不意に、どきりと心臓が鳴ることがある。
全身の血が熱を帯びて体を駆け巡っていくような現実感と、ふわふわの羽毛に全身を包まれるような空想感。その矛盾でごちゃごちゃになってしまいそうになる、不思議な感覚だった。燭台切光忠は雑多なものに対してはある程度整理をつけてすっきりさせておきたい性質であったのだが、それの整理には未だどうにも、手を付けられずにいた。
その正体を知ってみたいような、これはこれのままで置いておいていいような、そんな心境だったのだ。それはそこに、散らかった部屋に対して沸き起こるような、そんな落ち着かなさを全く感じなかったからだ。
燭台切、と背後から淡い声がする。誰とも聞き違えるはずのない、主の声だ。振り返り、自身より小さな彼女の姿を視界に捉えると光忠は微笑んだ。主。そう応えると琴音も柔らかそうな頬を上げて穏やかに笑う。丁度良いところに。その声はなんだか、楽し気な雰囲気を隠しきれないように弾んでいる。
「よいお茶菓子を手に入れたのです。数がありませんから、こっそり頂いてしまおうと思っていたのですが、燭台切もいかがですか」
「それは魅力的な誘いだけど……僕でいいのかい?」
菓子好きな者は少なくはない。お茶に合うのなら尚更だ。言えば他にもたくさん欲しがる者はいるだろうに。そう言うと、彼女は小さくあら。と呟く。そうして続けて、要りませんか、と問う。随分と簡潔に、単純に聞かれてしまったもので、光忠はぱちりとまばたきをした後笑った。要る、と答える他なかった。
本丸の中はいつもより静かだった。聞けば、丁度今しがた遠征部隊が発ったのだそうだ。残った者たちも、与えられた暇を思い思いに楽しんでいるようで、廊下を歩いている間に二人は誰ともすれ違うことがなかった。部屋の中から、声はしたけれど。
一旦別れた後光忠は二人分のお茶を用意すると、主に「とっておきの場所」と教えられた場所に向かう。彼女曰く、本丸の中でもあまり人通りが多くなく、かつのんびりと過ごすには丁度良い場所だそうだ。たまの息抜きに過ごす場所らしいが、つまりそれは、他の皆に見つかりにくい場所ということだろうか、と想像すると、光忠はある刀剣男士の姿を思い出した。そういえば、時々長谷部くんが声を上げて主を探していることがあるが、なるほど、その時の彼女はきっとそこにいるのだろう。向かってみると、確かに、普段自分たちが使っている部屋とは少し距離があり、かつ広間からも畑からも見えにくいその場所は絶好の休憩場所と言えよう。光忠も、その場所を通るのは初めてではなかったが、そこを選んで通ろうと思ったことはなかったし、当然、足を止めたのはこれが初めてのことだった。
静かな本丸の日当たりのよい縁側に並んで腰掛けると、琴音は持っていた小さな箱を開く。主はその中身を、まるで内緒話をするように声を潜めて、なんとプリンです、と教えてくれる。
「美味しいと噂の一品だそうですよ」
「へえ、それは楽しみだな。プリン……僕も作ったり出来るかな」
「ああ、燭台切は要領が良いから、手作りというのも良いですね。今度作り方を調べてみましょうか」
「主も一緒に作るかい?」
「うふふ。わたしには味見という大役がありますので」
他愛のない会話をしながら、受け取ったプリンを一掬い。先に口にした主の幸せそうな表情を見ながら、光忠も口へ運ぶ。とろりと崩れる滑らかな口触りとまんまるとまろやかな味わいが広がって、なるほど、確かに顔を綻ばせるに相応しい美味しさだった。美味しい、と素直に感想を述べると隣で幸せに浸る琴音がそうでしょう、と何故か得意げにしていた。
「最初に言いましたが、数がこれだけしかないので、他の子たちには内緒に……お願いしますね」
「ああ、うん。そうだったね、わかったよ」
「約束ですよ」
人差し指を立てて口元に寄せるその悪戯な笑顔に、一瞬、目を奪われる。主は普段からよく笑う人だが、こんな風に、無邪気に笑った顔というのはなかなか、見られるものではなかった。珍しい。だが、それだけだろうか。問いかけたとて己の心から返答はない。代わりに心臓の辺りが熱かった。それまで考えていたことが急にごちゃごちゃと混ざっていくように、思考が上手く機能していない。理解の及んでいない不思議な感覚だったが、やはりそこに嫌悪感はなく、光忠は、今のところはそれをそのままにしておくことに決めた。プリンを掬い上げて口に入れる。甘い味がした。
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -