The Last Resort


 ヴァーモントはアメリカ合衆国の北東端部に位置する、隣国カナダとの国境に面した州である。

 ニューイングランド地方の内陸に位置し、西をニューヨーク、東部をニューハンプシャー、南部をマサチューセッツ、北部をカナダ・ケベック州に隣接したヴァーモントは、この長くフランス及びイギリス領であり、フランスの気風を強くもつケベックの文化の影響を多く受けている。気候は年間を通じて寒冷で、平均気温は7℃やそこらというところだ。
 3億を越える人口を擁する合衆国の内、このヴァーモントが擁するのはせいぜいが60万人であり、合衆国内では最下位に近い。その面積もごく小さく、州都モントピリアであっても人口は8千人にも満たず、最大の都市バーリントンにしても4万余りというのが関の山で、これはいずれも国内の州都、州の最大の都市では最も最少の人口である。つまるところ、面積もさることながら、ヴァーモントとはアメリカ合衆国きっての過疎地なのである。

 ──とはいえ、その風光明媚な土地風土や、古きよき北米の名残のあるこの州に憧れをもつ者は多く、主要産業である観光業はなかなかに盛んだ。近隣の大都市、ボストンやフィラデルフィア、ニューヨークからのアクセスもよいため、おいしい観光地として重宝されているのである。ただ、そうしたインフラの質の良さゆえに人口も容易く流出していくのであり、土台となる雇用が無い土地に人はどうしても居つかない。ゆえにやはり過疎地は過疎地──この辺境の州は、こうして静かに現代の化石となりつつある。


 このヴァーモントの北東部、カレドニア郡の山奥には、打ち捨てられた20世紀初頭に建てられた広大な農家があった。
 数年前、そのうらぶれた農家を土地ごと買い取ったのは四十代の日本人男性で、地元の業者にそこそこに手入れをさせておいて、越してきたのは今年の初めのことである。

 男夫婦であった。

 実はヴァーモントというのは、同性婚が議会で立法化された全米最初の州でなのである。マサチューセッツやコネティカットなどのケースは裁判によって合法化にいたったものであり、ヴァーモントは2000年に全米で初めてシビルユニオン(当該する州内でのみ効力を有する、婚姻に類似する身分関係)を同性間にも適用したのであるが、州知事がこれに対して拒否権を発動していたのである。のちに再議決となったのが2009年。再度拒否権を行使するも、法案が再び上下両院にかけられ、上院23対5、下院100対49で、ヴァーモントの同性婚法は可決成立した。州議会法によると、両院とも3分の2以上の反対票によって知事の拒否権を覆すことができるのである。

 男夫婦は既に米永住権を取得して、このヴァーモントにおいて婚姻届を提出していた。

 名取周一。
 的場静司。

 今年には50才になる以上の二名である。
 不動産名義は両名になっていたが、金を捻出したのは前者のほうであった。
 名取周一といえば、30代半ばでハリウッドに進出してきた日本人俳優で、当たり映画も数多い。40を過ぎていよいよ男振りが増し、第二のケン・ワタナベなどと称され始めた矢先に歴史的なビッグヒット作品を一本世に送り出し、全世界で称賛を浴びるやいなや──それきりプッツリと引退してしまったのである。

 後者の的場静司のほうは、旧家の家督であったのだが、40を過ぎてからこちらは体を壊し、一線を退いていた。
 的場家の家督というのは、いわば終身制である。家督など後継者に譲ってしまえばそれまでで、終身もくそもないのだが、たとえばローマ教皇ベネディクト16世のように例外が無いわけではないけれども、原則的にそういうことになっているのが的場という旧家なのである。
 この時彼が患った大病によって、的場家では後継者争いが起きた。的場の家督──的場一門頭主は世襲制ではない上、静司には子がない。一時期周一と疎遠になった折、一度は結婚をしたのだけれども、子はできずに夫婦中もすぐさま疎遠になり、最終的には3年をまたずに離縁している。
 かくして間もなく現頭主が身罷ると聞きつけるやいなや、あちこちから旗揚げする輩が押し寄せて、静司は本気で嫌気がさし、例外的に後任も決まらぬまま頭主を退いて空席にし、さっさと自身の独断で県外の大病院に入院してしまったのである。

 膵臓癌であった。

 しかし、後継者指命もせず、様々な厄介ごとも放置したまま家督の座を放棄したことによって和製ディアドゴイ戦役を幇助した静司に対して、的場家は弁護士をたててきわめて非情な措置をとった。すなわち、静司の個人名義を除いた的場家の財産の譲渡は行わず、金輪際の援助も一切行わないということである。
 結局は裁判沙汰になるまでもなく、静司はこの条件を丸呑んだ。的場一門は一枚岩ではなく、気まぐれだが少なくとも賞罰に厳しい静司が消えれば喜ぶ人間も数多い。ここぞとばかりに突きつけた勘当に対して、病んだ静司ができることはなかった。
 本人がやったことといえば、幾つか実印をついて署名をしただけであった。これにより、元頭主・静司の腹心はことごとく粛清されたのだが、それさえも静司には知らされることは無かった。

 そういうわけで、もう20年以上──出逢いまで遡れば30年はつかず離れずでやっているパートナーの名取周一は、ハリウッドマネーになど一片の未練もなく日本に帰ってきたのだった。それどころか多額の違約金を支払ってさっさと俳優業自体も辞めてしまい、嬉々として静司の療養に付き合うことにしたのである。
 膵臓癌というのは、発生部位の中でもとりわけ悪質で早期発見が難しく、予後不良の代名詞のような癌である。再発も多い。ましてステージT〜Uへの移行期での発見であり(それでも早く見つかったほうである)、もはやそう長くはないとは思われたのだが、検査及び治療の過程で、大きな転移は見られなかった。
 そこで周一は、静司の病状が安定している期間を見計らって、米国随一の癌研究権威であるニューヨーク・メモリアル・スローン・ケタリング癌センターに静司を移送したのだ。足がつかないように、一旦静司を自宅に引き取って、それからの決行だった。表面上縁を切ったとはいえ、静司に動きがあれば的場家は間違いなく合いの手を入れてくるからだ。
 しかし、これで的場一門と縁が切れると思えば、他人とはいえ周一はせいせいしたものである。一門とは散々揉めた間柄だ。あとは野となれ山となれ──金は腐るほどあるのだと、彼は病身にて明日をも知れぬパートナーを抱えて、密かにほくそ笑んでいたものだ。
 どうせいずれは死ぬのだから、それが早かろうが遅かろうが──だがそれより何より、自分たちは人生の半分以上を過ぎて、ようやく総てのしがらみから解放されてはじめて一緒に生きることが許されるのだ。静司が遠からず死んでしまうことなど、些細なことだった。
 自分とて明日を保証された身ではない──いや、誰しもそうだ。それを誰もが押し隠し、知らぬふりをして、どうにか生きているだけなのだ。
 それよりも──それまでの僅かな時間が許された、そのことのほうが、周一には遥かに重要だったのだ。


 ──とはいえ。

 結局のところ、映画にあるような劇的な顛末にはいたらなかった。
 アメリカでの治療の予後は良く、静司の状態は日に日に良くなっていった。一時は点滴だけで生きていたような状態だった癖に、しまいにはバカみたいにメシを食うようになった。周一は当時はブロードウェイの適当なアパートを借りて住んでいたのだが、静司の快復が軌道に乗ったと見るや、その間にヴァーモントの広大な土地を買収したのである。
 嫌な奴ほど長生きすると言うが、静司はまさにその典型であった。静司はよく言ったものだ。


 ──我、人に背けども、人、我に背かせじ──。


 かつてならば、この曹孟徳の傲慢きわまる格言が恐ろしいほど板についていた静司だが、今となっては懐古の哀愁そのものであった。
 だが、病室でふと呟いた静司に、周一はここぞとばかりに言ったのだ。












「私は背かない」

 思わぬ反応であったのか、窓の外を見つめたままの静司は無言のまましばし押し黙った。
「………」
「私は背かない。その証に君のもとに戻った」
 語りかける周一は、俳優の面目躍如か、内心の焦躁はともかく表情はあくまで凛としたままであった。
 端整な顔かたち、秀麗な面影はそのままに、年輪を重ねてより渋味の増した顔立ち。ガラスに映った自分の顔を見て、ああ、互いに年を食ったのだな、と周一は思いも依らぬ深い感慨にふけった。光陰矢のごとしとは言っても、確かに鑑みればもう過去には手は届かないが、それは決して短くは無かったし、楽な道のりでもなく、そして決して夢などでは無かった。
 決して。
 時に道は違えども、間違いなく自分たちは同じ時間を歩んできたのだ。

「……私たちもいい年だ。背き背かれるを危惧して生きるのも、もうほどほどでいいだろう。それでもなお君が生き方を変えることができないなら──それでもいい。ならば私は」
 快復に向かっているとはいえ、とんと痩せてしまった手を取り、周一は自らの手で包み込む。
 かつては思いもよらぬほど暖かかった手は、今では驚くほどに冷たい。周一はそこに巻き返せない時間を感じる。死へと向かう自分たちの身──それはこの世に生まれた時点で、すでに決まっていた筈なのに。
「ならば私は──私だけが、終生君に仕えることを誓おうか」
「………」
「静司」
 呼び掛け、後は黙して周一は待った。答えを強要するのでは無かった。
 ただ、待った。
 それは、二人の唯一の手段だった。二人はいつでもそうして生きてきた。問い、答え、それを繰り返してなお結論を出すことができずに、もどかしい思いをしながら共に生きてきた。
 ただ、だからといって周一と静司の間に歴然とした力関係があるわけではない。
 寧ろ、互いに心を寄せる以上、問われることこそが力の作用点であるのだし、周一が問う以上は静司も答えぬわけにはゆくまい。
 ややあって、已む無し、というように静司は低く言った。
「………馬鹿も休み休み言え」
 いつもと同じ調子で、静司は言い捨てた。だが、そのままの──周一に手を取られたそのままの格好で、ついに静司は此方を向かなかった。
 窓ガラスに映っていたその眼が──ついに視力を失い、完全な隻眼となった──残された弓眼から落ちた淡い光を、周一は見なかったことにした。

 相変わらず長く伸ばして手入れされた髪は、随分と白髪が目立つようになっていた。周一はかつて出逢った頃の静司の姿を脳裏に想い描き、その完全な美しさを想起しては、再び眼前の静司を見遣って、やはり完全だ、と茫洋と思っては恍惚のため息をついたのだった。
 闇に翳り、褪せて、くすんだ姿は、なおも──いや、一層のこと婉然としていた。それは若々しいきらびやかな美ではなく、元来彼がもつ麗質と円熟に彩られた、ほとんど陰鬱なほどの美であった。

 随分長い時間が経過したはずなのに、互いに少しも成長していないな。そんなことを呟いて、抱き締めた手を、静司は振り払わなかった。











 静司が退院する頃には、ブロードウェイのアパートは引き払われていた。
 州が隣接しているとはいえ、相等距離のあるニューヨーク、ヴァーモント間、そしてカレドニア郡の山間部の悪路を、周一は静司を迎えに行ったその足で夜通し走り続けたのだ。
 幾らアクセスがいいと言っても、この強行軍でまともな地図もない無知にして無謀な旅だ。端から見れば阿呆となじられたとて返す言葉もない。

 内訳を言えば、静司は確かに病み上がりだったのだが、途中先に音をあげたのは実は周一のほうだった。州境の閑散とした道のど真ん中で、何処かで一泊しないかという周一の切実な提案を、静司は頑として撥ね付けた。そんなに走るのが嫌なら運転を代わってやろうと言ってのけた静司に戦慄し、周一は時々眠りそうになりながら延々と走り続けたのである。


 その道形りは、悪酔いした時の不条理な悪夢のようで、また、いつぞやは遥か遠く見えなかったはずの──だが今や手の届く場所にある、自由への道程のようでもあった。
 五十にもなる男が二人して、冬のニューヨーク、ヴァーモント間をオフロードカーの窓を全開にして、調子っ外れな【The Last Resort】を大声で歌いながら走る異様な有り様。時折街中で行き交う人は、皆振り向いた。指を差すものもいた。停車中にキスをしたら、ゲイを野次る聞くに堪えない暴言が横から入ってきて──二人は笑った。
 そんなことを繰り返しているうちに、静司がこの旅を──周一と共にゆく自由を、ただ純粋に謳歌していることを周一は悟った。きっとただ、こうして延々と走り続けていたいのだ。

 そうだ。
 自分たちが何処へ向かおうと、もう、都合のいい新境地など存在しないことを、二人はとうに知っている。
 ヴァーモントの冬は長く厳しい。肉体的にも精神的にも、辛い日々は来るだろう。試練はまだまだある。時間は無制限ではないし、そもそもいつまで生きられるかなど、誰にも判らない。フォルトゥーナは盲目だ。

 だから、何処かを天国と呼ぶのは、もう止めたのだ。

 30年以上の年月を費やして、
 漸く知ったことは、唯一それだけであっても。
 それは決して無駄ではなかった。此処には、まだ互いの腕があるから。
 目指す場所があっても、求めるものはもう常に手の中にあるのだと。


 さあ、此処が最後の楽園だ。




【了】


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