※死表現、年齢↑5


 長い拷問の後に沼に放り込まれて、綾部は泡を吐き出した。重りのついた太い縄にぐるぐると巻かれて、それから逃れようと体を捩るたびに火傷や切り傷、爪を剥がされた指先が痛む。自分の一生は十八年で幕を下ろすのかと、死を意識した途端に目の前で走馬灯が走りだした。
 幼い頃からざあっと流れてそこに黒く長い髪の毛を見つけた。学園にいたとき、卒業したあと、焦がれた人は男も女もそうだった。それでも十八年だ。片手で数えられるくらいしかそんな人はいない。
 学園にいたころにはたったひとり、立花だけ。立花の卒業と同時にそれまでの関係はばっさりと切れ、今では彼がどこにいるのかさえ知らない。生きているなら自分の前に現われてもよかったはずだが、否、生きているからこそ現われなかったのだろう。
 綾部は学園を卒業してから幾度か女と恋愛をしたこともある。期間で言えば立花よりも長い。それまで立花仙蔵という男の温かさしか知らなかった、いつも抱き込まれていた自分が今度は抱き込む立場。
 しかしこういざ死ぬときとなって思い出すのは学園にいたときの立花のことばかりだった。目の前には女の姿があるのだがそれはぼんやりとしていて、遠くに見える凛とした立花の姿のほうがはっきりと鮮明に見えるのだ。
 春の生ぬるい風に吹かれてなびいた彼の長く黒い髪。それに触れようと泥だらけの手を伸ばしたらぱしんと弾かれて「わたしは喜八郎が好きだぞ」と言われたのがふたりの季節の始まりだった。行為と言葉の不釣り合いなこと、幾度かそんなことはあった。口論になったときには彼は「嫌いになった」と言いながら接吻してきたし、委員会中に居眠りしてしまったときには「起きろ、喜八郎」と言いながら背に布団をかけてきた。初めて抱かれたときに「優しくできない」と言われながら布団に静かに沈み込んだ背中に感じた柔さ、ああもしかして、それに似ていると思った。
 仰向けにたどり着いた水底の泥にじくじくと背が沈み込み、不安や恐怖に伸ばした腕を温い温度が包む。あの時はその温度が立花の手、今は水だ。本来冷たいはずの水でも錯覚を起こして立花の手になる。
 死とは恐ろしい、けれどもそれだけではない。今ではもう行方さえ知らず、きっと二度と会うこと叶わないあの人にまた腕を握り込まれているように錯覚するなんてなんと幸せだろう。
 息を吐ききって綾部は見上げた。泡の中に溶けだした今までの女を見た。立花を探して瞳を動かすと、綾部の頭の横に胡坐をかいていた。白い手のひらで頭を撫でられる感覚が心地よく、あたかも「眠れ」と言われているようで、従って綾部は目を閉じたのだった。



111205/水底に眠る

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