けが人のいない医務室は静かだった。薬品棚の在庫を見て不足がないことを確認したテティスは、持っていた資料を机に置き、その傍らのベンチに腰掛ける。腕を振り上げ、ぐっと伸び。一息。
休憩用にと持ってきた水筒で休憩をしよう、と手を伸ばしたその時だ。ぷしゅ、と音を立てて部屋の扉が開く。反射的にそちらに視線を向ける、その動作と、飛び込んできた声はほぼ同時だった。
「あーーーー」
「!?」
ふらふらとした足取り、締まりのない声。医務室にやってきたその少年は、テティスを視界に捉えるとあっけにとられた彼女へと歩み寄る。少女が我に返りその名前を呼ぶより早く、彼はテティスの横に腰掛けると、その体を預けるように彼女に寄りかかった。ずしり。状況が呑み込めず目を白黒させるテティスであったが、おそるおそるといった様子で隣の少年をのぞきこむように見る。……キース、キース。どうしたの。ぐったりとした体は少し重かったが、そんなことを気にするほどの余裕は今はなかった。
「うー…………」
「具合が悪いの? 横になる?」
心配してみるも、返ってくる反応は唸るような声ばかり。一体何が、そう思いながらも体温を確認しようと額に手を伸ばしたときだった。目元の、隈に気づいた。よくよく見れば少しやつれている気がする。……もしかしてこの人、また、寝ていないのかしら。
テティスが一つの可能性に至ったとほぼ同時。
「ねむい」
キースが一言。そう言い放ち、体の重心を更にテティスへと寄せる。重くのしかかる少年の体は然程大きくはないが、テティスはその勢いに少しだけ体をのけぞらせた。
「……寝ていないの?」
「うー……ちょっとやることたまっちゃってさ」
「はあ……」
心配して損した。何かあったのかと思っちゃったわ。少し意地悪く、責めるような声で言うと弱々しい声でごめん、と返ってきた。謝るくらいなら自己管理をしっかりするくらいの態度を見せてほしいが、まあ、今はそこまで言い立てる気にはならなかった。
とても疲れているようだが幸いにもここは医務室、寝る場所に困ることはないのだ。そう思い、テティスは彼を起こそうとする……が。押し返しても押し返しても、寄りかかった体が戻ってくる。数度繰り返してみたが結果は同じだった。――た、立ち上がる気がなさそうだわ。すっかり困ってしまって、テティスはむうと唇をかむ。
「キース、ベッド」
「いい……今寝ると、飯時に起きられなさそう……」
「ちゃんと寝ないからじゃない……」
やれやれ、と諦めモードで応えてテティスは再度周囲を見回した。動かないならこの場を少しでも休める環境に……と思ったのだが。手の届く範囲にちょうど良いものが見当たらない。どうしたものか。
そうこうしている間にも、隣の小さなうめき声は寝息に変わっていた。……こんな態勢で、よく寝られるものだ。呆れよりもすごいと思ってしまって、それがなんだかおかしくなって、テティスは一人で笑ってしまった。
彼の仕事は、その分野に明るくないテティスにもわかるほど膨大で、繊細で、そしてきっと想像できないほど地道な作業なのだろう。よくは知らない、と思うが、それでも常々偉いと思っていた。自分もそうであれたならと、そう思うこの気持ちは憧れなのだろう。なれるとは到底思えないが。
「……お疲れ様」
すっかり眠ったその人に声をかけ、ベッドには程遠いが代わりにと自分の脚を枕に代えた。横たわらせて、結わえられた髪を梳くように撫でると、キースは小さくんん、とのどを鳴らす。起こしてしまっただろうかと思い手を離したが、その瞼が開くことはなかった。
……。こういう状況をなんと呼称するのか。さすがに知らないことはなく、気恥ずかしさはあった。ある。今も、誰かがこの部屋に駆け込んで来たらどうしようという気持ちでいっぱいだ。ちらりと下を見る。あどけない、のんきな寝顔。それを見ると不思議と、なんだかどうにでもなってしまえという気になったのだ。そうでなければこんな、こと。するはずもない。
まあ、見られたら見られたで、全部キースのせいなのだわ。――そういうことにして、テティスは壁に背を預けて目を閉じた。時計の針と寝息だけの静かな音が、心地よかった。
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -