Crime and Punishment keitai | ナノ




黒い瞳

「、」
 黒い髪、黒い瞳。あまり高くはない身長。
 ミーティングルームに入った瞬間、逆光のなか窓辺に立っているシルエットによって喚起させられたあまりにも懐かしい既視感に、オミは一瞬言葉を失った。
(スパロウ……)
「あ、オミ。カナエ見なかったか?」
 そのシルエット――タマキはオミの姿を認めると、記憶のなかの人物とはまるで違う、明るい響きの声で話しかけてきた。
「……」
 ああ、これは自分の従者ではない――そんな当たり前の事実に、オミは今更ながら鈍いショックを覚える。乳兄弟の彼は、こんな陽だまりのような喋り方じゃなかった。もっと雪のようなひそやかな声で、落ち着いたトーンで話す男だった。
 入口に立ち尽くしているオミを見て不思議そうに小首を傾げていたタマキは、突然なにかを思い出したように満面の笑みを浮かべると、
「そうだ。オミ、おめでとう」
 と、やはり明るい声で言った。何のことか思い当たらず眉をひそめたオミに、タマキは重ねて言う。
「近衛庁が、フジナミ侯爵の冤罪を発表しただろ?」
「ああ……そのことか」
 オミは合点が行ったというように軽く頷くと、
「そうだね……一応ありがとうと言っておくよ」
 と、あまり感情の篭ってない声で言った。タマキはキョトンとした表情をする。
「あんまり嬉しくないのか?」
「嬉しいと言えば嬉しいけど……そうだね、正直言って複雑だな」
「え?」
「だって、いくら父親の汚名が雪がれたって、息子がテロリストじゃ意味ないというか、余計に悪いでしょ」
 オミはそう言うと、ふっと唇を歪めて自虐的な笑みを漏らした。
「――父親は他の華族連中から無実の罪を着せられて、爵位を奪われた挙げ句拳銃自殺した。母親はそのショックで精神を病み、まるで後を追うようにすぐに死んだ。ずっと母親の看病をしていた妹は、母親の死後屋上から飛び降りて、なんとか一命を取り留めたものの、いまでもずっと眠ったままだ」
 まるで他人事のように、オミは淡々と言う。
「すべてを奪われ、国や華族連中を恨んで絶対に許せないと思ってテロリストになったけど……でもいま父親の無罪が証明されてさ、そしたら残ったのは俺が元テロリストで、華族連中だけじゃなく多くの関係のない人々の命まで奪った凶悪な犯罪者だっていう事実だけだよね」
「オミ……」
「まあ、それでももちろん、父が無実だったってことが発表されたのは良かったと思ってるけど」
「……」
 何と声を掛けていいか分からず、タマキはそっと気遣わしげな眼差しをオミに向ける。視線が合うと、オミは軽く声を立てて笑った。
「……言っておくけど、べつに復讐のためにテロリズムに身を投じたことを後悔しているわけじゃないよ」
「え?」
「たしかにきっかけは復讐だったけど、特権階級である華族だけが政治を動かすこの国のやり方は間違ってると思っているし、俺がその前時代的なシステムを崩壊させてやりたかったっていうのも本当だからね」
 一旦言葉を切ると、オミはふと、タマキに質問を投げかける。
「ねえ、テロリズムってなんだと思う?」
「……なんらかの政治的な目的を、暴力的な手段を用いて恐怖を与えることによって実現しようとすることだろ」
 オミの質問の意図が掴めないまま、テロリズムの定義を思い出しながら、タマキは慎重に答える。
「そうだね、その通りだ」
 オミはあっさりと首肯すると、どこか挑むような口調で言葉を継いだ。
「テロリズムは悪だし、野蛮な行為だよね? いくら政治的な目的のためとはいえ、多くの関係ない人間の命まで奪っちゃってるんだからさ。……でも、もし俺がテロによって華族制度を崩壊させて、この国の頂点に立つようになってたとしたら、俺がやったことはテロじゃなくて革命って呼ばれてたんじゃないの?」
「オミ……?」
 タマキのどこか咎めるような視線を受け止めながら、オミは続ける。
「たしかに俺は元テロリストで、俺がやっていたことも単なるテロリズムでしかないよ。……だけど、資本家階級の支配を労働者階級が打倒する市民革命は、世界的には正当なものとして受け止められているよね? じゃあ、俺のやったことが絶対に間違っていたなんてことは誰にも言えないんじゃないの?」
「……っ」
「だから俺は、失敗はしたけど後悔はしていない。俺はあくまでも、自分が信じたことを、正しいと思ったことを貫き通そうとしただけだ」
 オミはそうはっきりと口にしたあと、自嘲するように薄く笑った。
「……それに俺が後悔なんてしたら、ヒサヤの死が完全に無駄なものになってしまうしね」
「オミ……」
「ごめん、つまらないはなしだったね」
 オミは小声で謝罪すると、気分を変えるように軽くかぶりを振る。それから、ふと思い出したように口を開いた。
「あ、そうだ……カナエだけど、さっき会ったよ」
「え?」
「教会で偶然会ったんだ。まだいるかは分からないけどね」
「……オミ、教会に行ってたのか?」
 タマキは意外だというように、パチパチと瞬きをする。
「ちょっと静かなところで考え事をしたくてね。カナエとも色々話したよ」
「へえ……なんだか珍しい組み合わせだな」
「そう?」
「普段オミとカナエが喋ってるところってあんまり見ないからさ」
「ああ……そういえばそうかもね」
 オミは自分でも納得したのか軽く頷いてから、ゆっくりと口を開いた。
「さっきカナエから、色々興味深いはなしを聞けたよ」
「え?」
 首を傾げたタマキに、オミはどこか意味深な表情で笑いかける。
「カナエは、アマネのことを愛してたって」
「、」
 オミの言葉に、タマキは一瞬だけわずかに瞠目する。それから、そっと瞳を伏せて、そっか、と小さく呟いた。
「ショックじゃないの?」
「ん……知ってた、から。カナエは自分で気付いてないみたいだったけど」
「そうなの?」
 オミは意外そうに言う。タマキは彼らしくない少し気弱な笑い方をした。
「前にさ……あのヘリの爆破の前に、カナエにアマネのことをどう思ってるのか訊いたことがあるんだよ。そのときあいつは、自分の気持ちをなんて説明すればいいのか分からないみたいだった。でもさ……言葉に出来ない気持ちを抱えてるなんて、それってアマネを好きだってことじゃないか……」
「ああ……成程ね」
 先ほど教会でカナエに聞いたのと同じはなしだ。そのときすでにタマキがカナエのアマネに対する想いに気付いていたという事実に、オミは静かに驚いた。
「カナエ本人は、タマキは気付いてないと思ってそうだけど」
「……だろうな」
 呟いて、タマキは自嘲するように乾いた笑みを漏らす。
「分かっていてそれを指摘しなかったのは、俺がアマネに嫉妬してたからだよ」
「え?」
「俺はカナエがアマネを好きだってことを……愛してるってことを知ってたんだ。知ってたのに……俺はあいつにアマネを殺させてしまった……」
 タマキはふと苦しげに顔を歪めた。
「カナエが……アマネへの気持ちを自覚した上でアマネを殺したのなら、まだいいんだ。でもたぶん違う……カナエは、自分がアマネのことを愛してるってことを自覚しないまま、アマネを手に掛けてしまったし、そうさせたのは俺だ……」
 まるで血塗られたものであるかのように自身の掌を見つめたあと、タマキはぎゅっと拳を握り締め、絞り出すような声で言った。
「あれはカナエの罪じゃない……あれは、俺の罪だ……っ」
「タマキ……」
 沈黙が、部屋のなかを重々しく満たした。
 唇を強く噛みしめて俯いているタマキの睫毛が、細かく震えている。彼のつむじあたりを見下ろしながら、オミはやがてぽつりと呟いた。
「ふうん……でもちょっと意外だったな」
「え?」
「タマキは、嫉妬とかあんまりしないタイプかと思ってた」
 オミの言葉に、タマキは困ったように苦笑する。
「そんな……俺も嫉妬ぐらいするよ。聖人君子じゃないんだからさ」
「そうなの?」
「そうだよ」
 タマキは軽く頷いてから、ぽつぽつと言葉を紡ぎ出した。
「……俺は絶対にカナエをアマネに渡したくないって思ってた。単なる嫉妬だってことは自分でも分かってるし、みっともないとも思うけど……でも、カナエは物じゃないし、俺はあいつに自分のことをそんなふうに思わないで欲しかった。カナエがアマネのことを好きで、本当はアマネのそばにいるほうが幸せなんだとしても、それでも俺は、カナエには二度とアマネの所有物になんて戻らないで欲しかった。……たとえそれが、単なる俺のエゴだとしても」
 言いながら、タマキはなにかを決意したように、瞳にふと強い光を宿した。
「……タマキは、カナエがアマネの所有物であることは不幸だって思うの?」
 オミは静かに訊ねる。タマキはゆっくりと首を横に振った。
「正直、よく分からない」
「……」
「ただ、俺はカナエにはそうあって欲しくないって思うよ。たとえアマネの所有物であることが幸せなんだとしても、俺はカナエのことが好きだから、そんな自分を貶めるみたいなこと、あいつには絶対にして欲しくないし、させたくない。だってカナエは、アマネの殺人人形なんかじゃなくて、人間なんだから」
「……」
 オミはふと、眩しいものを見るような気持ちになる。
 もしかしたらアマネの所有物であることがカナエにとって幸せであるかもしれないと思いつつも、タマキはそれを正しくないことだと信じ、自分の考える正しい方向へとカナエを導こうとしている。罪にまみれた闇のなかに手を伸ばし、光の差す場所へとカナエを引っ張りあげようとしている。
(タマキ君が……いたから……)
(タマキ君が赦してくれるって言ってくれたから……だから俺は生きるよ)
「――カナエは、タマキが赦してくれるって言ったから生きるって言ってたよ」
 オミはそう小声で呟くと、不意に挑むような眼差しをタマキに向けた。
「ねえ、タマキ。カナエだけじゃなくて、俺のことも赦してくれる?」
「え……?」
「カナエに言ったみたいに、俺のやったこともすべて赦すって言ってくれる?」
「……」
 タマキは数秒間じっとオミを見つめたあと、黙って首を横に振った。
「事情は、あったと思う。でも……オミとカナエは状況とか生い立ちとかが違うから、赦すとは、俺には簡単には言えない」
「……は? なにそれ?」
 オミは鼻で笑う。タマキは固い声で続けた。
「カナエは自分の意志でやったことじゃないけど、オミはあくまでも自分の意志でやったことだから……俺が赦すとか赦さないとか、そういうのじゃないと思う」
「はあ!? カナエも俺も、やったことは同じだろ? 所詮ふたりとも大量の罪のない人間を巻き込んで殺した元テロリストで、同じ穴のムジナだ。自分の意志かそうでないかによって罪の重さが変わるなんてこと本気で思ってるわけ!?」
「……」
 オミの激昂を無言で受け止めてから、タマキは落ち着いた声で訊ねる。
「……オミは本当に、俺に赦して欲しいと思ってるのか?」
「、」
 オミは言葉に詰まる。しばらく考え込むように沈黙したあと、
「……違うね」
 と、低い声で呟いた。
「単なる八つ当たりだね……悪かったよ」
 オミの謝罪に、タマキはふるふると首を横に振った。
「いや、ごめん。俺も言い方を間違えてた。上手く言えないけど……オミはカナエとは違って、俺に赦されることなんかべつに望んでないように思えたんだ。オミはすべてを自分で分かった上で行動しているように思えるし、もし赦しを乞う相手がいるとしても、それは俺じゃないんじゃないかって……」
 タマキの言葉を聞きながら、ああ、きっとその通りだ、とオミは思った。
 自分のことが決して赦せないし、この先赦される気もないけれど、でも、もし自分が赦しを乞いたい相手がいるとしたら、それはタマキではない。
 黒い髪、黒い瞳。
 あまり高くはない身長。
(スパロウ……)
(オミ……)
 タマキに少しだけ似ているけれど、それはタマキではない――べつの人物だ。
「……俺がヒサヤを殺したんだ……」
「え?」
「カナエが言ってたんだ……きっとヒサヤは俺の所有物になりたかったって。俺はヒサヤのことが好きで大切だったし、ヒサヤだけはどんなことがあってもずっと俺と一緒にいてくれると思ってたけど……だけど、ヒサヤが俺の所有物だったというのなら、俺は知らない内にヒサヤのことを自分の復讐のための道具にしてしまっていたのか? まるで物のように殺してしまったのか……!?」
「オミ……」
 普段の彼らしくない、どこか縋るような、自信なさげな眼差しでタマキを見つめてくる。タマキはふと痛ましげに瞳を細めると、静かな、けれどきっぱりとした口調でオミに語りかけた。
「ヒサヤはオミの所有物なんかじゃない」
「、」
「だって、オミはヒサヤの死を願ってはいなかっただろ? もしヒサヤがオミの所有物だったら、ヒサヤはオミが死を願ったときにしか死なないはずだ。物じゃないから……ちゃんと感情があるから、ヒサヤはオミのことを庇って死んだんだ」
「……っ」
「ヒサヤはオミに自分の分まで生きて欲しいって言ってた。……ヒサヤはオミのことを恨んでないし、たぶん赦しを乞うて欲しいとも思ってないよ」
 諭すようなタマキの言葉に、オミは苛立ちと絶望が混ざった眼差しを向ける。
「たしかにヒサヤはそう思ってくれてたかもしれないけど……でも、それでも俺は自分で自分が赦せない……! もしヒサヤが俺をまったく恨んでないとしても、それでも俺は……とてもじゃないけど自分のことを赦せそうにない……っ!!」
「オミ……」
 消えない悔恨の念に深く項垂れてしまったオミの姿を見つめながら、タマキはそっと重い溜め息を落として、言った。
「……本当は俺だって、カナエが赦されたいと思っているのかどうかは自信がないんだ」
 タマキはふと自嘲するような笑みを浮かべる。
「あいつはしょっちゅう教会で神に祈ってるけど、赦しを求めているようには俺にはとても見えない。罪深い自分を赦さないでください――そう言っているように思える。……俺はそういうカナエの姿を見てるのが辛いから、勝手にあいつの罪を赦してやりたいって、代わりにその罪を負いたいって思ってるだけなんだ」
「……」
 オミは視線だけ上げてタマキを見る。
 タマキは何かを思い出すように、じっと宙を見つめている。やがて、自らの記憶を噛みしめるように、ゆっくりと話し出した。
「昔さ……教会でカナエに訊かれたことがあるんだ。もし自分の片目が罪を犯させるのなら、それを抜き出せるかどうかって。両目が揃ったまま地獄に行くのと、片目になって天国に行くのと、どっちを選ぶかって」

 ――もし、あなたの片目が罪を犯させるのなら、それを抜き出しなさい。
 ――両目が揃ったままで地獄に投げ入れられるより、片目になって神の国に入るほうがよい。

「俺はどっちも選べないって思った。本当に天国や地獄があるか分からないのに片目を失うのは怖いけど、でも、もしどうしても必要だったら片目を失っても仕方ないかもしれないし……どちらとも言えないって、そのときは思った」
「……そのときは?」
 いまは違うのかと、オミは言外に問う。タマキはふっと笑みを漏らすと、不意に真っすぐな視線をオミに向けた。
「俺は、自分の罪なら片目を取り出したりせず、地獄に行って罰を受けたい。だけど、もし俺の片目を取り出すことで代わりにカナエの罪が赦されるというのなら、そのときはきっと、俺は躊躇なく自分の片目を取り出せると思うんだ」
「……」
 オミは黙って、タマキの瞳を見返した。
 黒い瞳。
 強い意志の光を宿す、黒曜石の瞳。
 カナエの罪を贖うために、躊躇なくその美しい片目を取り出せると言うタマキの姿に、ふと先程教会で見た像の姿が重なった。すべての人間の罪を贖うために、荊の冠を被せられ、十字架に磔にされ処刑された神の子イエス・キリスト。
(……ああ、カナエ)
(これはおまえの信じる神の姿だ)
 そうしてタマキの瞳に、オミはふと亡くした乳兄弟の従者のことを思い出す。
 黒い瞳。
 ヒサヤとおなじ色の瞳。
「……」
 ああ――と、まるで祈るような気持ちでオミは思う。おまえは俺のために片目を取り出したりなんかせず、両目のままで天国に行ってくれただろうか?

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