(ちょっと大人びた話をしている)(そういったシーンは皆無です)
世間一般の恋人同士というのは、どうもわたしが想像している以上のことをして当たり前らしい。冷めて少しだけ萎びたポテトを咀嚼しながら、真乃はそんなことを考えていた。目の前では友人たちによるガールズトークが盛り上がりを見せている。
なんとなく、最初の方は真乃も話に意欲的だった。一端の女子なのだから恋愛事情というものにそれなりに興味はあったし、恋人だっている。彼女たちの話に共感する部分もあった。けれども、時が経つにつれ話の内容はどんどん深みを増していき、次第には「えっここファーストフード店のイートインコーナーだよね? 大丈夫?」と一人勝手に周りを警戒してしまうような内容にまで発展していた。正直そこまで行くとよくわからなかった。真乃には、恋人との"そういう"経験はないのである。
「えー、なんかちょっと意外」
喋りながらも注文したバーガーセットはしっかり平らげていた友人が、シェイクから口を話して一言目に放ったのがそれだった。違う友人も同調するようにうんうんと頷いているが、真乃からしてみるとそれはとにかく不思議なことだった。
「そうかな……それってそんなに普通のことなの?」
「うーん、まあ、みんながみんなそうとは限んないとは思うけど……。付き合ってたらいつかは、じゃない? 真乃たちが付き合い始めたのって半年以上前でしょ?」
「真乃はちょっとぽやっとしてるところがあるけど、相手はあの向日くんじゃん? なんかそういうことに結構興味ありそうなイメージあるのに」
「あ、なんかそれわかるー。素直に興味ありそうっていうか」
頭の中で恋人の姿を想像する。けれどいまいち、結びつきにくい。真乃のよく知る向日岳人という人は素直で無邪気でちょっと短気で、大雑把なところもあるけどなんだかんだ言って優しい、そんな人だ。それとも、想像ができないのは自分の感性が幼いせいなのだろうか。
「そういう話、したこともないしなあ。別に嫌ってわけでもないけど、したいでもないし……」
「それって、そういう真乃を気遣って我慢してるかもってことじゃん?」
「だとしたら、なんか愛されてる〜って感じするね」
「そ、そうかな……」
「うんうん。それ自体はいいことよ。……でも気をつけなね、一方的に気を遣う関係ってやっぱよくないって言うし」
結局その日は友人たちにやたらと心配をされながら、帰路についた。家につくまでの道中も、玄関を開けて自室に鞄を放り投げる時も、ご飯を食べている時も、湯船につかる時も、真乃はずっとそのことばかりを考えていた。ぼんやりしすぎて少しのぼせたような気もする。
倒れ込むようにベッドに向かってジャンプした。体が沈む代わりに枕元に座らせていたぬいぐるみがぽんと飛び上がってそのまま床に転がり落ちる。仕方なしに拾い上げると、丁度帰宅した時に投げてそのままだった鞄の中から機械音がした。
あ、しまった。反射的に思ったのはそれだった。帰ってきてからどころか、学校が終わった辺りから一度も携帯を見ていないのだ。真乃の恋人は、メールのやりとりをするのが好きだった。
「わ、いっぱい通知来てる」
一つ一つに視線を滑らせていく。個々の内容はそう多くないが、いかんせん物量がすごかった。そういえば付き合い始めた頃はちょっと返事が遅れると拗ねたように「遅い!」って怒られたっけ。最初はよく委縮したものだが、「岳人のやつ、メッセージ一つ来るだけでニッコニコなんやで」とのリーク情報を得てからは、あのお叱りの声は構ってもらえなくて拗ねている子供のそれと同じなんだろうな、と微笑ましくなってしまったものだった。……ちなみにリーク情報の続きは「傍から見とると気色悪いことこの上ないわ」だったけれど。
それでも最近はお互いに少し落ち着いたのか、やりとりこそあっても返信が止んだ程度であーだこーだと言い合うようなことはなくなった。ちょっと寂しいような気もしたけれど、それにすら慣れてきたものだ。何も、彼のかわいいところはそこだけではないわけだし。
なんて考えて一人で笑っていたら、何かを察したかのようなタイミングで電話がかかってきた。着信相手は当然、向日岳人と表示されている。
「……もしもし」
「あ、出た。何送っても返事こねーから電話した!」
「ふふ、ごめん」
「別にいーよ。今だって単に俺が話したかっただけだしな」
忙しかったか? と心配を溶かしたような声。しゅんと縮こまる様子を想像して思わず上がる口角を押さえながら大丈夫だよ、と告げる。同時に、真乃の脳裏を友人の声が過った。――気遣って我慢してるかも。緩んでいた口元を力なく閉じると、そんな真乃とは対照的に電話の向こう側からは嬉しそうな笑い声がした。
「じゃあちょっと話に付き合えよ!」
「う、うん」
「? なんか都合わりぃ?」
「そんなことは」
ない、はず。だけど一度気になってしまうと、それを無視していつも通りに談笑するほどの器用さは真乃にはなかった。
……うん、こうなったらもう思い切って聞いてみよう。恋人なのだから、聞いてみたっておかしくはない、ないはずだ。たぶん、きっと。おそらく。友人たちを信じればそうであるはずなのだ。
「……ねえ、ちょっと岳人に聞きたいことがあるんだけど」
「お、おう。改まってなんだよ」
「あのね、あの……」
自然と居住まいを正して、膝の上で拳を作る。携帯を握る手にじんわりと汗が滲む。
こちらがそんな様子だからか、なんとなく通話口の向こうでもごくりと息をのむ音がした。
「あの……岳人はっ、え、えっちなことしたいって、おもいますかっ」
「!? ゲホ、ッ、はぁ!?」
キン、と大声が耳を刺す。次いで岳人は、少し遠いところで咳込んでいた。何かを言おうとしているようだが、咳で全部かき消されてしまっていて何を言っているかはわからない。
「恋人ってそういうことをするものなのかもって思って……もしかしたら我慢させていたりするのかなって……」
「だ、だからって直球でそんなん聞くか!?」
「そ……そうだよね。やっぱり、は、恥ずかしいよねごめんね」
なんとなくそんな気はしていたんだけど指摘されるとやはり恥ずかしい気持ちが膨れ上がってきた。顔の辺りが急激に熱くて、手汗の滲む手でぱたぱたと仰ぐ。誤魔化すようにへへへ、と笑うことしか出来ない。
「──ま、まあー……考えたことがないわけじゃないけどよ……」
「え、なに?」
「なんでもねぇよ!」
二回目。頭に直接響くような大声で、岳人の動揺が見て取れるように伝わる。なんか、やっぱりちょっとごめん、と心の中で改めて謝った。
しかし少しだけ安心もしたのだ。即答でしたいと言われても困るし、しないと言われてもちょっぴり困っただろうから。自分と大体同じようにどっちつかずな反応で慌ててくれて、なんとなく安堵した。
「そ、そういうのはいつかでいいんだよいつかで!」
「う、うん、そうだよね」
「……」
「……」
急に口を閉ざした岳人につられて、何も言えなくなってしまう。言葉の続きをなんとなく頭の中に浮かべて、多分、お互いに同じことを考えているのかもしれないと思った。
――いつか、は、そういうことをするのだろう。この人と。
そう考えるといつになくぎゅっと、体の内側が強く甘やかに痛む。うっかり色んな想像をしかけて、慌てて首を振った。さすがに恥ずかしいが過ぎる。
まあ、でも、そういうのをすること自体を嫌だとは特に思わなかった。それこそがこの想像の答えであって、わたしたちのそんなに近くも遠くもない未来なのだろうと思える。
「……はぁああ」
微妙な生温い空気に耐えきれなかったのか、振り払うようにわざとらしく、岳人が大きくため息をつく。なんか、何話そうと思ったか忘れちまった。ぽつりと小さな呟きにうん、と返事する。今はなんだかそんな会話で精一杯で、どちらともなしになんとなく今日はもう寝よう、なんて言って通話を切ることにした。
「そんじゃ、おやすみ」
「うん。……また、明日」
「また明日」
携帯をベッドに伏せて置くと、途端に体から力が抜けていく。再び倒れ込むように布団に体を沈めて、枕に向かって「あーーーーー」と叫んだ。
周りの子たちはもう、こういったことを経験していると言っていた。今はその事実がひたすらにすごいことのように思えた。
しばらく芋虫のように布団を被って丸まっていると、お腹の辺りに埋もれた携帯が震える。光るディスプレイの表示には、
『明日の朝、責任取って絶対お前から声かけろよ!』
読み終わると同時にもう一度携帯は震える。画面上に新しいメッセージが増えた。
『絶対いつも通りで!』
強い念押しのお言葉だった。これを顔を真っ赤にしながら送ったのだろうと思うと自分の中の羞恥心よりも、やっぱりかわいいことする人だな、と思う微笑ましさの方が強くこみ上げてくる。
――友人たちには、もうしばらく心配をさせておこう。わたしたちはまだきっと、これでいいんだ。
そう結論付けた真乃は部屋の電気を落とした。明日、彼がまだ少し赤い顔をしていたらお詫びに菓子パンでも奢ってあげようかな。
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