は1階にあるプール、ヨガやピラティスなどのプログラムを行う部屋や休憩室等と施設案内をされた。
2階に上がり最後に案内された部屋はトレーニングルームである。
「まず来たら此処でストレッチをしましょう」
トレーニングルームに入ってすぐがストレッチコーナーだ。
40インチ程はあるであろうテレビには、女性がストレッチをする姿が映し出されており、それらが見える位置には等間隔にヨガマットが敷かれている。
ループ再生されているので映像に沿ってストレッチをしていき、やり始めた所に戻ったら終了となる。
「軽視されがちですが、疲れを翌日に残さない為にもトレーニング前後にしっかりやることをお勧めしますよ」
なるほどと納得していると、早速やってみましょうとの呼び掛けに私達はヨガマットに座り込んだ。


ストレッチが終わると部屋の中央の壁に沿って設置されているジムカウンターに移動して体重や身長、体脂肪率等の測定だ。ドキドキしながら体スキャンをすれば、数値として突き付けられたら己の体に絶句する。同僚がチラリと覗き込んで「うわっ、やばっ」と小声で漏らしたのがしっかり聞こえた。
「皆さん最初はそんな感じですよ。1ヶ月といえど真面目にやれば、成果は必ず出ますから焦らずにやっていきましょう」
しのぶさんがにこりと笑顔でフォローしてくれる。優しい。好きになっちゃいそう。ジーンとしている間に同僚も計測を終えれば、ここに来た一番の目的を聞かれたので「ダイエットです」と2人で即答した。
メニューを考えるので特に鍛えたい部位はどこかとの質問に、気になる所を2人で片っ端からあげていくと「全身ですね」と笑顔でバッサリと言われた。
「そうですねぇ...」
うーんと考え込んだ矢先、私達の背後から声が掛かる。

「胡蝶。時間だから変わる」


何故だろう。この声がひどく懐かしいものに感じられた。気になって声のしたほうを振り向けば、本日2度目の絶句だ。

「あら不死川さん。今体験入会のお2人のメニューを組もうとしていた所なんです」
「ああ、わかった。そっから先は俺が進めていくわァ」

空調が利いているハズなのに汗が流れ落ち、心臓がドッドッと激しく動く。

ーーなんでここにいるの!?

柔らかそうな銀の髪に紫の瞳、顔に走る古傷。
間違いない。
今し方現れた彼、不死川実弥は名前の高校時代の元同級生である。

同級生といっても、2年生の時に1年間だけ同じクラスになっただけで、会話らしい会話も特にせず終わった。人数が多い学校だったので、余程の事がなければ3回変わるクラスメイト全員の名前と顔は一致しないだろう。

ならば何故私は彼を知っているのか。答えは簡単だ。密かに片想いをしていたからである。元々クラスが一緒になる前から彼のことは知っていた。私が所属していたバスケ部と彼が所属していた剣道部は、体育館の半面ずつを使い部活をすることがよくあった。1年生の時にその見た目とは裏腹に真面目に剣道に取り組み、同じ部員の粂野君と楽しそうに笑い合う姿を見て心惹かれたのだ。
2年で同じクラスになれた時は飛び上がるほど喜んだが、何も進展せずに3年に進級してクラスが別れた。

懐かしいやらこんな場所で出会うとは、あの頃も格好良かったけど、より精悍な顔つきになっていて益々格好良いと様々な感情が激流のように押し寄せる。
呆ける私に「イケメンキター!」と同僚が耳打ちしてきたが、うまく笑えていたか自信がない。

「私はこれで失礼しますね。最後までついていられなくてごめんなさい。彼はインストラクターの不死川さんです。顔は怖いですが優しいので緊張しなくて大丈夫ですよ」
「顔が怖いは余計だろォ」

そうしてしのぶさんが軽く頭を下げてこの場から去っていく。

ーーダメ!行かないでぇ!

心の叫びも虚しく、不死川君はしのぶさんから受け取ったパーソナルデータを手に取り喋り出す。
「えーっと、名字名前さんねェ。目的は全身ダイエット。体重と体脂肪率が...」

いやーーーーーーー!!!!!!

やめて!見ないで!なんでよりにもよって昔好きだった不死川君にこんな酷い数値を見られなきゃいけないの!?最悪だ!穴があったら入りたい。今すぐ帰りたい!体験入会取りやめます!と叫びだしたい気持ちを必死に堪えた。
喜ぶべきか悲しむべきかわからないが、不死川君は私の事を見ても何の反応も示さないので、恐らく私のことを忘れているのだろう。今日はとにかくやり過ごして、明日から行くのを止めよう。お金は戻ってこないだろうが心の平穏が買えるなら安いものだ。

そんな私の心情を知ることもなく、不死川君はそうだなァ、と少し考えこんでから同僚のデータも見て一連のメニュー提案してくれた。トレーニング名を言われてもサッパリな反応を示す私達に笑い、先ずは一つ一つやっていきましょう。とマシーンに案内された。ウェイトのつけ方を始めとした使用方法を教われば、不死川君が見本として実践してくれた。

「まぁ。こんな感じです。では10 回、名字さんからやってみましょう」
「あ、はい」

不死川君の前で必死な形相とか本当にしたくない。その一念で顔を取り繕いつつも、最後の方は筋肉が悲鳴を上げるのを宥め賺して10回終わらせた。

「余裕そうですね。次やる時はウェイトを1つ追加してやってみるようにしましょうか」
「え!?無理です!今ので精一杯でした!」
「そうですか?まぁ最初から無理するのも良くないですからね」

ふっと笑う表情を見て、やっぱり格好良いんだよなぁと思う。昔だってそれはそれは格好良かったのだが。鍛え上げられた上半身はインストラクターの制服だと思われる黒いシャツを着ていても分かるほどだ。下半身は足首まである黒いジャージを履いているのでわからないが、恐らくこちらも引き締まっているはずだ。
あの端正な顔立ちに素晴らしい体躯。加えてインストラクターという肩書き。絶対に今もモテているはずだ。
現に近くにいる若い女性会員さん達だって彼のことをチラチラと見ている。
そうして次のマシーンを教えて貰う為に移動していると、女の人から声を掛けられた。

「不死川さーん、私も見てくださいよぉ」
「ああ、今案内中なので他のインストラクターを呼びますよ。おーい冨岡ァ」
「えー、私は不死川さんがいいのにー」
「俺は今、手が放せないので」

どうぞどうぞ!その女性についていてあげてください!そう言いたい気持ちを押さえていると、不死川君に負けず劣らずのイケメンが現れた。上はやはり黒いシャツだが青いジャージを履き、髪の毛を後ろで一つに縛るその男性は、男のロン毛はちょっとね。と思う私ですらイケメンと思う人であった。
ーー眼福だぁ
そんな思いでジロジロ見過ぎたせいか、冨岡さんと呼ばれる人と目があった。

「何か」
「あ、すみません。何でもないです...」
「オイ、冨岡ァこの方を」

そう話し合う2人の姿を眺め、更に他の会員さんについているインストラクターさん達を見て思う。
ーー本当にこのジム、イケメンや美女、可愛い系ばかりじゃないか。

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「はー、サッパリした」
約1時間の案内を受けて解放された私達は、今日はこれでと更衣室に引き上げシャワーを浴び、更にはサウナまで堪能してジムを出た。

「イケメンいっぱいで眼福だし、あのジムいいね」
「うーん。でも私は行くのはもう止めようかな」
「なんで!?1人で行くのが寂しいから名前を誘ったんじゃん」
「なんかやっていけるか心配になっちゃって」
「メニューキツいの?なら相談して変えて貰ったら?」
「うーん...」

昔好きだった人がインストラクターとしているから。なんて正直に言えば、恋愛話大好きなこの同僚は間違いなく食いつき、むしろチャンスじゃんと押すだろう。それは勘弁だ。
煮え切らない私の態度に、何か察するものがあったのだろう。強硬手段に出てきた。

「名前、これを見なさい」
「え?......こ、これは!?」

言われるがままに差し出されたスマホを見れば、私と同僚の推しバンド「JO-GEN」のライブチケット当選のメールであった。しかも前から3列目という神席だ。

「無事に痩せて、ライブTシャツをスマートに着こなす名前と一緒に行きたかったんだけど...仕方ないわね。他の人と行くわ」
「待って!!行く!ジム一緒に行くからライブ連れて行ってぇ!」

懇願する私に同僚はニヤリと笑ったのだった。


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翌日、トレーニングルームに顔を出せば不死川君としのぶさんがジムカウンターにいた。私達の存在に気付き「2日連続ですね。素晴らしいですよ」とにこやかな笑顔で誉めつつ、ジムカウンターの背後にある棚から私達のファイルを取り出して差し出してくれる。

昨日計測した体重等を記入した紙の裏面には、組んでもらったメニューが縦軸に書かれている。横軸には日付、各トレーニングの回数や時間、ウェイトの量を記入していくようになっており、トレーニング量が可視化できる表になっている。そうしてトレーニングを終えてジムから帰る時にはまたデスクに戻す仕組みなのだ。

「昨日やってみたら案外楽しくて。あ、でもこの子はついていけそうにないから、昨日で止めようかな、なんて言ってたんですよ」
「へぇ...」

同僚の言葉を聞き、不死川君が意味あり気にこちらを見てくる。一瞬目が合うが気まずくて咄嗟に視線を足元に移したまま動かせない。ついでに体も動かない。
俺が考えてやったメニューに何か不満でも?と怒っているのかもしれない。
「ならもう一度メニュー組み直しますかァ。名字さん、そこ座ってください」
有無を言わさぬ態度でジムカウンターに併設されたテーブルを指し示す。良かったね!と悪気のない同僚に見送られて恐る恐るテーブルについた。

「どの辺りでキツいと思ったんですか?」
「あ...えっと、このトレーニングで足が痛くて」

僅かにだが、足が痛んだのは本当だ。高校を卒業して以来運動らしい運動をしていなかったので、こんなにも体力が落ちていたのかと愕然としたのもまた事実だ。

「これかァ。名字さんならいけると思ったんだがなァ...」
「え...?」

私の小さな疑問は流され、なら代わりにこういうのはどうかと、再度マシーンの前に連れて行かれてレクチャーを受けた。

「これならやっていけるかも、です」
「ん。じゃあこれで進めていきましょう。それでもキツいようなら、ウェイトをもっと減らして、無理せず取り組んでください」
「ありがとうございます」
「いえ。また何かあったら遠慮なく」

去っていく不死川君を見送り一息ついて周囲を見回す。昨日はそれどころではなかったため観察が出来なかったが、平日の夜という時間帯のせいだろうか。仕事帰りと思われるサラリーマンや女性、大学生らしき男女もいる。それぞれ黙々とマシーンに打ち込む姿は、バスケ部時代の自主練を想起させ懐かしい気持ちになる。せっかく新しいメニューを考えてくれたんだし、しっかりやっていこうと気持ちを改めて同僚の元へと向かった。
そうして何とか全てのトレーニングを終え、ファイルをジムカウンターに戻す時にも不死川君はいた。
「お疲れさまです。今日も頑張りましたね。また来るのを待ってます」
そう言って不死川君は穏やかに笑う。

何だか私1人であたふたしていて滑稽だな。不死川君が私の事を忘れているのなら、私さえ気にしなければいいんじゃないか。体を動かす感覚も僅かながらに思い出し、楽しかった。正式入会するかはまだ悩むが体験入会はしっかりやり遂げようと決めたのだった。


20210612


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