不可視も積もれば(現パロ)
自宅アパートでベッドのフレームに背を預け、ぼんやりとテレビを流し見ていると、突如自宅のチャイム音が鳴り響いた。
玄弥達兄弟なら来る前に必ず連絡を寄越すから真っ先に可能性として除外する。宅配便を頼んだ覚えもない。すると宗教か新聞の勧誘か。はたまたアイツか。
いや、十中八九アイツだろう。ドアホンを見るまでもなく、相手が誰かなんて解っている。だが念のためにと、映し出された画面を見れば予想通りの人間がそこにいた。
俺の実家の隣に住む幼馴染みの女性、名字名前である。名前はカメラに向かってニコニコと笑いながら手を振っている。

幼少期に俺の実家の隣に引っ越して来て以来、一人っ子のコイツは俺の事を「実弥兄」と呼んで同い年である玄弥と共にしょっちゅう後をついて回ってきた。そうしてそれは、俺が大人になり就職のため実家を出た今も続いている。

玄関の扉を開けるや否や、じゃーんと自分で発する効果音と共に、俺の顔に突きつけてきたのは名刺サイズの物体。近過ぎる為顔を後ろへ反らせて見直せば、それは運転免許証であった。
「見て!遂に私も免許取ったよ」
そういえば春休みを利用して、玄弥達と免許合宿に行くと言っていたっけか。
高校卒業間近になれば、大抵の生徒は自由登校を利用して免許取得に勤しむ。だが、教習費用を見た弟の玄弥は、自分でバイト代を貯めて取るよと健気な事を言ってきた。まだまだ下に小さい弟や妹がいる事による配慮なのだろう。高額な費用なのだから、俺も少し出すと申し出たのだが、そんなに急いで取る必要もないからと断られた。
それを傍で聞いていた名前も、私もバイト代貯めて取ろうかな。玄弥、一緒に頑張ろうね。と笑顔で言っていたのを覚えている。
そうして大学2年が終わる春休みに、満を持して取得のために合宿に行くと聞いたのが1月の終わりの事だ。

「いつもは実弥兄に運転して貰っているから、今度は私がドライブに連れて行ってあげるね」
「いや、いいわァ。まだ死にたくねぇし」
「ちょっと!」

自分が運転免許取立の頃なんて、怖くてなかなか人を乗せようとしなかった。自分の両腕と足に、自分以外の命が懸かっているのだから誰もが緊張するはずだ。
はずなのだが、コイツにはそういったものが備わってないのだろうか。

「どこか行きたい所ある?ないならあそこ行こうよ、鬼舞辻ランド」
「おい、免許取り立てで高速に乗るほど遠くに行くとかマジで止めろォ」
「えー、じゃあ産屋敷牧場」

口を尖らせながらも渋々と納得する姿はガキの頃と変わらない。そしてすぐににこりと笑い、別の候補地を挙げてくる。この切り替えの早さも昔から変わることはない。
「まぁそこならいい」
産屋敷牧場はここら辺から40分ほどの場所にある観光牧場だ。山の中腹辺りに位置するため、どうしたって峠道を走らねばならないが、そこに至るまでに急なヘアピンカーブはなく、登板車線がほぼあるため初心者といえど走りやすい道だろう。何よりも名前が良い。
今度の土曜日、1時に家に来てね!と一方的に言い残して帰る所も変わらない。
土曜日に俺に予定が有ったらどうするつもりなんだと、ハァと溜め息をつく。
まぁ、予定があったとしても、可能な限り調整するのだが。

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そうして迎えた土曜日。
先ずは自分の実家に顔を出すかと玄関を開けると、何故か家の中から名前の声が聞こえてきた。 
「あ、実弥兄お帰りー」
リビングのドアを開ければ、最早自分の実家のように寛ぐコイツと、兄弟達から帰宅を喜ぶ声が掛けられた。

「ねぇ、今日産屋敷牧場行くんでしょ?僕も連れてってよ」
「名前姉ちゃんと実弥兄ちゃんはデートで行くんだから、邪魔しちゃダメよ」
「ごめんねー!今日は実弥兄と2人で行きたくて。今度連れてってあげるよ」
「デートじゃねェ...」

きゃあきゃあと一頻りそんな会話をすれは、よし!と名前が手の平をぱちんと合わせた。

「実弥兄行こうか!大船に乗ったつもりでいてよ」
「不安しかねェ...玄弥、一緒に行かねェか?」
「え、俺もまだ死にたく......いや、2人の邪魔しちゃ悪いから遠慮しとくよ」
「ちょっとちょっと!これでも先生に筋が良いって褒められたんだからね」

心外だと言わんばかりに頬を膨らませれば、やはりすぐににこりと笑いながら腕を掴まれた。そうして半ば無理やり外に連れ出され、向かった先は隣のコイツの家。庭に停められているよく見知った白い軽自動車は、コイツの母親の車なのだがそこには真新しい初心者マークが貼られていた。
「お母さんが、配偶者限定から家族限定に保険を変えてくれたの」
にこにこと説明しながら運転席に座る姿を外から眺めていると、一向に乗ろうとしない俺に気付き、助手席をポンポンと叩いた。早く乗れという意味だろう。
無事に戻って来れますように。もし俺が死んだらアパートにいるカブト虫の幼虫の世話は頼んだぞ、玄弥。腹を括って助手席のドアを開けたのだった。


だが、予想に反して危なげな運転をする事もなく、これなら免許取り立ての初心者にしてはまぁまぁではないだろうかと、乗って少ししてから気付いた。
筋が良いと褒められたというのは強ち嘘では無かったのか。来る衝撃に備えてアシストグリップを力強く握る手を緩めれば、僅かに汗が滲んでいる。
横断歩道を渡ろうと待っている親子に気付き、減速して歩道前で止まったかと思えば、ぺこりとお辞儀をして渡る親子に笑顔で手を振る余裕さえあった。そうしてそのまますすっと進み赤信号で止まる。

「私の運転、どう?」
「まぁ、思ってたより悪くはねェな」
「でしょー!」
「あるとすれば、信号で停止する時にもう少し前の車との車間距離を開けろ。最低でも前の車の後輪が全て見える位開けて止まれ」
「結構開けるね」
「後ろから突っ込まれた時に玉突きのリスクを減らすためだ。自分の身を護る為でもあるんだから、そこはしっかりやっとけェ」
「はーい」
「あと対向車が来てる時に右折するかどうかの判断だが、少しでも迷ったのなら行くのは止めろォ。迷った分時間ロスしてる上に状況変わってんだから無理するな。判断するなら瞬時にだ」
「はーい」
「それから...」
「まだあるの!?もう後でいいよ!」

もう勘弁してという声色で叫ぶが、まだまだ言い足りない事はある。お前のためを思って言っているのだからしっかり聞けと言いたいが、一度に色々と言うのも消化不良を起こすので良くないかと思い口を噤んだ。同時に信号も青に切り替わり、車は緩やかに走り出す。
大きく開け放たれた窓からは、そよそよとした風が流れ込み、俺の髪の毛を優しく撫でる。そういえばいつも運転してばかりで、こうして誰かの運転で助手席に座るなんて事は無かったな。いつもはまじまじと見ることが出来ない街の景色も、助手席から見るとこうなのか。
ちらりと横を見れば、オーディオから流れる曲に合わせてふんふんと鼻歌を歌いながら上機嫌でいる。こうして見る景色も悪くないかもしれない。
街中から山道へと差し掛かるにつれ民家も少なくなり、代わりに緑の木々と頬を撫でる風が涼しさを増していく。それに比例するように唸りを上げるエンジン音が大きくなっていく。四駆ならもう少しスムーズに登るだろうから二駆か。まぁ好き好んで山道を走らない限り二駆でも充分だろう。つくづく登板車線が多い道で良かった。続々と現れる後続車に追い抜かされても、本人は気にすることなく運転をしている事にホッとする。


「着いたー!」
「おー。おつかれさん」

広い駐車場は牧場の出入口付近に車が密集していたため、離れた場所でバック駐車をやらせた。ここなら車が少ないため、何度切り返しても迷惑にはならないだろうとの判断からだ。ゆっくりでいいから集中しろとの声掛けに、真剣にバックミラー、サイドミラー、バッグモニターを見つつハンドルをきっていく。3度程切り返してからギアをパーキングにいれてエンジンを切れば、ヘッドレストに後頭部を預けて車内の天井を見上げていた。
運転初心者が40分程の道のりを、危な気なくここまで来れたのだ。相当集中力を要したのだろう。流石に着いた時には若干の疲れの色が浮かんでいる。

「疲れたろ。アイス食うか?奢ってやる」
「食べる食べるー!実弥兄大好き!」

へいへいと、何度も聞き慣れた好きを流して牧場内の売店へと向かい好きなものを選ばせた。牛や羊などの動物を眺めたり触れ合いコーナーに行き小動物を堪能すれば時計は4時前を指している。
次どこ行こっかと案内マップを広げる名前の手からそれをやんわりと取り上げた。

「いや、そろそろ帰る」
「えー、もう帰るの?せっかくここまで来たんだから、もう少しゆっくりして夕飯ここで食べていこうよ」
「ダメだ。暗くなる前に家に着くぞ」

一般的に薄暮時は事故が多いといわれている。明るく集中力が切れる前に帰宅した方が無難な為そう言っているのであって、決して意地悪で言っているわけではない。

「...じゃあさ、また一緒に来てくれる?」
「わかったわかった」
「今度は、幼馴染みとしてじゃなくて、恋人として来たいんだけど」

その言葉の意味が解らないほど鈍感ではない。というか、コイツが昔から俺に対して好意を持っている事は歴然であり、好きだの将来結婚してだのを幼少期よりずっと言われ続けていた。それは年上に憧れるこの時期特有の一種の熱病のようなものだとばかり思っていた。たが、高校生の時に付き合ったばかりの彼女と一緒に下校している所を見られた時、本気だったのだと悟った。
「もしかして、実弥兄の彼女?」
俺の隣にいる女性を見るなり発せられたその言葉に、多少の気恥ずかしさと気まずさを感じつつも肯定すれば「そっかぁ」と今にも泣き出しそうな顔をした。そしてすぐににこりと笑い「邪魔しちゃいけないから、行くね」とくるりと背中を向けて消えてしまった。
正直、なんで彼女なんて作るの!と泣き喚かれるかと構えていたのだが、存外あっさりとした反応に、何故だか俺の方がショックを受けていた。
翌日登校のため家を出るとバッタリ名前と鉢合わせた。何時ものようにおはようとも言わず、真っ赤に泣き腫らした瞳を隠すように走り去っていく名前を見て、真っ先に感じたのは罪悪感だ。そして次にじわじわと肺腑から滲み出た感情は我ながら悪趣味だと思う。
程なくしてその彼女とは別れた。別れた事を知ると、一時期止んでいた「実弥兄好き」という言葉がまた名前から聞こえるようになった。そうして、その度にありがとなァだのお前が大きくなったら考えてやるだの、そんな事より課題やったのかとはぐらかして此処まできたのだ。


「私はもう、お酒も飲めるし車の運転だって出来るくらい大きくなったよ」
「......」
「大きくなったから、現実だってイヤでも見なきゃいけなくなっちゃった。だから、これで最後にするから。実弥兄、好きだよ」

珍しく酷く真剣な表情で言うのだから、最後という言葉も本気なのだろう。
ここで、これまでの様にはぐらかせば、やはり「そっかぁ」と気持ちを切り替えてにこりと笑い、帰ろっかと言うのだろう。いつもと同じ様に。
そうして、今ぎゅっと結ばれた唇からは、もう二度と俺に対する好意の言葉が紡がれる事はないのだろう。


そうだな。
お前は大きくなったよ。車の運転も出来るようになったし、助手席という珍しい景色も見せてくれた。それだけではなく、いつの間にか引き際も自分で決められるようになってしまっていた。そんな事、出来るようになんてならなくて良かったのに。
本当は、大学を卒業するまで待っているべきだと思っていた。だがこれで最後と言われたのなら、もういいよなァ。
むしろ自分はよく我慢したと思う。

「...今度来る時は、俺が運転してきてやるよ。此処だけじゃなくて、お前が行きたい所はどこでもな」

そう口を開けば、やはりにこりと笑うと思っていた。だが、俺の予想に反して名前は両の瞳からボロボロと涙を零し、突然ワァと泣き出したのだから、ギョッと慌ててしまった。広い芝生で泣く名前を他の観光客が遠巻きにチラチラと見ている。注目を浴びている事に焦り、泣くなとオロオロする俺に気付いた名前は今度こそにこりと笑ったのだった。



20210520


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