昔から散々名前のことでからかわれてきた。なんで俺は二口なんて苗字の家に生まれてきたんだろうって悩んだこともあった。今思ったら馬鹿みたいだけど。ガキのころの俺はそれを受け流す術を知らなくて、度々喧嘩していた。次第に口喧嘩が妙に強くなって、おかげでこんな捻くれた性格に育ってしまったわけだ。でも中にはこの苗字を気に入ってくれるやつもいたりする。「二口くんって苗字珍しいよね。かっこよくていいなあ」というのが今俺の隣に座っているなまえの第一声。第一印象は変なやつ。なんだかんだあってこの間俺からプロポーズした。つまりそういう仲だ。ドレスのカタログを眺めて、ああでもないこうでもないと悩んでいる様子を傍観していたら、聞いてる?となまえが俺を見上げた。ちょっとむっとしている。
「聞いてる聞いてる」 「うそだー」 「聞いてたって」 「ふーん」 「……あー…」 「聞いてた?」 「ごめん」
なまえはもう!と肩でタックルしてきた。ふにふにで痛くない。なまえはいつの間にか俺の扱いが随分うまくなっているような気がする。対して俺は相変わらず何を考えているのかよくわからないところがあるなまえにヒヤヒヤさせられることもしばしばで、嬉しいような悔しいような。
「せっかくの結婚式だから一緒に考えようねって言ったのに」 「ごめんって」 「いいよ、二口くんセンス悪いし」 「悪かったな」 「……ふふふ、嘘だよ」 「当たり前だろ」 「でもたまによくわかんない格好してるよ」 「それがオシャレなんだよ」
なまえの言うよくわかんない格好が何を指しているのかわからないけど、気を付けよう。とりあえずなまえの隣を歩いても変だと思われない程度には。なまえはさっきまでのことはすっかりなかったようにカタログに目を移した。
「二口くんはどんなドレスがいいと思う?」 「俺そういうのわかんねえし」 「わたしに一番似合うと思うの選んでよ」 「ええ…」 「自分が思うのと他の人が思うのは違うんだってテレビで言ってた」 「ふーん」 「はい、ほら、二口くん!」
カタログをずいずいと押し付けてくるなまえは本当に選んで欲しいのか、ただからかっているだけなのか、ずいぶん楽しそうに笑っている。つられて俺もつい笑ってしまう。けど俺はやっぱり捻くれた性格のせいか、好きな子はいじめたくなってしまう。まあなまえは表情がコロコロ変わるから見てて面白いしな。あ、そうだ。
「選んでもいいけど、条件がある」 「え、何それ!できることにしてよね」 「できるできる、余裕だから」 「ほほう、なんですか?」 「二口くん呼び禁止」
今まで楽しそうに軽口をたたいていた口は少し開いたまま目を真ん丸にして固まった。まさかそれを持ち出されると思っていなかったのか、ついにきたと思っているのかわからないけど。
「それ言っちゃう?」 「もう頃合いだろ」 「そうだけどさあ」 「それともお前も二口だろって定番ネタしたいの?」 「そういうわけじゃないけど〜…うう」
余程恥ずかしいのか、さっきまでぐいぐい押し付けていたカタログで顔を完全に隠してしまった。俺だけなまえでなまえが二口くんって呼んでたらおかしいだろ、と言ったものの、本心は俺も名前で呼んでほしいだけだったりする。とはいえ、こんなに恥ずかしがられると思っていなかったから、なんだか悪いことをしたような気もする。まあ時間はたっぷりあるし、いつかは言ってほしいよなあ、なんて思っていたら、隣から「堅治くん」と、蚊の鳴くような声が聞こえた。あまりの驚きに横を向くと、雑誌から目元だけを出したなまえ。目元は潤んでいる。そんなに恥ずかしいのか。とはいえ俺もヤバい。顔から蒸気が出てもおかしくないくらい熱い。そういえばなまえに下の名前で呼ばれたのってほぼ初めての気がする。え、でも名前呼ばれただけでこれって俺ダサすぎるだろ。なまえが自分の顔を隠していてよかった。こんな顔を見られたら恥ずかしすぎて死ねる。俺も照れているのを悟られまいと必死に平然を装う。
「……恥ずかしい」 「慣れだ慣れ」 「じゃあ今日から頑張る」 「おー、頑張れ頑張れ」
ようやくカタログの端から顔を出したなまえは、相変わらず潤んだままの目で本題を切り出した。
「これでドレス選んでくれるんだよね二口くん?」 「二口くん禁止」 「あー……でももう1回言ったからいいの」 「完璧になるまではお預けだな」 「それズルい!」
空気でいっぱいのなまえの頬を指でつぶすと、ぷしゅうと力のない音が出た。「ぶっ」「やめへよ〜」「え?なんだって?」「はなしぇ〜」手を離したのを皮切りに、二人で思いっきり笑った。しょうもないことなのに笑いが止まらない。なまえはきっとドレスを選ぶことなんてすっかり忘れているんだろう。なまえならどんなドレスだって似合うだなんて恥ずかしいから絶対言ってやんねえ。とりあえず、早くこの呼び方に慣れないと。こんなことなら二口くんのままでもよかったと思いつつ、思い返してまたドキドキする。呼び方ひとつでこんなになるってダサいけど、幸せだなあ。
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