※年齢↑3、虫系


 部屋の天井の中心に釘を打ち、薄い上質の布を何枚か縫い合わせたものを止める。壁にも釘を打ち布をとめ、蚊帳のようにした中へ孫兵は上着を脱いで入っていった。乱雑に脱ぎ捨てた上着が部屋の戸から飛び出て、丁度そこにいたおれの脚に絡み付いた。上着を拾い上げながら顔を向ける。
 太陽の沈んだあとで暗闇の中、孫兵手製の蚊帳の内側から光が漏れていた。蝋燭を灯しているらしい。布の表面には、床にうずくまっている孫兵の影が映っていた。
「これはなんのつもりだろう」
 蚊帳の裾を捲りあげて中を覗くと孫兵の背中が見えた。死んでしまったかのように、身じろぎもせず、返事もせず、それに呆れておれはため息を吐く。
 這うようにして蚊帳の内へ入ってしまうと、体は蝋燭のまばゆい光に包まれた。意外にも外の寒さをこの布が遮断してくれるらしい。おれも彼を真似て上着を脱ぐと、ふたりぶん、きちんと畳んで蚊帳の隅へと置いた。
「おれも孫兵も、無事就職先の城が決まってよかった……敵同士だけど……ね、淋しい?」
 その問いに孫兵の頭はわずかに動き、一本一本細く色素の薄い髪の毛が床に擦れてじりじりと音を立てた。「はい」とも「いいえ」とも取れる動き。
 顔を覗き込むと孫兵のべっこうの様な薄茶の瞳がこちらを見た。触れようと、手を伸ばすと小気味よい音をさせて叩かれた。
「……さなぎの中では彼女達はひとりぼっちなんだ」
 叩かれた手をさすりながら「うん」と相づちを打つ。おそらく彼は、おれが邪魔だと言っているのだ。
「どろどろに水のように溶けて、それからおとなになるんだ」
「よく覚えているよ」
 あれは一年生の時――

 学園の隅の方に蝶々のさなぎを見つけたという孫兵は、小さい口の両端を微かに上に上げていた。手のひら同士を繋ぎあわせて、孫兵のほうで率先しておれの手を引く。滅多に無いことだった。手のひらから流れ込むようにして自分の胸へ溜まるむず痒さに思わず首筋を掻いた。
 思えばあの時からだったのだ。他の誰よりも孫兵に興味があった。彼のことを知りたいし、おれのことも知ってほしかった。でも孫兵の瞳は蛇や虫ばかりに向けられる。
「ほら見て」
 植物の茎に糸を張って作られたさなぎを指先で軽く突き、孫兵は笑顔を見せる。幼心に、それにどうしようもなく惹かれたのは今でもよく覚えていた。
「触ってみて」
 孫兵を真似て人差し指の先でさなぎを突く。
「……柔らかいんだね」
「中の蝶々は、今はどろどろになっているんだよ」
 そう言うと、彼は何のためらいもなく茎からさなぎを引き剥がした。さなぎと茎とを繋ぎ止めていた細い細い糸がふわっと空に浮き、目で追ううちに背景に溶け込んで消えた。
 彼は虫が好きだった。でも研究熱心でもあったので、時には愛しそうに手のひらに包み込んでいた虫を針で板に張りつけて、その胴体を切り裂くこともあったのだ。
 孫兵はさなぎを地面に置き、まだ手に馴染まないクナイの先でさっくりとさなぎの中心を縦に裂く。悲鳴が聞こえた気がした。さなぎの両の側面を指できゅっと押すと、裂け目から濁った色の、水よりどろどろとした液体があふれ出た。
「これが蝶々」
 指先についたその液体は、太陽の光でぬらぬらと光る。おもむろにその指を口に含んだ孫兵は蝶々になるはずの液体を綺麗に舌で舐め取ってしまった。白い喉がごくりと動き、つられてこちらまでごくりと喉を動かしたのに、彼はきっと気付いていなかったにちがいない。
「甘い気がするよ」
 再び裂け目に指を添え、蝶々のどろどろをすくい上げる。ちろりと出した舌の先にそれが乗った。瞬間に、おれは彼の手首を捕まえた。蝶々を舌で舐める。ぬるりとした感覚とともに甘くまるで水飴のような味。今考えれば、あれは錯覚にすぎなかった。
 夢中で彼の舌を舐め回しているうち、勢いあまって倒れこんだおれたちの横でさなぎは沈黙している。裂け目に少しだけ滲んできた液体、それはおとなになるはずだったのだ。

「……こんな実験がある。蝶々のさなぎの中に小さな硝子玉を入れる。すると、さなぎは蝶々にはならないんだ。さなぎの中身の液体が安定しないから。きみはその硝子玉だよ。藤内がここにいたらぼくはおとなになれない気がする。ぼくの調子を狂わすから、こうやって」
 うずくまったままの姿勢から孫兵の腕がこちらに伸びてくる。あの孫兵が、今まさにおれに触れようとしていた。その手を捕まえてしまいたい、でもそうしてはいけないような気もした。
 伊賀崎孫兵という、ある意味得体の知れないこの生物はきっと知ってはいけない。おそらく彼の深くまで知ってしまったら這い上がっては来られないのだ。魅了された果てに残されたのは敵同士のおれたちだった。孫兵は言っている。今触れあったらきっと卒業後に待つのは地獄のさらに地獄だと。
 寸でのところでおれは後ろに退いた。畳んであった自分の上着を羽織って蚊帳の外へ出る。部屋も出、暗闇の廊下を孫兵の部屋から遠ざかるように、逃げるように、駆けた。



120317/いのちの経験値

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