焼きそば
見渡す限り、一面の緑だった。あまりの美しさに感嘆し、みひろは木々の中央に立って、祈りを捧げた。睫毛が震えているのが自分でも分かる。みひろは無宗教だ。にも関わらず祈るだなんて馬鹿げているが、祈らずにはいられなかった。
懺悔を終えて正面を見据えると、十字架を背負ったような気持ちになったので、俯いて、掌をまじまじと眺めた。黒いオーラがそこにはあった。途端に猛烈な吐き気を覚え、胃液を吐いた。全てを吐き終えると、みひろは顔をあげた。
(やるか)
みひろは持参のロープをリュックから取り出して木にかけ、全力で運命に逆らった。鼓動が激しいのが気になったが、聞こえないふりをした。涙をこらえ、唇を噛みながらみひろは首を吊った。
***
「自殺って、何でしちゃいけないのかな」
みひろの唐突な問いかけに、先生は目を瞬かせた。みひろは再度、先生に尋ねた。
「あの時、何で止めたの?」
みひろは半年前に自殺を図った。生きる意味も術も失った彼女は、死ぬことで全ての問題を解決しようとしたが、先生にそれを阻まれた。お陰で今もこうして生きている。みひろは止められた事を恨むほど傲慢ではなかったが、だからといって、どのようにこれから生きていけば良いかも分からなかった。まさに、八方塞りだ。
「先生には関係ないと思うんだけどなー」
心の奥底から引っ張り出した本音を、先生を傷つけないようやんわりと述べた。我ながら幼い物言いだと思ったが、紛れもなく真意だった。すると、先生はみひろを哀れむような顔をした。その顔が、みひろの勘に障った。
「 やめてよ」
人間不信のみひろは、高らかに笑い飛ばした。すると、今度は先生がガラス玉のように眼を潤ませた。その顔に、みひろは見覚えがあった。一年前、みひろが自分で自分の腕を傷つけた時に、先生は今みたいに悲哀に満ちた眼をしたのだ。
その時の先生の顔といったら、今もみひろの心に焼き付いて離れない。忘れた頃の今になって、再びそんな顔をするものだから、みひろは自分が責められているような気持ちになり、顔を歪ませた。
「やめてよ、その顔」
みひろは叫んだつもりだったが、意外にも声は小さく響いた。すると先生が口を開いた。
「お前こそ、何だよその顔」
先生が、みひろを指さして笑った。手で顔を触ると涙の感触がしたので、今だに泣けることを知ってみひろは驚いた。全てが馬鹿らしくなり、腹の底から息を吐き出すと、出た空気の分だけ凹んだ。
「お腹空いた」
みひろがそう言うと、先生は面倒くさそうに呟いた。
「自分で作れよ」
出来ることは自分でやれ、これが先生の口癖だった。
「はいはい」
みひろは生返事をしながら席を立ち、気だるげに料理へ取り掛かった。料理と言っても簡単なものしか作れないが、料理は料理だ。冷蔵庫の中を見るとインスタントの焼きそばがあったから、それを調理した。
具はもやしだけで、あとは何にも入れなかった。出来上がって皿に移すと、テーブルに運んでソファに座った。先生は焼きそばとみひろを一瞥したが、相変わらず黙っていた。みひろは箸を持ち、いざ食べようと焼きそばに口をつけた。その瞬間、先生はみひろの作った焼きそばを横から取り、床にぶちまけた。みひろは黙って先生を睨みつけた。先生はというと、くつくつと笑っているだけだ。
「作ったものを壊される気分はどうだ?」
先生が訳の分からないことを言うので、みひろは煮えきらない気持ちで先生を見つめた。
「先生はな、お前を作ってるんだよ」
みひろは意味が分からず、ぼんやりと先生を見た。
「はあ?」
「だから、お前を創ってるんだよ。お前が一生自分を傷つけることのないように、お前の価値観や性格を、新しく創り直しているんだ」
みひろは先生を黙って見据えていた。先生は顔中の筋肉を緩ませながら、得意げな顔をしている。お調子者という言葉がよく似合う男だとみひろは思った。先生は言葉を続ける。
「俺が作ったお前を、お前自身に壊されるのはたまんねーんだよ。意味分かる?」
みひろは相変わらず黙っていたが、ふっと思い出したように焼きそばを拾い上げた。お皿に戻すと、それらを口に運んだ。
「へー食うんだ。俺、お前のそういうところが好きだな。偉いと思う、純粋に」
屈託の無い笑顔でそう話す先生を横目に焼きそばを咀嚼すると、みひろはぴんと張った糸が切れるような気がした。
「ちょっと頂戴」
先生がそう言うので、みひろは先生の口に焼きそばを運んだ。
「やっぱ肉がねーと駄目だね、焼きそばは」
先生がそう言ったのでみひろは反発した。
「うるさいなー、私には美味しく感じるんだよ」
膨れた顔でそう言うと、先生は白い歯を見せながらこう言った。
「俺だってお前のことが美味しく感じるしー」
みひろは構わずに焼きそばを口に運んだ。また作ろうと思った。焼きそばも、人生も。
20120816完
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