腰抜け一刀流


 まったく、ひでえ話だよなあ……。

 武家なんて名ばかり、今や商人やら札差しやらが大手を振ってるようなご時勢にゃ、私らみたいな能の無い浪人は傘張りの内職で食い繋ぐしかないってのが実際のところでね。

 私が長屋暮らしをはじめてもう一年ほどになるけれども、武家の生まれってご立派な身の上が、この泰平の世でものの役に立ったことなんざあついぞ一度もないな。ましてちょいとばかし前に、私の実家──つまり武家である名取家の武芸相伝の噂をどこで聞き付けたか、やんごとなき上つ方から将軍家の指南役を任ぜられて──ついつい腹が立って条件反射で断ったら、ぷっつり仕官の口も途絶えてしまってね。それでこの有り様だから──ま、気楽と言えば気楽なんだけど。近所の長屋の奥さん方が気を遣ってくれて、何かしら世話を焼いてくれるものだから、そこまで食い詰めてるわけでもなし。
 何分男前で通っているんでね。いわゆる根なし草ってやつでさ。

 同じような身の上で、寺子屋の先生なんてやっている人もあれば、器用にも武芸師範で生計を立てるような人も居る。反面私みたいに要領が悪けりゃあ、世渡りも滅法世知辛いもんだ。ま、天蓋屋も舌の先ってね。
 正直言やあ、銭だって欲しいさ。欲もあらあな。でも、将軍家の指南役だって?冗談じゃない。
 士農工商なんて言っても、実際には武家なんて何も作っちゃいないんだ。今となっては需要も無いのに、出世街道から一旦外れた浪人なんてのは、待機中の兵隊……要するにただの穀潰しだよ。士籍を失って、なお苗字帯刀だけは許される……役立たずを役立たずだとはっきり言わせない、お上の心遣いがいっそ心苦しいね。

 あーあ。指南役を引き受けてりゃあ、今頃は……。

 ぶつくさぼやきながら長屋の万年床に寝そべって、腹減ったなあなどとうそぶいてみても当然空きっ腹は膨れてくれやしない。食わねば腹が減るのは道理、戯れにあらず──こういう時は寝ちまうに限るよな。内職の品を納めるのは今日の昼過ぎだ。それまではもう寝てしまおうか。
「周さん!」
 ──で、邪魔が入るんだよ。
 これもお約束なんだよなあ。
 四畳一間、食って寝るだけのくそ狭い長屋の中で、私はごろんとひっくり返って玄関口を見た。
 隣のイトさんだった。
 ものぐさな私を気遣って、しょっちゅう煮物やら何やらを持参してくれるばかりか、洗濯するといったら私の着物やら下着までまとめて洗ってくれるというような、いっそ強引なくらい親切な奥さんだ。
 そのイトさんが息をきらしているのを見て、私は思わず立ち上がって駆け寄った。
「どうしたんだい、イトさん──」
「周さん、通りでまた刃傷沙汰が」
「へっ?」
 私は間抜けな声を出した。
 ──また、とは。
 イトさんと目が合うと、彼女の目元がキリとつり上がったのを私は見た。
「……あらあら、周さん!その無精髭、何なの。男前が台無し!」
 その時初めて私は顎に手を遣った。指先がざりざりした。そういやあ、暫く髭なんてあたっちゃいないな。
「それより、イトさん──」
 刃傷沙汰は、と続けようとすると、イトさんは思い出したように忌々しげに言った。
「また、的場一門だ」
 イトさんはさらに言った。
「猫達磨の静司だよ」
「………」
 ──私は急に眠たくなった。












 的場一門。
 流れ者の私にはあまり耳馴染みの無いそれだが、城下では何かと話題になる田舎侠客の集まりだ。博徒であり、雇われの剣客でもある渡世人たちの集団──まるで『水滸伝豪傑百八人一個』みたいじゃあないか。時折噂には聞くが、目にしたことはついぞない。まあ、できる限りは生涯目にしたくはないんだが。
 私たちが駆け付けた先──商店や茶店の並ぶ賑やかな街道一帯には、人だかりができていた。
 現場は街道のど真ん中であった。それも真ッ昼間の周観の最中に、ちょっと見ないくらいの生々しい血溜まりができていて、私は思わずゲッと唸った。
 その血海の中に埋没している禿げ頭は、どこからどう見ても事切れている。頸から背中にかけて一文字に、それは見事な亀裂が走っていた。察するに、逃げようとして背後から斬られたのだ。その形相ときたら、一寸前に市に来ていた見世物小屋で見た、人魚の木乃伊にまるで瓜二つだったので、私はちょっと目を逸らした。

 そして、その傍らに──かの侠客は立っていた。

 眼帯に長髪、着流しには珍妙な肥った達磨の模様。ははあ、確かによく見りゃあ達磨模様には猫の耳がついている。どういう趣向かは知らないが。
 眼帯──『猫達磨の静司』は、私の気配に感付いたような仕草を見せたが、此方を見ようとはしなかった。
 まだ仕事が残っているのだ。
 猫達磨──いや、静司は、目の前で団子のように固まる男たちに向かって言った。
「……まったく、乃公(おれ)の縄張りで──厚かましいにもほどがある。野放途に身内の女郎に手をつけて、まあ手前勝手に痴情にもつれ込んでいかれた挙げ句にやっためたらにぶっ殺しやがって──」
 静司の前の肉団子は、歌川国芳の戯画みたいに丸まって、憐れがましくぶるぶると震えているのだけれども、その有り様と静司の読み上げた罪状とを秤にかけてみれば、些か滑稽なように思われた。
「下卑た入れ知恵に憚りもねえ──手前等は無常人の屑よ。あ?頭とられて気分はどうだ。能無しも天辺なら下衆っぷりも天辺だなあ、一門を標榜するのも片腹痛し、可惜短い命を勿体振った刀一本の下に晒してねえで、腰のものを抜いたらどうだ?」
 まあ人ひとり無惨にぶった斬ったというのに、まるで動揺の無い堂々たる態度は感嘆の域である。
 私は人垣にそれとなく潜り込み、静司の動きを注視した。右手に持つ抜き身には、夥しい血脂がついていたが、静司自身は一滴と返り血を浴びていない。人のどの部分をどう斬れば、どうなるかを、完全に熟知した人斬りだ。私は腰の刀に手を遣った。
 肉団子の内一人が命乞いをすると、静司は声をあげて笑った。
 心底、愉快そうだった。
「贖え、いざや」
 ヒュン、と水平に振った静司の刀が光る。私は人垣を抜け、一歩の間合いに乗じた私の刀の先端が、それを寸でのところで受け止めた。
 おお、と周囲から声が上がったが、それどころではなかった。
 ──重い。
 歓声と共に、衆目が初めて私の姿を意識する。そして、静司の鷹のような目も。
 目線が交錯するや、すぐに静司は刃を引いた。刃こぼれを嫌がったのだろうが、思いがけぬほど容易い収束に、私は思わず気が抜けた。
「誰だ」
「名取周一」
 私は言った。
「そこの長屋に住んでる」
「へえ」
 さして面白そうでもなく、表情も変えずに静司は言った。ただ、その目は値踏みするように此方を見ている。妙に──こう、何と言うか、艶かしい男である。
「お武家様が、何の因果で仲裁を?」
「なにゆえにこのような凶行をおかす」
「……お聞きになりませなんだかな」
 あからさまに面倒臭げに、静司は自分の小指を片耳に突っ込んでガリガリと掻いた。
「聞き及ぶ上には余りな邪慢。しかし彼らを斬ったところでもはや益はありはすまい」
「はっ」
 静司は笑った。そのわざとらしい発声が何がしかの取っ掛かりになったのか、続けざまに静司は呵呵と笑った。朗々たる、美声を張りあげて。
「お武家様には我々渡世人の不文律などお判りにはなりますまいよ。これでも少なくはない一門を纏める身。賞罰が曖昧では務まらぬ」
「的場一門──」
「ほう、ご存知か。光栄だ」
 今しがたイトさんに聞いたところだけどね。だが、余計なことを言ったらぶった斬られそうな眼光だ。何人を切害しようと、露と表情を変えぬ男の顔であった。一体これまでに、どれだけ人を斬ってきたのであろうか。
 それとなく、徐々に意識を此方に引き寄せる。とにかくこの場を諌めねば。この恐るべき侠客の凶行を、何としても止めなくてはならない。何故かと言うと、ここいら一帯は私の清掃日課の射程範囲なのである。
 だが、それが仇になった。

 蛇に睨まれた蛙のように震えていた歌川画の肉団子の内の一人が、やぶれかぶれに飛び出してきた時、我々は同時にそちらに振り返り、そして、その手になる小刀を身に受けたのは──。

 私のほうだった。

 鷹のような静司の目が、見開いたのを私は見た。

 ──まったく、ほんとにひでえ話だ。

 野郎を庇って、腹を刺されるなんてよ。













『顔は照葉の山桜

 にくみとても にくまれぬ──』











 ──まるで、天人だ。

 天から降ったか、地から沸いたか、所以は知らねど、こんな綺麗な男はついぞ見たことが無え。
 野郎がどうしたと毒づいたのも忘れて、私は長屋の万年床に身を横たえながらうっすらと微笑していた。その顔は相当気色悪かったに違いない。
 置行灯の明かりと共に側に座すのは、件の男──『猫達磨の静司』である。
「なにをニヤニヤ笑っているのです」
「あ、いや……」
 そうやって座していたら、野郎になんざ見えやしねえ。行灯の色が映えて、それこそ色街の女共なんぞよりも、ずっと色っぽく見えるなあ……。
 静司は言った。
「昼前のことは相すみませなんだ。あれは、おれの失態」
「……昼前?」
 言われて初めて、私は夜だということに気付いた。そりゃあ置行灯がついているくらいだから夜なんだろうだとも、意識を失っていた間の記憶が全く無いのだから、齟齬を感じるのも致し方無いということで。
 ──いや、いや。
 そんなことよりも。
「猫だる……いや、静司。お前、あの不始末をしでかした手下共はどうした。まさか」
 静司は眼帯のほうにかかる髪を掻き上げて、ふっと笑った。
 こんな細面の別嬪が侠客の一門の頭目を務めてるなんて──的場一門てえのは一体どうなっていやがるんだ?在原業平──いや、小野小町だって、きっとこんなに別嬪じゃなかった筈だ。
「あんたを刺した男は、両手を叩ッ斬って、簀巻きにして川に流してやりましたよ。望み通り命は助けてやったし──ほかの奴等は恩赦です。あいつら、一生あんたに頭が上がらないな……」
「………」
 両手を叩き斬って簀巻き。つまりじわじわ殺したのだろうが、昼間とは違って些か砕けた語調と、ころころと変わるその表情に、私は不謹慎にも見とれていたのだ。
 年の頃はそう変わらない。だがやはり、最初にそう思った通りに妙に色気のある男だ。
 傷口に当てている手拭いを桶に張った水で綺麗に洗い、それを再び当てられる。冷たさは感じるも、痛みは殆ど無い。
 傷が相当深いのか──私は急に不安になった。
「大丈夫」
 それを察したように静司は言った。
「鎮痛作用のある漢方を使っています。そもそも見た目ほど深い傷でもありませんから。ゆっくりなら動いても大丈夫ですよ。ほら」
 ぐいと引っ張られ、少しずつ体を起こす。仕官のあても無い貧乏浪人が怪我で身動きが取れなくなったなんて、正視できぬ悲惨さだ。ああ、せめて傘張りの内職だけは……。
「ああ、そうだ」
 どこがどう痛むのか、阿呆の盆踊りのように手足をブラブラさせていると、傍らにしとやかに着座した静司は、おもむろに懐から和紙に包まれた小判を取り出して床にすべらせてきた。
「五十両あります」
「はあ?」
 私は咄嗟に声を出した。
 とんでもない額だ。……五十両もありゃあ、まだまだのんべんだらりと暮らしていけるじゃあねえか。
「慰謝料──と言いたいところですが、残念ながらあなたさえ来なければ話はさっさとついていた。だが反面、おれは実は奴らが武器を帯びていることを知らなかった。下手をしたら……ということで」
「どういうことで五十両なんだ」
 まったくわけがわからない。
「おれの無鉄砲で五十両払い。あなたの余計な手出しで五十両引き。本来なら百両でも支払いたいところで」
 なるほど、そういう理屈か。
 屁理屈をごねているようにしか聞こえなかったが、そこは言わぬが仏。的場一門ってのは、相当羽振りがいいらしい。
「世知辛いなあ。でもまあ……有り難い話だ。銭はないわ仕事はないわ、私は近所さんのご好意で生きながらえているような宿六だからねえ。こいつで恩も返せようってもんだ」
「ああ──お武家様、そいつは勘違いってもんです」
 私が伸ばした手に、静司の白い手がす、と重なる。人斬りの手には見えない。男の手……には見えないことは無いのだが、少なくともこんな繊細な肌理の手の男は私は見たことがない。そして相変わらず珍妙な柄の着物が目につく──猫達磨──猫達磨の静司。
 けったいな渾名だな。何だかよく似合うけど。
「百両ってのはものの喩えです。此方の失態で本来五十両の支払いを、そちらの失態で減五十両。つまり報酬は無しだ。この五十両は……別口であなたを買う金子ですよ」
「何だって?」
「他人の好意でどうにか暮らしている宿六だって、あなた自分でおっしゃったじゃあないですか。身売りはお嫌で?ちんけな傘張りよりゃあ、少しばかりは効率もいいと思うんですがね」
 何がちんけだ。
 私はカチンときた。
「人斬りはやらない」
 頑として答えたが、静司は妙な顔をした。
「抜く手も見せぬ無双の剣客、駿府の申し出を悉く袖にしたとはまあ伝説のように伝わっておりますことゆえに。一寸調べればすぐに判った。名取周一、あなたのことだ」
「………」
「だが、誰が人を斬れと申しました」
 私は呆気に取られて静司を見た。たかだかつまらぬ申し出一つふいにしたことが、こんな田舎の渡世人にまで知れわたっているとは。恐るべきは陰湿なる江戸幕府。そりゃあ仕官なんて、夢のまた夢だろうよ。
「………で、あんたはこの五十両で、私をどうしようっていうんだい」
「的場一門にお入りなさい」
「嫌だね」
 私は腰を落として金子の紙包みを静司のほうに押し返した。
「つまりは人を斬れと言っているのと同じだろう」
「そうじゃない」
 唐突に屹とした姿勢を崩し、藍の着流しの裾が畳に散る。また猫達磨。中に一匹だけ黒い猫達磨が混じっていた。やはりどういう趣向なのだかさっぱり判らない。
「そうじゃない。──周さん」
「………」
 隣のイトさん。向かいの月子さん。同じような浪人の会宮や、寺子屋の小僧っ子共が私を呼ぶのとはまた違う、鼻に掛かった低く甘い呼び声。
「律儀に呼び名まで調べ回ったってのか。周到なものだなあ」
「組もうッて相手のことは少しは調べるものでしょう。おれは何も、あなたに刀を振れなんて言いやしない──」
 代わりに。
 そう言って、ゆっくりと──顔を寄せてくる。
 ああ、こりゃあ、いけない。
 私は顔を背けたくなった。
 初めて真っ正面から見た静司の顔は、牡丹の精のようだった。椿、白菊、芍薬、桔梗……ありとあらゆる色とりどりの華が頭の中を去来したのだけれども、どんな美しいものだって、これには到底及ぶまい。
 ただじっと見ているだけで、胸に熱のようなものが帯びてくる心持ちさえした。
 ゆっくり、唇が触れそうになった瞬間、私は言った。
「あんた、唄をやるのかい」
「えっ?」
 触れたら終わりだと思ったのだ。
「寝てる時に聴こえたぜ。粋だねえ……美形だし、三座に行きゃあ売れっ子になれそうだ。さっきの、【おぼこ菊】だろう」
「……」
「私はこう見えても長物より三弦の名手でね。どれ、ひとつ弾いてやろうか──」
 部屋の隅に立て掛けた三弦は埃をかぶっていた。実家ではよく、歌舞音曲など武家の所業ではないとこっぴどく謗られたもんだ。それでもよくよく近くの当道座の旦那衆の所へ通っては、三弦や胡弓を習ったものだった。
「お武家様が地唄とは」
「その──お武家様っての、やめてくんないかなあ。銭も無けりゃ、仕官の口も無えってのに、昼間っからゴロゴロ寝転がって、事件が起きりゃ野次馬と。そんでもってお武家様でござい、なんて威張り散らしてりゃ、誰に舐められちまってもしようがねえや」
 埃を払った三弦を、撥で叩くと粉塵が舞った。けれども澄んだ、猛々しい音だった。調律は少し狂っていたが、構わなかった。糸巻きを少し引いて適当に音を合わせると、私は叩き付けるように撥を振った。
 そして静司は私の足元に、寝そべるようにして──唄いはじめた。
 それはそれは……
 艶っぽい声で。





 いろそめぬ

 あどなきにわのもみじばを

 風が吹きあげ落葉の帯を

 結びさげたる松の蔦

 しぐれ振り袖翳しもせいで

 顔は照葉の山桜

 にくみとてもにくまれぬ……







 調律の狂った私の三弦とかの侠客の地唄は、まるで睦み合うように狭苦しい長屋に響き渡った。


 ──まったく、なんてけったいな取り合わせだか。


 内心で毒づきながら、何らの嫌悪も抱いていないのが自分でも不思議だった。それどころか、渡世人を標榜し、手前の一門に人を引きずり入れようとするこの猫達磨──的場静司を、玄関口から帰すのは、きっと朝になるのだろうと、この時私はすっかり確信していた。



【了】


作品目録へ

トップページへ


- ナノ -