ほう、と吐き出した息がうっすらと白い。夜になって、気温がぐっと落ちたように感じる。何か、着てくれば良かったかしらね。ふるりと体を震わせて、静かな廊下を一人足早に歩く。
少し水を飲んだら部屋に戻って布団を被って、寝ましょう。そう思っていた、のに、帰り際、ふと足を止め琴音は外へとその視線を向けた。夜闇にぼやけるこの場所をやさしく照らす月明かり。その周りには、微かな輝きを放つ無数の星たち。まったく、見事なものである。
こんな静かで穏やかな夜に、それを見上げるこの瞬間。なんだか贅沢をしている気持ちになる。せっかくだから、もうちょっと。そう思って、しばし、ぼんやりと空を見上げていた。
「……しょう、大将」
しかし、それは、急に。
目の前にひょいと現れた黒い、影。……影? いいえ、いいえこの声は。
「薬研……?」
その存在を認識して、思考が追いついて、そこでようやく驚いた。え、あれ。いつの間にそこに。きょろきょろと辺りを見回してからどうして、と首を傾げる琴音に薬研は苦く笑った。気づいてなかったのか、とでも言いたげな表情だ。
「大将、寒くはないか? 毛布を持ってきたんだが、長居するならこれを被るといい」
よく見れば、彼は手に毛布を抱えている。もしかして、わざわざ取りに行ったのだろうか。
「ありがとう……そうね、長居するつもりはなかったのだけどつい」
毛布を受け取ると、すぐさま琴音はそれに包まる。……あたたかい。妙な安心感にほっこりと気を緩めていると、それは不意に。本当に、突然。じいっと琴音を見ていた薬研が一歩、間をつめた。
どうしたんですか、反射的にそうたずねようとした琴音のその頬に、ふわり。薬研の両手が伸ばされ、ぴたり、とまる。
「……!」
今度こそ、事が起きたこの瞬間、その瞬間に驚いた。いいえ、狙った訳では決してないけれど、というか。ええ、なんで、何が、どうして。混乱。頭の中がごちゃごちゃしだして、うまく思考が働いていない。そんな琴音を見て薬研は、ほんの少し、おかしそうに言う。
「随分と冷えてるな、いつからここにいたんだか」
笑み。その表情を見て、急に、顔に熱が集中する。ああ、なんだろうか、やけに恥ずかしい。どきどきしてしまう。その、表情を見て? それとも触れられたから? どっちも、かしら。ああ、ああ。慌てる琴音を見てか、確認が終わったからか、薬研が手を退く。
すると、ぱふ。琴音は毛布を頭まですっぽりと被り、彼から咄嗟に、隠れた。もう、急。急すぎます。人と、いや刀なんだけど、それでも人、男の人とこんなに近づいたりすることなんて、あんまりなかったものだから。
それだけかどうかはわからないけれど、でもそれ、確実にそれはそうで、だからちょっとびっくりしてしまって。
完全に混乱していた。視界、遮られているけれど、薬研のおかしそうな笑みが目に浮かぶようだった。……というか、彼、笑ってる。笑い声が聞こえる。
何ですか、もう。からかってるんですか。そろりと毛布の隙間から外を見る。薬研はまだ琴音を見て、笑っていた。
「薬研」
「なんだ、大将」
「……なんでもありません」
まだ頬が熱い。悔しいけれどどうしようもなく、どきどきしている。ああ、適わないものね。こういうのはきっと、意識したら、自覚したら、その時点で負けなのだろう。
見てみろ大将、今日の空は本当に綺麗なもんだな。無邪気に空を指差す薬研を見ているとなんだか全部、瑣末なことと、思ってしまうけれど。
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