「……古森」
棚に手をついてまでつま先を精一杯に伸ばした背中に声をかけながら、その指先が触れていた背表紙を先に手に取る。
本棚が女子生徒一人の力で簡単に崩れ落ちるなどという危険は相当な無茶でもしなければ起こらないだろうが、にしても脚立を使うか人に助けを求めるかした方がいいことはその様子からして明らかだった。
「次は最初に俺を呼ぶように」
取った本を差し出すと、彼女はこちらを見上げながらその表情を緩める。花が咲くような、とはよく言ったものだが、まさにそれはそういう笑みだった。
「ありがとうございます」
「ちなみにその本だが、三か月前にも脚立なしで取ろうとして失敗している」
「う……先輩、よく覚えてますね」
「その時も俺が代わりに取ったからな」
指摘を受けて気恥ずかしそうに視線を落とした後輩は、口の中で言葉を転がすように小さく呟く。
「だって……もっかい読みたくなったんだもん」
図書室でよく顔を合わせるから、この後輩とは度々会話をするようになった。お互いにおすすめを借り合ったり、勉強の参考書選びをしたり、調べ物を手伝ってもらったこともある。そうして過ごす内の何気ない会話の中で、昔読んだ本の話をしたことがあった。おすすめというほどではなく、そういう本を読んだことがある程度の話だったのだが、それを覚えていたらしい彼女が、先ほどと同じような展開で本を手に取った記憶は頭の中にしっかりと残っていた。
「今日の歴史の授業で習ったこと、なんとなく覚えがあるなあって思って。そしたらこの本のこと思い出したんです」
「だろうな。最初に俺がその本を読んだ理由がそうであったのだから」
授業で覚えた内容を少し掘り下げるため。下級生の彼女が、当時の自分に追いついたということだろう。そう思うと不思議と少し感慨深いような、自分と似たような行動をする後輩に親近感を覚えるような。そんな心地だった。
「先輩はそうかもしれないですけど、わたしは別に授業でやったから読みたくなったわけじゃないですよ」
言葉の続きもなくじっと目線を向けられて、ほぼ条件反射で、その声のない主張を想像する。してしまう。柳蓮二という男にとってそうすることは呼吸をするに等しいほどにまで自然な行いだった。
だから毎回、少しばかり調子が狂うのだ。他者の行動や心理を読み、相手が口にしそうな言動を推測することが人よりもほんの少し得意なだけに、彼女を相手にした時それが上手くいかないことが多いから。
「……そうか」
「あ、今ちょっとはぐらかしましたね」
上手くいかない、というよりは余計なことを考えてしまう、といった方が正しいだろうか。想像して、その正誤はさておいて、自分で自分の結論を信用しきれないというのが問題だった。
データを用いる場合、そこに含まれる不純物は当然、少ないほどに信用性が上がる。となれば、自分を信じられない理由は一つだ。情報を組み合わせる際に、そうではないものが混じる。だから毎回憶測の域を越えられないのである。
「ねえ、先輩はわたしが何を考えたと思ったんですか?」
悪戯をしかける子供の笑顔そのままに、楽しそうに古森は言う。まるでとても大切なもののように本を抱きしめながら。
こちらが何でもわかるとでも思っているのだろうか。だとすれば随分と意地の悪いことを言うものだ。何でもはわからないという意味でも、仮にわかったとしてそれを今ここで答え合わせなどしないだろうという意味でも。
「……お前には敵わないな」
「ふふふ!」
鈍った己の思考を許容する、それ自体が既にイレギュラーだった。当然、可能であれば観測はするのだが。
たとえそれが希望などというものに塗れてしまったことを自覚しても、事実がそうであったならいいのにと願う。そうさせるこの感情を、この理由を、きっと自分は既に知っていた。
だから彼女のこの問いに対しては、ただ願いを返すばかりだった。言葉はなく、心の内で。──どうか、彼女も自分と同じであればいいのにと。
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