的場邸治外要塞 外道祓い屋ゲリラ11時間の死闘〈後編〉


 かつて一度は、破壊した。
 今はその地を、守ろうとする。

 なんという因業だ。考えるほどに、苛立ちに似た目眩がした。
 なるほど、ひとつひとつの個別事象から見てみれば、周一は会宮を欺いたことにもなろう。実際、今まさに的場と組んで事に当たろうと言うのだから、あれがどれほど空疎な台詞だったかと思うと、己の間抜けさに目眩がするのだ。

 その夜。
 勝手口側のふたりの宿直当番の内一人は、「たまたま」事故で負傷した人物の代理が立つことになった。そうしたことは、特に珍しいことではない。
 代理者は呪術師ではなく、まだ的場家で働きはじめて一年余りの若い雑用係である。
 家業そのものとは直接関係しないところで欠員が出ても、的場邸の出入りともなれば、一般募集をかけて、新たに雇い入れるということは、ここではまずない。それは秘密を共有できる人物でなければならず、そうなれば必然的に、的場家の関係者の身内になることがほとんどだ。そうでない場合、血縁でなくとも何らかの縁続きであり、身元が確かであることが求められる。
 それでも、それこそ会宮のような人間を使って報酬を餌に仲間に引きずり込むことは可能だ。
 そうして、邸内で働く間に、ただただ邸内の仕組みを覚え、人びとの話に耳をそばだて、習慣を覚える。
 そして、信用を勝ち取る。
 信用とは、信頼とは異なる。その場における異物としての存在感を廃し、空気のような存在となりきってしまうこともまた、信用と言えるものだ。そして、一度信用を得ることに成功すれば、現場外の人間が履歴書やデータだけを見てその人物を評価したところで、以降滅多なことでは日常生活に於いて怪しまれることはない。何しろ実際に怪しい素行など存在しないのだから、追及する謂れはどこにもないのだ。そして唯一の泣き所──このいわゆる「ナメ役」にあたる引き込みに関しては、裏切りに対するそれなりのムチ──個人を揺さぶるには十分な予防線が仕掛けられている。
 そしてこの、一聴すると何ら内容すら無いかのような作業に、外部から何百万という金を支払われる──こうしていつの世でも、引き込み役を仕立てることなど造作もなく、このきわめて安易な細工が、結局は解決できない仕掛側の強力な一手となるのだ。

 神経を研ぎ澄ますと、闇を切り裂くような鋭い妖気が此方に近付いてくるのが判る──その気配は明確に二つに分派しており、一方は予想通りに勝手口へと、もう一方は裏手門へと回る。
(──実は前者が囮を兼ねた退路、後者が本命と見るべきか)
 だが、恐らく引き込み役は勝手口の一人だけだ。ならば彼は、ふたつのゲート──すなわち勝手口と裏手門とを開錠する必要がある。そして、それは多少の時間差さえゆるせば十分に可能だ。
 だが、いずれも推論だ。ある程度的をしぼるに値する裏づけがあっても、やはり推論に過ぎないのは事実だ。ジョーカーは無い。それでもあらゆる事態にフレキシブルに対処するには、『襲撃』はもっとも手っ取り早い。
「静司」
「はい」
 答える声は、それでも取り乱す素振りなどなく凛としていた。
「正直、今のところ相手の目算はハッキリとは見えていない。蓋を開けてから、何が起きるかで勝負になると思う」
「──おれにできることは?」
 そうだな、と周一は腕を組んで思案した。
 容赦無い静司を、対人戦に参加させるのは、相手に対して死刑宣告をするに等しい。のちに制裁が必要となっても、できる限りは戦闘中の死人は出したくないというのが本音である。事後のことは的場が内々に決着をつけることであって、いかに陰惨であっても周一には関係の無いことだからだ。
「──的場を襲うとなれば目的はきみだろう。なるべく奥座敷から動かないでくれないか」
「危なくなったら?」
「そうだな……それはまあ、煮るなり焼くなり」
「そうじゃないですよもうー、周一さんのアホ」
 後頭部に拳骨が飛んでくる。ゴンといったか、思わぬ痛みに周一は思わず前屈みになった。
 まったく、御頭主様には危機感というものが、あるのかないのか。
 周一はまた深く、些か気の抜けたため息をついた。まるでスペードのエースの無いCraps。

「助けにいくよ。必ずね」








 邸内の人間は誰一人これを知らぬまま、周一の独断は進行した。本来ならば当然のこと襲撃に備えるべき事態でありながら、実質邸内にどれだけの密偵が入り込んでいるのか、或いは入り込んでいないのかの、判断がつきかねたからである。十中八九クロであるとしても、ヘタをすれば引き込み役さえもスカである可能性があるのだから──さもありなん。
 モニタールームで複数のカメラ画像を見つめながら、周一はため息をつく。

 ──つくづく会宮も、馬鹿な男だ。

 もしも報酬につられて群衆と共にあれが屋敷に突入するようなことがあれば、自分は会宮を伐たねばならぬのだ。気のいい男だけに、これは相当に寝覚めは悪いだろう──さりとて的場に肩入れする明確な理由も無く、彼等・我等という社会的合理性から理由を導き出そうとすれば、どうしても頭が痛くなる。
 だが、時間は感傷を待たぬ。
 時を経ずして勝手口が開錠されたものの、モニタールームのカメラは何も捉えなかった。
 続いて、裏手門のセキュリティが解除された。引き込み役とおぼしき若者が急ぎ邸内の車両を出し、緊急の用命を装って門を開錠させたのである。
 これでふたつの門が開放されたが、その瞬間、モニタは勝手口側から、実に十数人余りの侵入者の姿を捉えた。
(少ない…)
 的場邸を制圧するには、白兵戦では素人の呪術師たちでは話にならない。何しろ周一自身にもオファーがあったくらいである。これは間違いなくただの囮に過ぎないだろう。
 ──それでも駄目だ。
 セキュリティさえ解除すれば、勝手口から邸内に乗り込むのは余りにも易いのだ。あからさまな囮が本命である可能性もある。
 ややあって、周一は手元の『emergency』と書かれた硝子越しの緊急用ベルを拳で力いっぱいに叩いた。
 夜の夜中に、これが大パニックを巻き起こすことは誰にでも想像はつく。だが、このタイミングまで連絡を遅らせたのには、それなりの理由もあるのだ。
 邸内がざわつき浮き足立つと同時に、裏手門からUターンする引き込み役が、複数の車両を引き連れて戻ってくるのを周一は見た。予測は確かに的中していたのだ。
 事前予測との符号。
 とりあえずはこの確証さえ得られたならば、少なくとも次の手を打つのに二の足を踏むことはあるまい。
「侵入者あり!裏手門より車両六台、勝手口より十数名の侵入者あり!総員自衛に努め、直接の交戦は控えられたし!我こそはという者あらば、可能な限り邸内への侵入を阻め!」
 周一はモニタールームから飛び出すと、いの一番に裏手門、勝手口の両退路を封鎖した。警備会社への緊急要請は出さず、そのままモニタールームの電源をすべて遮断すると、周一もまた邸内へと飛び出した。
 はじまったからには、総ては隠匿されねばならぬ。
 血が騒ぐと共に、確とは言えぬ厭な予感がした。それは先行きを見抜く先見ではなく、単なる勘でしかなかったが、周一は自らの勘──というべきなにがしかの感覚が、無意識の経験則がもたらす正確さ以上に鋭いことを知っていただけに、胸騒ぎはいつまで経っても止まなかった。









 静司の控える奥座敷の屋根を足場に、邸内の全貌を見渡すと、侵入者に呪術師の気配が一切無いことに気付く──。
 プロの仕事でさえない。
 チンピラに毛が生えたような三下が、やぶれかぶれにヤッパを振り回しているのを、呪術師が不審げにいなしているだけのように見える、
 無論、先手を打つことができたのは大きな理由だろう。しかし、目的が何であれ、次の手も無く斯様に博打じみた襲撃に踏み切れるものなのだろうか?チャンスは一度ではないし、相手になにがしかの理由があるのだとしても、これが考えうる限り最大のチャンスとも思えない。リスクとコストを考えれば、機を待つが上策──会宮のような人間を抱き込もうというのに、数にものをいわせるのがどれほど無意味であるか、判らぬはずがなかろう。

(……目的が、何であれ?)

 そんなことはなかろう、と自らの思考の偏重を断罪する内なる弁護人──この糞忌まわしいがよくできた饒舌な自浄作用が、黒板消しのように、描いた筋書きを掻き消していく。
 原因と手段は結果に先立つものであるがゆえに、手段は結果と相互に成り立つものでなくてはならないのだ。
 奥座敷周辺には、妖力、妖物をもつ異物を鈍化、弱いものであれば一撃で退ける強力な陣を敷いている──が、今の時点では手応えはまるで無い。数では勝る襲撃者が、警護を突破して廊下を走り抜ける姿は確かに見える。だが、その中に呪術師の姿はない。
(…どういうことだ)
 的場家の組織形態を一時的にでも崩壊させようというならば、まずは奥座敷を狙うであろう襲撃犯に、ただひとりの術師も含まれていないというのは奇妙だ。妖力を察知する見鬼陣に使われている咒は、周一の記憶にある人の顔形を知覚する。妖力の匂いを感じ取ることはできる。だがそれは当の静司であったり、見知った人間の顔であったり、侵入者──異物ではありえない。
 ──それなのに。
「……さすがにこのまま高みの見物とはいかんな」
 どこかで懸念し続けていた会宮や、見知った人間の気配は無い。会宮は隠行や目眩ましといった術系統に長けている呪術師だが、それならば自分とて人後におちるつもりは無いのだが。
 ロープをひょいと近くの木の枝振りのよい部分に引っ掛かると、周一は何となく雲霧仁左衛門、と呟いて、別に面白くも何ともないがフハハと笑うとスルスルと下降していった。









 呪術師は呪術のプロであると同時に、ある程度の肉弾戦に耐えうるだけの身体能力を身につけていることがほとんどである。
 何故なら、祓い屋の仕事の多くは、体力面が脆弱であれば達成し難いものなのである。彼らはしばしば森林や山中に分け入り、獲物を追い、ともすればライバルを蹴散らし、その手で敵を仕留めてやっと手柄を立てなければならないのだから。
 的場の家中となれば、プロとは言えずとも、その訓練もそれなりに徹底された者が重用されるのはおのずとしれよう。どこの誰とも知れぬ侵入者に、一歩も退かず、さりとて殺さず──いや、死体があったところで今は気に掛けている暇はない。周一にはたった十数メートルの廊下が永遠のように長く思われた。
 駆け抜けた先の、襖はもうどこまでも開けっぱなしだ。此処には敵味方入り乱れて、あちこちに人が倒れている。その奥の間には静司がいる。そして傍らには、七瀬の姿もある。
 だが、それらと対峙するのは、侵入者などではなかった。的場の呪者たちが、一歩を踏み出せずに狼狽している──。


「遅いお越しだねェ、名取」


 言葉を選びかねているうちに、七瀬は平素と変わらぬ薄笑いを浮かべ、見下すような目で周一を見た。
 奥座敷──最後の間の敷居を、誰ひとり跨げずにいる理由は簡単だ。周一は目を見開いた。
 七瀬は静司の傍らに控えているのではない。その白いうなじに、鋭利な小太刀を突きつけているのである。
「──七瀬さん、あんた…!」
「完全に出遅れたね、意外だったよ。お前は妙に老成したところがあるから、こっちも小細工には手間を取ったんだがね」
 ぐっ、と小柄をうなじにめり込ませると、赤い液体が静司の肌のくぼみから川のように流れて落ちた。静司は痛みからか強く目を瞑ったが、一言の呻き声も出さなかった。
「それでも勘のいいお前さんのことだ、例の会合のあとに会宮を使って勘繰らせたのは大当たりだったよ。ただ、さすがに他家のお前さんまでウチの会合で始末されたとなりゃ、噂好きの小雀の囀りがまた煩いんでね」
「まさか、全部あんたが」
「そうさ」
 冷たく細められた七瀬の目に、妖以上に妖のような、切れ上がった迫力と妖艶な魅力が宿る。
「──といっても、残念ながら、これは一門の決定なのさ。的場の突出した妖力は、個人的にはどうにも惜しいんだがねえ、あんまりにも出来すぎるおつむは余計なのさ。妖だけじゃなく、人にまで恨みを買いすぎちゃあ、幾ら何でも採算が取れないってだけの損得勘定だよ」
「……」


『身内を──たとえば秘書の七瀬をも警戒するようなことはあるだろうか。もしもそうせねばならぬ事態になれば、静司はもはや誰にも心を開くまい──』


 周一はギリリと奥歯を噛んだ。
 ──そう考えたのは確かだ。
 しかし、それを十分に考慮したのかと問われれば、まったくもってそうではない。寧ろ、願望がそうはさせなかったに過ぎない。
 そして、その結果はどうだ。
 七瀬は声を張り、袖にしのばせた小柄を畳の上へとばら蒔いた。
「さて諸君──的場静司旗下に反する諸君、進み出て、この刃を取りませい!諸家に恥知らずと罵られることの無い、かつての的場一門を取り戻す絶好の機会ぞ!現頭主をかの妖に捧げると共に、我らの屈辱をこの愚昧なる若造に確と思い知らせよ!」
 背後から、次々と追い付いてきた家中の術師たちが、何事かと奥座敷を覗き込む。中には既に目を据わらせて、歩み出んとしている者も居る。見知った顔、見知らぬ顔。その中心に立たされた静司の胸中はいかばかりか、その顔色はほとんど真っ白になっていた。
「さあ、我こそはという者、あらば出ませい!さあ、どうした!?」
 七瀬が片足で畳をドン!と踏み締めると、二人が群衆から転がり出て小柄を掴んだ。
「否、未だおる筈!千載一遇の機会にて、かの愚かな頭主を弑し、己が胆を見せよ!」
 ──もはや、地獄の窯をひっくり返したような騒ぎだ。おののいてその場を逃げ出す者があれば、それもかなわずに目を剥いて立ちすくむ者あり。七瀬の気迫に感化される者があり、ここぞとばかりに舌舐めずりをする者もある。
(──なるほど、此処にあの髭が居れば確かに都合が悪いだろうな)
 優秀なものは、利用するために標的にされるか、消すために標的にされるか。怨恨も無視できないが、大抵がその二択だ。
 いずれにしても、秀でた個人は常に標的になる危機に晒されている──実際、いずれ的場に取って代わる有望株のひとつとされている名取周一にしても、半年に一回は、個体の所有をめぐる災難に巻き込まれているといっていい。それも誘拐や脅迫といった、どれも笑っては済ませられぬ人災である。

 ──ふざけんじゃねえよ。
 どいつもこいつも。

 七瀬の煽りに、一人が進み、ほかの誰かの野次が飛ぶ。
 腹黒い祓い屋と妖の吹き溜まり──祓い屋大家十一家に君臨する腐った猿の腰掛けに、目を奪われたことなど一度もない。たとえ的場がトップを退こうが、周一には知ったことではないのだ。したがって勝手に対抗馬に任命されても迷惑千万なだけなのだが、実のところ、反的場でまとまった一派が、かつての名門である名取家の末裔を担ぎ上げようという動きがあるのも、周一は知っている。
 抑、己の体は己の所有だ。
 無論、これを財とみなして売り渡すというなら話は別だが、此方には交渉の意思などあるはずも無い。となればあとは是非もなく、斬った撲ったの修羅場になる──法の概念はおろか常識もクソもない話がこの21世紀に罷り通るのだから、ヤクザのどさんぴんの小競り合いが、微笑ましく見えてくるのである。
 ──つまるところ、だから周一は独りなのだ。
 異端や外法と揶揄されるのは、時にやっかみであったりもする。力の無い呪術師は否応なく、大家の傘下に入るなり、パートナーシップを結ぶなりして徒党を組まねばやってはいけぬし、妖力や呪力というものはある程度生得的な資質に依るところがあるから、元名家とはいえ、それが後ろ楯になるどころか、寧ろ嘲笑の的であった周一の台頭が面白くないというのは敗者の道理なのかもしれない。ましてそれが、ピンで荒稼ぎするのに十分な腕前で、しばしば同業者を相手に尻拭いの仕事を請けるというのだから、憎ッたらしいのは当然だろう。
 力で勝負ができる者──静司を憎むのも、つまるところ同じ理屈だ。的場というブランドは、頭主の裁量如何で、後ろ楯ではなく嘲笑の的になる典型的な類型なのだ。

 ──だが、これもまた解せぬ。

 すべてが七瀬の采配であったとして、彼女が新たに暗愚な頭主を据えるとは考えられない。少なくとも彼女に関しては、動機に還元できない結果など存在しないと周一は思っている。然程に静司を憎む理由があるというならば、話は別だが。
「……私を静司から引き離すためだけに、あれだけの人数を囮に使ったというのか?」
「ハ、まさか。買い被るんじゃあないよ」
 寧ろ、と七瀬は続けた。
「こういう前触れの無い緊急事態には、何といってもその人間の本心が露出するものさ。そうだろ?ん?名取」
 そのにこやかな笑顔のまま、奥座敷は一気に静まり返った。それは、周一自身の胸に俄に生じた疑問とも符号していたが、口にすることは出来なかった。その役目は、周一のものではなかったからだ。

 ──そうか。
 周一は、閃いたようにからくりを理解した。
 その感慨は、恐怖にも近かった。群衆を相手に囃し立てる七瀬の次の手が、今は容易に想像がついたからだ。

 そしてまた、新たにひとりが進み出た時、七瀬は前触れも無く、ひらりと前方に躍り出た。
 殺気はまるでなく、七瀬の手になる小太刀が舞った──霞流小太刀の二刀流である。
 着物の裾も、袖も乱さずに七瀬が舞うと、ばら蒔かれた小柄を握っていた者たちは、あっという間に全員がその場にくずおれたのだ。
 その数、五名。
「……!」
 ──これに唖然としたのは周一だけではない。静司も同様に、また、経緯を見守っていた家中の者たちも同様だった。
「──これで判ったかい、名取」
 七瀬は、ほとんど返り血のついていない小太刀の頭身を、慣れた手つきで懐紙で拭き取ると、静司の背中をドンと押し、その身体を周一の胸元に押し付けてきた。幾ら年若いとはいえ、歴代にも名を残すであろう頭主を、ここまでぞんざいに扱えるのも、この女くらいのものだ。

「──よく覚えておきな。屋敷の大掃除ってのは、こうやるんだよ」
「…………」

 奥座敷は、一瞬にして静まり返った。
 ──掃除のために。
 異分子を炙り出すために。
 周一には無い発想ではあるが、確かに筋は通っているかもしれぬ。それでも、秘密の共有を最低限にするために、カムフラージュと排斥のためにはらわたをぶっ刺されたあの男がもしも何かの間違いで死んでいたなら、七瀬とて此処には立ってはおられまいに──。
 それでも、スペードのエースも、ジョーカーも持っていたのは彼女だった。
 彼女だったのだ。









 斯くして大掃除──的場邸襲撃騒動は、こうしてあっけなく終わりを迎えたのであった。
 当事者の七瀬を責めても致し方無いのは確かだが、やはり気の毒なのは、かの髭男──何も知らぬ静司の側用人兼ボディガードである。
 これも七瀬の差し金と知るや、さすがに静司も怒りを禁じ得なかったが、結局のところ──今まで抱え込んだままであった家中の異分子を排除できたのは確かなのだ。この件については、被害を受けた当人の弁護によって不問となったが、静司による七瀬の心象は、相当悪くなったに違いない。
 周一からすると、何よりのミスリードは、会宮の存在であった。
 腹立たしいことに、会宮自身は金を掴まされただけで、何も知らされてはいなかったのだ。複数犯に見せ掛けるためにバーの中に配置した複数の人物も然り、もしも周一が話に乗れば、或いは危ない橋やもしれなかったが、七瀬は言ったそうな──「その可能性は絶対にあるまい」と。まったくいちいち気に障る姥桜である。

 ──どっちが外道だ。

 この万魔殿に、静司を一分たりとも置いておきたくないというのが、周一の本音であった。元からねじくれた性格が、このままではさらにひどくなって、いずれは手のつけようが無くなってしまう気さえした。祓い屋の面汚しと罵られても飄々としている、的場一門こそが異端の最たるものであったとしても。
 無論、王道をはずれた祓い屋も、ほかにも少なからず存在するのは知っている。彼らは常に死の一歩手前で己と世界との距離感をはかる──それははぐれ者の性といえよう。1969年を境に失われたと唄うロックンロールの魂は、案外こんなところに生きていたのかと、いつか誰かが笑っていたのを、急に周一は思い出した。

 今や勝手知ったる的場邸だが、此処が本陣と化して、既に11時間が経過していた。その11時間のはたらき以上に身体が疲弊していても、周一は静司を抱いていてやりたかった。そのうなじに刻まれた、僅かだが、痛々しく重たい傷を、もろともに。
 馬鹿な奴だと、愛に因んで。


 ──Desperado,
 why don’t you come toyour senses…?




【了】


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