187番

 銀色のサンダルをかつかつと鳴らしながら、華子は建物の中を歩き回る。後ろから紀村が縄を引きながらついて来るのだが、これは華子が逃げないための配慮なのだろう。

「そこを右行って」

 紀村の指示通りに歩くと、ドアの前に辿り着いた。

「入って」

 紀村がドアを開けたので中に入ると、学校で使うような体重計と身体測定器、それにおばさんが二人並んでいた。

「僕は部屋の外で待ってるから。じゃ、あとはお願いします」

 紀村はおばさんらに頭を下げると、足早に去っていった。おばさんが部屋の真ん中に来るように手招きしたので、言われた通りにした。

「服を全部脱いで、裸になってちょうだい」

 おばさんはそう言うと、少しだけ白い歯を見せた。

 華子は少しためらった後、言われた通りにTシャツの裾に手をかけ、ひと思いに剥ぎ取った。脂肪の削げ落ちた上半身が、蛍光灯の光に照らされて青白く浮かび上がる。続いて小振りのブラジャーも取り、ジーンズに手をかけた。服を脱いでいる間、おばさんは先に脱いだブラジャーなどを点検していた。薬物を持ち込んでいないかを確認しているのだろう。やがて全裸になり終えると、身体測定器に乗らされた。

「背筋伸ばしてね〜。はい、165センチね」

 おばさんがそう言うと、もう一人のおばさんがノートに記録した。続いて体重計に乗ると、もっと食べないと駄目よと肩を叩かれた。

「刺青はない?」

「ないです」

「じゃ、ジャージに着替えてちょうだい」

 自宅から持ってきたジャージに華子は着替えると、おばさんが言った。

「それ、ズボンなんかに紐ついてないよね?」

「ついてないですけど」

「ああそう。紐のついてるのは駄目なんだけど、ついてないなら良かった」

 紐が駄目なのは、自殺を防止するためだろう。華子はピンク色のジャージに着替えると、おばさんの顔を見た。おばさんは慣れたように華子の下着や持ち物を手に持って点検している。

「これで身体検査は終わりだから。これから留置場に行って貰うよ」

 おばさんはそう言うと、ドアを開けた。そこには紀村がいて、退屈そうに腰に手を当てて待機していた。

「来て」

 紀村はそう言うと、華子を先頭にして歩き出した。逃げたらどうなるのかという淡い幻想を抱く余裕もなく、華子は恐る恐る留置場へと続く廊下を歩いていった。

「ここが留置場だ」

 紀村に急かされて留置場の中に入ると、壁の上から貼り巡られている黒い網が目に入った。それは何だか焼肉の網のようにも見えたが、どうやら網は、壁を壊されないようにするための配慮らしい。広さは六畳くらいで、床は畳。片隅にある和式便所には、無数の落書きが書かれてある。これから一ヶ月はここで暮らすと思うと、軽く眩暈がした。

「取り調べの時にまた来るから。ちゃんとうまくやるんだぞ」

 そう言って紀村は、軽く手を上げてドアの向こうに消えていった。華子は服のすそを、ぎゅっと強く握りしめた。

「あら、新しい子ね。よろしく」

 俯き加減の顔をあげると、そこには50才くらいのおばさんが人の良さそうな笑顔を振りまいていた。この人は何をして捕まったのだろう。見るからに善人そうに見えるが、生憎ここは、牢屋なわけで。

「あ、よろしくお願いします」

 消え入りそうな感情を抑え、慌てて頭を下げた。時間が遅いせいですでに部屋には布団が敷いてあり、あとはもう寝るだけのようだ。砂漠の中のオアシスを見つけたような面持ちで、華子は布団に潜り込んだ。

「新入りの187番。薬があるから取りに来て」

 顔をあげると、男の看守がコップと睡眠薬を手にしながら華子を見下ろしている。立ち上がって睡眠薬とコップを受け取ると、華子はグッと飲み干した。途端に心地良い浮遊感に身を包まれ、まぶたが重くなった。多分、薬を飲んだことにより安心感を得られたのだろう。そのままよろよろと布団に潜り込み、まぶたを閉じた。頭の中ではひたすら、187番という番号が乱舞していた。電気がぷつんと消えて、闇を肌で感じた。睡眠薬をもらっておいて良かった。それが例え、現実逃避だとしても。

 足音が聞こえた。どうやら看守が、廊下の見回りをしているらしい。罪人を相手に仕事をするのはどんな気持ちなのだろうか。嬉しいのか悲しいのか、それとも何も感じないのか。到底知る由もなく、今後も知ることもないだろう。看守のことを考えているうちに、華子は眠りに落ちていた。

 早朝、看守の怒鳴り声で目が覚めた。どうやら布団を頭までかぶっていたのがいけなかったらしい。これも自殺を防止するために設けられたルールのようで、華子は閉塞感に悶えながら、しぶしぶ布団から頭を出して眠りの世界に落ちていった。


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