医務室で作業をしていた弟に用件を伝え終えると、ニールはその場を去ろうとしていた。予定がある訳ではなかったが、ほかにこの場所ですることなど彼にはない。なかった。そのはず、だったのだが。
「…………」
部屋の奥に人影を見た。仕切りで遮られていてよく見えないが、ニールはその人物に察しがついた。世間では、クリサンセマムの鬼神と名高い少女だ。
回り込むようにしてゆっくり静かに近寄ると、それは想像通りにミネットその人であった。膝の上に画面の消えた端末を置いて、座ったまま規則正しい寝息を立てている。――居眠りとは、珍しい。いつも忙しげにあちこち走り回ったり、或いは外へ仕事に出たり、彼女にはそういった印象を持っていたものだから。
しばしの休息を取るようなところは見覚えがあったが、まだ太陽も昇っているような時間からのんきに過ごしているところを見るのは珍しいことだった。
(……何か、かけておいた方がいいのだろうか)
温度が適切に調整された部屋の中とはいえ、万が一体が冷えたりなどしてそしてそれが原因で体調を崩すようなことがあれば。少なくともニールは現在、それを未然に防ぐことが出来る立場になってしまっている。つまり、責任を感じるだろう。自分でも生真面目すぎるとは思ったが、本当にそうなってしまったらと思うと、もう見て見ぬふりなどできなかった。
ニールは一番そばにあった寝台から毛布を引っ張ってくると、起こさないよう、心を砕くようにしながらそれをミネットにかけてやった。そんな気遣いなど知らずに、当の本人はゆるんだ頬で幸せそうに眠っている。
「へへ……」
何を夢見ているのかはわからないが、小さくミネットが笑う。その声が、なんとなしに、ニールをそのままその場に留まらせた。
眠るその人をじっと見て、それから思い出したように、背後の弟をちらりと盗み見る。こちらからは背中しか見えなかったがもうすっかり画面に夢中になっているようで、時折ぶつぶつと独り言を呟いている。
ああなった弟は周りが見えなくなることを、ニールは知っている。安堵した。安堵して。そのことを自覚するより先に、ニールはミネットの横にすとんと座った。
理由は特になかったが、そうしようと思ったのだ。そうした先に何があるわけでもない、そんな行動に理由などあろうはずもないが。
少しの間そうして隣を眺めていたニールであったが、ふと、彼女の姿勢が最初に見たより傾いていることに気づいた。
一度疑問となって目についたものだからそのことが気になって、手を伸ばそうとする。起こさないようにそろりと伸ばしたものだったがそれゆえにか、それは、その瞬間には間に合わなかった。これまでにも少しずつ壁を伝うようにして傾いていた体が、一気にニールのいる方へと崩れていく。びくりと体が跳ねるような感覚ののち、ニールに残ったのは、早鐘を打つ鼓動の音と、肩にかかる少女の重み。
…………。びっ、くり、した。というか、これでも起きていないのか、こいつは。
冷静さを失った思考で、ニールはミネットを見た。――背丈がほとんど同じようなものなのだ、当然、座れば顔の高さは同じようなところにくる。その上に凭れ掛かっているような恰好なのだ。今までで一番の至近距離に、心臓は余計に跳ね上がることになった。ああ、と頭を抱えたい気持ちで、弾くようにして顔を背ける。
(何をやっているんだ……)
ざわついた体の中を落ち着けるように、ニールは大きく呼吸した。戦闘前などに、入りすぎた力を抜くためなんかにも行う、体に染みついた行動の一つだった。すう、はあ。そうして数度繰り返してやれば、次第に思考は晴れていき、頭の中の情報にも整理がついていく。大きく吸って吐いた息が、隣のその人の寝息のリズムに少し重なったように思えた。
――こうなってしまってはもう碌に動けない。ぼんやりと過ごしている内に猫が膝の上で眠ってしまった、とでも思えば、こんな状況、どうということはなかった。彼自身にその自覚はないが、後ろめたい気持ちが一切ないというのは、この状況においてはあまりにも強いカードであった。
最後に吐いた深呼吸は、なんだか少しため息にも似ていた。
(起きるまでくらいなら、まあいいか)
日を追うごとに緩んでいく許容のラインに、ニールは苦笑した。誰にでもそうというわけではないのが、どうにも少しばかりむず痒かった。
徐に。少女から離れている方の手を自らの頭上に伸ばすと、被っていたフードを下ろす。ミネットにかからないようにと注意しながらそれを背中の方へと流して収めると、ニールはゆっくり身を捩って居住まいを正す。頬に柔らかい髪が当たって、そのことが少年をほんのりと温かい気持ちにさせた。
寄りかかってくる体に重ねるようにして、ニールからも少し身を預ける。さながら、眠る猫のように。そのことに気づいて、自分のことであるにも関わらず、体を小さく揺らして笑った。
おかしなものだ。彼女といると、ニールにはそんなことばかり起こった。他人の体温を感じて、それを心地良いと思って過ごす時間だなんて。これを可笑しいと思わずになんていられるはずもない。
「飽きないものだな……」
零れ落ちた本音は、淡い夢の中へと沈んで行った。
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