Tales of Telephone


 ああもう、また電話だ。
 わたしに用事のある皆さん、あんまり用事のない皆さん、次々に留守電にメッセージを入れるのはやめてくれないか。フリック。画面に触ると指紋がつくから厭なんだよね、ああ気色悪い。巷間ではタダ同然で端末用のクリーナーが売ってるが、それだとスマートフォンの画面の汚れはキレイになるけれども、それは単に汚れをクリーナーに転着させているだけのように思わない?え、わたしだけ?いやさ、指サックみたいなのとか、タッチペンとか売ってるけどさ。
 確たる理由を以て、わたしは深夜の公道にスマートフォンを置き、ちょうどよいタイミングで走ってきた10tトラックに踏み潰されたのが先ほどのことだ。仕事で事務職から持たされている分も一蓮托生といきたかったが、狂人になりきれなかった半端人のわたしにはそうすることができなかった。
 それにしても、道路交通法では車輛はキープレフトであるとはいえ、地上に置かれたスマートフォンにトラックの位置に走行中のタイヤをヒットさせるのは並のことではなかった。といって、別にわたしが何かしらより蓋然性に偏りが生じるような所作をしたとかいうことはまったくなく、タイヤがスマートフォンに見事にヒットしたのも要はただの偶然であるが、街路樹の影で行く末を見守っていたわたしはその瞬間、諸手をあげて歓びを表現し、調子に乗って芸能事務所から預けられているスマートフォンもフリスビーのように勢いよく投げたところ、なんと18個あるタイヤの一番最後尾のトラック用の凶悪な後輪に引っ掛かって、道路上の「とまれ」とか、時々「れまれ」とかになっている標識と一体化し、またそこで歓喜の余りに両手をあげたわたしは、グリコのマークにそっくりだったことだろう。ははは。カラスも同様に木の実の殻を割るため、走る車のタイヤを狡猾に利用したりもするらしいが、果してわたしにカラスほどの知能が残っているのかどうか、これは甚だ怪しいところではある。いやね、多分疲れが溜まってるだけだと思うんだけども、思考にとりとめがないというか何というか。
 しかし、当然のように半日が映画のロケに潰される翌日には事務所から代替品が支給され、わたしはひたすらスマートフォンをクリーナーで拭きクリーナーを棄て、新しいクリーナーで拭き、クリーナーを棄て、また新しいクリーナーを、と繰り返す羽目になった。あ、ほら、汚いじゃない。一体全体電話というものは、アポ無しで急にやって来る客に開いた戸口のような、迷惑千万なものなのである。こんなアホなものを持ち歩くのが一般常識になっていること自体がわたしは怖い。考えれば考えるほど眉間が痛くなるし、その眉間には皺が刻まれつつあるし、もしもある日偶然タイムスリップの能力を手に入れたとしたら、わたしは真っ先にアレクサンダー・グラハム・ベルを絞め殺しに行きますね。
 さてその眉間と言えば、巷間ではこの辺りに出来た吹き出物は「めんちょ」などと呼ばれており、出来てしまうといけなくなるとか、押すと死ぬとか、いろんなことを言われて久しいのだが、これは実際に死ぬんである。別に隠行し奉るわけでなくとも、此処が急所であることは事実なのであって、古くは大陸伝来の医学に端を発するらしいが、そのルーツは「面丁」である。日本の方言ではこれを「めんちょ」として関西では吹き出物を、九州だと女性のアソコを指すようになった経緯は知らないが、わたしの出生地ではこれが後者であったものだから、うっかり生出演の番組で喋ってしまい、あとで公共伏魔殿信者のエンカウントモンスターのようなミセスたちから、百回くらい局の電話を鳴らしてきましたからね、もうね、わたしには、世界が見えません。






 ああもう、また電話だ。
 そしてわたしは留守電に逃げようとしたが、いやいやまてまて。
 留守電サービスは便利だが、その場合はメッセージを改めてちんたら聞かなければならないのが大層に億劫だ。だといって、たまにヒマにかまけて即座に出たりすると、時々おっさんの声を遅回しにしたような禍々しい怨み言を聞かされる羽目になったりする。
 これがなんというか、毎度代わり映えせず、なお禍々しい悪魔の代表格であるバフォメットなるものをまざまざと彷彿させることから、わたしはこれを予てより「雄山羊系」と命名しているのであるが、鳴り続ける電話に出るやいなや、おっさんのダミ声をごっつい遅回しにしたような禍々しい声音が鼓膜を直撃したというアハ体験。
 逆に、留守電で用件を聞いてから折り返しでかけ直すと、十件に一件は、霊界電話みたいなやつに繋がるのである。というのも、これはカラスの声を無理からに早回しにした出涸らした茶葉のような、さっきの雄山羊系の恐怖とは別に聞き取れないほどではなくとも、どうしようもなく不安を誘う声なのが特長だ。まして正体不明のそれが、時にはザザザと哭いていたり、時にはファルセットで高砂を吟っていたりするのも気色が悪い。
 大体が怪異とは、本人に受け入れる意思がなければ発生しないパッシブといえばこれ以上に無い効果であるからして、これを期に、霊や呪いなどという非科学的なものに対して一考していただければ、わたしも幸いである。
 ああもう、また電話だ。
 いい加減にしたまえ、きみらは暇人かね。






 さて、ロケハンである。
 何となく南京玉すだれを唄いたくなって、ひとりで密かにうたっているのだけれど。
 何故かって、それくらいしかすること無いんだよね。あ、知ってます?南京玉すだれの正式名称。唐人阿蘭陀南京無双玉すだれっていうんですよ。
 俳優を生業としている身なれど、こんなに萎える仕事はハッキリ言ってほかにはあるまい。水鳥の脚が水の中でバチャバチャ、なんて可愛いものではなくて、首は雄山羊で体は女のバフォメットみたいな……ってアレ?またバフォメットかいな。まあ分かりやすい矛盾のアナロジーということもあるし、それというのも真偽のほどは知らんがバフォメットというのはマホメットの悪魔バージョンなんですよ。ユニコーンとバイコーンみたいな、澪落した崇拝対象。これが東に行って仏教的なチャンポン信仰になると、大黒天=マハーカーラなんていう目茶苦茶なこじつけがわんさか出てくるわけであるのだが、これが学校のクラスや職場のグループだったりすると完全にイジメだとつくづく思うんである。平和って何なんですかね。
 ワンテイクに周りは殺意満面のスタッフだらけ、照明は殺人光線、見えるところまでしかないセット、狭い場所での周囲の視線に度重なるNG、泣き出す子役、笑い出す小道具、役に立たない新人監督、女優霊、みな様々にトラブルを引き起こしてはワンテイクに二時間もかけているのにもう付き合いきれず、いつまで立っても出番の来ないわたしは、電源を切ったスマートフォンをひたすら拭いていた。
 たとえるならばセックスビジネスに従事する人々が現実のセックスに対して無関心になる傾向があるように、わたしのような半端者の役者の場合も仕事の津々浦々に無関心にならざるを得ないのだ。とはいえこうして完成した作品は、時に貶され時に絶賛されるものの、雄山羊の頭の下はやっぱり不自然にエグいのではないかと、わたしはしみじみと思うのであった。と思ったら突然思いっきりくしゃみが出た。くっさめ、くっさめ。
 さて、こんなわたしの出演を待ち望んでくださるお茶の間の電波人各々、こうした悪魔的なコンテンツに入れ込むと、今に悪魔のお膝元、公共伏魔殿の手先がお宅にやって来ますよ。昔は農協が月に行ったもんだが、今時はどあつかましい公共伏魔殿が威張り散らしていて、これが大概にけた糞悪いのである。放送局もイメージ商売だろうに、未だにカネカネカネカネカネカネカネカネコネコネコネコネコネコネコネコネ、ともろびとこぞりて念仏のごとく此をを唱え、なにやってるのかわからん職員ひとりに年間1700万〜の札束で顔を撲っていれば、そらまあ職員も脚も舐めてくれることででしょうよ。羨ましいことで。
 確かにカネやコネで出来ることはいろいろあるだろう。あって悪いものではない。したがってカネやコネが汚いもの、恥ずかしいものという正義漢ぶった前時代式の残り糞は即座に雉撃ちで棄ててしまうべきだとわたしは思う。縁故採用は責任を伴うからこそ、帝政ローマでは選択肢として大きな役割を果たしていたのだったじゃないかね。しかし、この「責任を伴う」というのが公共伏魔殿に関しては少々話が違い、昔のオイコラやくざがそのままタイムスリップしてきたとしか思えないような酷い有り様なので、蛇の道がないところで蛇を放って干からびた、という悲劇が容易に起こり得るのだ。自浄作用がはたらかず増長していくのもそのせいであり、はっきりいって腐りきった芸能界のほうがもう少々マシではないかと思うのだ。頭は雄山羊、体に乳房。あべこべ、矛盾の象徴のような組織であるところのこれは、会長室なんかに入ったらば、本当にバフォメット像が設置されていてもわたしはちくとも驚きゃしない。あんたたちも、もうちょっと建前を巧く使いなさいね。
 人は様々なダブルスタンダードを持ちうるものであれど、気づいているのと気づいていないのと、気づいているのにフリーライドする三種類の人間とがいますが、獺という妖怪は、どんなに厚い面の皮も平気でベリベリと剥ぎますよ。ええ、あの可愛い獺です。あのフェレットに似たやつね。その獺が剥いだ皮でひとに化けたりもするのだけれど、まあ多分あれは獺→かわうそ→皮嘘、的な伝言ゲーム発案から生まれたのだと思うのだね。とはいえ、市井においてそういう妖怪に存在価値があった時世もあるのだから、十分に注意したまえよ、諸君。
 ふとなにがしかを考え、さらにふと指先がスマートフォンの電源を入れると、また電話だ。リアルタイムでしかもマネージャーから──クリーナーが無いが仕方がない。タップ。えーもしもし?

『あ、もしもし名取さん?』
「はい」
『すみません、ロケの最中に。昨日からずっと連絡がつかなくて』
「ああ、それは……」
 棄てたとは言えず、取り合えずは無くしたと言っておこう、としょうもないいいわけを考えたのはいいが、向こうは此方の反応など待ってはいなかった。
『取り合えず落ち着いて聞いてくださいね』
 めちゃめちゃ厭な予感がした。
 落ち着いて聞け、という前振りは、「落ち着いて聞かないと正気があかんようになりますよ」の意であり、少なくとも良い知らせであったためしはない。
『昨日、マンションの名取さんの部屋に空き巣が入ったみたいなんです』
「えっ」
 それみたことか。
 わたしは意味もなくガッツポーズをとった。
『ほかに被害にあった部屋は無いみたいで、警察も来て今なんか部屋中しっちゃかめっちゃかになってるみたいなんですよ。色んなもの盗られてる可能性があるとかで』
「 」
 ──空き巣。
『名取さん、名取さん?大丈夫ですか?名取さん?』
「………」
 思わず端末を握り潰しそうになった。が、待て。待て待て。実と見せて虚、虚と見せて実。何か違うような気はするが、これはよくよく考えなくとも端末のせいではあるまい。病気は病巣のせいであって、告知する医者のせいではない。それでも時として患者は医者を責める。
「な、何ですぐに連絡くれなかったんです」
『ですから電話が繋がらなかったんですよ』
「……」
 んなわけあるか、と叫びだしそうになったところで冷や汗でベトベトになった耳からディスプレイを引き離すと、取り合えず通話を終了し、この端末の電源を入れたのはついさっきであることを思い出した上は、誰を責めるかといえばもはや話題の周辺には誰の影もない。10tトラックの餌食にした二本のスマートフォンの呪いのようにマネージャーの淡々とした声が響く。視野狭窄と共に、その声に耳鳴りが被さり、鼓膜を通すとまるで遅回しのようになっている。これこそが、雄山羊系だ。
 まあ、家宅捜索ではないのだから、警察が無理に踏み込んでくるということはなかろうもん。とはいえ、プリントアウトしてそっとしまってある、酔っ払ったときに静司と裸踊りした時や、白目を剥いた静司の泥酔写真、寝顔、こそっと集めた静司の毛、こっそり買ったミスチルのCD、あれこれ見られたらと思うと気もそぞろ、というより空き巣に持っていかれてしまっては。ネット上で出回って炎上商法と洒落込むのはともかく、そのあとでわたしが静司にねちねちいじめ殺されてしまうのは明白だ。
 わたしが一度きりバフォメットめ、と大声で叫びながら、三本目の端末機をバキ折りにしようとした瞬間、遠くからトラックが走ってくる音が聞こえた。わたしは、かの五賢帝ハドリアヌス帝の別宅にも存在したという彫刻家ミュロンの代表作、「円盤投げ」のポーズを取り、あの夜のごとくにまさにその奇跡の瞬間を待ったが、希望のトラックは早々に左折して、いずこかへ消えてしまったようだった。

 あっ、また電話だ。
 畜生。





Tales of Telephone



【了】


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