紅葉狩


 追え、殺せという剣呑な号令が幾重にも折り重なり、背後から迫り来るのを切り立った断崖に立って聞きながら、静司は薄暮の都市を遠くに見る。


 事の起こりは些細な妖事。

 一門の駆け出しでも収拾のつくような案件であったにも拘わらず、敢えて静司が現場に出るのはそれなりの理由があるのだ。
 的場本邸のある近隣都道府県は、その広範囲において政治活動の盛んな地域でもある。一時は極右政治結社及び地元代議士、そして暴力団の繋がりが頻繁に沙汰され、的場一門と古くより関わりのある団体も、とかく政治色の強い場合がほとんどだ。これはまた、不必要なほど縦関係に固執するやくざと相対するのにも似通った気風なのだが、何をするにもまず「顔」を立てねばならぬという不文律のようなものがあり、そのために静司は事あるごとに引っ張り回されるのである。
 的場としては、金さえしっかり払ってくれるのであれば、右であろうが左であろうが、西でも東でも二次元でも四次元でも構わないのであって、的場家それ自体に政治的なバイアスは存在しない。何かと長い歴史をもつ家系ということで、右傾の印象に捉えられがちなのだが、そこは静司に云わせれば、君子中庸を尊ぶと嘯くところなのである。

 平たく言えば──どうでもいいのだ。

 それでも、世間がそれを了承してくれるかといえばそうではない。こうした特殊な立場に立たされると余計にその異常性が際立つのだが、この世には白でないものは黒、黒でないものは白だと信じている者が余りに多すぎるのであって、喩えば特定の政治結社の顧問になって欲しいと頼まれた時、それは同時に右傾である宣言を強いられるも同義であったりする。つまり、精神的に血判を捺すことを強いられるのだ。まあ、これが仮に極左であっても展開は基本的に同じなのだろうが。

 今回はドラスティックさがお家芸──いわゆる末端の極右政治結社による依頼であったのだが、的場が伝統ある有力な一門で、金にも資力にも事欠かない「まじない屋」だというのは、彼らにとっては満漢全席のようなものなのである。一部では定例外れな公約を掲げる揶揄する時に『的場要らずの政道』とさえ呼んだりもするらしい。勿論、保身と拝金を出汁にした自虐ネタではあるが──。
 因みに言えば祓い屋は宗教法人ではないので、抱え込むメリットとはその実質上の毒性である。即ち、人をも妖をも殺傷せしめるその呪力だ。
 妖事の依頼が、その呼び水に過ぎないなどということはよくあることだ。ゆえに組織に応対するならば、頭主である静司が出向くのが最適なのである。


 昔から厄介なのは、本気で的場一門を抱え込めると勘違いしている団体が決して少なくないことである。だから、考えなしにうっかり一方の話を袖にして、一方の依頼を受けたりすると──或いは単に力の片鱗を垣間見せるだけでも、時として架空無稽の抗争が起きることさえあるのだ。
 それが、今まさに静司の立たされている危機であった。
 彼らは祓い屋が、なんじゃもんじゃと呪文を唱えたら、万事が上手くいくと本気で信じているのである。勿論政敵を始末するのに祓い屋を雇って消してしまったところで、それを罰する法は無い。何せ足がつかないのだ。その短絡的な打算の見積もりが余りにも大きすぎて時折このような騒乱が起きるのだが、実際、殺しを引き受ける祓い屋というのは存外に多い。

 ならば、何故的場なのか。

 殺しの依頼を受ける祓い屋というのは、大抵が食い詰めた連中であって、静司が知る限りでも危機管理意識に欠ける者はかなり多い。暗殺者を雇うよりも遥かに手軽な一方、身辺に気を配る政治家にとって彼らは危険なのだ。どこにも属さないならず者たちは、仕事を果たしたその足で、雇い主に寝返ったところで痛くも痒くも無いのだから。
 仮にそれをやってのけ、致命的な痛手を被るのが祓い屋大家的場家であり、痛手を打つこと──リスクの算段を測ることで身を守るという意味では、的場家は寧ろ結社に近い。そこに契約という信用問題を持ち込んだ時、自動的にリスクアセスメントが生じるという時点で、的場はクライアントに対して絶対的責任を負うからだ。一匹狼にとってはそれほどでもないが、一門を纏める的場にとって信用は死活問題である。
 アナロジーとして多少誇張して言うならば──これが「的場」と「名取」の違いである。

 ゆえに、政治家は何らかの理由で暗殺の手段を講じられない際に、的場のような有力な祓い屋を雇うことがある──但し、足がつかないとはいえ、優秀なスナイパーでも雇ったほうがよほどましだという多額の報酬を支払えば、の話だが。



 然るに静司は今、逆の境地に立たされているのであった。
 殺しを請け負うならば相応のリスクは覚悟せねばならず、自分が何処かしらの組織について動くならなおのこと、仕事の事後処理は丹念に行う必要がある。つまり、先とは逆のパターンで『自分たちにとっては利用価値が無くなった強力な武器』など、始末しておくのに越したことはないからだ。
 縦関係は明白であっても、その詳細が社会的可視下に無いにも拘わらず、存在していること自体はあくまで透明である暴力団、政治結社、政党という関係においては、例えば的場家主導の大家連のような傍目に判りやすい枠組みは無い。それは常に水面下で動く。
 だから末端が使いやすいのだ。一見組織的なものとは無関係なよくある殺人事件でも、遡れば公安まで辿り着いた、などという案件は、静司は幾つも知っている。今、自分を殺傷せしめんとまさに背後を詰めてくる連中が、某巨大政党と結び付く地元の極右政治結社の末端であるということも、無論のこと。
 パワーバランスとして問題になるのは、静司──的場の場合は、その稼業の社会的不透明性から『利用価値の無くなった武器』でさえも安易に廃棄することは許されないのに対して、相手は容易くそれを実行に移すことが出来るということである。存在していることそれ自体はあくまで世間の認知下にある暴力団や政党とは違い、祓い屋とは、常にあらゆる集団の外側に位置する異質な存在なのであって、それゆえに的場家はかつて、打算による相互扶助の必要性に目をつけたのだと静司は考えている。それは決して妖による報復を恐れたためという理由だけではない。


 利用価値を失えば、たちどころに消し去られるべき存在。
 或いはそれほどに、自分たちの呪力とは強力な武器なのである。その太鼓判を捺して貰っているだけだと──笑みがこぼれるのは、果たしてその爪の鋭さゆえか。
 静司は断崖に佇立したまま、微動だにしない。












 舞い落ちる紅葉が一景を掃く。
 山に逃げ込んだ静司を生い立てた集団は、いよいよその姿を断崖に見る。
 黒の色無地に、染め抜かれた家紋が白く映える。武器も帯びぬ、闘争心など微塵と垣間見えない丸腰の細面を前に、思わず誰もがたじろいた。

 ──鬼。

 双方が、異なる旗幟なれど、共に同じ詞を思い浮かべる。
 静司にとっては戯れの鬼遊び。
 その他にとっては死に物狂いの鬼退治である。尤も、この滑稽な齟齬を解するのは静司ばかりだというのが些か不均衡ではあるのだが。
「よくもちょろちょろと逃げ回りやがって──」
 むくつけき大男どもに追い回された挙げ句、細い楓の木の幹に申し訳程度に身を隠し、静司は赤い舌をチラリと出した。
「逃げなきゃ捕まるじゃないですか。私は依頼を遂行したまでですよ。何だって追っかけ回されなきゃいけないんです」
「判っている癖に──お前のような強い祓い人が、懐豊かな連中に召し抱えられるのが命取りになる者たちが多く居るのだ」
 スーツを泥だらけにした先頭の男が、自動小銃を構えながら言う。年はまだ若そうだ。
「召し抱えられる?うちにそんな前例はありませんが」
「それに……我々が傘下につく理事の急病はお前ら的場の仕業だと、情報を流してきた奴も居る」
「へえ」
 言い合う間に、静司のぐるりを一団が取り囲む。
「それを信じるんですか?」
 静司は言った。
「信憑性に関して裏付けはありますか?ひとつのソースだけで判断することは危険ですよ。情報提供元、どうせ祓い屋関係でしょう」
 それと、と静司は意味深に続ける。
「シャレにならない上つ方から、お鉢が回ってきた……とか」
 不可視の縦関係によって、末端の郎党が使い捨てられるのはいつの世でもよくあることだが。
「なら、的場の御大。冥土の土産に教えてやろうか」
 男はもはや、状況の絶対的優位を疑う余地もなく、円陣を詰めながら意気揚々と語った。
「お前たちは危ない」
 静司は舞い散る紅葉に巻かれるようにたたずみながら敵に相対し、眼前に踊る楓の葉を音もたてずに取った。
「つまり?」
「……時としては、妖なぞよりも余程危険だということさ」
「どちらの話だか」
 静司は一辺の感情も見せぬまま言った。
「……鋏も鉈も、使い方さえ誤らねば危険ではございませんよ。一方、爪楊枝の一本でさえ、用法を誤れば人を殺傷せしめん恐ろしい武器となる」
 静司は謡うように諳じた。
「我々は道具です。手段であって、目的そのものではない。だが、あなた方は違う。存在自体が目的であるという側面は、政治と宗教にあっては決して切っても切れぬもの。唯一我々を繋ぐ共通項があるとすれば経済──金がものをいうという事実だけだ」
 手にした紅葉がかすかに燻るや、静司の手の上で燃え上がる。眼前の全員が身構えるのを見て、静司の表情に冷酷な笑みが浮かんだ。
「お互い、大義を成すにも兎角金が必要だ」
「亡者と語るものが銭の亡者とは」
「それもまたお互い様──賤なるは承知の上」
 静司は僅かに目を伏せた。
 その時に、相手側の中でアイコンタクトがあったのを静司は見逃さなかった。寧ろ、それを為さしめんがために、敢えて目を伏せたのだった。
「承知でなければ、こんな割に合わぬ責務を負うことはできんよ」
 眼帯の下の右眼は、開いていた。

 同時に、全員が引き金を引いた。

 戸隠に追いたてられた奇妙な妖討伐奇譚──奇しくも舞い散る紅葉。呉葉と生まれ、紅葉と名を変えた美しい女鬼。権威に愛されたばかりに、追われ誅されし哀れな手弱女──。

 ひゅう、と紅葉の間に何かが舞う。

 一同の目はそれを凝眸していた。それは、紙人形であった。
 弾はあちこちから飛んでは交錯したが、中にある名手の一弾は、確かに手の平におさまるほどの紙人形の中心を撃ち抜いていた。だが、もはやそこに標的の姿は無く、ひょうひょうと笑うように吹き荒ぶ風が、一つまた一つと紅葉の絨毯を翻した。
 その風がいかにして、どうなったのか、誰一人把握できないうちに、巨大な飆が巻き上がる。

 狂飆であった。

 それが尋常のものでないことは誰の目にも判った。幾つもの為たり顔が一様に凍り付くのを、静司は楓の枝の上から値踏むように見詰めていた。烈風吹き荒れる、惨劇の絶界を。
 飆に撒かれて切り刻まれる人の群を、澄んだ紅玉が睨める。その眼前で生きた人間の手が飛び、足が飛び、血飛沫が散る。やがては妖に代わる憎悪の代替──愚かなり、と静司は独り笑む。
 妖はそれ自体が人に害をなす「ための」ものではないが、少なくともそう見えることはある。だがその特性ゆえに、人は妖を憎悪するのではない。
 妖とは、人にとって体のよい憎悪の具象化の材料なのである。妖とは存在である以上に概念なのだ。殊更的場や名取のような力あるものにとっては前者であるが、多くの人間にとっては後者──或いは害となるのは、概念としての妖のほうなのだ。人は、並べて見たいと欲する現実しか見ようとはしない。その普遍の真理が見せる世界の歪みが、妖という化生となり、安寧を冒す。
 よしそれが無くなれば──つまり憎悪の対象が消え失せてしまえば、大衆はそれに代わるものを新たに見つけ出そうとするだろう。それは「危険」であるという、尤もらしく、有り体かつ「健全」な理由でだ。

 静司は惨々たる地上に降り立った。刹那、片方の草履が脱げて、音もなく断崖を落ちていったのを彼は見た。だが、忌々しげに舌打ったのを、聞いて理解する余裕のある者はなかった。
「……我々は、棄て駒だ」
 血を吐いて、砂利に身を横たえながら力無く足を掴んでくる男の顔面を、静司は容赦なく蹴倒した。
「………知っていますよ。だが、無価値の主張は命乞いにはなりません。我々は必要があれば、金にならない殺しもやる」
「……………自分たちの危険性を主張しているだけだとは思わないのか」
「紅葉は」
 鮮血に染まった薄暮の地上に、静司は童子のようにしゃがみこんだ。男の顔を覗き込んだ静司は、無垢な娘のようでさえあった。
「紅葉はきっと、妖などではなかった。平維茂──これもまた、皇の命に致し方なく、女一人を妖と称して討たざるをえなかった。紅葉を目障りに思ったのは果たして御台所か、その他か……」
「──何を、言って……」
「戸隠では紅葉は伐たれた。蝦夷ではアテルイ、大江山では酒呑童子──皆、疎ましきゆえに礫を打たれ、滅ぼされた哀れな鬼の骸の名だ。やがて鬼や妖という言葉が人の世から遠ざかり、すると瞬く間に実も蓋もないあけすけな憎しみが溢れ出た。そして今日──此処では私が?」
 ハハハ、と静司は笑った。
「時に妖は──概念たる妖は、それを造り出した人を伐つ。紅葉は負けた。玉藻前も伐たれた。だが、残念ながら私を伐つことはできない。上つ方への牽制の意味でも、あなた方にはここで消えてもらうとしよう」
 逆巻け、と静司は虚空に命じた。何事も無いように、再び飆が紅葉を舞い踊らせた。
 既に腱を取られて動けぬ男は叫んだ。
「じ、自分たちは道具だと言ったではないか!?手段であって、目的そのものではないと!話が違うだろう、鋏も鉈も──」
「弾が、暴発することだってあるんですよ?」
 穏やかに、静司は言った。
「冥土の土産とやら、ありがとうございます。謹んでいただいて帰りますよ」

 箔をね、と的場の頭領は言ったが、もはや飆に揉まれた血達磨の耳には何も届いてはいなかった。


 誰も動かなくなった視界を切り捨てるように踵を返し、静司は山道に待つ人にニコリと笑いかける。
「どうも、助かりました周一さん」
 古木を背にした伊達眼鏡の男は、くしゃくしゃに丸められ、役目を終えた人形の紙を受け取ると、ちょっと眉をひそめて静司を見た。
「容赦無いね」
「あなたでしょう」
 笑ったまま、静司は言った。
「──西日本最大の右翼結社の理事の急病が、的場の仕業だという情報を流した祓い屋は」
「……君は本当に賢いし鋭い」
「周一さん」
 抱き寄せられ、口づけられる。もしもこれが名取周一でないならば、今頃この首と胴体は泣き別れだ。
「ごっそり金を積まれてついね」
「へえ」
「結社の/理事の/急病は/的場の/仕業です──六語で六千万だよ。しかもデマじゃないし。言わないほうがどうかしてるだろ。私だって色々金が要るんだ」
「まあ、どうかしてますね」
 しれっと答えて静司は笑う。
 そうなのだ。先にもなじられた理事とやらの奇病──これは実のところは、的場の呪術師による細工なのである。尤もこれは結社の身内からの内密な依頼であるから、事情の仔細に関しては的場は与り知らない。要は内部抗争だ。
「お互い、大義を成すにも兎角金が必要だ……ってね」
「君にも私にも金になって、厄介者も始末──フォローアップだってちゃんとこなしたろう。君は中々の舞台巧者だし、二、三日したら菓子折り引っ提げたあの元航空幕僚長から詫び状でもくるかもね」
「バームクーヘンだったら欲しいです。グレーズかかったやつ」
「………」
 そろそろと不確かな足取りで周一の後ろをこっそりと歩いていくも、そこは目敏い紳士の面目躍如。静司が片足の履き物を失っていることを、周一は最初から知っていたのだろう。
 呼び掛けられて、足を止めると、腰を落とした周一が此方を顧みる。相変わらず………鬱陶しいほどハンサムだ。

 静司は無言でその背中に体重を預けた。あのように殺伐としたやり取りの後では、人肌がひどく恋しく感じられる。そんな感情があることを知って初めて、静司は自分とて人の子であったことを再認識するのだ。
「紅葉」
 水のように流れる、はっとするほど冷たい風にあおられる最後の紅葉を乗せた凪に、静司の低く柔らかな声が游ぐ。
「見たか、仇は取ったぞ」


 ──紅葉。

 それは人々に憎まれ、鬼として消えた、あまねくすべての異形たちへの鎮魂の餞。それは人でも妖でもなく、ただ異端の烙印によって人の世から追放された、異端の者たちの名であった。



【了】


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