ミスキャスト【前編】
Dear 烏罪様


 深夜零時を過ぎた頃、マンションの正面玄関につけたタクシーから的場静司が姿を現した途端、遠近四方八方から現れる影、そしてほとばしる閃光に、静司は反射的に片手で顔を覆った。
 ぶしつけな光の氾濫に、静司の機嫌は一気に急転直下だ。

「名取周一さんのお知り合いの方ですよね!」

「……!?」
 だからどうしたと返す間も無く、次々と怒濤のように浴びせられる問いが、静司の中で意味を結ばない。
「先日のニュースはご覧になりました!?」
「あの写真についてコメントを頂きたいんですが」
「……え?」
 静司は不愉快を露に眉をひそめる。
「名取さんとはぶっちゃけ、どういうご関係でいらっしゃるんですか?」
 ──どれも質問の意味が判らない。いつのニュースの、どの写真だ。静司の記憶には何も引っ掛からない。ぶっちゃけた関係、と言われても、答えは問う者の立場によって変わる。一体何をぶっちゃけろと言うのか。
「──何者だ、貴様ら」
 静司の率直な問い。
「聞きたいことがあるというのならば、それなりの礼儀をわきまえてくれ」
 だがその瞬間、少なくとも深夜であることを憚っていた面々のざわめきが異様にトーンを増した。
「……?」
 静司にはさっぱりわけがわからなかったが、ひと呼吸を経た次の瞬間、遅ればせながらすべてを理解した。

「……あなた、まさか、男の方ですか!?」
「………」

 静司は頭を抱えた。
 ──ゴシップ記者だ。









「周一さん!!」
 マンションから離れた時代錯誤な電話ボックスの中で音声を遮断した上で携帯電話を耳に当て、静司は目を吊り上げて鼻息荒くがなりたてた。
『……あれ、静司?どうしたの、零時に来るって……』
「それどころじゃない──あなたのマンションの玄関がゴシップ記者まみれで散々な目に遭いましたよ!」
『え!?』
「写真とかニュースとか、あなたとの関係がどうしたとか、色んなこと訊かれて」
『せ、静司、ちょっと待って、落ち着いてくれ』
「は?落ち着け?これ以上もなく落ち着いてますが」
『……判った、判ったから静司、今何処に居るの?すぐに迎えに行くから──』
「やかましい!!」
 静司は怒鳴った。
「──おれのことはいい。とにかくあの記者共がどこの連中かすぐに調べなさい」
『し、調べてどうするんだ』
「……決まってる、あの世に逝ってもらうんですよ」
 静司の白い額に浮き出た血管がぴくぴくと動いた。電話の向こうで、周一が慌てて何かを言っていたが、怒髪天を衝いた静司の耳には何も聞こえなかった。











 再び静司が周一のマンションを訪れたのは一週間後の早朝だった。
 幸い──パパラッチはもう居なかった。というか、もしまだ居たら、今度は撃ち殺していたところだ。いや、もしかしたら周一が殺したのかもしれない。彼らは至極穏当な人間でさえ、一瞬で悪鬼羅刹に仕立てあげる特殊能力をもっているからだ。これに太刀打ちできるのは、もはやヒュー・ジャックマンくらいのものである。
 しかし、目下の問題はそこではない。静司はもう端から羅刹の形相である。取り敢えず茶でもと支度をする周一の顔もひきつっている。
「茶の支度に随分と時間をかけるようになったんですね、周一さん」
「あ、いや。美味しいお煎茶を淹れようと思って……適温になるまで湯冷まししていたんだよハハハ」
「……ウソつけ」
 聞こえないように吐き捨てて、静司はテーブルに頬杖をつく。

 ──まったく、厄介なことになった。

 待ち伏せしていたパパラッチどもに、周一のマンションの正面玄関でタクシーを降りたところを写真に撮られたのが一週間前。その翌々日、某スポーツ紙に静司の記事が載った。
 無論身元は明らかにされなかったが、静司がこの某スポーツ紙の記事の中で、俳優・名取周一の友人「F氏」として掲載されたのには、少々込み入ったら事情があるという。
 それなりの大手ならば、どこの事務所でもマスコミ各社と強いパイプラインをもつ人物がいる。いわゆるトラブル専門のシナリオライターである。周一の所属する事務所にも、タレントのスキャンダルなどのトラブル処理を得意とする人物がいる。
 そうでなくとも「フライデー」や「フラッシュ」ような特定の写真週刊誌を除く雑誌編集部が自誌のスクープを、発売前に芸能事務所に知らせるのは業界における暗黙の了解とされている。
 周一曰く、あの夜の待ち伏せは「女性セブン」なる女性週刊誌の張り班の連中であるらしく、事前に記事の内容を知った事務所側は、都合の良い内容にシナリオを変えて、懇意にしている某スポーツ紙にネタを流した。スクープをとったのは週刊誌でも、あくまで先に発売されるのは新聞だ。さらに事務所は即座に取材に応じるという形で、静司に関する無難な情報を流したのである。
 多少幸いしたのは、静司を張ったのが写真週刊誌ではなかったことだ。後になって女性週刊誌に静司の写真が載ったとしても、二番煎じ、三番煎じではインパクトも薄く、事務所が取材に応じた後となってはもはや、ありきたりな記事しか書けなくなってしまう。芸能界流の周到な口封じというわけである。

 ところが──である。

 後日発売になった女性誌は、そんな事務所の小細工を嘲笑うように静司の情報を暴露した。さすがにフルネームは明かされなかったが、先のスポーツ紙が報じた「F」という架空の人物の存在をきっぱりと否定して、新たに彼らは、【名取周一の交遊関係に迫る──謎の美青年投機家「M」とは誰か】という見出しを仕立て、申し訳程度にモザイクが入った静司の横顔が華々しく紙面を飾った。静司は投資事業等で巨額の富を築いたとある旧家の若き家督で、政財界との繋がりも深い人物とも同紙は報じた。

 これらの騒ぎの火元になった経緯を、静司は知らないのである。だから腹を立てているのだが、どんな答えが返ってきたところで、これはおかしい。それに、言われずとも、火種のシナリオなど大体読めている。
 どうせ、どっかで周一とキスなりハグなりしているところをキャッチされでもしたのだろう。それが「先日のニュース」になり、「あの写真」になり、「名取との関係」にまで話は及んだのだ。
 そこに、あのタイミングであの待ち伏せ。つまり、件の張り班の連中は、静司があの時間にあの場所に現れることを知っていた。それも出現情報だけではない。掲載記事から察するに、静司の正体を──少なくとも名前や顔、素性の概要を知っている奴がどこかに関わったのは間違いない。

 そうなると、情報源はどこかという話になる。女性関係がそれほどゴシップになりにくい上、誰ぞと揉めているわけでもない周一のことである。おそらくはタレコミがあった筈だ。外部の強力な情報源を確保したからこそ、雑誌は記事の掲載に踏み切ったのだ。

 静司自身は、芸能事務所とは別の意味で巨大な後ろ楯をもっているため、新たに身元を探ろうとしても、普通はまず無駄に終わる。
 加えて事務所とマスコミとの暗黙のルール──二重に守られているはずの情報がたやすく決壊したのであるから、情報提供者はこの二つの網目に引っ掛からない人物であると見ていいだろう。

「でも、変だな……」
「何がだい?」
 静司の手前に湯呑みが置かれる。確かにいい匂いだ。
 何とか胡散臭い笑顔を保ったままの周一の顔を一瞥すると、静司は何となく鼻で笑った。間抜け面した出涸らし男め──自分の趣味の悪さに辟易するわ。
「……この間のゴシップ記者ですよ。それだけ記事になるネタを持っていたにも拘わらず、おれが声を出したのを聞いて、『男か』と言ったんです」
「ほう」
 普通、この手の話をゴシップ記事に仕立てあげるなら、人気俳優の熱愛報道の相手が男だというのは、ネタの中でも最大の焦点ではなかろうか。情報提供者が静司の顔や名前、素性を知りながら、性別を知らないなどということがあり得るのだろうか──。
 周一のほうは、何か据わりが悪そうだ。
「……静司、その件は取り敢えず置いといて──先に謝っておいていい?」
「嫌ですよ。先に説明してください」
 静司は圧倒的優位な精神状態で、周一を冷たく睨み付けた。
「……判った。じゃあ、これを見て」
 ローボードの引き出しから、周一が出してきたのは、ゴシップ誌とスポーツ新聞だ。日付は少し前──十日かそこら前の日付になっている。そして、件の女性週刊誌も。
 静司はそれを、汚いものでも触るようにつまみ上げる。ゴシップ誌など、生まれてこのかた触ったことすらない。
「『名取周一、新恋人発覚か』」
 静司はトカゲのような目をして、機械のように記事を読み上げる。
「『先月末、長崎でBKA69のメンバーとのお泊まり愛が話題になった名取周一だが、今度は自宅マンション付近で、一般女性と思われる人物とキスをする姿をキャッチされた。
 料亭から出てきた二人は、タクシーが来るまでの間、仲睦まじく会話をし、親密なボディタッチを繰り返す様子が見られた。名取と一緒の姿を撮られたのはロングヘアーのスリムな長身の美女で、別れ際に熱烈なキスをかわしたところから、新恋人ではないかと各メディアで報じられているが、現時点では事務所はコメントを出していない』………へー」
 静司の冷たい目が周一を一瞥する。
「長崎でバカと69?周一さん、暇そうですねえ羨ましい」
「そこはどうでもいいだろう。大体それはウソだ。問題は下の……私と君の写真なんだが」
「……」
 粗くて見にくい週刊誌の紙面には、確かにタクシーに乗り込む前にキスをする周一と静司の姿をキャッチしたスクープ写真が掲載されている。
 ……やはりそういう話だったか。
 とはいえ、静司の顔はほとんど映っておらず、かろうじて髪が長いことが判るくらいだ。
 しかし、この時点の報道では、静司は女性であると思われている。
「……なるほど、これが先日のニュースとあの写真、というわけですか」
 あまりのくだらなさに、静司は週刊誌をダストボックスに投げ捨てる。こんなことが話題になるなら、首相がバカでも議員がパーでも、日本は平和だ。
「済まない静司。大した記事でも無かったし、君に迷惑が掛かりそうなことでもないと思って黙っていたんだ」
「……でも、今回は新たに誰かがおれの動向を事前に記者にリークした、と。それでマンション前で写真を撮られた挙げ句──素性まで曝されつつあるわけですね」
 静司の白い指が、最新号の「女性セブン」をつまみ上げる。本気で汚いもの──まるで排水溝のヌメリでも触っているかのようだ。
「……『本誌独占スクープ!名取周一の交遊関係に迫る──謎の美青年投機家「M」とは誰か』」
 静司が手にしている女性週刊誌は、あのマンションで待ち伏せしていたパパラッチの親玉だ。先駆けて発売したスポーツ紙に対する事務所の情報操作が無意味になった──ということは、女性週刊誌側が得た情報が確かだという確信があったからだろう。
「『名取周一、深夜に美青年をお呼び出し!同性愛疑惑勃発!?』……なーにを今更」
 舌を出して、静司は嘲笑う。
「大体投機家って何です。人をトレーダーみたいに」
「投資家?」
「まあ、表向きは。周一さん──何かバカにしてるみたいですけど、キャピタルゲインだってバカにならないですよ。元手があればあるほど、ね」
 目を細めて静司は笑う。
 投資事業を仕切っているのは静司ではなく七瀬だが、ロスを出したことはほとんど無い。的場の巨額資金を使っての投資事業──実際、ハイリスクな祓い屋稼業などいつ辞めてしまってもいいくらいだ。
「それにしても、しょうもない記事で飯を喰らいやがって……ハイエナ共が。どうせならホモセクハラを取り締まって欲しいですね、議員先生方の」
「うわあ、冗談になってない」
「え?誰か冗談言いました?」
 相変わらず爬虫類のような目。紙面を追う静司の表情は不快丸出しだ。
 静司は続ける。
「──『M氏の実家は、投資事業等で巨額の富を築いたとある旧家である。M氏自身も家督でもあり、投機家としても成功しているという。一族は政財界との繋がりも深く、先代は一時期巨額脱税、収賄疑惑等で世間を騒がせたこともあるという人物だ』」
 読み上げながら、静司は眉をひそめる。
「いやに詳しいだろう」
 周一は言った。
「……そうですね。肝心なところで曖昧な言い回しが多いですが、うちが祓い屋だというのは知っていると推測できますし」
 先代の脱税、収賄疑惑など、縁者である静司とて知らないくらいだ。
 周一は顎に指を遣って、目を細めた。
「あの日のマンション前での待ち伏せから、雑誌刊行までには少しのタイムラグがある。たとえばその間に情報提供者と再びコンタクトを取っている可能性もあるわけだ」
「ああ……なるほどね」
 大金をちかつかせると、人の口は恐ろしく弛くなる。静司はそれを嫌というほど知っている。それを利用したことも──腐るほど。
 再び静司は週刊誌をダストボックスに投げ捨てる。今度は女性週刊誌で厚みがあったせいか、ダストボックスが激しく揺れた。
 残されたスポーツ紙は、畳んでテーブルの端に追いやった。ガセネタなど、どう書かれようとどうだっていい。
「どう考えても何らかの意図がありそうだな」
「……」
 周一の微妙な言い回しにいちいち腹が立つ。二、三発殴ってやりたいのを、静司はグッとこらえた。
「思い当たる人間は腐るほど居るが……どうやって検証するか」
「ふうん。で、これからもおれはあの連中に追い回されるわけですか。スマホで撮られたり、ヘンな記事でっちあげられたり……あー気持ち悪」
 すっかり冷めた煎茶をイッキ飲みして、静司はソファにバタンと横になる。
 まったく、本気で苛立たしい。
 ──無論、パパラッチは鬱陶しい。こんなふうにゴシップ誌に動向を逐一書かれるのも気に障る。現在進行形でターゲットにされているというのも甚だ不快だ。
 だが、それよりも、こんな事態は容易く想定できるはずの自分たちの迂闊さもさることながら、名を隠し、身を隠すべき存在である祓い人が、堂々と芸能界で脚光を浴びて順調にキャリアを積んでいるというのが一番むかつく。ゴメンもクソも、こんな余計な厄介事に巻き込まれるなら、こちらと縁を切るか、クソくだらない芸能界と手を切るか、きっちり選択してもらいたい。
 大体が信用第一の祓い屋業界、的場の頭主があの名取と××などということが明るみに出て真に困るのは、祓い屋業界内──つまり静司のほうなのだ。一匹狼(というか爪弾き者)の周一には関係ないかもしれないが。まして、俳優にはスキャンダルなど売名の口火にしか過ぎないのかもしれないけれど、自分には何の益も無い。寧ろ不利益だ。大迷惑だ。
 二度もすっぱ抜かれたあれらの記事を見て、被写体が「的場静司」だと気付いた同業者はどれくらい居るだろうか。周一の名前は祓い屋の中でもとうに知れ渡っているのだからどうでもいいが、せめて、芸名でも使えばいいものを──静司はなお、未練がましく歯軋りをする。
「──周一さん」
 静司はギロリと周一の全身を一睨めつけ、目を伏せた。
「別れてください」
「え!?」
 容赦の無い一言に、周一の顔色が目に見えて変化する。
 それだけで心なしか何かに勝利したような気分になったが、静司はもう半ば本気だった。こんな無防備な男のむら気な人生に巻き込まれたくはない。周一には職業選択の自由があるが、静司には無いのだから。周一が世渡り上手なのか器用貧乏なのかは知らないが、こっちにとっては死活問題だ。

 が、次の瞬間、後頭部から鈍器で一撃されるような一言が降ってきた。


「……わ、私たちは付き合っていたのか……!?」


 静司は手前の湯呑みを掴み、自慢の顔面に向かって思いきり投げつけた。


【続】


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