天国に一番近い島【前編】


 船が沈没した。

 ごく小型の旅客船(というのも些かおこがましい)で、極寒の大晦日ということもあり、乗客はほとんどいなかった。多く見積もっても10人は無かっただろう。
 沈没と言っても、即座に客室まで浸水したわけではなし、乗務員が乗客リストと照合して点呼していたことから、恐らく乗客全員が救命ボートで逃げおおせたのだと思う──少なくとも船長が実刑までくらったコスタ・コンコルディアのような悲惨な事態にはまったくならなかった。船員らしき男の間延びした「あ〜あ」などという声が、事態の緊急性の無さを物語っていた。

 乗客及び乗務員全員が退避した後、まだ大部分が海面に出た甲板の上で、名取周一は寒々しい空気の中燦々と照り注ぐ真冬の太陽の下で帽子を脱ぎ、船から離れようとする救命ボートに向かって式護法を打った。
「ふう……」
「主様──」
 背後には微動だにしない二つの影。周一の使役する式、長い黒髪の瓜姫、一つ目面に二本角を持つ柊が控える。いずれも女だ。絵に描いたような垢抜けた美男に率いられた彼女らは、この晴れ晴れとした青天の下には完全な異物であった。
「どうだ、笹後」
 すると新たに、目を隠した角持ちの妖艶な女妖が、船板を抜けるようにするりと姿を現した。
「船底に妖──否、起屍鬼が貼り付いておりまするな」
「ふん……」
 眉ひとつ動かさず、周一は顎に手を当てる。
「沈没の原因に間違いないか?」
 笹後の表情も勿論変わらない。
「恐らくは。足を稼働部に絡ませながら、腕で船底を掻きむしった模様。肉体は損壊しておりますが、何分起屍鬼ゆえに」
「痛覚も無い──か」
 笹後は頷いた。
「今は既に船を離れつつありますが、追いますか」
「いや。現時点の確定情報だけで構わない」
「残念ながら、骨格から男性である可能性が高いこと以外は、何も──」
「そうか」
 浮腫のいちじるしい水死体は、時に性別の区別さえつきにくくなる。多くが顔面を下にして浮くために、顔の浮腫や崩れはとりわけ酷いものになりやすい。水死者の身元調査が難航するのはこのためであるという。
 周一は少しずつ沈みゆく船に動じることもなく、ポケットから取り出したコンパスを回した。
「…………これも駄目だな」
「主様?」
「強い磁場が生じてコンパスが使い物にならない。地下にメタンハイドレードでもあるのかもしれないな。ハハ、まるでバミューダ・トライアングルだ」
 コンパスの針はぐるぐると回り、一定の場所に定まらないままだ。まさに間近で強い磁力にさらされているかのように。
「主様」
 柊が静やかに語りかける。
「……そろそろ移動致しませぬと。人目も避けられますまい」
「そうだな。海上保安よりもマスゴ……いや、報道機関の皆さんのほうが私は怖い」
 周一は一寸愉快そうに唇を歪め、甲板に放置されている、キーの刺さったままのカワサキのジェットスキーを、甲板とほぼ水平に近くなった海面に浮かべる。このオモチャのような乗り物とて、運転するには小型船舶操縦士免許が必要なのだが、そんなことはこの際どうでもいい。ジェットスキーが海の藻屑となるよりはよし、また何しろ乗船者リストに周一の名前は載っていないのであるから、そう容易く足もつくまい。運がよければ返してやろう。
「…………」
 船のスクリューにからまる水死体のイメージに多少嫌な気分になり、少し距離をとってエンジンをかける──ハンドルから伝わる振動と、ゴウゴウと小うるさいエンジン音と共に、サーファースタイルでもなく、祓い人にもましてや俳優にも見えぬジャンプスーツの怪しげな男は、些かうんざりした様子で、真冬の海上へと乗り出した。










 沖縄県久米島南部に浮かぶ大小様々な群島群の中の一つに、因縁というほどの因縁ではないが──過去にちょっとした縁のあった島が浮いている。
 群島の中にはリゾート地として開発されている島もあるが、一帯の多くがごく小さな無人島というエリアの一つに、一切人の手の入っていない地下鍾乳洞を有する小島があるのだ。
 人目につけば観光地としての収入も期待できそうな場所ではあるのだが、いかんせん何しろ面積が余りにも小さく、鍾乳洞自体が海底を走る深いもので、当然整備されていないために、そのままの状態ではまったく話にならないのだ。
 もしも観光地化しようとすならば相当に大掛かりな手入れ──埋め立てやハーバーの整備が必要なのだが、県にしても業者としても、事後の回収率を考えればそれほど旨味のある事業ではないのは明白だ。ともかく土地面積が無ければ、観光客が金を落とすシステムを作るのは難しい。立地も悪く、アクセス方法も限られ、それこそせいぜいが小船かジェットスキーでたどり着くのが関の山といった具合である。
 ──とはいえ、島の周囲には大小様々なマングローブが生い茂っていて、こうして真冬であっても陽光の下で見てみればなかなかの壮観であった。まさに南国の秘島といったところか。
 ──その間隙になんとかジェットスキーを停泊させて、マングローブの幹にロープで船体を固定する。

 見たところ、島内には哺乳類は生息しておらず、あるのはもっぱら虫やら鳥の姿だけである。恐らくは生態的隔絶があるのであろう。
 鍾乳洞の入り口は噴火口のように地表に突き出ていて、あたかもギーガーのデザイン画の如く悪夢じみたオブジェさながらの歪な吹き抜けのような様相になっているのだが、真っ暗な海底を貫くうつぼへと繋がるそこは、まるで地獄への門のようだ。
 事なかれ主義の血が騒ぐ。

(……入りたくないなあ)

「この門をくぐる者、一切の望みを棄てよ──か」
 思わずうんざりと「神曲」の冒頭を諳じる。
 真冬の陽光の中、鍾乳洞の中から立ち上る濃厚な妖気は、まさにおぞけをふるう類のものだった。怨嗟の渦──無人島であるはずの洞穴から聞こえてくるそれらに、周一は思い当たるふしがあった。

 ──具体的な詳細は知らされてはいないのだが、かつてこの離島で、単身やくざと張り合って銃撃戦を繰り広げた挙げ句、同業者内では禁術として認知される屍体操作術を行使した馬鹿者が居た。
 その馬鹿者は的場静司といい、名前が示す通り、祓い屋大家的場家の長たる立場であるのだが、この的場なる一門たるや、どいつもこいつも唯我独尊きわまりない振る舞いが目に余る悪辣この上ない連中なのであって、当然同業者からの評判は最悪だ。ましてこの地で静司がやらかした後始末は当然一門の手で清算されてしかるべきものながら、連中ときたら頭主がしでかした不手際と、現場から的場の足がつかぬよう、執拗にして周到な証拠隠滅を図った以外は、何のアフターケアもしなかったのである。
 まあ、恐らくは静司自身が身内にも口を割らなかったということもあるのだろうし、まさかこのような事態になるとは思ってもいなかったのかもしれないが。

 このような事態──それがどういうことなのかと言えば。

 禁術と呼ばれ、忌み嫌われる術には、大抵は相応の謂れがある。
 簡単に言うなら、多くの場合は後始末が厄介なのだ。それを怠ったばかりに後々トラブルを引き起こしたり、人死にに繋がるようなことが起きるもの──そうしたものには、やがて同業者間で行使を控えるという暗黙の了解が生まれる。それがやがて時間を経て、はっきりと禁忌とされていくのだ。
「屍体操作術」もその一つである。
 これが禁術とされる所以は、第一に禁忌性──死者を操るという、不可逆的な現象に逆らうことへのモラル・ダウファウンティングが、反射的に人々に嫌悪感を抱かせるからであろう。周一自身の見解は多少異なるが、その不随意反射の不安は共感できずとも理解はできる。
 第二は、術の実質的な危険性である。死者を操るという術は、死体を器として魑を吹き込むことで成り立つものだ。つまり、「甦った死者」は「死亡した当人」では無い。要は術者が紙に式を宿らせて使役することと、本質的には変わらないのだ。
 しかし、式と術者とは契約関係にあるが、魑は術者によって強制的に骸の中に吹き込まれることから、術を用いて甦らせた死者は、用が済んだのちに然るべき手順を踏まずに放り出してしまえば勝手に動き出してしまう。いわゆる『起屍鬼』或いは『屍人』──映画のゾンビのようなものである。
 このゾンビ状態──起屍鬼状となったものは、肉体を得ることによって、生き物の血肉を欲するようになる。死した肉体を動かすための動力となるエネルギーが必要になるのだ。
 さらに迷惑なことに、起屍鬼というものは死を媒介し、これに傷つけられたものは衰弱して死に至り、その死者もまた屍人となって甦るのだ。魑とは既に知恵や意識の損なわれた人間の妄執の塊と考えられているもので、その真偽はともかく、実は常時にそこいら中に飛び交っているものでもあり、屍人に襲われた屍体には、魑は殊更好んで入り込もうとする──それこそ酔っぱらいの血を好む蚊のように。
 その連鎖を断ち切るには、最初にかけられた呪詛を解呪する必要がある。これがリビングデッド・パンデミックの厄介なところで、起屍鬼の「始祖」を見つけ出さなければならないのである。

 立ち上る異様な冷気に、さしもの周一も二の足を踏む。この地獄の洞穴は──果たしてあれから、どれほどの邪気を溜め込んだのか──。
 圧倒されるような、ほとんど物質的なその邪気は、地上にまで異質な冷気を運んでくる。











 この近辺の海域で、レジャー客の行方不明事故が多発しているというのは、以前から小さくニュースにはなっていたらしい。但し、いずれの事故もこれといった事件性は無いということらしく、夏は旅行者も一気に増加する地域でもあることから、特にピックアップされることもなく、周一の情報網にも引っ掛かることも無かった。
 ただ、最近、当の静司が前年度初春からの依頼案件のデータを整理をし始めたというので、自分も惰性で放ったらかしておいた書類整理をはじめたところ(助手が欲しいというのは、実はこういう理由もある)たまたまテレビでやっていた事故のニュースとまったく同じエリアの案件が出てきたので、ふと不審に思ったのだ。
 しかもその案件とは的場の管轄で、周一自身は事後処理──というよりも、撤収時のサポートのみに関わったという特殊なものだった。
 祓い屋という胡散臭い職業にも、一応守秘義務というものはあるので、同業者間といえど、おいそれとクライアントの情報を流すことは許されない。したがって、周一はこの事件に関する概要以上の、つぶさな仔細については知らされていない。
 だから、実際に現場で周一がやったことといえば、腹に穴を開けられて満身創痍になった静司を孤島から回収し、的場から500万円と経費をせしめただけである。

 それで再びこの離島くんだりまで足を伸ばしたのは、前述の通り、偶然得た情報に記憶が引っ掛かったためであった。依頼者はいない。従って悪い予感が的中したとしても、報酬を支払ってくれる者など無い。経費も実費である。当たれど外れど骨折り損だ。

 夏場の周辺海域の事故の頻発と、この無人島で起きた惨劇。もし無関係でないならば、事故はさらに続き、さらに人死が出る筈だ。その事実が事実として幾つも蓄積されて改めて報道された時、ようやく人々の目は此方を向くのだろうが。
 ──幸か不幸か、何にせよ此度も事故は起きた。先の客船が起屍鬼の標的であったのは、先の笹後の報告が証明している。
 妖とは異なって、『起屍鬼』=『屍人』は死体である。定義は「死を経た駆動する肉体」であると言って良く、少なくともこれは分子からなる物体であり、物質であり、有機体だ。つまり、誰の目にも見えるのだ。
 もしそれが大々的に世間に晒されるような事態になったなら──死の概念は些かなりとも揺さぶられ、世相は一変するのだろうか。大衆の畜生性を鑑みればそれも自明だ。もしも死者が「誰か」の姿をとれば、彼らはたちまち記憶を投影するだろう。それがただの虚像であると理屈では判ったとしても──。
(笑えるな)
 意地悪く周一は嗤う。
 否、自嘲か。
 大衆の畜生性──自分とて、かつて恋うる者が死の仮衣を纏った刹那、何をも犠牲にしても彼の人を甦らせんと不様に足掻いた身ではないか──と己を嘲笑ったのである。
 周一が、観光客が極端に少ないこの時期ゆえにこうして、地獄の窯を封印するために再びこの地にやってきたのは──自らを嘲笑する羽目になった所以、すなわち不始末の元締めとの、実に複雑な関係ゆえであった。

 降り立った先の、鍾乳洞を降りていくのもひと苦労である。人が歩くようにできていない地面の隆起ときたらすさまじく、気を抜けば足を取られ、運が悪ければ底無しの奈落に転落だ。灯りが手持ちのライトしか無いせいでもあるのだが、目を凝らしても鍾乳洞の底は見えない。しかもその底からは、風の音なのか、はたまた屍人の怨嗟の声なのかは知らねど、筆にするに堪えないおぞましい反響音が終始聞こえてくるのだ。
「柊、瓜姫、笹後」
 ──即座に呼応して、姿を現す女妖。ことに『祟りもの』として知られる瓜姫は、戦乱──宴の相をしてかすかに笑んでいる。
「柊は先行にて道形の確保、笹後は周辺の捜索にあたれ。異変があれば即座に連絡を。瓜姫は襲撃に備えて私のサポートを頼む」
「御意」
 即座に瓜姫を残して二者が散る。

 ──まったく、審美にかない、優秀で、忠実な式どもだ。この地の底へ到る地獄門に相応しい、闇に則した美しい妖どもよ。

 禁術で甦る──いや、再びその身をもって動き出す屍人は、当然ながら視神経など生きてはいない。視神経だけではなく、神経系全域の機能が丸ごと死んでいるのだが、不可解なことに、嗅覚に関しては独特の質を新たに獲得するようなのだ。つまり、生きた人間の血肉だけを探り当てるための、特殊な嗅覚である。これは実に鋭敏で、さしもの周一でさえ、対起屍鬼ともなると問答無用で身構えてしまうほどだ。何しろガブリとやられたら最後、一も二も無く仲間入りとは余りに分が悪いではないか。
 にべもない、とはまさにこのことだ。まるでホラー映画さながらのロケーションである。
「主様、来ます」
 瓜姫の合図に、周一は軽く右肩を廻した。
 対起屍鬼戦においては明らかに相性が悪いものの、周一は投擲や飛び道具の類の扱いは余り得意ではない。確実なのは接近戦で、しかしそうなると、先の起屍鬼の特性によって接触による余分な危険が生じる。
「すまんが、フォローを頼む」
「お退がりください」
 冷悧な声音に周一は一歩退く。闇から伸びてきた青白く、腐敗して水を含んだ幾つもの手を、時に緊縛し、時に斬断する妖の黒糸、瓜姫の髪が絡め取る。
 そこで正面対峙する周一が、退魔の印を記した掌底を叩き込む。起屍鬼は肉体に致命的な欠損(頭部を破壊するなど)や強力な退魔の力を込めた打撃を与えればその活動を停止するが、一体一体に対してそこまで徹底するとなれば、コストパフォーマンスの面で不利になるのは明らかだ。
 掌底を打たれた一体は、焼き印でも捺されたかのような音をたて、唐突に動力を失って仰臥した。
 あとはその繰り返しだ。呆気もなく葬らる、物忌まいし弔い。
 とはいえ、退魔の技は妖にも有効なのだ。身をよせあって戦う瓜姫が時折、反射的に身を引くのを見て、周一は内心舌を打った。戦力分布を誤ったか──だが柊は退魔に対しての耐性をもつ一方、さほど戦闘に特化した妖ではない。周一と同様に接近戦を主とする以上、今回のケースでは恐らく共闘の相性は余りよくはないと考えられるのだ。笹後はその特性上、他の妖より圧倒的に優れた感覚を持つが、退魔に対する耐性は持たず、戦闘に秀でた妖ではない。

 これ以上、彼女に負担をかけるわけにはいくまい──。

「瓜姫、下がれ」
「なりません」
「命令だ。お前を──……」
 言いかけて、周一はハッと言葉を呑み込んだ。
「………」

 ──何を、言おうとしたのか。

『お前を──これ以上危険に晒すつもりはない』

 散々死地を共にしてきたばかりか、剣として、盾として、酷使してきた、単なる式の一体だ。何を思って、情を露に、労るような言葉を選ばんとしたのだろうか。
「とにかく退け。命令だ。これではきりがない──!」
「せめてお側に」
 ──だが、瓜姫もそうだ。名取の式たるもの、主の決定に異論を挟むなど、そうはない。
「……」
 周一は苦り切った表情で答えた。彼女の存在と彼女の力は、間違いなく場を乗り切る助けになるからだ。
「……判った。退避の判断は任せる。但し、先が分からない以上は無駄な危険を冒すな」
「御意」
 そうだ。
 自らの意図など勘繰っている場合ではない。とにかくこの思いもよらぬ惨状を打破しなければならない。いつの間に、これほど起屍鬼が増殖したのか──かつて静司が此処でやらかした、ただ一度の闘争が、まさかこれほどの事態になっていたとは。

 先の船舶事故を考えたなら、被害がどう拡散していったのかは判る。先程は自分たちが邪魔をしたためにスクリューに貼り付いた起屍鬼は姿を消したが、放っておけば這い上がってきた挙げ句に惨事になっていた可能性が高い。
 単純に考えるなら、おそらくはその反復だ。繰り返すが実際、関連をいぶかしむ近郊の海難事故の事例では、死者よりも行方不明者が突出して多い。海流云々という話も出ていたが、ああして人間の匂いを嗅ぎ付けた起屍鬼が海域に浮遊して──仲間を呼んで襲い掛かるのだとしたら。
 発端となった事件の全貌も知らない周一は、無論『感染源』が何であるかも知らない。起屍鬼、と一括りにしても、呪詛の経路や程度、感染の媒体もそれぞれ用いられた呪術の特性によって異なるからである。
 それだけに、安易に返り血を浴びるのも恐ろしく、地道な退魔術に頼ることになるのは致し方無い。柊が露払いをしているお陰でこの程度で済んでいるというのだから、まったく先が思いやられる。足をすべらせて行方不明も相当に嫌だが、仲間入りだけは是が非でもご免被りたい。
「主様」
 音もなく傍らに寄ったのは、捜索より帰還した笹後だ。
「どうだ」
「最奥に、一体ばかりの女妖が」
「何?」
「ただ、あれは邪気の塊──死者どもの怨嗟を取り込み、とうに原型さえとどめておりませぬ」
「……どういうことだ」
 原因が妖ならば、起屍鬼を生み出す呪術を操る妖であるということだ。妖と起屍鬼では根本的に質が異なる。起屍鬼とは意図的に生み出さねば生まれ得ない造贋物ではなかったか。
「本来どのような姿であったのか──もはや判別もつきますまい。鍾乳洞と同化し、おびただしい死者の骸と一体になっては、なおひたすら呪詛を唱え続けておりまする」
 ──考えるだにおぞましい姿だ。
「妖力の程は?」
「……個体の妖力を、同化した死者を媒体にして増幅を続けた様子。元は並み居る一介の妖が、今や大妖とも比すほどの障気の源に」
「……地上にまで溢れた妖気の源はそれか」
 合図もなく互いに背を向け三方を塞ぎ、襲い来る起屍鬼の猛攻を防ぐ。

 ──彼らは誰だったのだろう。

「誰か」だったころの姿を保ちながら、もはや心を持たないというのはどれほど悲惨なことなのだろう。ならばせめて、この地獄の底に、誰にも知られぬまま葬ってやりたい、と周一は思う。

 ──堅く拳を握り締める。

 死とは。
 いや、生とは。

 何と不条理で、残酷な実存であろうか、と。
 さりとて人為を徒に悪と謗るわけにはゆくまい。己が内に作った天国と地獄を信じ続ける人間が。妖の所業も然り──真に憂うべきは、因果を認知し審判をくだす自らの眼であると、周一は知っていた。
 それだけは、何時でも。




【続】


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