玉響奇譚【前編】


 万魔殿的場邸奥座敷は、静司の私室とは別に、静司のパーソナルスペースになっている。
 その不文律を破れば、良くてクビ、最悪地上から存在が消されることにもなりかねまじい。中には若い頭主をコケにしたような輩もあるが、それでも厳然として暗黙のルールは存在する。
 ゆえに邸内では静司が奥座敷に居る場合は「入ってくるな」のブロックサインであると見なされ、家人はみだりにそこに立ち寄ることは許されないとされている。
 いや、みだりに──ではない。
 絶対に、だ。

 唯一勝手が許されるのは、皮肉なことに家人ではなく──どういうわけか例によって、名取家の末裔ただ一人である。

 出迎えた若い使用人が慌てるのを尻目に、借りた小銭を返すだけだと、名取周一は勝手知ったる薄暗い夜の廊下を、奥座敷に向かって音も立てずに足を進める。使用人は年配の者にたしなめられて、途中で諦めたようだった。

 相変わらず奇っ怪な屋敷だ。奥へ進めば進むほど、肌で判るほど温度が下がり──視界がどこかおぼろげになってくる。テレビの画質調整を加えたかのように、前触れ無く、だが自然に変わっていく世界の色。幽玄と言えば聞こえはいいが、此処が悪名高い的場の鬼殿と思えば、背筋も寒くなるというものである。

 わざわざどん詰まりに設計されている廊下と、襖一枚を隔てた奥座敷からは、話し声が聞こえてくる。しまった、先客があったか、と舌打ちするも、周一は思わず耳を側立てた。何故ならば──。

「へえ。じゃあ、中庭の松の枝から取ってきたんですか」
「うん、すごいでしょ」
「わたしのもみて!」
「…………おや、これは大きな二枚貝ですねえ。どこで見つけたんです?……え、押し入れの中?」

 クスクスと笑う静司と話すのは──明らかな子どもの声だ。
 しかも、二人。
 周一は今までになく驚愕した。
 ──何事だ、一体。

「えー、まだおしごとするの?」
 あどけない、つたない言葉遣い──。五つ、六つならばもう少し達者に話すのではないかと思うくらいの幼さだ。
「おや、もう辛抱できませんか。いけませんね、聞き分けのよくない子は」
「だって、かってにハサミつかったらおこるでしょ」
「またおにんぎょう、つくろうよ、ははうえ」
「……母上、じゃなくてママと呼びなさいと言ったでしょう?」
「………」
 ──とうとう頭イカれたのか、静司の奴。
 何故かむやみやたらと動揺し、周一の足袋はひとりでに廊下を行き来する。そこにはやって来た時の無意味に堂々たる態度は無く、完全なる挙動不審、はたから見たら変質者だ。
「ははう……ママ、おそとに、だれかいるよ?」
「そうですねえ。誰でしょう?お前たちがイタズラばかりするから、とうとう子取り鬼が来たのかもしれませんよ!」
 ガタガタッと鳴って、文机か何かが蹴倒された音がする。静司のおどけたような短い悲鳴と、子どものキャーというカン高い声と共に、周一は意を決して襖を開け放った。
「ギャアー!おにがきた!!」
 見るより早く、凄まじい悲鳴が周一の鼓膜をつんざく。
「ブギーマンだ!あれが、ママがいってたブギーマンだぞ!」
「……」
 キャーキャーと奥座敷を走り回るのは、二人の着物姿の子どもだ。出で立ちから察するに、男の子と女の子だ。それに、思っていたより随分と小さい。
「……いらっしゃい、周一さん」
 子どもに蹴倒されたらしい文机を立て直し、静司はニッコリと笑う。周一は挨拶を返すこともなく、ただただそこに立ちすくんでいた。
「こら、シズカ、ツカサ。お客様ですよ。ご挨拶なさい──あ、周一さん、早く襖閉めて」
「……」
 言われるまま、機械のように後ろ手に襖を閉じる。
 奥座敷は散らかっていた。
 そこら中に、厚紙で作った巨大な張りぼての動物が何体もひしめいていて、まるで幼稚園の教室のようだ。畳にクレヨンの塗り漏れまである。たまに目にしては気になっていた「鬼神莫二」と書かれたわけのわからん掛け軸も、ビリビリに破かれたままになっており、明らかに子どもの悪戯であることは間違いない。
 最初はおどおどしていた子どもたちも、しばらく周一を観察し、やがて無害であることを知るや、その周辺にチョロチョロとまとわりつきはじめた。
「……おや、気に入られたみたいですねえ」
 珍しく本当に上機嫌な静司の笑顔は大変に美しい。しかし、対する周一の顔は本気でひきつっていた。
「……どうしたんです?夏木マリみたいな顔になってますよ」
「静司」
 キャキャキャと屈託無く笑い転げながら、着物の裾を引っ張ってくる二人の子どもから目を離せずに、周一は絞り出すように言った。
「……この子たち、双子?」
「はい」
「シズカと、ツカサって、呼んだ?」
「おやおや、よく聞いてますね」
「もしかして、君の名前から、取ったの?」
「ええ」
「……二人とも、顔が君に瓜二つなんだけども」
 静司は華のようにニッコリと笑った。
「そりゃあ、血縁ですから」









「だいじょうぶ?おっさん」
 奥座敷に敷かれた布団に寝そべった周一の上に、ミニチュアの静司のオスとメスがまとわりついて乗っかかってくる。
 余りの出来事に視野狭窄と立ち眩みを起こした周一を前に、静司の命令で子どもたちが敷いてくれた布団である。いつもは当の子どもたちが使っているのか、何だか甘い匂いがする。
「こらっ、二人共。病人をいじめる子は晩ごはん抜きですよ。それとおっさんって呼んじゃダメ。その人は周一さんです」
「ママのおともだち?」
 首を傾げる娘御に、静司はドヤ顔の含み笑いを返す。
「ふふふ……テレビで観たことあるでしょう」
「えー?」
「シズカ、お前の好きな連ドラ『ときめき革命 セカンドシーズン』の主人公は誰ですか?」
「なとりしゅういち」
「この人は?」
「しゅういちさ………えぇッ!?な、なとりしゅういち!?」
 金の繍の施された麒麟模様の着物を着た娘──「シズカ」が、寝そべる周一の首を無理矢理ひっくり返す。
「痛い痛い痛い痛い」
 子どもの癖に大した力だ。周一はげっそりしながらその顔を見つめ返す。
 大した美貌だ。
 子どもの顔というのは大なり小なり、はっきりと整いきらない可塑性を残したおぼろな印象を持っているものであるが、この双子の場合は整い過ぎて、まるでCGかと思うくらいである。
「わああ、ホントだ!なとりしゅういち!……うそ、うそ、スゴい!ははうえ、スゴい!」
「ママと呼びなさい。母上、なんて時代錯誤な言葉遣い、周一さんに笑われますよ」
「わ、わかったわ、ママ!」
 鼻息荒く娘は頷く。その顔ときたらまるで静司のミニチュアなのだ。瓜二つ、というか、完全なコピーに近い。
 ほぼ同じ顔をした男の子のほうは幾分大人しいが、頬を上気させて、やはり客の来訪に興奮しているのは明らかである。
「えーと」
 事態はさっぱり不可解だ。だが少なくとも、子どもたちに悪意がある筈もない。相変わらず消えない目眩と頭痛に己の繊細さを痛感しながら、周一は傍らにチョコンと座る、静司そっくりの幼子の髪を撫でた。艶やかな黒髪は、手触りまでそっくりだ。
 その指先をつたって、ふいに不思議な違和感がよぎる。
「………君は、ツカサくん、でいいのかな?」
 静司のミニチュアが、名を呼ばれた途端にニッコリと笑う。太陽のような笑顔──それだけは、静司には無いものだ。こちらは銀糸の繍がなされた龍の模様の着物を着ている。
「ママにそっくりだ」
 事情は謎だが、子どもの手前、取り敢えずは母と呼ばう。
 ──勿論そんな筈は無い。静司の下半身に余分な凹があった記憶は無いし、上半身にも余計な凸は無い。例えば奇っ怪な術を用いて性転換でもしたというのなら話は別だが、それならそれで気付かぬほうがアホである。この名取周一、腐っても男と女の区別くらいはつくつもりだ。
「……二人共、今日はお夕飯まで工作して遊ばないんですか?さっきはおにんぎょうを作りたいって言ってたクセに」
 たすき掛けして、工作キットがおさめられたプラスチックのコンテナを取り出した静司が、ため息まじりに二人を見おろす。
 ──しかし、その目ときたら。
(……静司、どうしたんだ)
 まあこれが、横から見ているほうが不安になるほど穏やかで、びっくりするほど優しいのだ。そう、それこそこの年端もいかぬ子どもたちに、母だのママだのと呼ばれても、まったく違和感が無いくらいには。
 ましてこんな顔は、周一でさえ見たことがない。ただ穏やかで優しいだけでもなく、凛とした──清廉な気概さえ透けて見える。
「あ〜ママ、わたしやる!おさかなのおにんぎょう、もうすこしでできるんだから」
「ぼくもー」
 頭身の低いコロコロした子どもたちが、転がるように「母」のもとに駆けていく。眩しいほどの慈愛の微笑みは、もうほとんど不自然なほどだ。──ただ自分の見慣れないものに面食らっているだけだとは判っても、そんな顔は静司には、到底似つかわしくない。
 広い奥座敷に乱立する厚紙の張りぼての動物たち。不器用な子どもの手でクレヨンやカラーマーカーで塗りたくられた色は、何かしら心温まる感じがする。イヌ、ネコ、クマ、ゾウ、クジラ、ペンギン、インコ、カワウソ、シマウマ………まるで動物園だ。
「この前みたいに、畳を汚してはいけませんよ。あ、こら、ツカサ。レッサースローロリスはそんな色じゃありませんよ」
 何でそんなマニアックな動物なんだ──。
 思って再び出来上がった動物の張りぼてをよく見返してみると、シマウマと思ったものはオカピか何かに見え、インコと思ったものはコウモリ、クジラと思ったものはどうやらイッカクであるらしかった。カワウソとおぼしきものは、その色と毛の感じから察すると、多分ハクビシンか何かであろうか。ペンギンが何故倒れているのかとしげしげと見つめると、どうやらモグラのようであるし、色々とカオスな感じだ。何を思ってこんなもんを作ったのだろう。
 さしずめ──娘の言う「おさかな」とやらもピラルクか何かに違いない。幼稚園か何かで変わった課題でも出されて、常識はずれの静司がとち狂ったのだろうか。
 しばらく虚妄の母子を見つめて、周一は呆然とする。
 ──親子。
 親子だ、どう見ても。
 静司の父親が存命かどうかなど知らないが、まさか静司の弟や妹というわけではあるまい。ひと昔前ならば、実の子を兄弟と偽って育てたり、年の離れ過ぎた兄弟姉妹を子として育てたりということはあったようだし、現在でも場合によってはそうしたこともあるだろう。しかし──何れにせよ、この双子は余りにも静司に似すぎている。似すぎている──どころではない。
 動物行動学における血縁淘汰の計算ならば、いわゆる血の濃さ──近縁度は、一卵性双生児を除いては、兄弟姉妹よりも親子のほうが濃厚になることがある。インセストタブーはその共通の祖先をはじまりの分岐点として、同じゲノムのセットを父母を通して50%ずつ組み替えて子孫に伝えていくからだ。つまり、普通の親子、兄弟姉妹の近縁度が1/2ならば、単純計算によるとその姉弟、兄妹の近親交配の子の近縁度はさらに上がる。
 だが、交配時のゲノムのセットの組み合わせはランダムだ。厳密にイコールと呼べるまで近縁度を高めるまでそれを繰り返す前に、近親交配による致死性遺伝子の発現によって個体はより危険にさらされる。恐らくは現実にはあり得ない──などとつらつらと思うに、周一は己のげすな妄想に反射的に嫌気がさした。
 そんなことが、子どもたちが静司に瓜二つである根拠にはなるまい。
「……それじゃあ二人共、色を塗って待っていてください。周一さん、ちょっとこの子たちを見ていてくださいな」
 静司がヒョイと立ち上がると、途端に子どもたちの視線が静司に追い縋った。
「や〜だ〜!ママ、いっちゃやだ〜!!」
「ママ〜」
 着物の裾に縋って、いきなり大泣きするのは女の子のほうで、男の子は彼女が泣いているのを見てつられて泣き出してしまった。
 どうやら元気で甘ったれなのは「シズカ」のほうで、多少ぼんやりとしていて内気なのが「ツカサ」であるらしい。
 静司は閉じられた襖の前でゆっくりと腰を低くして、どう大きく見積もっても四歳かそこらの小さな双子を両腕でまとめて抱き締めた。
「……ママは何処にもいきません」
 瞳を閉じた、慈母の笑み。
 周一はまるで間抜けのように、半口を開けてその様子を見つめた。
「お夕飯食べないと、大人になれませんよ。ママが支度をして来る間、ちゃんと厠で手を洗って待っていてください。此処には誰も来ませんから」
「うそぉ〜」
 恨みがましく静司を見上げ、さらに周一を見遣る双子は、親愛と不信が入り交じる目で此方を見ている。「なとりしゅういち」のネームバリューも、ママの不在には勝てなかったようだ。
 それに気付いた静司は、双子の背中を守るようにして撫でながら、唄うような優しい声で緊張をたしなめた。
「ああ──周一さんは特別なんですよ。ママと一緒で、ここに入ってきてもいい約束になっているんです」
「どうして?」
 静司はフフフと不敵に笑った。まるで、最初から訊かれることを想定していたような反応だ。
 ちらりと此方を一瞥した瞳は、子どものような輝きに満ちていた。
 嫌な予感がした。
「周一さんはねえ、お前たちのパパなんですよ」
「はぁ!?」
 跳ね起きた周一の口を反射的について出た声は、ほぼ悲鳴に近かった。
 ──しかし、間抜けにも、二の句がつげない。そんなことは絶対にあり得ないにせよ、パパになるための営みには散々励んできた身ではあるからして。
「パパってなに?」
 無情なる「シズカ」の問い。静司は此方を見詰めたまま、何かに勝利したように答えた。
「父上、のことですよ」
「ちちうえ!?」
 何を思ったか、今度は「ツカサ」も鼻息を荒くする。
「じゃ、じゃあ、ちちうえは、なとりしゅういちなの!?」
「めっ!父上、じゃなくてパパと呼びなさい」
「でもママ、それじゃシズカ、なとりしゅういちとケッコンできないよ!」
 ──待て待て待て。
 何なんだ、このガセまみれの地獄の奥座敷は。
 間の手を挟みたいのだが、この状況で静司の発言を否定すれば、たとえそれがすべからく正論であったとしても、まったき悪人のような気分になるではないか。
「おバカですねえ。世の中のパパというのは、総てママのものなんです。だから名取周一は頭の端から爪の先までぜーんぶママのものなんですよウフフフフフ」
「うっそ!」
 アッチョンブリケ、みたいな顔をして、すぐに小さな手でぽすぽすと殴りかかってくる娘を静司は優しくいなす。そしてその体を抱き上げるや、自分と瓜二つの幼くして整った美貌に、愛情に溢れた口づけをした。
「シズカ」
 自らの名を冠する分身──だれが見てもそうだと判るだろう。親子というよりも……クローンのようだ。
「おさかな、上手にできましたねえ」
「……え」
「次に作りたいものは何ですか?イボイノシシ?キウイ?ああ──カピバラなんてどうです?あれ、とっても可愛いですね」
 だから何故そんなラインナップなんだ。
「うーん、えっと……」
 ちょっと興奮して涙目の、情感豊かな幼い女の子をあやす静司の声のトーン、速度、行動のタイミング。これは昨日今日で身に付けたテクニックではありえない。
 ヒョイとミニチュアを地面に降ろした静司の背中に、オスのほうのミニチュアが乗ってくる。
「すご〜い。ママとパパがいる」
「そうですよ。ママとパパ。今から四人でお夕飯ですよ」
 すると、恥ずかしそうに「ツカサ」は言った。
「……パパと、おはなししてても、いい?」
「もちろん」
 反射的に目を上げた周一に、静司が目線で謝罪を送ってくる。
 だがそれは、愉快犯の顔ではなかった。幼子を──大切なものを守らんとする、慈愛と決意に根差した、真摯な意志に満ちた目は、周一のついぞ見たことない貌であった。
「……周一さん、厨から戻るまで、必ずここに居てくださいね」
「──ああ、わかった」
 静司が姿を消すと、簡単に丸め込まれて手のひらを返したかのように、静司に瓜二つの子どもたちが周一に侍る。
「……ふう」
 災難であるとも言えず、さりとて僥幸などでは決してあり得ない。だが、パパ、などと呼ばれるのは心外でしかない筈が──意外に嫌な気分にはならないのは何故だろう。
「パパ、これみて」
 娘が手掛けていた「おさかなのおにんぎょう」──つまりこの珍獣ギャラリーの新参は、深海魚のリュウグウノツカイであった。
 厚紙をたくさん切って繋いで、あのヒラヒラとした感じが意外に巧く出来ている。
「すごいな、魚雷みたいだ」
「ママのイチオシなの。カッコイイでしょ」
 ──曖昧に笑いながら、周一は内心で思わず疑心暗鬼に駆られる。ママのイチオシ。まさか、静司が今までに自分で喰った珍味リストとかじゃあるまいな。
「ぼくはレッサーロールスロイス」
 静司と二人して色を選んでいたやつだ。ロールスロイスなんて誰が教えたんだ……いや、犯人は一人しか居ないが。しかし相手が相手だけに、ひどく愛らしい──周一は思わず吹き出した。
「レッサースローロリス、だよ。ほら、わたしの──パパの言う通りに言ってみなさい」
 言いながら周一は内心苦笑する。
「レッサー……」
「スローロリス、だ。もう一度」
「レッサースローロリス」
「ほら言えた!完璧だ」
 頬を赤くしたミニチュア静司は、「パパ」に誉められて有頂天だ。そんなにも嬉しいのか、ピョンと飛び上がって、引っ込み思案なのも忘れたように、周一にひしと抱きついてくる。
「パパ」
「うん。いい子だね、ツカサ。あとでママにも教えてあげようね」
「パパは──ほんとうに………ちちうえ、なの?」
 腕の中の小さい静司が、頬を紅らめて嬉しそうに訊いてくる。
「………」
 ──もしもここで、違う、と言ったら、間違いなく自分は鬼畜だ。
 周一は、諦感の鼻息を微かにもらし、微笑を浮かべてその髪をよしよしと撫でた。あまりインターバルを置くと、答えが不自然になる。
 肚をくくって、周一は言った。
「そうだよ。ママが言っただろう?」
「いままで、ちちうえのこと、おはなししたら、おこったのに」
「……」
 事実であるわけがない。
 それだけはハッキリしている。
 だが、何故か胸が痛んだ。
 子どもの無辜の笑顔。
 慈母のような静司の微笑み。
 ──何にも恥じるところの無いはずの自分が、急にとてつもなく酷い人間のように思えた。


 静司はなかなか帰って来なかった。
 その間、周一と双子は色んな話をした。そして、拾ったという松ぼっくりを塗装して飾ったり、二枚貝の内側に精緻な絵を描いて色を塗ったりして遊んだ。
 ネットで調べた貝合わせの画像を見ながら造ったレプリカは、なかなかの出来だった。
 二つに割ったハマグリの貝殻の内側には、源氏絵を模した、周一には架空の妻であり、娘には母である美しい人の姿が描かれた。


【続】


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