的場邸治外要塞 外道祓い屋ゲリラ11時間の死闘〈前編〉




『強い奴は偉い奴さ

死ぬ奴はバカさ』








 ──生き馬の目を抜く。
 そういう世界で安堵する。
 じっとしていたら食われてしまうような世界で──牙の群の中の、孤独な牙が飢えているうちは。

 時間に追われる人生の最大の利点は、「死」「存在」「善悪」「意味」という馬鹿げた問いに振り回されずにすむことである。それは、とても幸せなことだ。
 道楽で生きるか死ぬかの世界に踏み込むことでその恩恵に与ったとしても、なお生死に無関心でいられることに関して、何も矛盾は無い。いつでも死ぬ覚悟がなければ、並に生きてさえ来られなかった身の上では、生の感覚からして大多数とは大きく異なる。言うなれば彼らは人間ではなく──修羅だ。彼らは修羅道に生きる者たちだからだ。







「面白い話があるんだ」

 同業者である会宮から、急に連絡を受けたのは秋も終わりの夜更けのことである。
 ろくでもない話なのは判っていた。同業者から儲け話を持ち掛けられる時、取り分はあらかた最初から決まっている。そうでなければ誰も、わざわざうまい話など持ちかけたりはしないだろう。
 周一は軽い気持ちで、適当に断わってしまおうと考えた。年末に向けてのスケジュールは過酷だ。儲け話に首を突っ込むような気持ちで新たに仕事を抱え込むことはできない。
 同じ祓い屋同士とはいえ、別段特別な仲というわけではない会宮という男は、決して悪辣な人間ではないが、基本的に財と見なす対象の損得で動くことが多い。財=金銭ではない、というだけの理由で、結果的にパイの奪い合いになるのは目に見えているのだ。
 ──だが、その夜、バーで待っていた会宮の尋常でない発奮ぶりをみて、周一はこれが安いネタではないことを悟った──と同時に、話を聞くことは了解であることと同義であることも理解した。
 その夜は、雨が降っていた。小雨であったが、ひどく寒かったことと相俟ってか、よく来てくれたと歓迎する会宮の笑顔の中に、微かな違和感を見て取った。
「なあ、名取。もし──」
「……会宮さん」
 しかし周一は、不思議とその不穏な雰囲気に感染することもなく、愛想笑いひとつで空気を遮った。
「随分と景気のいい話をなさりたいようですね。いやはや、羨ましい」
 ──ここで会宮は、漸く本当の意味で相好を崩したのだった。まるで呼び出した相手が名取周一であることを、今初めて認識したようでもあった。
「はは。そうでなきゃ、わざわざ忙しいお前を呼び立てたりなんかしないさ」
「年の瀬はどこもあらかたそんなものでしょう──祓い屋だけでは食っていけなかった時分に芸能界に足を突っ込んでこの体たらくだ。お陰で名前だけは売れて売れて仕方ない。忙しいのは自業自得ですよ」
 会宮は、憑き物が取れた様子だった。いつものあっけらかんとした調子でガハハと豪快に笑ってみせた。
「相変わらず嫌味な奴だな」
「まさか。実績も後ろ楯もネームバリューも無い半人前に実際まともな仕事なんてありませんでしたからね。当時は名前を出すだけでうしろ指をさされていましたよ」
「そうなのか」
「会宮さんだってあの頃のことはご存知だったんじゃ?」
「的場と組んでたって噂は本当なのか?」
「は?」
 会宮は組んだ腕をテーブルに乗せるようにして、小声で囁いた──まるで、それが話の核心であるような口振りが、少し気になった。
「……的場が前代だった時分さ。それこそお前が名前を売ろうと躍起になってた頃に、的場静司と組んでたって噂があるんだが、ありゃ本当なのか?」
 ──口調は茶化すようだが、目の奥にはぎらぎらした光が見える。
「……」
 一体何に対する追及──何の裏付けだ。
 祓い屋には、暗黙の不可侵条約のようなものがある。完全な自由市場であるという意味では経済システム的には健全だが、その時々に扱う分野として、法的にクロである場合があり、完全に妖祓いだけを生業にしている祓い屋は実際には少ないということだ。
 そこに同業者がつけ込む慣例が生まれると、自由市場以前に各々の商売が成り立たなくなる。ゆえに、同業者間で経歴や身元を洗うのは暗黙のうちに御法度とされているのである。
 周一は胸の内にわいた動揺を悟られぬように、肩を竦めて欠伸の真似事をした。
「──まあ、あれで同年代ですからね。学生の時分には多少話したことはありますが」
「へえ」
「ただ、組んでいたとは心外だ。そもそも名取家云々の因縁に拘わらず、私のやり方は根本的に的場とは合わないんですよ。殊更あの品の無さはね」
 訊くやいなや、身を乗り出す会宮は、どこか安堵しているようにも見えた。一番大事なことは確認したと、態度が言葉以上に物語る。
「……いいか名取──今回の件は、極秘で進める必要があるんだ。だから、もし何の興味もないってんなら今すぐ降りてくれ。話はそれからになる」
「降ります」
「えっ!?」
 周一は即答した。
 刹那、即座にバーの中に殺気が走った。それは驚愕する目の前の会宮のものではない──恐らく行動を共にしようという者は既に複数あるのだろう。ならば、尚更のことだ。そんな胡散臭い話には、内容がどんなものであれかかわり合いたくない。
「……本気か?」
「勿論ですよ。こう見えても売れっ子でね。今からがかき入れ時なんですから」
「……ハイリスク・ハイリターン、お前が好きそうだと思ったんだがなぁ」
「あはは。評判通り、私はがめついんでね。旨い話ならなおのこと、報酬は独り占めしたくなる」
 周一は、本当のことを言っているのではないが、決して嘘を言っているのでもない。
 ──第一報酬が何であるかも知らされず、既に的場の名を言及することでターゲットの正体を匂わせ、ましてハイリスクだと断言しているのだから、そんな笊のようにあかさらまな怪しい話は避けるに限る。集団行動において、もしも誰かが会宮を交渉係として指名したならこれは完全な人選ミスであろう。その程度の適材を見定められぬような烏合の衆の考えることなど、たかが知れている。
 会宮は、祓い屋としてのキャリアも腕もそれなりのものだが、少々調子が良すぎるきらいがある。もしも「面白い話」の首謀者が会宮とは別に居るのならば、上面だけ甘い飴玉につられて利用されるのが関の山だ。
 尤も、リスクばかりで取り分が少ないと知るや、逃げ出すフットワークも、それ以上に軽いのではあるが。








 その翌日。
 的場主宰の祓い屋が集まる会合が催された折、事件は起きた。
 周一は仕事の都合があって出席しなかったのだが、何でも会合の最中に的場家の副侍従頭──髭面のいけすかない静司のお目付け役が、蠱物憑きの若い呪術師に、突如脇腹を刃物で刺されるというハプニングがあったというから、会場は蜂の巣をつついたどころではない大騒ぎである。
 とはいえ事件を知ったのは、騒ぎになれば周一の耳にも入らずにはおらぬと懸念した、その刺された当人からの電話だったのであるから無用といえば無用の心配ではあるのだが、それなりの重傷であったことは間違いないらしい。
 犯人は即座に捕らえられたが、憑いていた蠱物は騒ぎに乗じて現場を逃げ出したという。

 ──解せぬ。

 これが、頭主の静司を狙ったというのなら判る。
 だが、事件同時、静司は会場を離れていたというし、目撃者の証言によると、標的ははっきり定まっていたというから、狙いは確かにあの髭の副侍従頭であったのだ。
 だが、一体動機は何なのだ?個人的な恨みか、何らかの計画的な犯行か。
 たとえば的場一門や静司に怨恨を抱く者が、仮に将を狙えど先ずは馬から、と考えたとて、的場邸に一体何人の手練れの呪術師が控えているかを考えれば、あの男一人を狙う意味が何処にあろうか。狙うのであれば、秘書の七瀬女史であるほうが遥かに納得できるではないか。

 ──関係があるにせよ無いにせよ、これが何しろ昨日の今日──24時間以内の話である。気に掛かるのは致し方なく、式たちに会宮の動向を探らせたものの、彼もまた会合を欠席した様子で、特に目立った怪しい挙動は見られなかった。
 静司は同日、取るものもとりあえず出先から戻り、翌朝には珍しく鬼の形相で家中の人間を並べて叱咤した。果たして邸内がどうした事態になっているのか、要らぬ詮索とはいえ気に掛かった周一は、その朝一番で的場邸を訪ね、これを見てしまったものだから、その恐ろしさに戦慄せずにはおられなかった。









 会宮にはあい済まぬとは思いつつ──否、そもそも是非も問わずしてほとんど無理矢理話を吹っ掛けてきたのは向こうなのだから、その必要はなかろうと周一は自らを慰めるという二律背反に陥らざるを得ず。
 周一は会宮の名前は出さず、この不可解なヘッドハンティングについてのすべてを静司に暴露した。昨日の今日では、やはりまったくの無関係とは到底考えがたいのだ。
「……知っていますか周一さん」
「うん?」
 静司はもう気疲れを隠さずに、些か乱れた髪をかきあげた。
「邸のセキュリティは本邸を含めて、基本的に大手の警備会社任せです。まして邸内に控えているのは対妖のプロフェッショナルであって、対人の警護となると、今回のように、実はまったく心許ないのですよ」
 ──それはそうだろう。
 警察がしばしば犯罪者から恨みを買うのと同様、祓い屋が恨みを買う相手とは、同業である場合もあるが、実際は殆どが妖である。ゆえに対人セキュリティが不要とは言わないが、今まで事足りたものが、急に必要となる事態は些か考えにくい。これを手落と考えるか、不運とするかは、ひとによって大きく異なるだろうし、対処が必ずしも0か100である必要もない筈だ。
「自分の落ち度だと思ってるのかい?」
「──ええ、今度ばかりは」
 静司は事も無げに言い放つが、その分、悔恨が露に見て取れるのが痛々しい。
「時代は移り変わる。過去に不要であったものが必要になることもあれば、逆も然り。なれどその機を見誤る頭主などただの木偶だ。そんなものなら必要ない」
「……まあ、それを言うなら、一人のカリスマに総てを丸投げするような時代でも無いと思うがね、私は」
 尤も、自分たちが属する祓い屋というアングラな業界のように、未だに力がすべてという野蛮な世界など、やくざを含めてもほかに見当たらないのが実際のところだが。今や「スパゲッティと銃口の時代」など、影も形も見当たらないではないか。
「でも静司、今きみが言った大手警備会社にしてもだ。対人警護に関しては訓練された人間が常駐していても、対妖に関してはまったくのザルじゃないのか?そこはスルーする?」
 でこを弾くような軽妙な言い回しに、静司は軽く鼻で笑って小さく頷いた。
「……それは確かにそうかもしれませんが。条件は似通っていても、負うリスクの種類が根本的に違うわけですからね。ただ、その潜在的な認識──祓い屋は妖と戦うものだという認識は、少し改める必要がありそうです」
「不安そうだな」
「愉快ではない」
「次はきみ自身かもしれないものな」
 嗤ってやった。少しは敵愾心にでも火が点けば、不安は掻き消えてしまうだろうと思ったのは、些か雑な考えだったらしい。
 静司の射るような瞳が僅かな曇りを見せ、視線が逸らされた。
「…本当に、あなたは嫌味なひとだ」
 昨日、会宮にも言われた言葉だ。
「きみの台詞とは思えんがね」
「おれは──」
 己の突っ掛かるような口振りに、静司は正気に返ったように口をつぐむ。
 それでいい。
 冷静になれ──静司。
 態度で胸の裡を隠しても、動揺の事実は消えはしない。振りを続けているうちにそれが身に付くというのは時に事実として作用するのかもしれないが、今の静司にはそれを待っている暇などない。

 静司と組んでいたという噂。
 極秘で進めるべき話題。
 バーに潜んでいたとおぼしき複数の関係者。
 そして翌日の会合での事件だ。

 相手は間違いなく複数だ。動機に関しては不明だが、もはやそんなことはどうでもいい。
 ──邸内に控えているのは対妖のプロフェッショナルであって、対人の警護となると、実はまったく心許ない──とはいえ、その中で育つうちに武勇を買われ、ボディガードとして幼い頃より静司を護ってきたのがあの男ではなかったか。もしもそれが、ブレーンである七瀬よりも優先的に、彼を押さえる理由であったとしたら?
 この業界では、的場を祓い屋の面汚しとなじる者は多い。しかし、いかに理由をこじつけたところで、結局のところは信頼と実績がものをいうのであって、実際に顧客がついて、現実に傘下に入りたがる者があるのは的場なのであるから、つまらぬ陰口を負け犬の遠吠えと後目に見られるのは必定。たとえ新たに式となる妖と契約を結べずとも、誰よりも強いのは静司なのだ。
 そのことをやっかむ連中が山と居るのはさておき、これが此方の弱みを突いて動き出すとなると、下手をすれば血を血で洗う抗争にすらなりかねまじい。
(──なるほどね)
 この、時代錯誤な檻のような世界を考えれば納得がいく。商売仇にとっての具体的な解決策とは、クーデターでしかないのだ。
 過去には実際に、連判状で手を結んだ祓い屋たちの連盟に潰された家もある。尤もそれは、祓い屋大家十一家を的場家が取りまとめる以前の話だが、考えれば考えるほど事態は酷似しているように思える──。
 周一は急に重くなった頭を片手で軽く抱えた。
 妖力は常に妖との接点となるが、直接的に人との接点にはなりえないのだ。そして静司は、妖力を人より強くもって生まれたばかりに、それ以外のものを育てることがゆるされなかった。
 ──けれども、たとえ添え木をして育てずとも、たとえ石で押し潰して二度と顧みずとも、歪んで、ひしゃげた形であっても、情動というものはいずれ何らかの形で姿を見せることになる。それがこんな形では、血を見るのは必至ではあるまいか。
(血迷ったな、会宮)
 静司は、崇拝されるか憎悪されるか、そんな人間の中で育ち、人間を見限ってなお、その虚無の中で妖という人の鏡を憎悪するという形で、我知らず人を憎むのだ。
 だが、ならば今朝見た鬼形の叱咤は何だ。今、周一の目の前で歯噛みする姿は何だ。偶像ではない、祓い屋大家十一家の総元締めでも何でもない、触れれば落ちようという一輪の花でさえない。
 それはただの、二十歳を過ぎたばかりで迷わぬと決め、それでも迷う、ただの人間だ。
(狙いは──的場一門か)
 思わぬ人間が、思わぬ場所を狙う。いかに的場一門とて、そのすべてを想定しているわけではあるまい。
 たとえばこれが、年単位で練られた計画だとすればどうか。出入りの祓い屋や政治家は警戒しても、身内を──たとえば秘書の七瀬をも警戒するようなことはあるだろうか。もしもそうせねばならぬ事態になれば、静司はもはや誰にも心を開くまい。
 ──ならば。
 少々の荒療治も致し方無いというところか。
 たとえ今後何があっても、静司にこれ以上の負荷を負わせはしない──他人だと?ああ、赤の他人さ。誰だって、どんな人間であっても、他人であることには変わりはないだろう。
 だがそれが、一体何の理由になるというのだ。所詮、時代精神に培われたかの忌まわしい野獣など、永遠に殺せはしないのだから。









 夜半の出入りには、警備システムの解除のために許可が必要だが、その手続きは玄関口で常にふたりでひかえる宿直者に連絡すれば、直ぐに解除され、また再設定することが可能だ。出入り人に怪しいふしがあればこれは通さず、頭主の直属に報告されることが義務付けられている。
 また、塀や通用門以外に侵入が懸念される場所は、赤外線センサーによって固められている。迂闊に入れば即座にお縄だ。

 周一は、七瀬の許可のもと、静司の寝所の次の間に控えた。
 考え通り、的場邸に襲撃があると確信するのは、相手は相当に焦っている筈であるからだ。

 例の会合で、ボディガードである静司の側用人に手傷を負わせたものの、的場側は彼を病院には搬送していない。これは頭主を除いて出入りが禁じられた的場邸の奥の院に緊急医療チームを有しているためであり、正体のわからぬ襲撃者に後を追われぬための苦肉の措置であったが、これは功を奏したようである。
 もしも予定通りに事が進んだのであれば、逆に的場からの追撃があることを想定するのが本来であるのが、七瀬曰く、会合での事件の直後、半径10キロ四方のすべての救急病院に、あの髭面の搬送確認を求める複数の人間の姿が確認されているというのだ。だが、その中に祓い屋とおぼしき人間は含まれていない──。それでもまあ、まったくあからさまな痕跡を残してくれるものだと、七瀬は勝ち誇ったように笑った。
 しかし祓い屋はその性質上、警察や検察といった公権力との相性はよくない。つまり、これを即座に警察沙汰にして、セキュリティを強化しようというわけにもいかない──相手がそのことを知っているなら、新たな防御態勢を固められる前に襲撃を急ぐだろう。周一は、この可能性を静司にだけ打ち明けた。

 ──問題は。

 敵が何であるかはもはや問題ではない。的場に消えて欲しい連中など、世間には五万と居る。会宮がどこまで、そして何に手を貸したかも知ったことではない。その安否にしても。

 問題は、どこから来るか、だ。

 的場邸には正面門、裏手門、南門、勝手口、地下通路の五つの主な出入口がある。地下通路は火災など、主に災害時に使うためのもので、的場邸の裏山に通じているため、家人に対しても特に秘密にしているようなものではない。
 しかし、此処からの侵入を決行せねばならぬとしたら、相手は襲撃を諦めるだろう。何故なら地下は道幅が狭く、突破時に発見される可能性がきわめて高く、逃走経路すら確保できないからだ。
 勿論忠臣蔵でもあるまいし、正面玄関では不可能だ。裏手門、南門も、邸との距離が長すぎる。
 的場邸内に入れば呪術など通用しないことを考えれば、相手は間違いなく侵入可能な方法を使うはずだ。
 それは恐らく──引き込み役。
 たった一人、何年もの間、この日のために紛れ込んだ人物が、いずれかの出入口の施錠をはずすことで、集団での侵入が可能となる。だが今は、その人物を洗い直すだけの猶予はない。ゆえに先手は譲らざるを得ないが、逆に言えば、入れてしまえば此方のものだ。
(消去法では勝手口だな)
 邸内に面しているのは、勝手口だけである。無論此処にもふたり一組の宿直担当が控えているが、カメラの死角も多い、人目の無い勝手口の側で、一方が裏切り一方を殺傷したとて、すぐにその事実は伝わるまい。
 寝所の襖越しに、小さな声がする。
「来るでしょうか」
「来るだろうな」
 一網打尽にしてやる、と付け加えると、静司は少しだけ襖を開き、その白い手で周一の指先を握った。
 いつもは暖かい静司の手は今は冷たく、微かにわなないていた。泣いているのかもしれないと思うと、覗き込むのは憚られたが、それは今は手負いの男を案じてのことだと思うと、複雑な気持ちになった。
「守ってやるさ」
 ──それは情欲などではなかった。周一は、二人の体を隔てる襖を開いて、静司を強く抱き締めずにはいられなかった。
 たとえコリタスの香りが漂う砂漠のハイウェイも。オーロラが空を包むモハーヴェ砂漠も。
 道を拓けば走り抜く。それが、はぐれた牙の矜持だからだ。




【続】


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