夢は叶う(自殺編)
ここ数年で一番、心地よい誕生日だった。留置場の中で結衣は、確かに幸福だった。
「グズグズしてんじゃねーよ」
看守に罵声を飛ばされたが、罪人である自覚が色濃いためか、怒鳴られた事に何の違和感も感じずに、却って罵声を飛ばされた事が身分相応に感じて、楽だった。
「すみません」
そう言って、結衣は虚無的な笑みを浮かべた。
***
正しいとされている事に疑問を抱き、絶対的な存在を否定し、あらゆるバランスは崩れ、人間に愛されているか不安で、愛してるかすら疑問に思う、そんな混沌とした学生時代を結衣は送った。精神の殺戮が繰り広げられた学校で、結衣は確かに悲鳴を上げたが、その声は誰にも届かなかった。
無意識に頭の片隅で血みどろの記憶が漂い、それが怯えに繋がり、視線を逸らさせ、人間不信に拍車をかけた青春時代。あらゆる失敗体験から虚勢を張らざるを得なくなり、その反動から私欲に走り、人間性を忘れ、ついには牢獄に行き着いた青年時代。これらの二つが合わさって、脆い内面が加われば、結衣という未熟な人間が出来上がるのだ。結衣のような人間を、世間では白痴と呼ぶらしい。
留置場では自分を良く見せる必要もないためか、結衣は肌つやが良くなり、我ながらそれを可笑しく思ったが、誕生日である今日に娑婆から届いた手紙を見た途端、顔色が変わった。そこには恋人の自殺が記されていた。
「恋人が死んだ」
手紙を放り投げながら、傍にいた五十過ぎの窃盗で捕まったおばさんにそう言うと、おばさんは眉をひそめた。
「あらまあ。結衣ちゃんも若いのに悲壮な運命だこと」
このおばさんこそ、悲壮な運命だと結衣は言いたかった。おばさんは初犯で刑が軽いのにも関わらず、息子が引き取りに来ないから刑務所に入れられるのだ。息子もまさか、母親の尻拭いをさせられるとは考えてもいなかったのだろう。引き取りに来ない事を咎めようは思わないが、悪い事をしても捕まらない人もいる事を考えると、おばさんが気の毒でならなかった。運命と言ってしまえばそれまでだし、真実を自分の眼で見た訳ではないから何とも言えないのだが、正義なんて何処にもないのだろう。結衣は遠い眼をしながらそう思った。
***
夜、布団の中で目を瞑って寝ていると、恋人が頭に浮かんだ。そのまま何気なく脳内の彼に話かけると、返事が返って来た。結衣は嬉しく思い、時々こうして彼氏と会話をしようと心に決めた。
そうしているうちに、隣にいる若い女の子が声を潜めながら話しかけてきた。
「手、貸して」
そう言うと、女の子が結衣の手を握ってマッサージをし始めた。
「気持ちいい」
あまりの気持ちよさに結衣はつい、官能的な声を上げた。すると、女の子は更にツボを刺激した。
結衣は再び気持ちよさに声を荒げると、隣の部屋にいる男の罪人達が妙な音を立て始めた。肉が粘液と擦れるような音が響き渡り、時々若い男のうめき声が聞こえる事から、青年が尻を掘られているのと伺えた。
結衣は青年に申し訳ない気持ちで一杯になり、大人しく手を布団に仕舞った。女の子も反省したらしく、手を仕舞った。 隣には確か、殺人犯が一人いたはずだった。成る程、今そういう事を今しておかないと、刑務所に入ったら出来ないのだろう。
殺人犯に抱かれる青年の気持ちを想像しながら、結衣は眠りに落ちた。
***
早朝、まだ薄暗い時間に非常ベルが鳴り渡った。驚いて飛び起きると、昨晩マッサージを施してくれた子が、裸で首を吊っていた。看守が慌しく室内に入って来て、それを結衣は呆然と見つめていた。自殺防止のために紐やタオルなどは持ち込みが禁止されているのだが、トレーナーでも首は括れるので意味は成さないようだ。
発見が早かった為、女の子はすぐに息を吹き返した。が、錯乱状態で大声でわめき散らした為、看守によってどこかへ連れて行かれた。
女の子は生きてたって仕方がないだとか、自分なんて居なくなれば良いだとか、散々吐き出して散々泣いていたが、結衣は自分の未来を垣間見たような気がした。呼吸が止まる感覚に襲われて、ぞっとした。
***
今後の事を考えては、雲を掴むような気に陥って途方にくれたので、時々恋人に話しかけては勇気を貰った。
そのうちに昼になり、夜になり、また朝が来た。結局、ただこうしてぼんやりと考えるだけで進歩はせずに、年を取るのだろうと思った。ちらと自殺した女の子の影が頭によぎった。やがて、それすらも思考の渦に飲み込まれて消えて行った。
数日後、裁判によって判決が下された。執行猶予付きの有罪だった。次に捕まれば後はない。
外の世界に一歩足を踏み入れた時、恋人の笑顔を初めて見たような気がした。侘しいけど、綺麗だった。
***
二年後、結衣はまたしても同じ留置場に足を踏み入れた。
「今日は私の、誕生日なんです」
二年前よりもやつれた結衣が留置場に入ると、懐かしい匂いに眩暈を覚えた。
夢は願うと、叶うらしい。
結衣はその晩、首をくくった。
マイナス思考が現実のものとなり、ある意味では実を結んだ瞬間だった。
ただいまと書かれた遺書が右手にあり、左手には恋人や家族や仲間が、確かにあった。
ここ数年で一番、心地よい誕生日だった。留置場の中で結衣は、確かに幸福だった。
20120926完
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