ジュンコが逃げたらしいと皆が血眼になって探している中で、意外にも孫兵は冷静であった。木陰にひっそり咲く花を摘み取って、唇に挟んで蜜を吸いながら空を見上げている。 「孫兵、ジュンコのこと探さないの?」 珍しく本当に、孫兵とおれのふたりきりになったというのに、彼の方ではこちらをまるで何もいないかのように知らないふりをしていた。 数分返事がないまま経ったので「そういえば次の授業の予習忘れちゃったなぁ」と呟いたけれど、そんな話題には孫兵が食い付かないのはわかっていたし、今回もその通りだった。仕方なく自分も花を摘み取ろうと屈んで足元へ手を伸ばしたとき、そこに青緑一色の蛾を見つけた。 「わっ!」 思わず出たその声には孫兵もさすがに反応して、唇に挟んでいた花をふっと吹き飛ばしておれの真横に屈んで蛾を見つめる。 「死んでる」 ひょいと摘み上げ、手のひらへ転がして指先で少し突いた。その蛾の羽は生きているのと変わり無いようにぴんと張って見えたが、やはり生気を帯びていないのがわかる。何か少し、生きているとは違った。 しばらく孫兵の手のひらの上の蛾をふたり揃ってじっと観察していたが、耐え切れなくなって孫兵を呼んだ。なに、と返事をさせる隙もなく、先程まで花を挟んでいた彼の唇へ自分のを重ねた。すぐに肩を押し返されて、おれは尻餅をついた。死んだ蛾は葉っぱのようにひらひら舞って(人生一の擬態だろう)、地に落ちる寸前で孫兵の手にすくい上げられた。 「藤内、ジュンコとはただ喧嘩中なだけだから」 勘違いするなと言われているようだった。 120303/隣の桃源郷 |