和泉守。少女の声が彼を呼ぶのを、堀川は二人のその後ろから見ていた。
大きな背中、自分がずっとあこがれ追いかけている背中に向かって、とたとたと軽やかな足音が近づいていく。甘い、花にも似た香りを纏って。
咄嗟に、物陰に身を隠してしまった。……正直、盗み見をしているようであまり好い気はしない。と我に返ったときにはもう、出て行くタイミングを見失っていて。堀川は静かに息を潜め、聞こえてくる声に耳を傾ける。
「ん、おお。どうした、出陣か?」
「ああ、いいえ。そういう訳ではありませんが……」
「なんだ、違うのか。そんじゃ……茶の誘いか?」
「もう、それも違います。あまりからかわないでくださいな」
「へいへい」
いつだったか。兼さんが彼女を、琴音さんをそれなりに気に入ってると聞いた。無論それは主として、所有者としての好意だが、それでも少しだけ気に食わなかったのを覚えている。自分が好意を抱く二人なのだから良い関係ができているのであればそれは好ましいこと、のはずなのに。
なんとなく、なんとなくだが、気になってしまうのだ。兼さんと彼女が話しているところとか、そのやり取りの様子とか。すぐ目に留まってしまうし、遠くにいたとしても耳をすませてしまう。良くないことと知りながら、いや知っているからつい隠れてしまったのかもしれない。けれど気になるものは気になるし、かと言って気になるとも言えないし、ああ、まったくなにやってんだろ。ほんとに。
ちらりと様子を伺い見る。ここから逃げられないものかと思っていたのだが、しかしそこで見たのは、楽しげに話す二人の様子と琴音の頭を少し乱暴に撫でる手のひらだった。
誰がどう見ても、仲の良い二人。それは日を追うごとに、実感していた。兼さんの中で彼女が大切な存在になっていくのも、傍で見ていたからなんとなくわかる。
自分だって彼女のことは嫌いじゃない。でも。
(……やっぱり)
面白くはない。すっごい、気に食わない。胸の内側でもやもやする感情はぼんやりと不鮮明でそれが妙に不快で、だからより一層今、この場所に居続けている状況が心をずしりと重くさせる。
「……あっ、いけません。わたし、この後鳴狐と約束をしていたのでした……!」
「そうか。んじゃ急がねぇとなあ。走って行って転ぶなよー?」
「そんなことしませんっ」
もやもやと考え込む堀川を残して、二人はそんなやり取りの後に別れた。
子供のように扱われむっとしていた少女は、言われたからだろうか、走らないぎりぎりのところで素早く歩いて廊下を行ったが、角を曲がったところでその足音をぴたりと止めると今度は慌てて反対側へと走り去った。櫛! と叫んでいたけれど、毛繕いでもしてやるつもりなのだろうか。あんなに慌ててたら、いつか転んでしまいそうだ。
やれやれと肩を竦めた和泉守は少女が向かった方角とは逆の方向へ、足を向けた。それは、つまり、二人の後ろにいた堀川の。
「国広ー」
「う、わっ!?」
急に声をかけられた堀川は思わず飛び上がりそうに大きな声を上げて、和泉守を見る。兼さん、と名前を呼ぶ声もどこか震えてしまっていた。いつの間に、と思ったがどう考えても今の一瞬、ちょっともやもやしていた間だ。廊下のずっと先を歩いていたはずの彼はどうやら、ここにいた堀川の存在に気づいていたらしい。なーにやってんだ、とその手で堀川の頭を小突く。
「べ、別に通りかかっただけ、ですけど……」
「嘘吐け」
「いたっ、痛いよ兼さん!」
ぐりぐりと拳骨を落とされ、堀川は僅かに後ろへ退く。通りかかったというのもまあ丸ごと嘘という訳ではないのだが、まあ、本当に事実かと言われたらそうでもないだろう。堀川はうう、と小さく唸る。彼に嘘は通用しない……というかあまり嘘を吐きたくはない。相棒として、助手として、信用してほしいし信頼もしてほしいからだ。
「……ちょっと、出て行く頃合を見失っただけです」
「ほーお。オレと主が話してるのを見て面白くないなーとか考えてたんじゃねぇの?」
「えっ!?」
「ってぇのだったら俺は面白いなーっと思ったんだが。なんだ図星か」
悪戯心を隠そうともしてないそのにやりとした笑みに、堀川はたじろいだ。してやられた。……というか、まんまと彼の思う"面白い"に乗ってしまっているらしい。
「まあ、まあ。そう睨みつけてくれるな。何も引っかき回しゃしねぇよ」
「? え、何を」
「あ? 何ってそりゃ決まってんだろ。お前と、アイツのこと」
「あいつって……主さん?」
「他に誰がいる」
いまいち噛み合っていない会話に、二人して一度言葉を切る。それぞれに思案を巡らせていく。
兼さんが言っていることは、主さんと僕のこと、らしい。けれど僕が考えていたのは兼さんと、主さんのことだ。
彼が一体何を言いたいのか、考えてもよくわからないし、これは聞いた方が早そうだ。そう判断して堀川は閉じていたその口を開いた。
「あのさ、確かに僕、ちょっと面白くないとは思ったけど……でもそれって」
「あーあー。ちょっと待て。まあ待て。いいか、確認するぞ」
「う、うん」
「お前が面白くないと思ったのは俺と主がなかよーく話していたから、だろ?」
「そう……かな」
「つまりお前は嫉妬していた、違うか?」
「嫉妬……?」
嫉妬。二人が仲が良いのが気に食わないのは、やきもちを妬いているということ? まさか。なぜ。そう疑う言葉を言いかけて、けれど、ちょっと納得してしまった。
なるほど、もしかしたら、羨ましかったりしたんだろうか。
「兼さんの相棒は、僕なのに」
「そうじゃないだろーが。いやまあ、全く否定するのもまた違いそうな気がするんだが……あー」
「?」
「だーかーら。もし仮にそれだけだったらお前はいつもみたく図々しく、それでいて堂々としてりゃいい、だろ?」
「図々しくって……」
「けどそうじゃない。お前、オレが主の頭撫でるとこ、見ただろ」
「う、うん、まあ……」
「そんとき、どう思った」
「どうって言われても、別に」
なんとも思っていない。果たして、本当だろうか。こんな風に考えたり、感じたり、それらは全部、恐らく、そう全て彼女がいるから。それは、わかっている。わからないのはそこからのこと。この形を得てから、初めて知ったこと。
「知らなさそうだからこれを機に覚えとけ。そういう気持ちを、人間は"恋"って呼ぶんだぜ」
そう言って、相棒はにい、と楽しげに笑んだ。恋、それがなんであるかは堀川も知っている。知っているだけだけど。想いの種類の一つ。好きという感情の、その中の特別なものなのだと。
それを、自分が、主に。……まさか。だって自分は刀だ。大切と思うならそれは所有者として、仕える者として、それの、その、はずなんだけど。
「……僕は」
「確かにオレたちは刀だ。だがよ、こうして人の姿をもらって人の言葉を話してるんだ、ちょっとくらい人の心ってやつを持ってたって罰は当たんねぇだろ」
ほう、と頷きかけて一度止まる。あまりに堂々と言われたものだからそうと思いそうになったが、よくよく考えてみれば、この人が言っていることにはまったくなんの確証もない。
本当にただ一振りの刀が、まるで人のような感情を持つ、なんてことがあるのだろうか。……けれど。笑うことも、泣くこともきっとできる今の自分は、本当に、ただ持ち主のために振るわれるだけの刀なのだろうか。
「やっぱり、よくわかんないや。これが恋なのか、どうなのか」
「そうか? ま、大体恋なんざ、そんなもんだろ」
「兼さんだって恋、知らないでしょ」
「さーてな」
くつくつと笑うその目に映る感情を読み取ることはできなくて、堀川は隣に立つ人をただじいっと見上げた。
兼さんのそばにいたい、隣にいたい。主さんのそばにいたい、隣にいたい。言い表そうとするとどちらも同じなのに、両方少し違うのはなんでだろう。どっちも大切なのに、それはやっぱり同じものじゃなくて、やっぱり少し、難しい。
「なあ国広。心ってのは、成長するもんらしいぜ。せっかく主にもらったもんだ、大切にしとけよ」
“それ”に納得がいくのはどうにもまだ先のようだった。
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