夢は終わらない
目を覚ますと、目の前に見知らぬ男がいた。天井には立派なシャンデリアが一つ。ホテルの一室のように見えるが、何故自分がこのような場所にいるのかは思い出せない。頭が割れるように痛くて、手を見ると、血が付着している。
「気が付いたようだね」
ティーカップを口につけながら、男が口を開く。生気がまるで感じられないその声色に驚いた。
――悪魔。瞬時にそう思ったが、口には出さなかった。
「ここは、」
私がそう言いかけると、男が右手を突き出しながら言葉を発する。
「紅茶でもいかが?」
男がそう言って紅茶を差し出したので、促されるまま受け取った。ただし、口はつけなかった。
「親から愛情を貰っていなかったようだね」
鼻歌でも歌うかのように、軽く男が口ずさむ。私は男の言動に背筋が寒くなった。
「貰ってないでしょう?でなかったら、こんな所に来る訳がない」
「どういうことですか?」
やっとの思いで搾り出した私の声は、擦れていた。
「君は死んだんだよ。自殺してね」
「へえ」
男から生気はおろか、何も感じない。「無」そのものだった。
「ここは、君が自殺した瞬間を切り取って保管した、いわば異次元さ」
男がそう言って肩をすくめる。
「これから私はどうなるんですか?」
「さあ。僕からは何とも言えないね。それよりもこれを君に渡しとくよ」
そう言って、男が小瓶を差し出した。
「これは何ですか?」
「青酸カリだよ。生前の君がこれで自殺をした。記念にと思ってね。渡しておくよ」
「そんなもの・・・・・・」
いらないと言いかけて、口を噤んだ。言葉とは裏腹に小瓶へ手を伸ばしてしかと握る。
「死後の世界で自殺したらどうなるんだろうね」
悪魔が囁くように妖しく耳打ちする男。
私は黙って小瓶のフタを開けると、中身を自分の口に入れた。途端に苦しさを覚え、喉が焼けるように熱くなる。
「君はそうやって何百回何千回と自殺を繰り返すんだね」
男が高らかに笑うのを聞きながら、私は青酸カリを口に含んだまま床に倒れ込んだ。やがて、血を吐きながら意識を手放した。
***
「どうしたの?」
同僚の声にはっとして、顔を上げる。前を見ると同僚が不思議そうな顔を私に向けていた。私は髪を整えながら答えた。
「今朝、変な夢を見たんでぼーっとしてたみたい」
「ふーん」
同僚は鏡に向ってグロスを塗りながら言葉を続ける。
「それ、本当に夢?」
つるつると唇を光らせながら、同僚は私の口元を指さした。
口元に手をやると、血がついていた。慌てて同僚の顔を見ると、今朝見た悪魔のような男の顔に変化した。――夢は、終わらない。
20121231完
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