秋韻
証言@ 人気俳優
「え?せ……的場さん?あー、うん、変わった人ですね。いや、通り一遍の悪口じゃなくて。ホントに変わってますよ。もうね、発想が常人でないというか……人間でないというか……」
証言A 高校生
「へ!?的場さん──ですか?的場静司さん?…………ええと、何だろう。ヤバい人、ですかね。あ、言わないでくださいね、絶対。変なことしてなけりゃ、綺麗な人なのになー」
証言B 秘書
「あんまり雇い主を悪し様に罵りたくはないがな。私もこの業界相当長いが、ハッキリ言ってあんな変人はそうおらんぞ。は?具体例?ありすぎて何を言えばいいのかさえわからん」
証言C 元祓い屋
「昔から……ものをハッキリ言う子ではあったな。今でもそうだが、善きにつけ悪しきにつけ、何かと極端な行動に出るタイプと言うか……。良く言えば、無垢というか……ハハ……」
証言D 部下A(髭)
「困った方です。気まぐれで。すぐにしょーもないことを考え付いて、とんでもないトラブルを持ってくるものですから、たまに本気で一発殴りたくなりますね」
証言E 部下B(若造)
「ウチの頭主(笑)。うん、見てる限りは最高に楽しいですよ。見てる限りは。ほら、人は見た目九割とか言うけど、残り一割の中身がアレだといくら見た目良くても百万年の恋も冷めますわ……あー、嫌とかじゃなくてね、こう、自分の世界の基準じゃ計測しきれないというか……スンマセン、うまく言えないス」
証言F 招き猫(妖)
「あいつか。あいつは多分……アレだ。
……アホだ。ただの」
「スイカのタネ食べたら♪ヘソから♪芽が出た〜♪」
妙な歌詞のついたベートーヴェンのピアノ曲を朗々とした美声で歌い上げながら、じきにスーパーから消えるであろう、今年最後のスイカを食べる静司はどこか悲しげである。
静司はスイカが好きである。メロンよりも、遥かにスイカが好きである。それで6月頃から延々と、朝な夕な食べ続けていたスイカの季節が今まさに終わろうとしているのだから、悲しくなるのも無理は無い。勿論昨今はハウスものだって栽培されているけれども、それだとどうしても割高になるし、カットされたものはほとんど店頭に並ばなくなる。三食のデザートをスイカにするのはあまり現実的ではない。
「スイカのタネ食べたら♪ヘソから♪芽が出た〜♪」
しつこく同じフレーズを歌い続ける。その眼下には皮がペラペラになるまで食い尽くされたスイカの残骸と、野菜のハウス栽培の手引き書がある。客間には地元の鼻持ちならないホモ代議士を20分ほど待たせてあるが、そんなことはどうでもいい。
静司の隣の畳の上には、平皿の上に盛られたスイカの赤い身をざりざりと舐めている三毛のでぶ猫が居る。ウニャウニャと美味そうに舐める、そのひとかけにそっと手を伸ばした賎しい静司は、容赦無く指先に牙を立てられ、そして、絶叫した。
その日以降、静司はひどく機嫌が良くなった。何しろむら気な彼が一貫して上機嫌なのは、家人にとっては有り難いことである。
とはいえ、いわゆる「ムカつく理不尽上司」ではなく「可愛いわがまま彼女」的な気分屋である彼は、相当の地雷行為を繰り返しておきながら、何故かいつも、いつの間にか許されてしまうのだった。
そんな一門のセックスシンボルのような静司が、いつもニコニコ、あっちでニコニコ、こっちでニコニコしているのだから、誰もが一緒になって頬を弛めたのは致し方の無いことなのかもしれない。
しかし、彼は何しろ根本的に都合の悪い時に限って、不自然に機嫌がよくなる奇妙な傾向がある。しかし此をして、悪事の前兆と言い切るにも些か無理がある。判断の匙加減が微妙なのだ。而して、その深刻な事態に人は気付かないことが多い。
不幸にも今回が、その手合いであった。
一週間ほどは不自然なほどニコニコしていた静司だが、その笑顔は少しずつ控え目になっていった。一週が過ぎて、二週目にもなると、ニュートラル状態のアルカイック・スマイルに戻ってしまったのだが、そんなことは誰も気にしなかった。
皆、忙しいのだ。
多くの人に畏敬され、可愛がられながらも、若さゆえか変人ゆえか軽んじられることも多い静司のこと。いちいちその微細な心情の変化を気にするのは恋人くらいのものである。
いつもは静司に面倒事が起きれば名取周一、すなわち的場家の隠語では爆発処理専門係に事件解決を巧くなすり付ける秘書・七瀬は、何故もっと早く真相にたどり着き、彼を呼んでおかなかったのか、と後に散々後悔の句を述べている。
「………」
静司は朝から人払いをして、床の上で寝間着から色無地の着物に着替える。帯を締め、本日のスケジュールを反芻し、姿見の前で無理矢理笑顔を作る──その顔は少し青ざめている。
「大丈夫……予定通りだ」
独り呟き、額に手を遣る。その顔は、思いっきり予定通りでなかった人間の顔である。
次に締めたばかりの貝結びの帯に手を遣り、何故か再びいじくり回す。笑顔はさらにひきつった。
「予定通り……いや、範疇内だ」
言い直しても無駄である。思いっきり事態が範疇外である人間の顔であった。
笑っては再びため息をつき、それを交互に繰り返し、しまいには疲れて敷いたままの布団の上に、静司は伏せて倒れ込む。
そこですかさず飛んできたのは、静司が部屋を出ていき次第布団を片付けようと廊下で待ち構えていた若い二人の侍従であった。
「頭主!!」
右から左から差し出される手。
静司は思わず突発的なヒステリーを起こした。手を払いのけ、何のために人払いをしたと思っているんだ、などと喚いた。
完全な暴君である。
そして繰り出したパンチが一人の顔面にメガヒットした時──静司はようやく正気に返った。
彼は前歯が欠けて鼻血を噴き、静司は平謝りに謝った。勿論静司が救急車を呼び、病院までついて行った。
鼻が折れた彼は何だか幸せそうだったが、取り敢えず全治三週間の重傷だった。
「頭主、最近ちょっと太ったんじゃね?」
誰が言い出したのか、以来、それはネタになった。
朝の支度には一切人を関わらせず、すべてを自らの手で行うようになって──以後、誰からともなく囁かれるようになったものである。
しかし、それもその筈。わけあって人知れず、静司は帯を二本締めるようになっていたのだ。生地が薄くとも、一本につき三重で二本も締めれば、否が応にも腹の厚みはぐっと増す。
当然そんな事は知らない面々は、ぱっと見のシルエットの変化からそれを推測したのである。元が何しろスレンダーなだけに、体型が変わると目立つのだ。帯の位置が多少上がったことには気付かずとも、キュッと締まっていた腰の凹凸に帯の生地を詰め込むのだから、多少大袈裟に言うならば、ドラム缶みたいな形になりつつあるのである。
そしてさらに時間が経過すると、静司の帯は何故か縦に巨大化していった。
普通、男帯は腹の下で結ぶ。横から見れば、前はお腹の下、後ろは腰の上、という風になる。したがって立派な押し出しの中年の演歌歌手などは腹の盛り上がりが目立つのだが、そもそも着物とはそういうものであるのだから、中年肥りも粋に見えるのだ。
しかし静司にはこれが非常に都合が悪かったようなのである。どうしても帯を縦に伸ばすことでしか隠せない部分に秘密があったにせよ、仮に誰かが言うように、それが本当に太ったから、という理由であったにせよ──それは誰の目にも奇怪な変化であった。
しまいにはもはや、ほとんど女帯のような帯を巻くようになると、静司は何故か無表情になった。
四六時中機嫌が悪く、すぐにキレ、愛想笑いさえできずに、いよいよ仕事にも支障が出始めた。致し方なしに仕事のスケジュールを調整するほかなく、何よりそのことに静司本人が憤った。打って変わったピリピリした様子に、皆腫れ物に触るような態度になった。
二、三日寝込むこともあり、そしてとうとう──誰も言いたくても言わなかった、禁断の噂が出回り始めたのである。
「頭主、もしかして、オメデタなんじゃ……」
──真っ先に青くなったのは、静司と関係をもった不特定多数の男共であった。それは慰みものの筆頭、髭の副侍従頭だけではない。そもそもが老いも若きも、静司の手がついていない奴を数えたほうが早いのが、このうつし世にそびえる万魔殿・的場家である。
いやいや、避妊具を使ってたから可能性は低いと、ある程度責任回避ができそうな堅実なタイプが居る一方で、淫乱頭主に誘われるがまま常に中出ししまくった馬鹿者も居る。後者はこぞってあからさまに慌てはじめたので、七瀬はこれを人事の参考にしたと同時に、犯人は身内ではなく、名取周一である可能性が高いと本気で考えていた。
本来ならば冷静な彼女がそんなアホなことを、とたしなめるところだが、実際にそれくらい、静司の出で立ちは珍妙なことになっていた。かっちりと帯留めを締め、帯と言うより何だかウエストニッパーみたいになった異様な形状は、しまいには密に安産腹帯などと噂されるようになった。悲しいかな、この噂をただの与太話と突っぱねられる者は、的場家にはもう誰も居なかった。前代未聞の馬鹿御殿である。
そして最後に静司はとうとう、婦人の和装に身を包むようになったのだった。理由は、極度の男嫌いのクライアントと仕事をするための苦肉の策ということだったが、もう誰もそんなことは信じなかった。
静司の笑顔は完全に消えていた。
スターバックスで神妙な顔をして全てを告白した七瀬と、テーブルを挟んで座った周一は、据わった目をして言った。
「七瀬さん」
「何だ」
「しまいにゃ名誉毀損で訴えますよ」
「鬼か貴様。訴えるのはこっちだ」
「いい事教えてあげましょうか」
周一はニッコリと笑った。
「静司は男です」
「見れば判る」
「私も男ですが」
「見れば判る」
「ホモセックスでお子はできません」
「知っている」
「舐めとんのか」
「とにかく名取」
隣のもめ事我関せずを貫くスタバは大変都合の良い話し合いスポットである。テーブルの両端をがっしと掴み、七瀬はいつになく真剣な顔をして、負けじと周一に詰め寄った。
「一度的場に会ってくれ。見てくれれば判る。あの出で立ち──まさかこんなことになるとは私だって」
「えーと……だからね」
「的場は相当悩んでいる。お前のせいだぞ。あんな表にも出せないブッッサイクな格好を強いて……貴様、責任感というものが無いのか名取!」
激怒して捲し立てる七瀬はまさに鬼のようである。決して彼女は気の長い質ではないが、此度のように傍目を無視して怒りを顕にすることは滅多とない。
「ちょっと……落ち着いてくださいよ」
「どの口がそんな事を!」
「……あの、さっきからの話の中に、オメデタの根拠なんか何処にも無いじゃないですか。延々帯の形がどうしたって……静司のことだから、どうせヘソにアサガオの種でも植えたんでしょうに……」
「名取」
「何です」
「見くびったぞ、この恥知らずめ」
「……だから、何故そうなる」
話は堂々巡りである。
静司は姿見の前に立ち、青ざめた顔で身支度をする。
もう、あれからどれくらい経つのか──。
頬が少し痩せた気がする。思いもよらなかった事態に接したストレスは、それだけ大きかったというわけか。
最初、それが判った時は嬉しかった。嬉しくて──笑顔がこぼれて、どうしようもないくらいだった。いつかはきっと、と夢見たことが、現実になったのだから。
静司は自嘲する。
今は、その現実が重い。
お端折を整え、腰紐を結び、伊達締めをしめる。さらに帯締め──女性の着物は存外に面倒臭いものだな、と思いながら、今はきわめて都合の良いそれに、静司はほう、とため息をつく。
──言ってしまえばいいのに、と静司は思う。
頑なになって無理に隠したりしないで、いつもみたいにサラッと、何でも無いことのように言ってしまえれば。
けれども、一度つぐんでしまえば、それを再び口に出すのは難しい。事が深刻になればなるほど、言い出す気概は殺がれていく。そう──深刻なだけに、知られてしまった後に受ける処遇が怖ろしいのだ。
静司の手が、秘密の在処を撫でる。
胸が、早鐘を鳴らす。
その頃、静司の与り知らぬところで、間抜けで薄ら不気味な争いが起りはじめていた。
犯人探しである。
もはや一足跳びに、事態の概要は邸内に知れ渡っていた。それが在りか無きかという論争は、何故か一切起こらなかった。
論争の的とは即ち、誰が「種」かということである。
もしも稚子にひと目でそれと判る目印があれば良いが、そうとも限らない。DNA鑑定などということになれば話は早いが、当の静司がそれを許すかどうかは別だと一人が語れば、秘密裏に進めれば良いと一人が言う。侮辱であると声を荒げる者がある一方、万が一「余所の種」なら如何とする、などと、真剣に話し合っている痴れ者どもが、一室にすし詰めになっているのだ。
帰宅した七瀬はこれを見て頭痛に襲われた。即刻解散を命じ、煽った者には謹慎を申し付けた。その中には、以前静司にぶん殴られて、鼻を折られた奴も居た。
しかし、如何ともし難いのは、七瀬の考えさえも、彼らと大きくは隔たってはいないということだった。彼女とて既に頭から信じ込んでいたのだから、始末に負えない。
──静司の腹の稚は、名取周一の種だ、と。
(どうしよう)
静司は進退窮まっていた。
彼の着物は藍の無地、帯は白かった。静司ほどの線の細い美貌ならば、女の装いでもさほど違和感は無い。勿論化粧などしていないし、着物以外はいつも通りである。
帯が白ならば、ある程度膨らみを誤魔化すことができる──その目論見は見事に中っていたが、もはやそれどころではなかった。
理想的な生育環境を作るため、HB101を定期的に投与するのは忘れない。このどうしようもない事態に陥っても、その作業だけは続行していた。
(……こんなことやってたら、余計に育ってしまう……)
文机に頬杖をつく、その手元には、野菜のハウス栽培の手引き書がまた広げられている。
ページはスイカである。
近年は異常気象が多いとのことで、スイカの生産者はビニールハウスの温度管理に細心の注意を払うのだという。発芽から収穫までの適温、湿度、追肥の種類など、事細かに記されたそれを、静司が試案したある生育条件に転用するにはどうすればよいか──それを考えに考え抜いた末。
(……こんなに上手くいくなんて)
正直なところ、成功するとは思っていなかった。
──ヘソで、スイカを栽培するなんて。
できるだけ水捌けの良い環境をつくり、温度が余り下がらないようにサランラップを巻いたり色んな細工をした。基本肥料はHB101だけなのだが、どうしたことかヘソに根付いたスイカの成長は異様に速かった。マニュアルにしたがって、蔓に成った実を幾つか摘下したのはいいが、当然剪定した分の栄養は残った実に注がれる。
途中で止めれば済むことだが──この前代未聞の実験を、静司の好奇心は放り出せなかった。そしてスイカはどんどん育ち、にっちもさっちも行かなくなって、いよいよこれは、という段階に至るに、静司は誰の助けも得られないことにようやく気付いたのだ。万一こんなことが知れたら、頭主としての威厳は間違いなく地に墜ちる。社会的地位も危ない。第一、もの凄く怒られるだろう。
何しろ、スイカである。
あからさまに腹を隠せば、どんな手合いの噂が飛び交うかは想像できた。普段から「生理か」などと無礼きわまるセクハラを受ける静司である。周一との肉体関係が沙汰されている以上、すわ懐妊か、と騒ぐアホが居ることは想像の範疇内であったのだ。
だが正直なところ、その誤解は有り難かった。誤解されているうちにスイカを何とかしよう、と考えたはいいが、しかしその案が思い付かない。収穫はもう少し先だが、そもそも収穫した後はどうすればいいのか。
静司は激しく苦悩した。とにかく人目から隠匿せねばならないということが第一にある。ストレスは溜まる一方だった。根も葉もない噂など恐ろしくはない。怖いのは真実、そして経過であった。@何とかして欲しい、Aでも誰にも知られたくない──Bにも関わらず、行く末も気になる。
静司が始末に負えないのは、最も重要な事項がBであることだ。
ふいに、畳の上の携帯が鳴った。
鬱々としながら重い腹を抑え、くまモンのストラップを引く。ああ、これは相当美味いスイカに違いない、と思うと、この期に及んで笑みさえも洩れてきそうだ。
相手を確認もせず、静司は通話を開始する。
『あ、静司?』
──第一声から、どことなく不機嫌なのは、名取周一だった。今は彼のことさえ考えるのも億劫な静司は、おざなりな返事をした。
その周一が、言った。突然で悪いけど、という前置きは、明らかな社交辞令であった。悪いなんて全然思っていないのが明らかな口調で、彼は続けた。
『……君、ヘソにアサガオ植えたりしてないよね?』
【了】