時刻は深夜。ほとんどの人が床について、まるで船そのものが眠ってしまっているかのような静けさだった。
そんな中、ラウンジには“ほとんど“に含まれない人間が二人いた。その内の一人、ミネットは、もう片方にじっと視線を寄せそれからおずおずと口を開いた。
「なんか……ごめんね、付き合わせちゃって」
向かい合うように座ったその人、ニールは、いいやと首を振る。
なんだか眠る気になれなくて船の中を歩いていたミネットと違い、彼はただ水でも飲もうかと部屋を出ただけだった。ばったり出くわして声をかけたがためにこうして話し相手になってくれているのだが、なんだかミネットは年下の少年に甘えてしまっているようでほんの少しきまりが悪かった。
それでも、話をしたいという気持ちが勝ったがためにこうしているので、本当は大した罪悪感はないのかもしれない。そのことがまたミネットの中の後ろめたさを少し増幅させた。
「構わない、まだ寝てなかったしな。大した話題も持ち合わせてないが、気晴らしの相手くらいにはなれるだろう」
目の前の人がそんなことを考えているとも知らず、ニールはそんなことを言ってのける。優しい人だ、噂に違わない。今しがた考えていた、年下の少年、なんてことも意識してなければすっぽ抜けてしまいそうなほど。つい頼ってしまいそうになる何かがその人にはあるのだ。……ああ、ただ話をしようってだけなのになんだかいけないことをしているような気分だ。やましいことなど何もない、ないのに。思考を振り払うように、押さえつけるように、ミネットは口を開いた。
「ええっと……明日は、大丈夫?」
「? 仕事内容は大体お前と同じだろう」
「ああ、そっか。そうだよね……うん。じゃあ大丈夫……なのかな」
会話とさえも呼べないようなやり取りに、ミネットはうう、と唸った。そういうことが話したいわけじゃない。どうせならもっとなんか、しゃべった! って感じがいいんだけど。……いや、それ、どういう感じなんだろう。自分で自分がわからなくなってきて、うまく話せなかった。
話すって、意識すればするほど、むずかしいものだな。しょんぼりと肩を落とすミネットを見かねてか、今度はニールが口を切った。
「……まさか、俺とお前がこんな風に話をするなんてな」
「え?」
「考えてもみろ、おかしいだろう。ありえないことだったはずだろう」
言われて、それから、言う通りに考えてみた。
最初こそ同じミナトに所属していたが、碌にすれ違うこともなくそのうちにニールは別の場所へ売られ、ミネットは変わらずペニーウォートで猟犬として働かされる日々。その後も互いの道はそれぞれに伸びていて、交わることなんてなかった。ずっとずっと、そのはずだったのだ。未来はどうなるかわからないものだな、なんて、漠然としすぎていておかしな言葉が妙に現実味を帯びていた。それが不思議だった。
「そうだね。……そう、だね。うん、ちょっと前だったら考えられなかったかも」
「だろう?」
「前の君だったらきっと、誘っても来てくれなかった」
「その前に、前のお前が俺を誘えるとは思えないがな」
「む! ……いや、実際にそうなんだろうけど、そうはっきり言われるとそれはそれで悔しい……!」
恨めしそうなミネットの視線もどこ吹く風、涼しげな顔で流して見せるその余裕がいっそう悔しかった。完敗であった、一本取られた。
潔く負けを認め、座りなおす。……本当に。噛みしめるように呟いた言葉が二人の間に浮かんで、消える。その先に言葉は続かなかったが、お互いに意味を理解しているように感じた。
「それもこれも、お前たちがやってきたことの表れなんだろうな」
小さく静かに、けれどもはっきりとした確信めいた声。それは、きっとニールの感情であった。ミネットにはそう思えて、吸い込まれるようにして彼に視線を重ねる。
「わたしね」
夜だからだろうか。誰もいないからだろうか。……やさしい、やさしいこの人だからだろうか。
うっかり、ミネットは口を滑らせた。これまで誰にも話したことのない話だ。それが喉から出そうになっていることに気づいてはいたが、しかし、一度滑らせた口は止まりはしなかった。
「ほんとはずっと、ずっと強がってたんだ。周りはみんなすっごく頑張ってて、それが偉くて、まぶしくて、わたしもみんなと頑張りたくて」
言葉がどんどん溢れるようだった。正確には言葉というより気持ちだった。ずっとミネットの内側にあったもの。消えることも、溜まることもなく。ただただそこにあり続けただけの取り留めのないものであったが、ニールは黙ってそれを聞いてくれた。
「だから、わたしは本当はきっと、みんなが言うような強い人じゃないんだ。君に会って、君と話して、そう思った」
ニールは強い人だ。少なくともミネットからするとそうだ。人を思いやれるところも、冷静に物事を見るところも、こうして人を寄りかからせてくれるところも。そう告げると、彼は意外にも驚いたような顔をしていた。それから、ほどけるような表情で言う。俺はお前を強いと思う。と。
「強がりだって、重ねれば強さだろう。……俺だって、そうだ」
強がってみせたこと、あるだろう。前も、今も。ニールは少し嘲るようにして言って見せる。強がっていただなんて裏話、人にする話じゃないだろうに、それでも話してくれたその振る舞いにどうしたって敵うはずもなかった。ああ、弱い。もしかするとわたしはこの場合、強くない、んじゃなくて、この人に弱いのかもしれない。気づいた可能性がすとんと見事に腑に落ちたものだから、思わず心の中で一人笑った。
ああ、そうか。……そうか。そう考えると、途端にミネットの中に強く感じる思いが一つあった。
「……よかったよ。わたし、頑張ってよかった」
だからミネットは、ニールに笑みを向けた。
まだ道半ばではある。目指す場所はまだずっと遠く、夢のままであるが。それでも、ここまで来てよかった。それはずっとがむしゃらに歩みを続けてきた者が初めて後ろを振り返った瞬間だった。
「君に会えてよかった」
思えば、ペニーウォートではきっと、二人一緒にいられることはなかったのだろう。あそこは“そういう場所“だ。ミネットとニールの能力を考えれば、きっとどちらもはいられない場所だった。
「君といられる世界に変えられて、よかった」
それが、現時点でミネットが出した努力の結果だった。正確には一部なのだろうが、しかしそれはミネットにとってとても重大なことだった。
一見大げさすぎる響きだが、偽りなく本心だった。最後まで黙って聞いてくれるものだからついつい喋りすぎた気もするが。
「あー、色々話せてすっきりした!」
「……そうか。それなら当初の目的は達成できたわけだな」
「そ、そういえばそういう話だった……。ありがとね、ニール」
今ならいい夢が見られそうな予感さえする。それほどの晴れやかさだった。
いい時間だしそろそろ寝よっか。場を締めくくって、二人でラウンジを後にする。並んで歩く内にふわあとあくびが漏れて、隣の少年がおかしそうに肩を震わせた。うつってしまえ。二人を迎えて開くエレベーターに先に乗り込んでいく後ろ姿に念じてミネットも乗り込む。すると強く念じすぎたのか、目的の階につこうかというタイミングでニールも欠伸をしたものだから、笑い返してやった。ふふん。
「それじゃ、おやすみなさい」
「ああ。おやすみ」
挨拶を交わし、それぞれの部屋に向かう。ほどほどの眠気がミネットをやわらかく包み込んでいく。
「……俺も、お前と会えてよかったよ」
聞こえるようには言われなかった言葉が、人知れず夜の中へと溶けていった。
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