深淵



 悲しみは知識である。
 多くを知るものは、
 怖ろしき真実を深く嘆かざるを得ない。
 知識の木は生命の木ではないから。
  ──パスカル──


 隠された悲しみは、
 塞がれた天火のように、
 その心を灰にするまで燃え尽くす。
  ──バーナード・ショー──









 手足が重い。
 耳鳴りがする。

 体の中は、まるで鉛をぎっしり詰め込まれたように重い。砂の袋のようだ。鮮明な意識と動かぬ肢体──それはことさら厭な取り合わせだ。
 動かない手足は、縄で椅子にがっちりと縛り上げられている。右手は背もたれの後ろで拘束され、同じく腰も背もたれに括りつけられていた。両足は左右に開かされて、一本ずつを椅子の脚に括った格好だ。どういうわけか左手だけは無事なのだが、拘束は余りにも完全過ぎた。暴れて抵抗しようなどという気はまるで起きなかった。

 広い和室の中には、ムッとするような血臭と腐臭が充満していた。それもその筈、そこいら中には所狭しと妖の骸が散乱している。理由など知る由もないが、それらのほとんどは原型さえとどめていない。ただそれらは──確かにそこにあった。
 周一の傍らには、古い揺り椅子があり、そこには一人の女が腰掛けていた。女は能の鬼面を着けていて、その素顔は知れないが、背格好は一見自分と変わらないようにも見える。彼女の極彩色の袿には、死んだ妖のものとおぼしき血が大量に飛び散って、結いが乱れてもつれた黒髪は、絶望的な狂気を思わせた。

 揺り椅子が、キイ、と鳴る。

 周一が横目で女を見遣ると、時折彼女は口の中で何かを口走る。途切れがちな小声は聞き取ることができない。よく耳を澄ませばその抑揚は、唄っているようにも聞こえる。その膝には、小振りの護り刀が置かれている。
 ぞっとしない状況だが、不思議と恐ろしくは無い。

 ──それにしても、どうしたものか。

 周一には、なすすべはない。術具は無く、武器も無く、策も無い。あったところでこの有り様では出来ることなど知れている。女に害意があれば、周一の命はまさに風前の灯だ。これまでも若くして幾つもの危機を切り抜けて生き延びてきた周一だったが、これほど圧倒的に選択肢の無い状況にはついぞ行き当たったことは無かった。
 だがそれでもなお、恐怖がわいてくることは無かった。不思議なものだ。焦りも無い──ここで死ぬなら所詮はそれまでの命運。もとより大した人生ではない、と周一は嗤う。
(だが、この場所は、現世ではないな──)
 空気のよどみ。重さ。濃密な妖気と邪気。並の人間なら発狂したとておかしくはない。

 然るに、此処は、は冥土の狭間か。

 現世と常世の狭間。ならばその生も死も無い無限のよどみに、何故自分が入り込んだのか。
「……君は、誰だ?」
 呼び掛ける声に、女は反応しない。ただ揺り椅子をゆらしながら、蚊の羽音のような声で──女は唄う。
 その向こうには、古いネジ巻き式の掛け時計がある。その振り子がふらふらと揺れているのが見える。その視界が時折歪む。まるで歪みの在処が見えない、仕掛け部屋のように。
「……誰なんだ」
 そして周一は、その声が不自然なことに気付く。

 ──男の声である。

 そのことに気付くと、急に血の気が引いていく。
「……」
 同じような背格好。妖の血。
 そして──低い、明らかな男の声。
 周一は耳を澄ます。全神経を聴力に傾けて、その声を聞き取ろうと試みる。
 ほとんど抑揚の無い、唄のような奇妙な囁き。

「………う、とは…………の………よう……ょう…………くを……きよめ……」

 鬼面の下の唇は、果たして本当に動いているのだろうか。余りに生気が無く機械的な声音は、その声の主の狂気──或いは停滞、或いは死を連想させた。

「ち……う、とは……ちの…………を、きよめ……」

 死に際の呻きのようになそれを、やはりはっきりと聞き取ることはできない。徹頭徹尾同じような調子のそれを、「彼」は一体何時から繰り返しているのだろうか。
 或いは幾度も幾度もその奇妙な反復を繰り返し、とうとう発話にさえ異常をきたした──今の有り様はその末路であるのかもしれない。深く腰掛けた揺り椅子と身体さえ、分かつことができぬ、一体のものであるようにも見えた。

「──私の声が、聞こえないのかい?」

 今まででよりはっきりとした問い掛けに、途切れがちで不気味な呟きが急にぴたりと止まる。
 だがそれは、呼び掛けられたことで認識を促されたのではなく、信号を遮断したことによって動かなくなった、電気仕掛けのからくりのような振る舞いだった。まるで、音響機器の銅線を遮断したかのような──。

「静司」

 根拠の無い確信と共に、周一は些か強い語調で呼び掛ける。
 静司──的場静司。
 呼び掛けても、反応は無い。
 だが、間違いない。この声、この髪。
「静司」
 周一は、もう一度呼び掛ける。

 いつの間にか、周一の手足の自由を奪っていた拘束具が外れていた。目を落とすと、無理矢理引き結ばれて体躯をねじられ、断末魔の表情で息絶えた双頭の蛇が何匹も床に落ちている。

 ──呪詛か。

 否、違う。もはやそうしたロジカルな問題ではあるまい。周一はすぐには立ち上がらなかった。身動きをとらず、ただただ目の前の狂気の塊を見つめ続けた。

「…………こん………は、その………を………はらい………たまう……」

 そして再び始まる唄──。
 いや、唄ではない。繰り返される言葉の断片を繋ぎ合わせるに、それは恐らく──祝詞だ。
 神々に奉ずる「天地一切清浄祓」。
 これを幾度も幾度も、同じ調子で延々と繰り返しているのだ。

 周一は辺りに散らばった無数の妖の残骸を見遣る。もしもこれを彼一人の手が屠ったのだとすれば、それこそ狂気の沙汰だ。あの返り血を見ればほかに理由はあるまいとは思うが──そもそも本当に何かが此処で起こったのか。過去、現在、未来。そうした時間経過の認識が、この幽玄の空間に通用するのかどうか。

 鬼面。極彩色の袿。妖の骸。護り刀。揺り椅子。結い乱れた髪。そして祝詞──。

 周一はゆっくりと立ち上がり、揺り椅子の前に立つ。手を延ばすと、恐ろしいほど鮮やかに色付けされた真蛇の鬼面に触れる。
 表面にぴたりと触れると、指先がその異様な冷たさにビクリとする。まるで凍っているかのような冷たさ──触れているだけで、指先が面にはりついてしまう。凍っているかのような、ではなく、凍っているのだ。
 見ている間に、指先が凍り付く。ピキピキと音を立てて、蛇が絡み付くような氷の縛鎖が腕を這いのぼる。
 だが周一は意に介さず、凍り付いた腕もろともに、顔面からゆっくりと、真蛇の鬼面を外していく。振り切るように鬼面を振り落とすも、周一の両手は凍りついていた。痛みはまるで無かった。
「………」
 揺り椅子にもたせかけられた身体の中で、最もおぞましいものを取り除いたその下の美しい顔は、間違いなく静司のものだった。あれほどの冷気にも関わらず凍傷などはなく、目は閉じられてはいなかった。

「やお……よろず」

 唇が僅かに動く。

「………の、おんみ………て……きこし、めせと…………す……」

 周一は互いに視線を合わさないまま、静司の肩にかかる極彩色の袿に手を掛ける。
 刹那──ボウとそれが赤く燃え上がる。氷塊さえ溶かす凄まじい熱に、周一は強く目を閉じた。
「く……!」
 いかに心構えが強かろうと、火の中に躊躇なく手を突っ込むには相当の覚悟がいる。袿を振り払うまでに、周一の両手は火傷によってたちまちむごい有り様になる。
 もしも順序が逆なら、腕が壊死を起こしたかもしれない。焼けて熱の引かぬ腕を、凍らせたのであったなら。
 だが静司は微動だにしない。一体──どうしたことなのか。

「……静司」

 素顔の静司は、ひどく虚ろだ。どこを見ているのかさえ定かではない。

 さらに周一は髪に手を遣る。乱れた髪を結い上げる髪掻。
 それに触れて抜き取るや、髪掻はその手からこぼれて、周一の手の甲を貫いた。
「………!!!!」
 周一は寸でのところで悲鳴を呑み込む。黒い血がどろどろと溢れ、髪掻を濡らす。これは己の不手際か、それとも。
「……っ……!」
 髪掻を引き抜くと、鋭い痛みが走る。痛点を選び抜いたような、質の悪い痛み。周一はもう一方の手で傷口を無造作に握り締めた。思わず叫びだしそうな激痛だったが、そんなことにかまけている暇は無い。

 迷いを振って正面に回り、今度は腰を落として静司の膝の上に置かれた護り刀を取る。すると、静司は今度はわずかな動揺を見せた。
「……」
 声もなく、周一に奪われた刀へと頼りなげに手を延ばす。周一は護り刀を返す代わりに、シャツで火傷と傷を覆った己の手で静司の手をやんわりと握った。護り刀は何故かひどく重く、長らく持ち続けることはできないほどだった。

 ──ふと、思う。

 凍りついた鬼面、燃え上がる袿、幾重にもなる彼の異形。それは──静司を縛る鎖ではあるまいか。

 周一は、鬼面も、血濡れた袿も、護り刀も、髪掻も、いっしょくたにして妖の骸の山の中に放り込んだ。そしておもむろに火焔咒符をばらまくと、部屋の中の骸が一気に燃え上がる。
 炎は生き物のように畳に燃え移り、瞬く間に部屋中を取り囲んだ。
「立つんだ」
 相対する立ち位置で向かい合い、周一は静司へと手を延ばす。
「手を取って」
「………とは……の………よう……くよう…………しゅくを……きよめ……」
 しかし、周一の言葉は届いていない。そしてまたしても静司は繰り返す──。
「……う、とは……ちの…………を、きよめ……」
「静司、私の名を呼んで」
 強い語調に焦りが滲む。
 一方の静司は、機械のように不鮮明な祝詞を暗唱するだけだ。周一の言葉に従う気配はまるで無い。
 炎は容赦なくすべてを嘗める。死した妖の肉が焦げ、腐臭のまじる凄まじい悪臭──その中に、どこか甘い香りが漂うのが忌まわしい。
「静司」
 無理強いするように上半身を抱えようとすると、静司の身体がビクンと震えた。反射反応のように、死んだようだった両手が周一の腕に爪をたてて押し返す。躊躇も容赦も無い強い力からは、理性の箍を感じなかった。それは一見、単なる不随意の反応のように思えた。だが同時に、初めて見せる強い拒絶は、僅かな希望のようにも思えた。
「静司!!」
 渾身の力で肩を揺さぶる。
 誤れば壊してしまうやもしれぬという力──射手でありながら華奢な肩が、軋むような音をたてた。
「………」
 急に弛緩した身体が、周一の前で崩れ落ちる。抱き留めることができずに床に伏した身体──だが、周一が覗き込んだその目はようやくこの世を見ていた。

 それは確かに、正気の目だった。

「静司、私が判るか?」
「……天清浄」
「静司!」
「地清浄、内外清浄、六根清浄と……祓給ふ……」
 なおも繰り返される「天地一切清浄祓」。だがその語調は鮮明だ。焦点の合う瞳は揺れている。何処を見るのが相応しいか──それを探し当てられずに揺れている。
 悪意をもって二人の周囲を取り囲むように、炎は迫る。此よりたとえどう転んだとて、逃げ場は無い。妖の骸と共に灰になる──それ以外の道は。

「天清浄とは、天の七曜、九曜、二十八宿を清め」

 静司の紅い瞳が、燃え盛る炎を映して揺れている。

「地清浄とは、地の神、三十六神を清め──」

「……」
 周一は静司を抱いた。もはやこれまでならば、と。嗤うような炎の乱舞から、せめて我が身が灰になるまでと、只、愛した人を抱く。
 その愛しい目が最期に視るものが、己の身を焼く炎では、余りにも哀しい。

「内外清浄とは……家内、三宝、大荒神を……清め」

 的場一門においては、祝詞を妖に対する呪詛として用いる。
 本来ならば穢れと不浄を祓い、神々を奉ずるための儀の一つである祝詞だが、転じて邪を祓い、妖しきものどもを調伏する呪詛とするのが的場のやり方だ。
「そうか、静司……君は」
 ふいのひらめきが頭をよぎる。

 鬼面。袿。妖の骸。護り刀。揺り椅子。髪掻。そして、繰り返される祝詞。

 ──それらは総て、内外から静司を支える、彼が彼である意味そのものではないのか──。

 鬼面はまさに憎悪そのものか。返り血に濡れた極彩色の袿は業深き彼の淫性か。無数の妖の骸が残虐性に根差す快楽ならば、護り刀には隠された怯懦が潜むのか。もつれた黒髪を結わう髪掻は狂気を思わせ、揺り椅子が虚無へと誘う──。
 ならば繰り返される祝詞は執着ではないか。強き頭主であらねばならぬという執着──死しても其処から逃れられぬ、彼の因業。

 それは、単なる馬鹿げた深読みなのか。
 或いはそれらを炎に投げ棄てたのは、真に過ちだったのか。存在を成すものすべてを剥ぎ取り奪って、彼に残されたのはただ執着だけだとは。この美しい唇が口ずさむのが、意味などない、ただの妄執の残骸だとは。

「……六根、清浄とは……其身、其体…の、穢を………」

 灼熱の中で途切れる祝詞に反して、静司の腕にこもる力が少しずつ強くなる。周一を抱き返す腕に、少しずつ──力が。
「………………」
 炎が周一の背を、腕を焼く。髪を焼く。熱と痛みの境界が曖昧になり、それを感じる感覚が鈍くなる。

 崩れてしまいそうだ。
 もう、保たない。

「静司」
 呼び掛けたのではなかった。答えを期待したのでは無かった。ただ、その名を呼ぶことで、己を慰めただけなのかもしれなかった。


「………………周一、さん」


 途切れがちな祝詞が途絶え、
 抱き返す腕にはっきりと力が宿り──


 そして、今まさに燃え尽きようとする掛け時計が、終の刻を告げた。












 ──手足が重い。
 ──耳鳴りがする。

 落雷で倒壊した古木は、燃えることもなく雨ざらしに横たわる。
 信貴山を丸ごと覆う滝のような雨の中の崖下には、二つの影が倒れて折り重なっていた。のし掛かる古木の幹の残骸が、互いに血まみれの身体を押し潰す。枯れても硬い樫の太枝が、一方の──周一の両足と右腕を、ものの見事に貫いていた。
「………」
 既に意識は鮮明だった。長く倒れていたせいか、痛みや重さはもう感じない。もしも血栓にでもなっていれば致命傷だが、幸い潰された場所は無く、些か苦しいが呼吸もできる。
 ただ、腕の中の静司を案じて周一は焦る。傷はあるが、息はある。死んではいない。呼吸は安定しているように見える。

 仕事での不本意な共同作業中に見舞われた天災。雷雨の中、崩れた土砂からどうにか逃れた矢先、落雷によって木っ端となった樫の古木が二人を押し倒し、身動きがとれなくなっていたのだ。そして意識を失って──どれほどの時間が過ぎたのか。

 そしてその間、見ていた奇妙な夢──幻覚は、一体何であったのか。

「………ぅ」
 周一の下で静司が僅かに身じろぐ。這いつくばる周一の四肢がわずかな空間を作り出しているため、意識が戻り、肝心な部位さえ無傷ならば逃れられるかもしれない。
 まだ衝撃の余波から抜けきれないのか、うつろな目をした静司は周一をじっと見ている。
「──無事かい、静司」
「………ああ……」
 長く雨を受けて体温が落ちているためか、互いに発話はひどく覚束ない。可笑しくもないのに、笑いが洩れた。こんな時までヒーロー気取りも馬鹿馬鹿しいが、静司を守れたことに安堵したのかもしれない。
 無情にも、叩きつけるような雨は二人の上に容赦無く降り注ぐ。まるで、どうしようもなく、身動きできない二人の不様な相関を嘲笑うように。

「……………因業を棄てたら」

 雨に溺れるように、静司はおもむろに言った。

「……違う世界が見える時がある……おれは、そんなもの、見たくもないのに」
「………」
「知りたくも……ないのにな」

 あちこちに血の滲んだ白い顔が、無表情で周一を見る。
 ──断片的な言葉が総てを語ることはない。だが、もはやそれだけで事足りた。
 あの奇妙でおぞましく、そして痛々しく哀しい夢を、共に見ていたことを知るには、それだけで十分だったから。

「きっと、夢だろう」
「……」
「──夢だよ、静司」
 周一はまるで力のこもらぬ腕で静司の背を抱こうとすると、筋肉の動きに添って右腕に突き刺さった太枝がねじれる。激痛を感じるも、たまたま偶然都合のいいように歪んだ枝は、周一の動きの圧力に負けたように、うまくズルズルと押し出されていく──確かに深手だが、致命傷ではない。
 ずぼ、と厭な音をたてて、傷口から血と共に枝が抜け落ちる。
「ちょ……周一さん、血が……」
「ごめん、目、瞑ってていいから」
「そういう問題じゃなくて……」

 痛みの残滓に、周一は喘ぐ。
 
 ──助かる道はあるだろう。
 明日への可能性の全てが途絶えたのではないだろう。
 なすすべが失われたわけではない。策は無くとも、命はある。
 夢と同じような、まさに押し潰されそうな圧倒的な境遇で、とんだアイロニーではないかと周一は思わず笑う。諦めたくない理由がただ一つあるだけで、こうも態度が変わってしまうものなのか。

 ──ここで死ぬなら、所詮はそれまでの命運?

 笑える理屈だ、馬鹿馬鹿しい。足蹴にしても、まだ足りるまい。
 憎、淫、快、怯、狂、虚、執──総てを失っても、静司は周一の名を呼んだのだから。ならば、何故自分に、それができぬことがあろう。
 唇を歪めると、ろくに動かぬ筈の手足に力がみなぎる気がした。

 醜い真実も、それがもたらす深い悲しみも。
 何を知ろうと知らずとも。
 周一は両腕に力を込めて、俯せのまま上半身を限界までゆっくりと起こす。
「……静司、私の下から出られるかい?」
「……タフですね」
「そりゃもう、体力仕事ですからね。それより──」
「……出られそう……かも」
 重量だけの問題ではなく、周一が倒木のクッションとなっていて、負荷面積、接触面積が少ないために、無理に這いずれば出られそうだった。だが、すでに不様な喘ぎを洩らす静司は、体力の限界なのか、血の気が引いた皮膚からは血管が透けて見えた。
「……周一さん」
「はい」
 血と泥にまみれた美貌が、周一の下で不敵に笑う。
「……立ち上がったら、古木の残骸も……そしてこの煩い雨も雷も」
「静司?」
「……全部、消してやる。あなたがおれを、丸裸にしたみたいに──」
 どうにかほとんど体をにじり出した静司は、体を無理矢理よじって横臥する。立ち上がるのもままならないのはもはや明らかだった。静司らしからぬ余裕の無い息の上がりっぷり。
 だが笑う。泥の上に投げ出した体を丸めて呼吸を調えながら、静司は笑う。
「……やらしいね、君は」

 互いにニヤニヤ笑って──馬鹿みたいに。死にかけている人間のやることじゃないだろう。
 そうしている間にも、周一と静司は新たな手段を同時に思い浮かべる。幸い此処は神域──代償を支払えば、強力な神々の力を借りることもできるということ。毘沙門天、不動明王、剱鎧護法──。


 ああ、もはや投げていい理由は軒並み消え去った。
 ならば残された条件は一つ。


「──死が二人を別つまで、かな」
「ほざけ、バカが」



【了】


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