灰域踏破船クリサンセマム。かの船に客人を乗せること数日。多少の空気の張りこそ否めないが、それも当初よりは随分と和らいだだろう。
中には当たり障りない世間話程度であれば相手をしてくれる人もいるが、それでも多くは警戒を解かぬまま貸し与えられた部屋に留まっている。早く元の生活に戻りたいのだろう、と想像はできるがそれでも居心地の悪い緊張感だけは慣れなかった。それでも、彼らを忌むようなことはないけれど。
ミネット・ペニーウォートは人づきあいが得意な方ではない。特に親しくない相手に対してはなにを話していいのかがわからず会話が続かない。であったが、此度の彼女は用件を見つけては時折自らの意思で客人らのもとに足を運んでいたのだ。自分でも、不思議な行動力だった。
部屋の前にきて、一度呼吸を置く。平常心、平常心。緊張にきゅうと縮むような心臓を宥めて、意を決して声をかける。数秒の間が痛い。手に持った届け物をぎゅ、と握りしめる。それは物資を渡すという使命の正当性に縋る行為であった。大丈夫、大丈夫。……しばらくして扉が開くと、中からフードを深くかぶった少年が顔を見せる。その表情は来訪者を訝しむ気持ちを惜しげもなく現わしている。う、としおれそうな意思を必死に奮わせてミネットは用件を伝えた。
「あの、……今、大丈夫? これ。多くないけど、つ、使って」
「…………ああ。感謝する」
事務的な会話に当然盛り上がりはない。しかしミネットはほんの少し安堵していた。この、フードの少年、ニールに会うのが彼女の本来の目的だったからだ。届け物は、必要なものではあるが、隠れ蓑に過ぎない。
「えっと……えっと」
「……まだ何か?」
「あ、あの。何かある、わけじゃないけど。えっと」
精一杯に頭を回転させる。素直に言えば、本音を言えば、ミネットはニールと話がしたいだけだった。
幼馴染の生き別れた弟。関係で言えばそんなところであったが、それも理由だが、それだけではない。身内以外のあらゆるものに突き刺すような警戒をして見せる彼の姿が、どこか、幼い頃の自分と重なるところがあって。
気になるのだ、と彼と同じ血が流れる兄弟たちに話してみたこともあった。すると兄ジークからはたっぷりと間を置いて何かを考える素振りのあと、そうか、と一言だけ頂戴した。彼も彼で色々思うところがあるのだろうが、その表情はどこか嬉しそうだったのが印象的だった。弟、キースはそんな兄の心境を察するように目線を彼とミネットに向け、「俺は、ニール兄ちゃんのこと、気にかけてもらえて嬉しいよ。やっぱ兄弟だしさ。」と笑った。それを見て、ああ、兄弟ってやっぱりいいものなのだろうなとミネットは思ったのだ。改めて、この機会にニールと話をしてみようとも。
「ううん……本当に何もないんだけど、ただ話をしてみたくて」
「俺は、お前たちとなれ合うつもりはない」
「う。そ、そうなんだろうけど……」
取り付く島もないといった様子だったが、それも想定内だ。それに、一方的に話を切って部屋に引くこともできるだろうに、口では拒絶しておいてそれをしない辺りにかわいげすらあるではないか。……さすがにそれは、前向きすぎるかな。一瞬浮かんだ強気な考えを心の中にしまいこむ。
「子供たち……が、あなたと話をしたと言っていたの」
「……」
「それを聞いて、いい人なんだなって思ったんだ。だからってわけじゃないけど、もう少しあなたのことが知りたくて」
話し終えるのを待ってくれたことに、心底ほっとしていた。途中で何かつっこまれでもしたら思考が飛んじゃっていたかもしれない。おそらく彼から自分のことを話してくれるとは思えないが、それでも伝えられただけでも、ミネットには大きいものだった。子供たちが言うように、本当はすごくいい人なのかもしれない。……ジークやキースの兄弟ということを抜いても、そう思えた。
「……お前は」
「! ひゃ、はい」
一人でしゃべって勝手に満足していたせいで完全に油断していた。上ずった声に羞恥を覚えつつも、そちらに目を向けると、ニールと目が合った。初めてしっかりと見た瞳は、透き通るようなあおいろだった。
「ペニーウォートで……。いや、詮の無いことだ。忘れろ」
「あ……うん」
「じゃあな」
ミネットはその言葉の続きを汲み取れず、引き留める理由もなく、ただ閉まる扉をみていた。本人が言っていたのだから考えても本当にどうしようもないんだろうけど、何を思って言いかけたのだろう。ううん。唸ったところで正解が降ってくるはずもなく状況は変わらないが、ふとあることを思い出した。
彼の名前だ。ニール。……ニール・ペニーウォート。彼がそう名乗ったところを見たことはないが、最初は彼もペニーウォートにいたのだ。売られて、違うミナトに行っちまって。ジークの言葉が脳裏に過る。
彼だって自分たちと一緒に過ごしてきたかもしれない場所にいたのだ。逆に、私が彼のように違うミナトに行った可能性だってあったかもしれない。……どれもありえたかもしれない、けれど、決してありはしなかったことだ。憶測にすぎないがもしかすると詮なきことというのは。
ごう、と船が鳴く。彼らの長が船を訪れるのは、もう然程遠くないことだ。
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