学園の門の手前で血に塗れた忍装束が荷物からはみ出ていないか確認したあとで門を叩いた。小松田さんが顔を出すわずかな間、後ろにいた文次郎が「なぜ無駄なことをした、らしくねえ」とわたしを小突いたが言い訳を述べる暇はなかった。小松田さんが門を開けておかえりなさいと微笑んで、それに返事をして学園の中へ入る。
 城にある巻物を取ってくる、それだけの実習ではあったが、いつもよりも多く自分の体に傷をつけた。理由はわかっている。文次郎の言ったとおりわたしは無駄なことをしたのだ。ただ巻物だけを取ってくればいいものを、わたしは浴室へまで出向いてシャボンを取ってきたのだ。その城の城主が南蛮被れだということは知っていたので、シャボンがあることはなんとなく予想がついていた。
 そのシャボンで喜八郎の泥を綺麗に落としてやろうと思って……というのはただの口実で、心の奥では「喜八郎に触れたい」とその一心だ。実習など、死線を潜り抜けるとなると内のそういった性が湧き出るのはわたしだけに限ったことではない。仕方がないことなのだ、人間、死を意識するとにわかにそういう欲求、子孫を残さねばという考えが沸き立つものだ。しかしわたしたちのそれは不毛なことで散る白は子にはならない。

 藤内や一年生たちはわたしが学園へ入るなり、おかえりなさいと駆け寄ってきたのだが、喜八郎は夕食を済ませたあとになってようやくわたしと文次郎の部屋までやってきた。「おかえりなさい」と泥まみれで言った喜八郎に手拭いを投げ付けて「おまえはいつも泥臭い、今回の実習で城から頂戴してきたシャボンでわたしが洗ってやるから……」ともっともらしいことを言って風呂へ誘った。わたしの後ろで文次郎が鼻で笑い「なるほどな」と呟いた。
「おれは会計室で後輩たちのやった帳簿の確認をするか、間違いがあったらいけねえからな」
「田村にでも手伝いを頼むと良い」
「ああ、そうだな、そうするか」
 文次郎が部屋から出ていったあとでわたしは風呂敷からシャボンを取り出して喜八郎に手渡した。息を浅く吸って「花の匂いのような」と睫毛をはためかせる様に焦がれる。生きていてよかったと感じた、などとそんな大層なことは言わないが、喜八郎がわたしの前にいるこの平常を見て、実習が怪我だけで済んで良かったとは思う。
 しばらくふたりで話し込んで、それから連れ立って風呂へ行く頃には、湯こそ冷めていないものの、生徒殆どが出た後らしかった。
 ぼくが先輩を、と珍しく率先してわたしの背中を流そうと腕を伸ばした喜八郎を座らせる。立てた泡をそのまま手のひらで喜八郎の体に塗りたくる。シャボンの泡がぱちぱちと弾けるたびに喜八郎は身を捩った。
 月の光を頼りに触れた背中は想像していたよりもずっとたくましい。が、傷など一つもない。きっと五年生になれば実習などでこの背中にも傷ができてしまうのだろう。今しがた手を滑らせて洗ってやったこのまめだらけの喜八郎の手のひらに血が肉が、そうしてその頃にはわたしはここにはいない、と思い立ってわたしは頭を振った。せっかくのふたりきりの夜だ。いつかを思うのはよそう。



111129/おまえに潜って溺れた心

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