闇夜の灯5


野良猫は飼い猫よりも性格がキツい。外敵から自分を守る為だ。
また猫はどんなに重症を負おうが、顔をくしゃくしゃに歪めたりもしない。無論、泣いたりもしない。
傷が癒えるまでじっとじっと、たった一匹で耐え抜く。無論、誰にも頼らない。
それは、生き抜く為に習得せざるをえない、野良猫、いや、全ての動物の宿命みたいなものなのだろう。

人間にも野良猫のような輩は一部に存在する。友香もその一部に当てはまると言っていいだろう。
しかし何故、友香は野良猫のような人間に成り下がったのだろうか。

例えば、幼少の頃、友香が大好きな友達の家へ遊びに行ったら、彼女はたちまち拒否されてしまう。
一つの理由。彼女には親がいない。そんな事で、と思うかもしれないが、先入観を持って物事を見る人間は意外と少なくない。


「あの子とは遊んじゃいけません」


全く知らない大人のそんな言葉が友香の耳に入った時、彼女は漠然と思った。


―――ああ、私は駄目な人間なんだ。負けなんだ。


***


「卒業おめでとさん。はい、これ鍵」


友香はあれから一日も休まず学校へ通い、何とか卒業出来た。
同棲の話は冗談かと思っていたが、どうやら和馬は本気だったらしい。
友香は差し出された鍵を黙って受け取った。少し照れくさかった。

ゴトウの事もあり、友香は割と普通の生活を送った。学費や生活費の心配をしなくても良い平穏な暮らしは夢のようだった。
しかしそのような生活の変貌について行けるほど、友香は器用な人間ではなかった。
それどころか今の幸せな生活がぬるま湯につかっているように思える位歪んでいた。
決まった時間に毎日同じ人と二人きりで食べる夕食にもようやく慣れて来た今日この頃。
夕食が済んでビールを片手にした和馬がふと口を開いた。


「毎日夜遊びばかりして、お前楽しいか?」


同じく夕食を済ませ化粧を直していた友香の手が一瞬だけ止まった。


「別に?」


「いつも何して遊んでんの?」


「適当にゲーム屋とか」


「ゲーム屋って違法だよね。せめてスロットにしとけば?」


「スロはうるさいから嫌いなんだよね。てか和馬に関係ないじゃん」


「関係あるから。仮にも先生と同棲してるんだから少しは自覚持てよ」


「自分が提案してきたんじゃん」


「お前なー。お前なんかに帰る家があんのかよ?」


友香はいわゆるフリーターで、今は家を借りるだけの金は残っていなかった。一緒に暮らすようになってから、和馬は変わったように思う。
酷い人になってしまった、とかではなくて、今まで見えていなかった部分が一緒に暮らす事によって浮き彫りになっていた。
友香が黙っていると和馬はビールを置いて、友香の目元にアイマスクを掛けて手首をタオルで縛り上げた。


「こんな事して楽しい?」


「うるせー。教師はいつも善人ぶらなきゃいけねーからストレス溜まるんだよ。教師も人間だっつーの」


「私には善人ぶってないじゃん」


「友香はいいの。お前は別。なんてゆーの?お前に対しては遠慮しなくていいっていうか。俺がそう決めたっていうか?」


「意味わかんない」


「ま、わかんなくていいから」


和馬はそう言うと、友香の太ももを思いっきりつねった。殴りはしないが和馬は限りなくグレーな行為を好んだ。
顔をやや歪めながら友香は言う。


「教師のくせにイイ趣味してるよね。私が学校の関係者に言ったらどうするの?」


「友香は誰にも言わないし、言えないから大丈夫。今までだって、何かあっても一人で耐えてきたんだろ?」


それから一時間後、満足して寝てしまった和馬を残して友香は家を出た。


***


「あれ、友香じゃん。珍しいね」


友香はとあるクラブに足を運んでいた。延髄に響く爆音が心地いい。酒を飲んでいると、ギャルが大声で話しかけてきた。
友香も爆音に負けぬよう、声を大きく張り上げる。


「うん。ちょっと憂さ晴らしにね」


このギャルは自分の事について、仲の良い子にすら何も話さない事で有名だった。
ギャルに限らず、昔から友香の知人は変わった人が多かった。しばらくどうでもいいような会話をして、ギャルはどこかに行ってしまった。
今日は思い切り酔いたい気分だったが、金はゲーム屋でスってしまって殆ど無い。
安い居酒屋に行けばよかったなどと思いながら後悔していると、知らない男が声を掛けて来た。


「一人?遊ばない?」


どうやらナンパらしい。はじめは軽くあしらっていたが、男はしつこかった。


「個室取ってあるからゆっくり飲もうよ」


その一言で、個室で酒を飲みたかった友香は男についていく事にした。
いわゆる、VIPルームと呼ばれる部屋。友香がソファに座ると、男はやけにくっついて座って来た。


「さぁ飲もう飲もう」


「ちよっと、近いんだけど」


「そんな事言わないでよ」


男は気にする素振りも見せず笑っているだけだ。男はパイプを取り出して葉を詰めると火をつけながら吸い、息を止めた。
吸い終わると男は酒を飲んでいる友香に差し出しながら言った。


「はっぱ(大麻)だけど。吸いなよ」


「私はいい。酒で十分だから」


「いいからいいから」


男はしつこく強要してきて中々引き下がらない。そのうち肩に手を回してきた為、むしの居所が悪かった友香は男を睨みつけて。


「気安く触んないでよ」


そう言い放つと男の顔から笑みだけが消えていった。次の瞬間。いきなり男が襲いかかってきて驚いた友香は短い悲鳴を上げた。
本能的に男の身体を引き離そうと抵抗するがびくともしない。圧倒的な力の差に友香の心臓は高鳴った。


「私の中へ勝手に汚い土足で入ってくんな!」



「土足?テリトリーを侵すなって言いたいの?」


男はやや見下したような声で笑う。


(こいつのイイようにされてたまるか)


友香は「私に手を出すとやくざが黙っちゃいない」などととっさに口から出任せを吐いた。子供騙しに過ぎない。
しかし奇跡的に男の勢いが衰えた。
嘘も方便だなと友香が思った瞬間、緊張の糸が一気に緩んだ為か目が潤んでしまって必死に堪えた。
その様子を見てますます男はやる気が失せたのか、完全に身体を起こして友香を見ながら呟いた。


「可愛くないネコみたい」


思いも寄らぬ男の言葉に友香は、は?と反応する。餌を貰っても媚びないと言いたいのか。そう解釈して、友香は思わず叫ぶ。


「お前なんかに何が分かるんだよ!」


「いや、分かるし」


「はぁ?何で?」


「不幸ですって顔に書いてある」


「何それ。ネコ関係ないじゃん」


男は自分の思い通りにいかなかった事が悔しかったのか、それとも大麻のせいなのか、興奮しながら早口で話し始めた。


「お前みたいなガキって同士求めて群れる癖に肝心な事は一切話さねーよな。あれ何なの?馬鹿なの?」


「何言ってんの?」


「だからつまり、お前はここであった事を誰にも言わないって事だよ」


友香に限らず、トラウマはなかなか人に言えるものではない。トラウマが深ければ深いほど、埋もれてしまう悲しい現実。
咎められるべき人物は野放しになり、傷を癒すべき人物はいつまでも救われない。
友香が他言するかどうかは別として、男の言う事は一理あるかもしれないと思った。友香が黙っていると強い口調で男が嘲笑った。


「お前みたいな奴は存在した時点で負けなんだよ」


生まれて来たときから負け。不利。損。ふいに幼少時代の記憶が友香の脳内にフラッシュバックした。


(三つ子の魂百までか。あれから私は何一つ変わっちゃいないんだ)


何も得られなかった数十年間。時にはそれなりに努力もした。だけど。
急に大人しくなった友香を見て、男は再び友香に手を出し始めた。それに対し、今度は友香が抵抗しなかった。
男に抱かれた友香の身体は冷水を浴びたように冷たくなっていた。


***


(家に帰らなくちゃ)


どうやら、朝らしい。気づいた時には男は姿を消していた。友香はおもむろに立ち上がる。そのとき強烈な痛みが背中を走り抜けた。
ソファから落ちても問答無用に床へ激しく打ち付けられて、背骨がどうにかなってしまったらしい。
身体が動く度に悲鳴を上げる背中。それでも。


(家に帰らなくちゃ)


とりあえず余計な事は考えずに帰る事だけに友香は専念した。電車と、朝の澄んだ空気。その二つが何故か鮮明な印象だった。


「遅かったじゃねーか」


家に着きドアを開けた途端。半開きな目の和馬が出迎えた。
友香は和馬に構わずベッドルームに行こうとした瞬間、和馬が友香の肩をつかんだ。その瞬間、鋭い痛みが友香を駆け抜ける。


「痛!」


「あ?どしたの?」


「何でもないよ」


「?ちょっと背中見せてみろよ」


そう言って、和馬は嫌がる友香の服をたくし上げてから。


「あーあ。コレどうしたの?骨ボコってなってる」


呆れた声で、友香に問いかける。


「・・・・・・」


「はぁ。なんつーかお前さ?あんま無茶な事すんなよ」


「・・・るさい」


「お前自分の顔、鏡で見てみろよ。泣きそうな顔してるぜ?」


「うるさいよ!和馬なんかに、無条件に自信を失くす事の辛さが分かるもんか!」


いきなり怒り出した友香に、和馬は驚いた顔をした。そして何か考える素振りを見せると、大きくなった目は元に戻っていった。


「無条件?自信?何の条件も無しに自信がなくなる訳ねーだろ。あるとするなら、初めから自信を失くす条件が揃ってたって事だな。
俺みたいに」


「は?」


「俺、家族いないも同然だから。お前と同じでな。だから、その気持ちはよくわかるぜ」


和馬の急な告白に、友香は息を飲み込む。


「何で今まで黙ってたの?」


「さぁ?言う必要なかったし。類は友を呼ぶってよく言うよね」


「・・・・・・」


「俺が言いたいコトはさ、お前が泣きそうな顔して身体に傷を負ってるの見るとこんな俺でも辛いってこと。分かる?」


「・・・・・・」


「分かんないんだろーな」


息を一つ吐いたあと、ふいに和馬は友香を抱きしめた。背骨が痛まないように力を加減してくれている。

このとき生まれて初めて、友香は「性交以外の抱擁」を和馬と交わした。生まれて初めて、誰かと悲しみを共有した。
空っぽだった胸に「生きた心」が注ぎ込まれていく。暖かさを感じた瞬間、友香は野良猫から人に生まれ変わっていた。

少なくとも、その時だけは。


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