(向日家を盛大に捏造しています)(向日姉視点)
ただいま、と玄関の扉が開く。すっかり日も暮れた頃にようやく帰宅してくる弟は、胴体くらいはありそうと錯覚するくらいに大きな鞄を投げ捨て、そのままお風呂場に駆け込んでいった。普段通りの光景だ。
毎度砂埃と汗にまみれて帰ってくるものだから、弟は母から「リビングに入る前にお風呂に入りなさい」と強く念を押されていた。部活でレギュラーになり、試合でもそれなりに活躍をしているようだが、そういった結果を褒めるのと家の中での振る舞いはまた別だった。汚れを落とすまで入るな、と言われれば子供はみなそれに従わなくてはならない。もっとも、あんなに汚れて帰ってくるのなんて岳人くらいなものだけど。
読み終わった雑誌を閉じると、なんとはなしに口寂しさを感じた。晩御飯は大体いつも弟の帰宅に合わせられるから、もう少し後になるだろう。
揚げ物をする母親の後ろで冷蔵庫を開ける。……ぱっと口に入れられるようなものはパックの納豆くらいしかない。うん、何もないな。次いで冷凍庫を開くと開封されてる箱に棒アイスが数本残っていた。オレンジ味を取り出して封を切る。すぐさま、もうすぐご飯よ、と窘められたが今食べたかったのだからしょうがない。
「部屋にいるから、ご飯できたら呼んで」
「はいはい」
アイスを齧りながらリビングを出ると、ちょうどシャワーを浴びたばかりの弟と遭遇した。早すぎるでしょ、カラスの行水かよ。なんてそのまま階段に向かおうとすると、「あのさ……」と呼び止められた。
「なに?」
「風呂場にあるシャンプー、姉貴の?」
「そうだけど」
先日新調したばかりのボトルを思い浮かべて、しかしそれが弟の口から挙がることにものすごく違和感を覚える。それがどうしたの、と問いかけるが、返事はすぐには返ってこなかった。アイスを食べながら見ていると、岳人は「あー」とか「うー」とか唸っている。なに。日本語を喋ってほしい。
「い、いつごろ使い終わる」
「は? なんで?」
「なんだっていいだろ! いつ違うのに変わるか聞いてんの!」
落ち着きなく踵を上下させて、わけのわからないことを言ってくるものだから、なんとなくイラっとしてきた。もっと要領よく話せないものか、この子は。
一体何だと言うのだろう。匂いが気に入らないとか、(多分知らないだろうけど)ちょっといいやつ買ったからずるいとか、そういうことだろうか。というか別に岳人はお父さんたちと同じ別のやつ使ってるのだから、女物のシャンプーがなんだろうと関係なくない?
「はあ。ま、買ったばっかだからしばらくあれじゃない?」
「ええ……マジかよ」
「急に何なのアンタ」
「……べつに」
口を尖らせるようにむすっとしているが、どうにも一方的に文句を言われているような心地で正直納得がいかない。文句というほど文句でもなかったかもしれないがそれはそれで、だ。
わかりやすい弟からはどうにも「使ってほしくない」という空気を感じた。だから腹癒せに意地悪でも言ってやろう、と思う。
「まあでもあのシャンプーは結構いい匂いだし、なくなったら次もおんなじのにしよっかな〜」
「! ちがうやつ! 違うやつのがいい!」
思った以上の食いつきだった。なんかちょっと、もしかすると一周まわって面白いかもしれない。新しい玩具を与えられたような気分でアイスの最後の一口を齧ると、残った棒を指先で遊ばせながら、弟を言葉でつつく。
「ふうん、そう。岳人は違うやつがいいんだぁ」
「そうそう。ほら、前のやつとかでもさ」
「そうねえ、前のもまあまあいい匂いだったしねえ」
弟は、首をこれでもかというほど縦に振っていた。姉貴にはもっと似合うやつあると思うなんて言っているが、アンタ、香りの種類なんてろくに知らないでしょうに。
「……ま、態度次第かな」
「なんの?」
「岳人がもし違うやつにしてほしいって"オネガイ"するんだったら、それなりの誠意がいるでしょ」
にやりと笑うと、弟は面白いくらいに顔を引きつらせた。こちらの企みに気づいた時、決まってそういう顔をする。そんなだから、あーあ弟いじりはやめらんないな、なんて思ってしまうというのに。
「で? なんでそんなに人のシャンプーを気にするわけ?」
理由次第では聞いてやらんこともない。逆に、くだらない理由だったら張り飛ばした上で意地でも今後使い続けてやるつもりだけど。
すると、元気が服着て歩いてるような性格の弟は急に閉口して、目線をうろうろと床に這わせた。もじもじした様子から察するに、女子だな、と勘づく。
「好きな子から同じ匂いでもした?」
「ぶっ」
「うわ汚っ」
「あ、姉貴が変なこと言うから! あと別にそんな、好き、とかじゃねーし!」
好きという二文字すら恥ずかしがって小声になるくらいだから相当気になっているのだろうと想像に易い。こんなちょろさで学校の女子に愛想をつかされないだろうか。姉は心配だよ、と頭をぐりぐりと強めに撫でてやる。何すんだよやめろ、と聞こえてきたが一切無視してやった。
「ま、好きな子と同じ匂いが姉からしたら、そりゃ複雑よね」
そういうことなら仕方ない、弟のためにシャンプーは違うのに変えてやることにしよう。思ったよりかわいい理由に、満足感が大きかった。
好きなわけじゃない、ともごもごと口の中で言葉を転がし続ける弟は真っ当に男子中学生だった。傍から見てそこまで意識してるんだからじゅうぶん好きじゃん。まあ、意地を張っているのか本当にそう思っているのかは定かではないけれど、万が一に後者だとしてもいつか本人が自覚できればいい。
「あ、あと、姉貴と同じだからとかじゃなくて……そのなんつーかよ」
ぐしゃぐしゃになった髪を撫でつけながら、岳人は少しだけ赤い頬で言う。
「あいつの匂いが家の中でするの、なんか落ち着かないっつーか……単にそれだけっ!」
用件が済んだか或いはついに居た堪れなくなったか、そう言い残して弟は先に階段を駆け上がっていく。二段飛ばしでひょいひょいと。
あいつの匂い、と来たものだ。恐らく弟にとって、その女の子の持っているものはすべて「その子のもの」という印象になるのだろう。形ある、ないに関わらず。すべてが彼女を連想させるに至るもので、思い出すたびにあんな風に落ち着かなくなっているのだとしたら。……なんだ、大きくなるにつれて賑やかで生意気になるばっかりと思ったら、結構かわいいとこあるじゃん。
笑いながらポケットから携帯を取り出す。友人とやり取りしている画面に、新しく簡単なメッセージを送信する。「不要になったシャンプーあるんだけど、もらってくれない?」お喋り好きな友人からはすぐに既読がついた。
「お姉ちゃん、ご飯できたから岳人呼び戻してきて。あと廊下であんまり騒ぐと近所迷惑よ」
「騒いでたのは岳人だけー」
あとで友人にこの話してやろ。そんなことを思いながら、逃げて行った弟を追いかけて階段を上がった。
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