化け物霊長類【前編】


 徹夜明けだ。

 初のホラー映画の出演で、クランクアップ直前の、最後の撮影が異常に長引いたせいである。
 長引いたといっても、撮影が夜を徹して行われるなんてことは普通、オープンロケではありえない。しかし今回、山中の撮影の最中に機材係が一人行方不明になるというアクシデントが起きたのだ。それで当人が消えたとおぼしき山中を探し回ったりとあれこれとやっているうちに、帰宅する頃にはすっかり夜が明けていた。機材係は、ハイキングコースに迷い込んで、先に下山していた。

 もう、周一はクタクタだった。
 監督は周一ともそう年齢の変わらない若い青年で、今回完成した作品が彼のメジャーデビュー作となる。新進気鋭のホラー映画監督──著名な映画雑誌にも、そんな宣伝文句と共に取り上げられている人物だ。
 しかしその若さと相俟ってか、段取りや撮影進行の手際ときたら鈍臭くて見ていられない。お陰で一貫して現場を仕切っていたのは周一と、年配のADの女性だったという体たらくだ。それも過度な疲労の一因となったのは間違いない。
 一週間近く山だの川だのを行き来して疲れ果て、最後にいらぬ体力を遣う羽目になった──その恨みごとを言う気力も惜しく、周一はシャワーを浴びながらバスルームの壁に額をゴチンとくっつけた状態で、もう半分眠っていた。髪も体も洗わずに、髭を剃る余裕さえなく、ざあざあという水音は子守唄だった。

 しばらく経った頃──。

 色気の無い着信音で、周一は目覚めた。携帯はバスルームのドアのすぐ外に置いてある。
 無視しようか、という考えを、周一は強い意思をもって追いやった。無駄に流したシャワーを止めて、颯爽と立ち上がる。しっかりしろ、たった一日の徹夜ごときであまりにも不様だぞ名取周一。
 己を叱咤し、携帯を取る。着信は例のADの女性だった。昨日の今日で、今時間は午前八時。当然彼女も現場に最後まで残っていたので徹夜組のはずだ。
 周一は何ともなしに嫌な予感に駆られた。
「はい──名取です」
『よかった!!名取さん、まだ起きててくれたのね』
「……」
 別に起きていて「あげた」わけではないのだが──まあそんなことはどうでもいい。ADは明らかに取り乱している様子だ。
「どうかしたんですか?何か、またトラブルでも?」
『彼、またいなくなっちゃったみたいなのよ』
「……は?」
 阿呆のように訊き返すも、一瞬で大体の想像がついた。『いなくなる』『また』のキーワードで割り出される『彼』は一人だけだ。あの機材係。山で行方不明になり、今日の徹夜の原因を作った疫病神。
「またって……あの機材係の方ですよね。いなくなったって……自宅からですか?全員一旦帰宅しましたよね?外出しただけでは?」
『違うのよ!』
 ADは甲高い声でまくしたてた。
『あたしたち、あの後ほかのスタッフと飲みに行ったのよ。誘ったら彼も来たわ。でも、何だか変で』
「変?」
 徹夜明けの奴は大抵変だ。理由はよく知らないが、無意味なテンションアップや異様な饒舌化、時にはわけのわからない万能感に襲われることもしばしばあるので、徹夜明けの重大な決定は禁忌である。
『……彼、あれからずっとニコニコ笑ってて──最初は機嫌がいいだけだと思ってたんだけど、何だか不気味な感じがして』
 ADはひどく不安そうだ。周一は困惑しながらも宥めすかし、話を促した。
『なんか、話のつじつまが合わないし、大体ずっとあの山のことばっかり話すのよ。何かオチがあるのかと思って聞いててもそんなの無くて、話もわけがわかんないし』
「ええと……具体的には?」
 ──思い返すに、あの足でまだ飲みにいくとはそれだけで相当の猛者である。多少言動に異常をきたしてもおかしくはなかろうと周一などは思うのだが。
『──何かあの時、山の中で、お遍路さんみたいな集団に会ったって言うのよ。六、七人くらいは居たって言うんだけど、あんな真夜中に、そんなのが居るわけないじゃない』
「……」
 居るわけないかどうかは何とも言えないが、六、七人の集団とは確かに奇妙な話ではある。周一の脳裏に、ふと嫌な予感──いや、確信めいたものがよぎった。
『あたし、どうかしたのかと思ったわ。そうしたら彼、思い出したようにそわそわしはじめて……山に戻らなきゃって言って突然独りで店を出ちゃったのよ。それきり家にも帰ってなくて──本当に山に戻っちゃったんじゃないかって心配になって』
「………ええと、それって」
 ──いわゆる「みさき」じゃないのか、と言いそうになって、周一は口をつぐんだ。言ってどうする。言う相手を間違えているだろう、馬鹿。
「みさき」は山や海の死霊とされている。巷ではしばしば「七人みさき」で知られる類の、一定の数で括られた死者の亡霊だ。常に定められた一定の数で列を組んで山河を徘徊し、これに出会ったものは死んでしまうというものだ。
 こうして死んだ者は一群の最後列に新たに加わり、先頭の者が新たな死者を身代わりにして成仏することができるという。新しい誰かを道連れにすることでしか呪縛から逃れられぬ死の連鎖──山に出没するそれを「山みさき」などと呼ぶことがあると、何かで読んだことがある。
『ねえ、名取さん、どうしよう。警察に届けたほうがいいのかな』
 困り果てた心優しいADには気の毒だが、周一は全ての行動は無駄足になると踏んでいた。話の概要からすると、おそらく行方不明の機材係が本当に例の山にとんぼ返りしたとすれば、もはや「みさき」の仲間入りはほぼ決定していると見てよかろう。あの手の死霊は妖とは異なり、名取や的場に代表されるような妖祓い人には管轄外事項である上、後手に回った人間がどうにかできるようなものではあるまい。
 警察に届けるかどうかも微妙なラインである。徹夜明けに怪しい言動を残して失踪したとはいえ、彼は未成年ではないし、少なくとも周囲に行き先を告げている。撮影中行動を共にしていた彼女は形になりきらぬ不審を感じ取っているが、警察はどうだろうか。端から概要を聞いただけなら、おそらく事件性を嗅ぎ取ることはできないのではないか。
 無駄だ、と周一は思った。
「……多分、無駄でしょうが、一応相談してみて貰えますか?私は事務所に連絡して──」
 ──その先の言葉に詰まる。
 もし、彼が本当に「みさき」の類に行き当たったのだとしたら、今の時点で曲がりなりにも何らかの手立てを講じられるのは自分だけだろう。幽霊だの死霊だのは管轄外ではあるにしても。
 ──畜生、ついてない。
 周一は相手に聞こえないよう軽く舌打ちをした。夕方には雑誌のインタビューの予定が入っているから、もし行くのなら、今しかない。
 死ぬほど行きたくないが、今しかない。
「………私は、一応彼を追ってみます」







 機材係は死んでいた。
 例の山中のハイキングコースの路端で、仰向けに死んでいるのを、不幸にも観光に来た老夫婦がたまたま見つけたらしい。
 二時間かけて周一が現地に到着した時には既に遺体はシートに包まれていたが、野次馬の話によると、何でも死体には外傷は無く、何故か満面の笑みを浮かべていたという。理由はわからないが不気味な話だ。
 周一は取り敢えず警察に事情を説明し、聴取を受けることになった。勿論取り調べではない。とはいえ周一にしても誤算だった。のちに現場に現れたことが知れて、あらぬ嫌疑をかけられてはたまらぬと、周一自らが情報提供を申し出たのだ。
 周一は撮影の様子、撮影時に機材係が一時的に失踪したこと、のちのADとのやり取りにわたるまでを詳細に正直に説明した。刑事も周一の証言に不審な点は見当たらないと判断したようだった。周一は午後二時に解放されたが、最後に婦警にサインをねだられて、周一はにこやかにそれに応じた。
 事務所に連絡を入れると、担当者のはからいで、雑誌のインタビューは後日に持ち越された。
 ──それで、ほっとしたのは束の間。夕方に再び帰宅しようとした周一を待っていたのは、悪夢のような交通渋滞だった。
 睡魔と戦う身に渋滞は辛い。周一は車内でらしからぬ汚い罵声をひたすら吐き散らした。おかげで帰宅した時には夕方六時を過ぎていた。
 ──しかし、駐車場に車を入れようとした周一が見たのは、騒然とする隣接マンション前の様子だった。
 周一のマンションの駐車場は建物に併設されてあるが、正面玄関から裏手に回らなければならない。裏手に回れば、そちらに側で隣接しているマンションの正面玄関が見えるのだが──。
 パトカーが停まり、救急車には今まさにストレッチャーが搬入されている。乗せられているのはマンションの住人だろうか。
 ふいに、かけられたシーツが風でなびいた。
 周一は戦慄した。中から覗いたのは、炭──全身が真っ黒に炭化した人間のような何かだった。どう贔屓目に見ても、それがまだ生きているようには到底思われなかった。救急車は死体は乗せないと聞いたことがある。では、あれは生きているのだろうか。

 あの真っ黒な、炭の塊が?
 ──あれが、生きている?

 一瞬妙な妄執に取りつかれた周一は、車庫入れの際、思いきり壁に車体を擦った。しかも、運転席側をしたたかにやって、リトライするならもう一回ガリガリしなければ出られない。なんで私がこんな目に遭わないといけないんだ。
 みっともない格好で助手席からガサガサと這い出て、見ざる、聞かざるを決め込んだ周一は、一目散に部屋に駆け込んだ。着ているものを脱ぎ散らかして、薄汚い無精ひげのまま、体をベッドに投げ出した。
 ──しかし。

 ピンポーン。

「……」
 周一は殺意を覚えた。
 無視だ。絶対無視。

 ピンポーン。ピンポーン。

 無視無視。

「……」
 しかし、 ムカつくインターホンは鳴りやまない。7プッシュくらい繰り返してもまだ帰る気配が無い。しまいに来訪者は、ドアをダンダンとやりはじめた。ドアの向こうで誰かが何かを言っている──もしかして警察だろうか。さっきの炭化遺体の件で何か聞きたいのかもしれない。
 周一は致し方なくヨロヨロと起き出して、カメラで来訪者を確認すると、二人のスーツのおっさんが玄関ドアの前に立っている。やはり警察だろうか。周一はしぶしぶドアを開けた。
「あ、やっぱりいらっしゃった」
 何がやっぱりだ。見てたのかこの野郎。
 周一は不機嫌丸出しだ。頼むからもう寝かせてくれと、目の下に刻まれた隈が語る。
「税務署の者ですが」
「……」
 周一はひっくり返りそうになった。
「……カネの亡者が何の用事だ」
 思わず対応がぶっきらぼうになる。
「名取周一さん、あなた、去年、税金払ってらっしゃらないでしょう」
「はあ!?」
 腹の底から声が出た。──いや、税金のことは信頼できる税理士を雇って任せてあるから、確かに周一本人は詳細を確認してはいない。しかし、確定申告は済んでいるし、その時に目に見えるような不備は無かったはずだ。おかげで銭は毎年腐るほど吸い上げられている。
「その件で、こんなお時間に申し訳ないんですが、署までご同行願えませんかねぇ」
 おっさんの慇懃ですらない無礼な口振り。役所の癖にどうして定時に帰らないの?などと意地悪を言いたくなる。もう六時過ぎてまっせ?九時五時を破ったらシャリアで罰せられるんじゃなかったの?
 しかし、知らん、分からん、で突っぱねるわけにはいかない。元々社会的に正規の職業ではない祓い屋と、税金との関係はかなりグレーなもので、祓い屋は大抵税務署を毛嫌いする。
 たとえば、当たり前だがやくざが覚醒剤を売ってもレシートは出ないし、当然収益は課税対象にはならない。なぜなら覚醒剤の売買など社会的には「ない」ものだと位置付けられているからだ。あまり較べたくはないが、祓い屋も似たようなものだ。
 例外はあるが、現実には原則的にすべての収入は課税対象になる。厳密に言えばパチンコの収入だってそうだし、ネットオークションでの収入も限度額を越えたら課税対象になる。だが誰も申告しない。申告しなければわからないのだから当然だ。
 祓い屋は一般の認知度もきわめて低く、まして店舗をあげて経営するようなものではないから、税務署が所得を把握するのは難しい。しかも、多少儲けている腕のいい祓い屋になると、タックスヘイブンの国に口座を作り、場合によってはペーパーカンパニーを作って資金運用するのが基本だ。それは税金逃れというよりも、祓い屋という存在は、表社会から遮蔽されていなければならないという暗黙の了解がなさしめるものだ。収入に対して税金を払うのに異論はないが、業界にお上の手が入るのは絶対に勘弁していただきたい──これが祓い屋の一貫した本音である。
「……今からすか」
 周一はうんざりしながら訊いた。疲れているのが拒絶の理由にならないのは分かっていた。
「今です」
 ドヤ顔の税務署職員のおっさんは言った。
 殴りそうになるのを、周一はぐっとこらえた。







「それは本当に私の記録なんだろうな」
「話を逸らそうったって無駄だよ名取さん」

 ──上記をバリエーションの基本とする不毛な問答はおよそ四時間にも及んだ。
 それも、収入や納税額について、税務署側の言い分と周一の認識に不可解にして大幅な齟齬があったからだ。周一は専任税理士を呼ぼうとしたがなかなか連絡が取れず、諦めて自ら説得する肚を決めた。ある程度なら税金のシステムは理解していると思っていたが、やはりプロには及ぶはずもない。まして税務署というやつは旧社会保険庁並みに図太く悪辣で、とにかく非を認めないためには何でもやる。自分たちに都合の悪いものに関しては、こちらが何を言っても調べようともしない──まあ、要するにお役所仕事が徹底しているのだ。
 しかし、その不毛な四時間が過ぎた頃、とうとう税務署側のとんでもない不手際が明らかになった。
 税務署側の提示する資料の「名取周一」は、同姓同名のまったくの別人だったことが判明したのである。沙汰していた「名取周一」氏はかなりの年配の男性で、住居が近いと言っても同じ町内でさえない。周一は再三「それは本当に自分の記録で間違いないか」と連呼していたのであるが、まさにその通りだったのだ。しかも不手際に気付いたのは、後ろに控えている、まだ研修生みたいな若い女の子だった。
 税務署職員は平謝りに謝った──りはしなかった。それどころか「なんだ、ややこしいな」などと舌打ちし、人違いだったから帰ってよい、とまるで周一が事態を混乱させたかのようにぬかす態度を目の当たりにし、完徹二日目の周一は、キレた。
 帰ると見せかけて立ち上がった周一は、おっさんの前に置いてあるペットボトルの炭酸水のキャップをあけ、脂ぎった頭頂からそれを全部注いだ。
 強炭酸は、おっさんの頭でシュワシュワと音をたてた。その頭に空になったペットボトルをコンと当て、周一はおっさんの抗議が始まる前に部屋を出た。
「瓜姫」
 ボソリと呟くと、周一の正面に黒髪の女妖が姿を現した。税務署の廊下を行き来する職員は、しかしその姿には気付かない。
「はっ。御前に」
「……二、三日、あのおっさんと遊んでやれ」
「御意」
「殺しても構わん」
 ──三日後、おっさんは一時的に心神喪失状態に陥って入院する羽目になるが、これは主題でないのでここでは触れない。







 コンビニに、寄らなければ良かった──。
 周一の後悔にゲージがあるとすれば、それはとうに限界を突破していただろう。
 やつれ過ぎてもはや一見では名取周一とはだれも判らぬほど無惨に荒廃した浮浪者みたいなおっさんは、カロリー摂取が必須の状態だった。よく考えてみると、あの機材係が最初に行方不明になった日の夜に食事をして以来、周一はまともなものを口にしていないのだ。眠る前に何か食べておかないと、クマみたいに冬眠する羽目になるかもしれない。自分はまあ霊長類だから、春眠暁を覚えず、みたいな?
 ──とか考えている思考回路が既におかしい。シナプスの発火が斜めへ斜めへと曲がり進んでいくようだ。
 一気に寝るか死ぬためのビーフィーターと、サンドイッチを持ってレジに並ぶ。店内にかかっている時計の針は、間もなく午後十一時を差そうとしている。もう、時計を見ると疲れるので見ないでおこうとも思うのだが。
 こんな時間帯にもかかわらず、客は多かった。不運にもレジ担当の女の子は一人だったが、店内の客はそれなりの数だ。周一の前には頭の悪そうな高校生くらいのガキ、後ろには仕事帰りのOLやサラリーマンが並んで、店内には高校生の連れらしいのが二人ばかりうろついて雑誌だの菓子だの物色している。
 周一は、クスリの切れたヤク中みたいに、半口を開けて順番を待った。
 しかし──ついに順番が回ってくることは無かった。
「キャアアアアァーッ!!」
 鼓膜をつんざくような悲鳴に我に還った周一は、手前の高校生らしきガキがレジの女の子にナイフを突き付けているのを目の当たりにした。真後ろに居たはずなのに、そのシーンに至る経過が面白いくらい記憶に無い。おそらくは数秒間、立ったまま目を開けて寝ていたのだろう。多分、白目とか剥いて。
「金出せ!早くしろ!殺されたいか!?」
 レジの女の子と背後の客を交互に見遣る高校生は、落ち着きの無い発情期のマンドリルみたいだった。という印象を抱いた周一は、正確にはドリルか、マンドリルか、どちらに近いかを真剣に考えていた。
 高校生は店内に都合の悪そうな客が居ないことを確認すると、レジの女の子に金を出させている間に、真後ろに居た周一へと──不運にも──詰め寄った。
 これはマンドリルだな、と周一は思った。
「おっさん、ホームレスか」
「……そう見えるか」
 朦朧とする意識に反して、喉から出てくる言葉は妙に流暢で鮮明だ。
 店内を徘徊していた仲間の高校生も集まってくる。客のOLとサラリーマンは真っ青になってその場に立ち竦む。
「きたねーツラしやがって、コンビニ入って来んじゃねーよ!臭いんだよ!!」
 ヘラヘラ笑いながら繰り出したマンドリルの張り手は、不本意にも超ワイルドになってしまった横面に届く前に周一の手に捕まれた。
「てめッ……」
 掴んだ手首を締め上げる。イラつく時に、ムカつく偶然。これぞ人生。儘ならぬに憤る毛虫のような手前は様も無い。
「……中途半端な力で、大それたことを望むなよ、クソガキ」
 喋り疲れてかすれた声が、余計な迫力を演出する。その威圧感をもう自制することができない。ああ、自分は不様に蠢く毛虫だ。だが身の程知らずの小僧、お前は糞にたかる糞蝿だ!
「はっ、離しやがれ!」
 周一が握る少年の手首は既に白くなっている。とんでもない負荷がかかっているのだ──まるで、万力か何かで締め上げられているように。
「コンビニのレジスターから出てくる売上金などたかが知れている。それはお前が賭けるリスクと釣り合うのか?」
「やっやめろ!痛い、折れる──!!」
「だがこの手では稼げもしない金だ。お前の価値は銭に換算すれば、そのレジスターの金額にも及ばんことを理解しろ」
 周一の目の高さまで引き上げられた手首が、ボキッという鈍い音と共に奇妙な方向にへし折られる。全員が──その場に居た全員が刮目し、そして愚かにして哀れな少年の口からすさまじい悲鳴が迸った。
 その折れた手を引くと、悲鳴は絶叫に変わった。そのまま少年の体を引き倒し、その胸の上にドンとデカい足を乗せる。
「オ……オッサン、てめえ……!!」
 仲間とおぼしき少年が、二人してバタフライナイフを持ち出してくる。その目には恐怖が宿る──恐怖が過激化に拍車をかけるのはよくあることだ。だが周一は冷たく游ぐ目で店内をゆらりと一瞥する。
 左右からのナイフの突進を、周一は頭を下げてかわした。おつむの足りない馬鹿共が、互いの腹を刺しあって悲鳴をあげる。その隙を見計らったように、後ろに並んでいた客が一目散に店から逃げ出して行くのを周一は見た。
 店には折り重なって悶絶する三人の手負いの猿と怯えきった女性アルバイト、そして周一だけが残された。
 八つ当たりにしてはエグい真似をしたな、と周一はぼんやりと思ったが、誰にも同情はしなかった。


【続】


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