金城武


 今時分、ATMなどどこにでもある。行く先々で嫌というほど行き当たるし、コンビニはもちろん、スーパーに設置されている所も増えてきた。
 行き先の決めないドライブデートの最中、名取周一は何故コンビニではなく、出張所でもなく、窓口のある都市銀行の支店に入ったか──それは別に、駐車場があるからという理由ではない。
 大手のコンビニだと、特に都市部を外れると駐車スペースを広く取っている店舗がかなり多い。平日の日中なら手数料もかからないし、大体銀行はどう頑張っても金のやり取り以外のことはできない──そんなのは、コインランドリーで野菜を買おうとしているようなものである。コンビニに入れば目的の出金はもちろん、コンビニ大好き男的場静司の欲求も満たすことが出来て一石二鳥のはずなのに。
 にも関わらず、周一はコンビニには入らなかった。もし静司が入りたいと言ったならそうしただろうが、当の静司も特に主張するということは無かった。つまり取り立てて意味はない──意味はないけれど、そのことで結果が変わることは大いにありうる。こう言えば大層だが、いわば運命の転機である。

 会社の〆日や給料日などの兼ね合いもあるために一概には言えないが、平日午前10時半のATMは大抵閑古鳥が鳴いている。周一が静司と一緒に自動ドアの前に立った時、巨大なフロアには僅か4、5人くらいの客しか居なかった。内ATMを利用していたのは、よぼよぼの老夫婦だけだった。
「うっわ〜入れ食いですね周一さん」
 暇そうな案内係の視線を一身に浴びながら両手を広げてコロコロと笑う静司を、周一は慌てて引き寄せる。
「やめてくれ、恥ずかしい」
「おれ、銀行の匂いって好きだなあ。これ何の匂いだろ……何かプラスチックみたいな」
「やかましい」
 肩を引いて、無理矢理ATMの機械の方へ連れていく。心なしか案内係の顔が安堵したように見えたのは気のせいでは無かった筈だ。
 普段上げ膳据え膳の暮らしをしていて、銀行になど行く機会の滅多に無い静司の気持ちの一端は──ほんの一端だけだが、分からなくもない。だが、着物を着た眼帯の長髪なんて、歩いているだけで照明弾をあげているようなものだ。うっかり行き当たった人は気の毒であるし、見られるこっちもたまらない。
 まだ銀行の匂いについて何か言っている静司が、どこかにフラフラ歩いていかないように手を繋ぎ、周一は適当に5万円ほどを引き出した。ついでに結構長い間怠っていた通帳記入もした。その間に客がフロアを出入りしていたのを彼は見た。通帳を挟んだ機械が、うぃんうぃん、ジーコロジーコロと鳴っている長い間、周一は防犯目的であつらえられたATMの背後確認ミラーを見て、目を逸らしてはまたそれを見て、ふうーと大きくて長いため息をついた。
 そして周一はついに、この世には二種類の人間しか居ないことを悟った。

 ………運のいい奴と悪い奴だ。

 ──そして、悲しいことに、紛れもなく自分は後者なのだった。しかもベル・カーブのまさに最端に位置する究極の不幸者なのである。幸運にせよも不運にせよ、いずれか一方の属性に極端に偏ってしまう人間となると、その絶対数は自と減少する。宝くじで何度も高額当選する人間が、ごく少数であるように。
「静司」
 おもむろに強く手を引いて、周一は無理矢理静司の体を自分と機械の間に挟んだ。
「あ、ちょっと、ATMプレイとか……」
 言った途端、ペョ、とへんな音を鳴った。記帳が済んだのだ。通帳が勢いよく機械の中から吐き出され、角の部分が静司の頭をコンと叩いた。容赦の無い角度と思わぬ力強さに、静司は思わずギャーと叫んだ。静司の姿を隠そうとした周一の意図は完全に裏目に出た。
 そして無情にも、フロアに居た全ての人間が──同時に周一と静司を見た。

 客と銀行員と案内係──そして、6人の銀行強盗が。









 周一は以前に一度だけ、コンビニ強盗紛いに遭遇したことがある。
 撮影のトラブルや私生活のごたごたで疲れきっていた最中に、頭のネジが緩んだどこぞの高校生が、レジの女性店員に金を出すよう脅しているところに運悪く行き当たってしまったのだ。さして前の話ではないが、それが「紛い」なのは、結局は未遂で済んだからである。
 しかし、ここに来て今度は銀行強盗。しかも集団だ。どやどやと入ってきた彼らは、一人2つずつくらい持った巨大な土嚢を、いきなり自動ドアの前に積み上げ始めるではないか。
 入口の前に横付けされたトラックからもの凄いスピードで土嚢が積み立てられて、一瞬にして正面脱出の道は断たれてしまった。あからさまに怪しいナンバー無しの軽トラは、役目を終えると運転手だけを乗せて、全員が唖然としている間にさっさと朝の街に消え去っていったのだった。
 ──何という手際だ。相当入念に予行練習をしたのか、またはこの道のプロなのかは知らないが、やっつけのコンビニ強盗とは違って段取りの良さは確かなようだ。
「あそこまで堂々としてたら、いっそ怪しくないんでしょうねえ……」
 案内係の男と二人して人質代表に選ばれた静司は、まさに心から感服したというように、深く嘆息しながら呟いた。
 その手は工事現場用のトラロープでしっかりと拘束されているが、危機感の乏しい当人は余り不快そうではない。
「喋ってんじゃねえ、オカマ野郎」
「えっ、オカマじゃありませんよ」
「黙ってろって言ってるんだ!」
「じゃあオカマは余計じゃないですか。注意は主題を絞って言ってくださいバーカ」
「………」
 周一は片手で顔を覆った。
 ──本物のバカと真面目に話をしようとするとこうなる、という生きた見本である。即座に張っ倒された静司に思わず手を伸ばしそうになったが、周一はぐっと堪えた。今ので殴らなかったら、この強盗は天使だ。
 張っ倒されてすぐに引き戻されたそのこめかみには、自動小銃の銃口が突き付けられた。幾ら何でもそこで引き金を引かれたら、さしもの静司もひとたまりもなかろう。周一はカバンの中の胃薬を飲みたくて仕方がなかったが、深呼吸をして我慢した。
 窓口や中で働く銀行員は一処にまとめられ、外部に連絡が取れないように2人の男が監視についている。周一を含むその他の客は、土嚢の前で入口を見張っている別の2人の男によって動きを封じられており──まあ要するに、八方塞がりである。
 ガンベルトを装着した最後の1人は、支店長らしき男と何かを話している。どうやら金の段取りらしいが、交渉は難航しているようだった。一体幾ら要求したのかは知らないが、どうやらグループの要求する額の現金が、ここの金庫には無いと言っているようなのだ。
 ………がめつい奴らだ。
 自分が足りない分の金をやるから、解放してくれまいかと本気で言いたかったが、それはさすがに無理だろう。裏付けの無い発言は危険だ──それを履行するという信用を得られなければ。
「………」
 いや──待て。身分を明かせばどうだろう、と周一はふと考える。
 計画性の高さといい、こんな時間帯を狙うことといい──そもそも銀行強盗に及ぶという時点で思慮深いとは言えないが、少なくともなるべく殺人は避けたいと考えるタイプの連中であるには違いない。静司の頭にまだ鉛玉が一発も撃ち込まれていないことが、何よりもそれを雄弁に物語っている。

 ──だが、些か状況が剣呑だ。

 男は支店長に掴み掛かり、アーミーナイフの切っ先を軽く喉に突き立てる。頸部の皮膚はしなやかにできているため、軽くつつく程度ではそう簡単に切れたりはしない。鋭い刃で繊維に従い横向きに裂くか、強い力で斜め上に向かって突き上げるか──いずれにせよ思い切りが無いければ、致命傷を与えるのは難しい。
 とはいえ刃を向けられた当人はパニック状態である。出入口はいつの間にかシャッターが閉められていたが、外からはパトカーのサイレンが聞こえている。これがまた、強盗と人質を無駄に興奮状態に陥れるのだ。人質事件の時にはサイレンを鳴らさずに来ることが多いらしいが──まあ、恐らく情報が錯綜したのだろう。
 出入口の見張りの一人が、携帯電話で表の警察と通話しているらしい──完全に交渉を絶ってしまえば、時間経過と共に突入を敢行してくる可能性があるためだ。多数の人質があることをアピールすれば、向こうも易々と動けはすまいと踏んだのだろう。
 しかし、問題は人選だった。
 人質の存在と、人命の保証をアピールし、交換条件として突入を敢行させないがためにそうしたのだろうが──大人しく怯えている案内係のおっさんに話をさせればよいものを、警察に事情を説明するように求められたのは静司のほうだった。
「警察に言いな、命が惜しい──後生だから入ってきてくれるなってな」
「………」
 ニタニタ笑いながら横面に携帯を当てられた静司は、その皮脂まみれの汚ならしい電話機に一瞬顔面をひきつらせたが、次の瞬間にはにっこりと笑って──通話相手である警察──機動隊員に言ったのだ。
「え〜とねえ、内側からシャッターを三回叩く音がしたら、入って来て貰えます?」
『は?』
 静司は即座に携帯を取り上げられ、今度はしたたかに拳で頬を殴られた。
「何ふざけてやがる、クソガキが!!」
 衝撃で片方の草履が宙を舞って、翻った着物の裾から白い脚が見えるや、周一はその間に身を滑り込ませて二発目の殴打を受け流した。監視役の銃口が此方を向いていたが、指示も無く動いている標的を撃つほど無統制というわけでもなさそうだという賭けだった。脅威への対抗策ではなく、牽制の道具であることを冷静に考えれば、攻撃のための発砲などハイリスク・ノーリターンでしかない。
 既に籠城状態になっている時点で、もう逃げ場も無いのだが──だがそれに気付かれて、やぶれかぶれになるのが実は一番怖い。
「……なんだてめえは」
「名取周一」
「はっ?」
 反射的に目を剥いた相手に、周一は不自然なほど曇りの無い笑顔を返した。
「あっ、もしかしてご存知無い?ハハッ残念だなあ」
「え……おい、ホンモノ……?」
 芸能人のネームバリューは銀行強盗のリアルタイムの現場でも有効なのか、と周一はちょっと呆れた。ホンモノだったらどうだというのだろう。
 したたかにどつかれた静司をさりげなく抱き起こすと、周一の手にボタリと鮮血が落ちる──鼻血だ。
 そんなにひどく打たれたのか。
「………静司」
 だが、囁くような呼び掛けに反応した瞳ははっきりしていた。静司は僅かな瞬きでそれに応えた。
 連中がやぶれかぶれになる前に──事を鎮めるチャンスはある。
 強盗団は浮き足立っている。
 静司の手が自由なら、あのコルトガバメント一挺で6人始末するのに1分も要らない。いくら段取りが良いか知らないが、飛び道具の扱いで静司を凌駕する奴などゴルゴ13くらいしか居ないだろうと周一は思う。桁外れな大妖が相手か、著しいコンディション不良を除いて、静司が的を外すことなどあり得ないのだ。6年前の初のコンビネーションバトルで「外すな」などと宣った自分が、それこそ恥ずかしくなるくらいに──。
「……雪舟の鼠だ、静司」
「何を喋ってやがる!!」
 がなりたてる大音声。いきなり胸ぐらを掴み上げられて、周一はグイグイと壁に追い詰められていった。
「ちょ、痛い痛い痛い痛い」
「芸能人だからって、特別扱いしてもらえると思うなよ」
「……判っているよ、でも手荒にしないでくれ。私の連れなんだ」
「ケッ、おホモだちか」
 そうです、と正直に言ったら、今度は自分が殴られそうなので、そこはわきまえた。
 大丈夫──まだチャンスはある。

 雪舟の鼠だ──静司。

 ちらりと見遣った静司は、座ったままだらりと俯いていた。









 正午を過ぎた。
 入ってきた時の手際の良さは何処へやら、すっかり浮き足立った強盗団の最大の懸念は、退路の不在であった。
 支店長と事務員に金庫を案内させ、中身を丸ごと頂戴したのはいいが、如何せん本人たちが思っていたほど話はタイトに進まなかったというわけだ。やはり予行練習とシミュレーションだけが充実した一行であったらしく、もたついている間に建物を包囲されたという情けないオチである。
「駄目だ、トラックは近付けない」
「裏口も機動隊まみれだ」
「──畜生、やべえな……ほかに出口は無いのかよ!」
 やたら無駄口が多くなっているのも余裕が無い証拠。それでも監視の目を怠らせないのは立派だが──そろそろ降参して御用になっていただきたい。そうしたら怪我もしないで済むのに、と周一は内心でせせら笑った。と同時に、何故このタイミングで……と思うと、恨みがましい気分にならざるを得ない。あちこちで強盗ばかり、一体どんな確率なのか。
「人質を一人、みせしめにするのはどうだ」
 ガンベルトの男が言った。
「警察が一時撤収するなら、適当な場所で人質は解放する。拒否したり、時間を置くってならその場で耳でも切って投げてやればいい」
「………」
 ──浅はかな。
 周一は鼻で嗤い、僅かに目を細めた。
 よしんばその案でここを脱出しても、郊外とはいえ街中で、逃走経路には嫌というほど証拠が残るだろう。ましてや人質を連れて逃走するとなると、また一つリスクを負うことになるというのに。
 さっきのトラックだって、既に足がついてるんじゃないのか、とか思いながら、周一はちらりと静司を見た。座ったまま俯き、前面から見える僅かな背中の部分が、規則的に上下しているのが見える。

 ──こいつ、寝てやがる。

「おい、オカマ野郎」
 静司は当然顔を上げなかった。
「死にやがったか?あ?」
 一人が苛立たしげに静司の方へと近付いていく。周一はまた深くため息をついた。
 まあ、予め立てておいた仲良しフラグがあるから、不自然なことにはならない筈だと──周一は己を慰めながら、再び二者の間に割って入った。
「何をする気だ」
 周一は切迫感を演出しながら言った。
「そいつが人質だ」
「怪我してるんだぞ」
「丁度いいじゃねえか。どうせ怪我してんなら、もう一発喰らったってよ。なあ、ナトリシューイチ」
「駄目だ。なら私が代わる。私が行ったほうが、警察も迂闊なことはできない筈だ」
「へえ……そうかい?」
 乗りやがって馬鹿め、と内心罵りながら、周一は後ろ足で眠る静司の太股の辺りを軽く蹴飛ばした。目覚めた瞬間の体の振動が、即座に伝わってきた。
 どんな神経をしてるのか──まったく。
「下手を打って人気俳優が強盗にぶち殺されました、じゃ県警の面目丸潰れだろう。いいか──人道人権人類皆平等なんて言ってても、リアクションには過敏なんだよ公権力ってのは」
「………」
 長台詞はえてして噛みがちだ。許されるのはワンテイクのみ。周一は畳み掛けるようにして続けた。
「一般人が一人殺されるのと、芸能人が一人殺されるのとじゃ、残念ながら扱いが違う。前者は事故、後者は不祥事。で、常に勘弁して欲しいと本気で思ってるのは、後者のほうだけだ」
 そう思わないか──と言って伸ばした手には、もはやひとつも不審な点は無かった。完璧な演技だ。問題は、過剰な友情と自己犠牲演出の不自然さだが、多分、静司以外は誰もそんなことは気にしていなかった。

 ──周一の長い指が、男の手から菓子でもつまむみたいに自動小銃を取り上げる。間抜けヅラの男は何が起こったのかなど、さっぱり判ってはいなかった。
 取り上げた銃を、周一は後方の静司の方に放り投げる。それを静司はキャッチする。僅かに2秒。いつの間にか静司の両腕を縛っていた工事現場用のトラロープは解けていた──いや、噛み千切られていた。
 静司はコルトガバメントを手の中でくるりと回して手触りを確かめると、先ずは目の前の男を左足を撃った。続けて入り口に残った一名。これも左足。次に案内係を拘束している男の手の甲を撃ち抜く。此処まで30秒。
 こう秒刻みになると、もはやまっとうな対応が出来る者は一人も居なくなった。静司は過激な行動を煽るガンベルトの男──リーダーと目される男の利き腕を容赦なく撃った。左にホルスターがあるのだから利き腕は右だ。だが、フェイクかもしれないのでもう片方も撃っておいた。
 窓口にの中に居る二人は容易かった。狙われているともさとられぬまま、片足ずつを撃たれてその場に倒れた──此処までで、1分が経過していた。
「機械か、君は」
 茶化して笑った周一に、静司は無言でコルトガバメントを投げて返した。
 その静司の足元には、紅い子鼠が何匹も侍っていた。草履が脱げた静司の裸足の爪先は、先刻殴られた折に流れ落ちた鼻血で紅く濡れていた。

 静司はその細い爪先で血をなぞり──子鼠の姿を描きあげて、かりそめの命を吹き込んだのである。しっかりと結ばれたトラロープを噛みちぎったのは、この小さな鼠たちだったのだ。

『雪舟の鼠だ──静司』

 室町の水墨画家・雪舟がまだ寺の小坊主であった頃、日々絵ばかり描いていたのを咎められ柱に縛られた折、零れた涙で描いた鼠の絵の伝説。それの出来映えは余りにも素晴らしく、それを目にした住職は、二度と雪舟の絵への執着を咎めることは無かったという。
 のちにはこれを題材に、雪舟の孫であるという雪姫が、父の敵に桜の枝に縛られた折に、桜の花びらを爪先で鼠の姿に模すと、それが白鼠の姿となって雪姫を助け出すという読物も生まれた。
 雪舟の鼠──それは、命なきものに魂を吹き込む技。
「お見事──静姫」
 負傷者の悶絶の中、静司は不敵に笑って周一の側に寄り添い、人目も憚らずキスをした。
 そしてその足で土嚢を押し退け、無理矢理玄関フロアに身を入れると、閉じられたシャッターをきっちり三回叩いたのだった。
 ──周一にはただの災難でしかなかったが、何故か静司は嬉しそうだった。

 やっぱり、銀行の匂いが好きなのかもしれない。



【了】


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