沈みかけの太陽で白いうなじが橙に染まっていて、わたしは息を呑んだ。伊賀崎孫兵だ、とすぐにわかった。というのは、彼が毒虫野郎と独特の言葉で呼ばれているのをよく耳にしていたというのもあるし、それからわたしが何かと生物委員会の世話に(勝手に)なっているというのもあったからだった。
 学園の隅の生物委員会管轄の墓場で、伊賀崎孫兵と出くわすのはこれが初めてだった。だいたいの生徒はこの時間帯には食堂で夕食をとっていたり風呂へ行っていたりする、だからわたしはここに出向くのはいつもこの夕日が沈みかける頃合いにしていた。
 伊賀崎孫兵が墓場から退くのをじっと待つうちに日が落ちた。闇は静寂を連れて、遠くの食堂から香る夕食の匂いにわたしの腹がぎゅうっと鳴る。伊賀崎孫兵は夕食を食べないつもりなのか……と思い始めた頃、目元を擦りながら彼が立ち上がった。俯きがちに歩き去ったのを見届けて、わたしは墓場に近寄る。新しく土を被せたらしい場所を見つけて目を凝らすと、点々と水の落ちた跡が散らばっていた。伊賀崎孫兵の涙だろうか。
 手の先を、その柔い土の中へ差し込んだ。固い穴底にぶつかったところで、土ごと持ち上げる。すると、ざっと手から土がこぼれ落ちて、わたしの手のひらには蛇の遺体が残った。伊賀崎孫兵は蛇を埋めて泣いていたのか……と考えながら立ち上がったその時、わたしは頬を張られた。ぱしん、と小気味よい音、「ふざけないでください」と、怒りに震える声。
「あなたですか。何度も、墓を掘り起こしていたのは」
 伊賀崎孫兵だった。頬を張る勢いはその細腕からのものとは思えないほど強かった。地面へ尻もちつくように倒れこんだわたしに、月を背にして彼は怒る。怒る。その顔が恐ろしく美しく、「ええと」と吃っているうちに腹へ馬乗りになられて、今度は一発拳を食らった。死んだ蛇を埋めたときの名残の涙か、それともわたしへの怒りから出る涙なのかは定かではないが、ぽつぽつとその雫は伊賀崎孫兵の瞳からわたしに降り注いでくる。
「どうしてですか。どうして墓を掘り起こすんですか」
 先に言った、わたしが生物委員会の世話に(勝手に)なっているという話だが、わたしは実は生物委員会の墓場から生物の遺体を掘り起こしては骨格標本を作り、掘り起こしては作りを繰り返していたのだ。
 動物はもともとは寂しがりだ。死んで、土に埋められて風化して、その自分を形成していた形が解けるようになくなって、それとともに自分の記憶すらも消えてしまうより、骨格標本になって皆のいる地上にいるほうがずっといい。
 わたしの上で再び拳を振り上げた伊賀崎孫兵にそう言うと、「どうしてそう思うんです」と極々小さな声でわたしに問うたのに、わたしがそう思うからだ、と答えた。
「わたしも寂しがりだから。死んで世を見つめる目玉がなくなっても、肉がなくなっても、それでも標本としてこの世に在り続けられるなんて素敵なことに思えるんだ。標本になったら、皆よく見るだろう。そのたび、命のあった時・肉や瞳のあった時……思い返しながら……どんな時に喜んで、怒ったのか、思い出してくれるだろう。わたしだったら、死んだ後もそうして生きたいね。だから、きみのように、地面へ埋めてしまいこんでおくことだけが正しいとは、わたしは思えないんだ」
 言い訳がましく聞こえるが、本心だった。 
 伊賀崎孫兵は拳を開いた。自分の爪が突き刺さるほど強く拳を握っていたらしく、血がにじんでいる。わたしの手のひらの上から蛇の遺体を取り上げて「きみは、どうおもうのかな」と背を撫ぜている。


111211(170421・改)/晩節

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -