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ロマンチック街道


「ねえカゲミツ、おまえまだ結婚しないの?」
 情事のあと、散々無理をさせられてぐったりとベッドの上に横たわっていたカゲミツは、唐突な質問に、気だるそうに顔だけを上げてオミを見た。
「はあ? なんでだよ」
 カゲミツは片眉を上げる。訊き返した自分の声が嗄れていて忌々しい。
「だってカゲミツ、名門華族イチジョウ侯爵家の一人息子なんだから、結婚して跡継ぎを残すのも仕事のうちでしょ?」
 オミはそう言うと、ミニバーから取り出したミネラルウォーターを一口飲んだ。コンビニや自販機で買うよりもはるかに割高なそれを躊躇なく口にできるところが金持ちっぽいよなあ、とカゲミツはぼんやり思う。もっとも、自分もオミのことは言えない。
「べつに仕事じゃねえし。ていうか家出してるから関係ねえし」
 のろのろと手を伸ばして、オミから飲みかけのミネラルウォーターを受け取りながら、カゲミツは不機嫌な声で答える。寝たままの姿勢だとちょっと飲みにくい。ペットボトルに口を付けてから、そういえばこれオミと間接キスだよなと、ひどく今更なことを思った。
「……つかおまえさ、なんでいまあえてそんな話題持ち出すわけ?」
 カゲミツは視線を上げ、オミを軽く睨んだ。ピロートークに相応しくない話題にも程がある。オミが場の空気を読む気がないのはいつものことだけれど、それにしてもちょっと酷い。
「べつに? ただ単純に気になっただけだよ。家出してるから関係ないだなんて子どもじみた言い訳がいつまでも通用するわけないんだしさ」
 言いながら、オミはカゲミツの隣に腰を下ろす。
「子どもじみた言い訳って……べつにそんなんじゃねえし……」
 再びオミに奪い返されたペットボトルを視線で追いながら、カゲミツはそれこそ言い訳じみたことをぼそぼそと呟く。オミは淡々と続けた。
「本当はカゲミツだって、いずれは家に戻ってイチジョウ家を継がなきゃとは考えてるんでしょ? 以前ほどは父親と上手くいってないわけでもなさそうだし。そしたら当然誰かと結婚しなきゃいけないんだろうなって、そう思っただけだよ」
「…………」
「いつまでも、このままでいられるわけがないんだしさ」
 あまり抑揚のない声で言うと、オミはペットボトルの水をまた一口飲んだ。嚥下する際に上下するオミの綺麗な喉仏を見ながら、このままでいられるわけがないというのは、自分たちのこういう不適切な関係のことなんだろうか、とカゲミツは考えた。
 オミとはたまにこうやって身体を重ねることはあるけれど、べつに恋人同士というわけではないし、彼のことを好きだとか愛してるだとかというふうに考えたこともない。ならば友人同士なのかと訊かれると、それもまた微妙なラインだ。
 けれどそれでも、自分がイチジョウ家に戻って結婚でもしたら、当然ながらオミとはいままでのような関係ではいられなくなってしまうだろう。恋人同士でもなければ愛し合っているわけでもないけれど、それでもそのことを想像すると、なぜかひどく淋しいような不安なような気持ちにさせられた。
「……そうなったら、淋しかったり……とか?」
 もしかしたらオミも同じ気持ちなのかと、カゲミツが恐る恐る口にすると、オミは心底呆れたような表情で見下ろしてきた。
「なに言ってるのカゲミツ? なんで俺が淋しがる必要があるのさ?」
「な、なんでって……」
 カゲミツは思わず口ごもる。オミはさも当然のような口ぶりで続ける。
「だって、もしカゲミツが結婚しても、俺たちの関係ってなにも変わらないでしょ」
「……は?」
「結婚するにしてもどうせ家同士の政略結婚みたいなもんだろうし、べつにいままで通り、たまに会ってセックスすればいいじゃん」
「…………」
 予想外の斜め上をいく答えに、開いた口が塞がらない。口をパクパクさせているカゲミツを見て、オミは不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの、カゲミツ?」
「……呆れてんだよ!! なに堂々と不倫宣言してんだ……おまえのモラルは一体どうなってんだよ!?」
「え、べつになにも問題ないでしょ? だって知らないしカゲミツがどちらの貴族のご令嬢とご成婚なさるかなんてさ。興味ないし、わざわざ相手を尊重してあげる気もないよ」
「おまえなあ〜!!」
 真っ赤になって怒っているカゲミツをよそに、オミは涼しい顔でミネラルウォーターを口に運んでいる。と、突然身を屈めて顔を近づけてきたかと思うと、
「カゲミツ、煩い」
 至近距離で囁いて、おもむろに自身の唇でカゲミツのそれを塞いだ。
「ん……っ!!」
 薄く開いたカゲミツの唇に舌を差し入れると、そのまま歯列を割って、口移しに水を飲ませる。カゲミツがすべて飲み下したのを確認すると、最後にペロリとカゲミツの上唇を舐めてから、オミはゆっくりと離れた。
「すこしは頭冷えた?」
「お、まえなあ……っ!!」
「まあ口移しだからちょっと温かったかもだけどね。カゲミツってば声が嗄れてるのに大声出すしさ、心配で水を飲ませてあげたんだよ」
「普通にペットボトルごと渡せよ!!」
「寝たままだと、ペットボトルは飲みにくいかと思ったんだよ。親切じゃん」
「…………」
 真っ赤になって黙り込んだカゲミツをからかうような目つきでちらりと見下ろしてから、オミは再びミネラルウォーターを一口飲んだ。嚥下する際に上下するオミの喉仏を、カゲミツはやっぱり綺麗だなと思う。まだ裸のままの適度に筋肉がついた上半身も、運動不足でやせ細っている自分とは違い、均整が取れていて綺麗だと思うし、それにそもそもオミはひとつひとつの所作が美しいのだ。いくらスラム街を拠点にするテログループのリーダーだったとはいっても、元々は名門華族の跡継ぎ息子だったのだ、育ちの良さが消えていない。
「……おまえは不倫とか嫌じゃないのかよ?」
「べつに? 結婚したあと、カゲミツが花嫁のことが好きで大事にしたいからもう俺とは会わないっていうんならそれでもいいと思うし、特にそういうんじゃなければ、俺と会っとけばいいんじゃない?」
 オミはこともなげに答える。特にカゲミツを励ましたりする意図はないのだろうけれど、部隊を辞めて家に戻ったからといって、いまとすべてが変わってしまうわけじゃないと言われた気がして、それがなんだかひどくありがたかった。
「そっか……」
「まあもっとも、もしセイラがカゲミツに嫁ぐとかだったら、そんな不貞絶対に許さないけどね。妹の夫がゲイで浮気相手が男とか最悪でしょ。絶対許さないよ」
「ゲイって言うなよ!」
「んじゃ、ネコ?」
「余計悪い!!」
「あーもう、煩いなあ……」
 オミはさも面倒臭そうに大仰な溜息をつく。
「……まあでも良くも悪くもその可能性はないしね、いろんな意味で。フジナミ侯爵家は廃爵されたままだし、それになにより、」
 オミは一旦そこで言葉を切ると、乾いた笑いを漏らした。
「飛び降りたセイラは、まだまだ目覚めそうにないしさ」
「……やめろよ、そういうこと言うの」
「え、なんで?」
 カゲミツの言葉に、オミはキョトンと首を傾げる。いつもの皮肉めいた表情じゃなく素で不思議そうな顔をしているものだから、カゲミツは戸惑ってしまう。
「どうしたの、カゲミツ?」
「…………」
 なんと言うべきかわからず、カゲミツはゆっくりと項垂れた。オミはたまに、自分の痛みにひどく鈍感になっているときがある。オミ自身が誰よりも自分のことを責めて傷つけているというのに、そのことに本人がまるで気付けていないという事実が、カゲミツにはかえってたまらなく痛々しく思えてならなかった。
 オミはしばらくの間、俯いてしまったカゲミツを不思議そうに眺めていたが、
「……変なカゲミツ」
 やがてそう言うと、ふっと口許を緩めて笑った。笑うとふいに愛嬌がこぼれて、いつもよりも子どもっぽい表情になる。
「……『西洋人形様』」
 ちいさく呟くと、オミはふと切れ長の瞳を細め、カゲミツの髪に触れた。
「子どもの頃、セイラが言ってた。『イチジョウ侯爵家には、西洋人形様と呼ばれる方がいらっしゃるのでしょう? お兄様と同じお年で、白い肌に琥珀色の瞳、金色の綺麗な髪をしているって聞いたわ』……ってね」
 少し癖のあるカゲミツの金髪を指先で弄りながら、オミは続ける。
「俺は会ったことあるって答えたよ。家であったパーティーのとき、お母様のバラ園で会ったって。金色の髪がキラキラしていて綺麗だったよって言ったら、セイラから羨ましがられた。『お兄様ばっかりズルイ』って、ずいぶん責められたな」
 オミはくすりとちいさく思い出し笑いをする。
「セイラは西洋人形様に憧れがあるみたいだった。……もしかしたら、セイラがカゲミツと結婚している未来もあったのかもしれないよね」
「……オミ?」
「カゲミツからお義兄さんって呼ばれるのも悪くなかったかもね」
「…………」
 決して訪れないであろう未来のはなしをしながら、オミはもう決して変えることのできない過去を悔いている。痛みに鈍感な子どもの笑顔で語るオミを見ながら、カゲミツはふと胸が詰まってなにも言えなくなってしまう。
「ねえ、カゲミツ……」
 オミはカゲミツの耳元に唇を寄せてそっと囁く。そうしてカゲミツは、オミから伸ばされた手を決して拒めないのだ。
「……もう一回しようか?」

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