部屋の戸を激しく叩かれて何事かと飛び起きた。戸側に寝ていた留三郎が部屋の戸の閂を抜くと、間髪いれずに先輩が二人飛び込んできた。実習から戻ってきたばかりらしく、硝煙と血のにおいが強く息が荒い。
 先輩たちは留三郎を押し退けて、部屋のしきりにしている衝立すらも倒すような勢いでぼくの方へ来て、腕を掴む。腕を引かれるがままに、立ち上がらされ、廊下へ出た。半ば引き摺られるようにして移動するなか、追いかけてきた留三郎が問うている。
「先輩方、突然、どうされたんです。伊作をどこへつれていくのですか。状況を教えてください」
 二人の先輩たちは何も答えない。月が細くて辺りは暗く、よくは見えないけれど、夜目に、先輩たちが涙をこらえているような表情に見えた。感情が溢れてしまわないように、何も言わないのだと思った。
 保健委員を長くやっていてこのような状況が幾度かあった。誰かが実戦課題中に負傷して、ひとまず連れ帰ってきたが、自分達ではどうにもならない状況。きっと今回もそれであろうと感じていた。
 留三郎に声をかけて、部屋の薬箪笥の中から何番と何番を持ってきておくれと頼む。ぼくは先に行って様子を見ていると。留三郎は頷いて部屋へ戻っていく。
 医務室前の廊下は、泥や血で汚れていた。その汚れかたからして、どうやら、 負傷した人を庭から直接担ぎ入れたらしい。何人もの先輩たちが、庭で座り込んで項垂れていたり、顔を覆ったりと、様々な様子でいるのを横目に医務室へ入った。
 先生方に囲まれ、彼は部屋の中央に寝かされていた。実習用の特別目立たない忍び装束の至るところに血による大きな染みがじんわりと滲んでいるのをろうそくの光の反射で見た。四肢の欠損はなく、変形もなく、しかし大きな血管をやられているようで、表情の青さと体の震えが目についた。先生方の呼び掛けには、僅かに首を振っている。
「吉野先生は遠方へ出ていると」
「ええ、そうです。ぼくがみます」
 床へ寝かせられたそこから、彼は「ああ、いたい、苦しい」と、ぼくのほうへ腕を伸ばす。駆け寄って、彼の腕を支える。触れてみて、ぼくは、「これはもう」と感じてしまった。何度かこういう場面に出くわしたことがあるけれど、もうこんなになってしまうと、どう手当てするのか・どう救うのかという話ではなく、彼のその様々な苦しみをどう紛らわしてやることができるのかという話なのだ。
「先輩、なにか、ぼくにしてほしいことがありますか」
 問いかけて、彼の口元へ耳を寄せる。すきま風のひゅうひゅういうような音が喉元から聞こえてくる。その合間に、「楽にしてほしい」と言った。彼はもう自分で状況がよくわかっているようだった。
 医務室の戸が開いて、息を切らして留三郎が頼んだ薬草を持ってきた。受け取ってすぐにその葉に火をつけて、彼の枕元で焚く。
 これは痛みの感覚の鈍くなる草だが、幻覚や幻聴が出てしまう。そういったことがあって、吉野先生と通常では使わない決まりにしていた。先生や先輩方、留三郎には、部屋の外へ出てもらうことにした。去り際、先輩たちの瞳の隅に、一粒感情を見て、思わず目をそらした。
 声をかけながら彼の顔や体の汚れや血を拭いているうち、視界の隅から黒い影が無数に這い寄ってきた。それはぼくの足をのぼり、螺旋を描くようにして体をのぼり、腕へと絡み付いてくる。痛くも痒くもない。それが薬が効いてきた頃合いの証拠の幻覚であるのを知っている。
 しかし、この幻覚を見るたび、ぼくにはそれだけの幻覚ではないような気がするのだ。出会ってきた数々の死の影が、普段は見えないだけで、実はこうしてぼくにいつも取りついているのだと感じる。黒い影はどんどん増えて、僕の体を覆いつくしてしまうようになる。
 横たわった彼の表情は、顔の青さは変わらないものの、先程よりもずいぶん穏やかになったように見えた。ひとつ、きいていいかい、と小さな声が聞こえた。
「死してなお誰かを思い続けること、どう思う」
 瞳はぼんやりとして虚ろだ。視点がなかなか定まらない様子だが、どうやらぼくを見ているようだった。
「それは、ある種の呪いではないでしょうか」
「呪い。こわいね。きみは、よく呪われていそうだね」
 彼は、無数の影の絡み付いたぼくの腕に触れてそう言う。そのうち、彼の指先から黒い影が抜き出てくる。それはまた他の影と同じように、螺旋を描いて、腕から肩へ、肩から首へと上ってくる。
「死ぬ人に優しくしたらいけない。呪われるよ」
 先輩は苦笑交じりのため息をつくように言って、瞼を閉じた。彼から出た黒い影はいっそう大きく広がってぼくを包み込んでくる。
「いいんです。それがぼくですから」
 瞼を閉じた彼に聞こえて伝わったのかどうかは定かではない。言い終えた頃には、支えていた彼の腕の震えはすっかり収まっていた。


  呪い/111120(170421・修正、200915・修正)

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