楚々とした外見に反して、的場静司は、あらゆる意味で生傷が絶えない男である。
がさつなのではない。迂闊な質でもない。妖相手にも人間相手にも容赦無い智謀と計略を振るい、総て我と我等の理となすその恐るべき威容たるや、何者も太刀打ちできぬ、まさに理の匣。
だが、無頼である。
頼みにするところの一つも無く、強大な組織の中にあってなおの独人。その意気やまるでならず者の体。
その彼を、護る者がある。
守らんとする──寡黙なる盾がある。
無言で門をくぐり、邸に帰還した主は、不快も露に脱衣室に直行した。
怒れる龍の帰還である。
衣類を叩き付けるように脱ぎ捨てた裸形には、紅い痕が幾つもある。まぐわいの痕跡というには余りに執拗な、皮膚の下で出血したような変色であった。
「──どうされた」
こうなればもう腫れ物に触るような態度に落ちる面々の中、一人無遠慮に静司に近付く男が居る。居合わせたほかの侍従は心臓を鷲掴みにされたような気分を味わったに違いないのだが、静司には彼らの存在など念頭には無かった。
「犯された」
「またですか」
衝撃的な告白にあっけらかんと答え、男は──髭面の副侍従頭はぞんざいに打ち捨てられた衣類を拾い上げた。
「左様事ほどに憤慨致すなら」
まるで世間話でもするように彼は言った。
「怪しげな連中とはつるまんことですな。何べんやくざで痛い目を見たら気が済むんです」
「代議士だ」
「やくざじゃないですか」
「自民党の連中にやくざと関係無い奴なんかいるのか」
「さあ」
昔は山口組担当とか稲川会担当とか、担当議員を党内で堂々と決めてたらしいですけどねえ──などと悠長に言う副侍従頭は、秘書の七瀬がブレーンだとすれば、静司が頭主となった的場家の精神的な大黒柱のようなものである。
彼は後ろ手に引戸を閉めた。
「名取の若旦那が知ったら──」
言い掛けると、静司に鋭く睨み返される。その迫力。だが、その面の細く艶やかで、美しいことといったら、二の句を次ぐこともできないほどだ。
気の利いた口説き文句などただの一言も出てこない無粋な彼でさえ、つい思い浮かべてしまうのは牡丹華。かように見目麗しくも脆きものを放っておきながら、知らん顔をしていられる名取の気は彼には到底知れない。
「──お髪(ぐし)を洗いましょう」
「本邸でも五本の指に入る術者がシャンプー係か」
鼻で笑った静司の肩を引きずるように武骨な腕で抱き、忌々しげに浴室になだれ込む。
お髪を洗う──彼が口にすれば、それは隠語だ。
やることは一つ。
けぶる白い霞にも、黒檀の髪の漆黒が翳ることは無い。
床に散った濡れ髪が、膚が、四肢がさらけ出されて、その裸形を包むのはもはや湯気ばかりだ。
その頬にはりついた髪がいやに淫らで艶かしい。真っ白い肌は無傷ではない。よく見れば──いや、触れたならば、傷跡を幾つも感じることができる。それが却って淫靡さを醸し出すのだが、これが果たして二十歳をちょっと過ぎたばかりの小僧とは──。
「………」
此方は着物を着たままで、思わずゴクリと喉を鳴らす。
これが──同じ男。
だが女とも思えぬ。
だが決して男でも無く。
──その、驚異。
男は、その美しい無性の天人のような生き物を、ひたすら見詰めて生きてきた。ゆえに今更その美しさを改めて讃えようなどとは露と思わない。時として、その賛辞が言葉となってこぼれてしまうことはあっても。
──代わりに、掻き立てられるのは淫心だ。
庇護すべき主に対して劣情を抱き、それを隠しもせぬとは言語道断。だが、静司はそれを許す──いや、むしろ求めさえする。盾であろうとする魂をおさめる身体は、そうしてたやすく矛となる。
濡れた裸身の脚の間に身を滑り込ませると、もう逃さぬと白い両足が腰を挟む。湯場の熱気に浮かされたような半開きの唇から突き出された赤い舌が、短く切った口髭の辺りをざらりと舐める。
その二つの身体の間で、二つの淫芯がむくむくと張り詰まらせていくのだから、もうどうしようもない。
どうしようもない矛盾。
「何だ、お前──もう、ガチガチに膨らんでるじゃないか……」
これで殴られたら死にそうだ、などと軽口を叩きながら仰け反る喉に、飛び出た喉仏が思いもよらず猥褻なものに見える。
女のように、柔らかな身体ではない。
だが並大抵の女よりもずっときめ細かな肌触り。傷跡と白い肌、その手触りと、赤黒い行為の名残。
──この生き物は、何だ。
喉を鳴らして、紅をひいたような唇にむしゃぶりつく。無体を強いられた主を労う相は無い。
舌をねぶり、絡み合う蛇のように痴れ合う口淫、離れれば糸を引くほど濃密なそれを口づけと呼ぶには余りにあからさまで、静司の身体は激しく震え、濡れた爪先を虚ろに投ぐ。
噛みつくような互いの唇の狭間には、荒い吐息と不毛な官能だけがある。
低く、切れ切れに喘ぐ声にかかる雄の劣情に突き動かされ、貪るかぶりが白い首筋を噛む。苦痛とない交ぜになった笑みがこぼれる静司の貌たるや、其は、まさに娼女──。
熱に融けそうな身体が開く。対価あらば我が身を差し出すことに躊躇の無い静司だが、その淫心にさえ錠がある。無理矢理に暴こうなどとは言うに及ばず、生半可な錠前師ごときでは決して開けることはかなわない。
「………何ぞ所望か」
「舐めて」
腰を締め付けていた白い両脚が弛むと、まだ着衣したままの男の巨躯がゆるりと下がり、今度は舌が鎖骨を辿る。
「何処を」
静司はククと笑った。
「女とやるところ」
それから、と恍惚の表情で静司はその硬い髪を撫でた。
「──今から、お前が入るところ」
その鼻に掛かる甘ったるい吐息は、欠かぬ情欲の証。
錠は開いた。
「……さあ、童賺しは仕舞いだぞ」
「──若」
「静司、だ」
Fragments of Paradox